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カテゴリ:とらっくばっく の記事リスト(エントリー順)

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kage

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とらっくばっく”ゾウでも人間でも・・・”

kage

2010/06/10 (Thu)

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とらっくばっく
ゾウ2頭が女帝争い 大阪・天王寺動物園
天王寺動物園(大阪市天王寺区)で飼育されているメスのアジアゾウ2頭の間で、“リーダーの座”をめぐって激しい争いが続いている
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100609-00000000-san-l27



ゾウがそのリーダーの座を巡って争ってるらしい。ゾウの世界ってのは強いメスがそのリーダーになるようでなんとなく人間社会に似ているような気がする。変な話、会社でも学校でも、それなりの役職なんかはオスがやる事があるんだけれども、その実質的人間的中心でリーダーになってるのはメスって事が多いような気がする。

そしてオスってのは具体的に役職的な立場が一緒であるならば、表面的には互いに譲り合って、けん制しあうってのが多いような気がするんだけれども・・・内面の心理的には色々なドロドロした部分がいっぱいで、人間関係ってうっとうしく思う・・・メスって言うのは結構、その辺り表面的な部分にまでぶつかり合ってる事が多かったように思い出す。

ある一定の集団になれば、どうしても”ウマがあう、あわない”ってのがあって、好き嫌いって生まれるのは仕方が無いと思う。こうやってなんだかそのゾウの話が気になってブログに書こうと思ったんだけれども”気に食わないから、相手のことを意地悪して、強いヒトに意地悪されたくないから、その相手に媚びて・・・”って感じのヒエラルキーってのは本質的にはオスにもあって・・・

朝から、みょーにブルーになって、やっぱり1番しんどいのは人間関係なんだなあ・・・って再認識してしまって・・・女性に関係したネタってことで書いてみようと思ったんだけれども、そう言ったドロドロとしたものを思い出してお腹いっぱいになって書きにくくなってしまいました、反省・・・でも、もったいないから、一応アップ、苦笑。

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とらっくばっく”オスの限界・・・・”

kage

2010/06/07 (Mon)

Dキャラッ!


先ほど、HPをいつものごとく読んでいたのだけれども、その中で「“痛み”経ねば気付かぬ…マザコンこそ理想」を読んだ。内容は簡単で産まれて来た子供に親としての実感が無いとのことである。オスは結局はメスのように出産が無い分だけそのことを自覚し難いって感じでまとめられてるのだけれども・・・それって正しい事に感じる。

変な話、僕の出会いってのはネットばかりで・・・セックス前提の出会いになってしまっている。ハッキリ言えば女の子だって快楽を求めて来ちゃうチャットページで”上手くその気にさせて”リアルでのセックスに持ち込んで楽しんでいるのである。こう書くとものすごく”入れ食い”状況にあるように思われるのかもしれないが、そんなことは無く半年に1人ぐらいの出会いを楽しんでいる次第であるのだ。






画像はベルダ砂時計より
この画像は、ソフトハウス『ベルダ』の作品の素材を使用しています。
これらの素材を他へ転載することを禁止します。




そこでいつも思うのだけれども、セックスってのは結局は”子作り”だから本能的にメスってのは”孕む”ことを求めているような気がするのだ。確かにそれなりに生活があって経済的な問題があって人間関係があるのだから、簡単に妊娠して”産みっ放し”ってことは出来ないから、結局は出来ちゃった場合は問題で、だから出来ないように避妊したりしてセックスしちゃうのだけれども、その本能はオス以上に”妊娠”を意識してメスセックスしているのだと思う。

だからチャットセックスなんかだとそのホンネってのは良く感じる場合がある。チャットセックスってのは結局はオナニーでバーチャルなものだから、妄想でのプレイになってしまう。そうなれば性欲のままに思うままに振舞ってしまうメスも存在するのは何ら不思議ではないのである。その中でほとんどは最後の射精を蜜壷の中で望み、大量の精液を子宮で受け止めてその性欲を満たそうとするのである。



オスの僕だってバーチャルであれば何の気負い無く中出しすることが当たり前ながら出来る。その時はどうしても”孕ませる”って気持ちになってしまうのである。つまりは”孕ませる”ことによってそのメスを自分だけのものにしていくって気持ちがあって、束縛の”成果”としての妊娠を求めていくようになるのだ。妊娠させるってことそのメスオスに対する依存度が精神的にも大きくなることになるのだから、そうなれば結果的にそのメスに忠誠を誓わせていく事を意味する事になるのである。それによってメスを束縛していく事を実感していくのである。

もちろん、本当にメスが孕んでしまえば繰り返すのだけれども経済的な面であるとか様々な部分でそれなりのハードルが生まれて自分自身の生活にも規制が掛かっていく事は十分承知である。だから実際的には孕ませないように避妊するのであるのだけれども、やっぱりオスはメスを”自分だけのもの”として独占したいのである。簡単に相手が好きであるってのはよく言うセリフなのであるのだけれども、本質的な愛情ってのは何も考えずに理由なんかどうでも良くて本能的に相手のことを”自分だけのもの”にしたい気持ちのことなのであると僕は思う。

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例えば雑誌やTVなんかでグラビアアイドルなんかを見ちゃうと”おっぱい、大きい!!可愛くてエロくてセックスしたら気持ち良いんだろうなあ!!”程度の気持ちはオスだって誰だって思うだろう。しかし、それ以上の気持ちってのはあんまり思わないはずだろう。結局はどんなに思ってもその相手と具体的にどうなる訳ではなくて日常の生活にっ関係ないからである。

しかし何かの拍子に日常で出会ったメスで恋愛感情を持てばそのメスを”自分だけのものにして束縛したい!!”って思うのが普通ではないだろうか?”モノにする”って言葉はどこか男尊女卑的なイメージがあるのかもしれないが、オスの恋愛論の本質はそこが原点なのだと思う。そうなれば”タマゴが先か?ニワトリが先か?”の論法が生まれても不思議ではないだろう。



つまりはセックスしてそのメスを”孕ませる可能性”を生み出した限りには、自分のモノにしていくことの自覚が生まれ、自分のモノだからこそ愛していこうとする。愛情があってセックスなのか?セックスがあって愛情なのか?ってのはある種、可笑しなテーマなのかもしれないけれども、セックスした限りには自分だけのモノとして愛しても良いのではないか?と思って僕はメスを犯していくことが普通なのである。それがたとえ相手が人妻で1度限りの関係が約束であったとしても、そのセックスしている間は僕だけのものだから”自分だけのモノ!!”を全面的に押し出して相手を犯していくのである。

今の時代、セックスが軽くなって、ある意味、遊びでもセックスがOKなのだから、”セックスしたからその女をモノにした”って論法は古すぎて陳腐すぎるかもしれないが、セックスの関係は妊娠の可能性があって、そうなればその本質は”独占する・される”の関係であると言い切れるのだと僕は思っている。だからメスに”生で中出しする”ってことはオスの独占欲を満たす行為として重要なのだと思っている。





確かにフェラチオであったり体外射精であったりも射精での快楽ってのは感じられて気持ち良いのは否定はしないし、極端な話、メスの顔なんかにぶっ掛ける行為なんかはそのメスを”思うままに陵辱している”気持ちが生まれてすごく興奮するのであるのは間違いない。しかしその前提として”中出し”がセックスのプロセスとしてあることが、そのメスに対する束縛感があって重要なのである。

ただ逆に言えばその射精の意味ってのはオスの場合、そのメスとの関係の中で意味を成すのであってその結果としての子作りであって、もっと極端な言い方をしてしまえば”理想はメスに中出しで妊娠を意識させてやりたいけれども、実際妊娠させるのはメンドウでイヤ!!”ってのがホンネにあるのはオスの身勝手な部分としての事実なのだ。特に僕の場合は結婚という行為自体に抵抗があってしたくないって気持ちがあるのだから”女はモノにしたいけれども結婚はしたくない!!”ってのがホンネにある。





となれば、妊娠の意味がオスとメスとでは異なってくるのは当たり前ではないだろうか?子供が出来るってのはストレートにあらゆる意味で負担であるのは少なくとも僕にとっては間違いないのである。メスは妊娠した場合オスにある種大きく依存すれば良いのだから・・・・ジェンダー思考でこの考え方自体間違っているのは理性では判っているのだけれども・・・・”妊娠の責任はオスが取る”ってことで結局は”母親である事”だけにメスはある意味、本能的に情熱を注ぐ事が出来るのだろう。

トラックバックの記事にもあるようにメスってのはその身体の中で赤ん坊を産み出すのだから、その具体的な”親”であることの自覚ってのは生まれやすいのも事実なのだろう。極端な話、メスに浮気されて出来た子供に”貴方がパパよ!!”と言われても・・・子供の血液検査なんかはともかく・・・ヤっちゃってる事自体は事実だから、抵抗できなくなる。つまりは具体的な実感がオスは妊娠に関して持つことが出来なくて、メスからの報告のみだけに頼る事になるのである。





そうなればセックスの目的がそのメスを束縛して思うままに犯していくことなのに、結果は”子作り”になってしまって思い描いてたゴールと異なってくるのである。そういう意味ではオスとメスではセックスの意味合いがある種まったく異なっているのだと僕は思うのだ。メスの場合は繰り返すのだけれども、オスが極端な話、誰でも良くて、”妊娠して子供が欲しい!!産みたい!!”ってのが本能的な部分であるように今までの経験から思うのである。

そうなれば出来た子供ってのは本能を満たした結果なのだから、可愛くてたまらないのだろう。しかしオスの場合はセックスの本能的な部分が妊娠では無いから、子供に対する愛情ってのは実感しにくいのではないか?と思うのである。僕自身、結婚に対して抵抗感があって、それでも性欲だけは他のオスよりもあるのは実感しているのだから、そういう意味では”子作り”であることを忘れてのそのメスを束縛するためだけのセックスをしてしまっているような気がする。





ではどうすれば父性が生まれてその子供を愛する事が出来るか?って問題に関しては、まだ孕ませたことが無いから僕自身は実感できないってのがあるのがホンネなのだ。だから僕自身はこの問題は良く判らないのが事実でだるのだ。ただ”悩む”って事に関してはありえるのだと思うし、そのことに関して直面してしまったメスは単純に本能的な部分でオスに怒りを感じるのだろうと思うのだけれども”オスの戸惑い”ってこともある意味寛容に理解して欲しいと思ってしまうのである。オスとして身勝手すぎるのは十分承知なのだけれども・・・・

トラックバック
“痛み”経ねば気付かぬ…マザコンこそ理想:http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/education/400395/


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とらっくばっく”売春と性欲と・・・”

kage

2010/06/04 (Fri)

とらっくばっく

最大級の派遣型売春クラブ摘発=客2万7000人、10億売り上げ―警視庁
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100603-00000068-jij-soci

注意!!
売春は犯罪です!!
このブログは売春擁護の立場ではありません!!

昨日の記事なのだけれども、どうやら東京最大規模の売春クラブが摘発されたとのことだ。内容はリンクから確認して欲しいのだけれども、ほとんどの人はそれに関わった数字にマズは驚くだろう。女性の在籍人数が200人、その顧客数2万7千人って知っちゃうと”すっごい!!”としか言いようが無くなるってのが大体の感想じゃないだろうか?

そして実はそれよりも僕が少しこの記事で気になったのは”芸能プロダクション直営店”をその売春クラブはカンバンにしていたことなのである。オスからすれば、そこで接客?してくれる相手は、タレントさんなんかの卵ですっごく美人なんだろうと期待してしまうし、そうなればその意味にプレミアが付いて高級化していくのだろうと感じたのである。

実際何かの拍子に写真週刊誌なんかを読んでると”美人アイドル、風俗の過去!!”的な記事が何かの拍子に載ってることもある。他にもモデルさんなんかがウエイトレスさんをしてくれるモデルカフェなんかが出来た記事なんかを読んだ記憶なんかがあって、結局は第一線級のいきなりスカウトでトップタレントになっていく女の子たち以外はそれなりに苦労してるって想像してしまえば、タレントの卵がそう言ったことをしてしまってる可能性ってのはどうしても考えてしまうだろう。







そしてまた実際、アイドルなんかがAVなんかに出たり、そこまで行かなくともヌード写真集をだしたりして”性”の部分を押し出して”商売”している事実もある事だってなんとなく気付いてるはずだ。それに”枕営業”って言葉があったりして、偏った観方になるのだけれども、どこか芸能界と性産業はつながっているように感じてしまう部分がある。

本質的にグラドルなんかはそうなんだけれども、変な話、水着なんかで”オス性欲をどれだけ誘えるか?”ってのが、言葉は悪いかもしれないけれども、そのアイドルの”商品価値”になってくるのだろう。そういう意味ではそのグラビアなんかにはどうしてもオスの妄想を掻き立てる部分が存在していて、究極的にはそんな部分に価値を考えていくのだから、やっぱりそんなブラックの部分を、よくよく考えてみれば、意識せざるを得なくなるのだ。

そしてそれは確かにあるひとつの側面だけで、アーティスト的な才能で頑張っているアイドルも居れば、演劇の才能で女優として頑張るアイドルも居るだろう。だから、グラビアの部分ってのはあるひとつの側面で、それが全てであるって事では無くて、そればかり強調して考えるのは間違っているのは理性では理解出来ているつもりなのだけれども、それも1つの側面であるような気がするのである。







オスの僕がそんなふうに考えてしまうのだから、アイドルや芸能人を目指す女性から見れば、そんなドヨドヨした部分であっても未来への”糧”としてその側面を考えているのかもしれない。極端な言い方でマズイのだけれども”成り上がるためにはどんなことでもして頑張る!!”って意識がある女性が存在してしまっていても不思議ではないだろう。実際イメージでそんな部分を想像できてしまうのだから、もしそんなシチュエーションに遭遇してしまっても”これが芸能界だから・・・”的な変な割り切りがその娘の中に生まれてしまっても仕方が無いのではないだろうか?

つまりは”芸能人でありたい!!”とかの夢のために”清濁併せ呑む”って意識がどこかにあって、周りの都合に合わせ過ぎて”誤った方向”に頑張る可能性だってあるのかもしれない。僕自身、芸能界とかにはまったく興味は無いし、その実情ってのは判ってないのでこのブログでさえも想像でしかないのだけれども、オスもやっぱり美人さんを見ちゃえばそれなりに”セックスしたい!!”って意識が生まれるのは当たり前だし”そのオスセックスすればそれなりにプラスになる”オモワクがその娘に生まれればある種の同意になって”セックス接待”が存在する可能性ってのは否定しきれないのではないだろうか?

そして今回の事件なのだけれども、芸能界であるとかの華やかな世界にあこがれる女性を悪意で陥れた売春なのだと僕は思ってしまったのである。芸能界にあこがれるって事はやっぱりそれに良い物を着て美味しいものを食べてチヤホヤされるって想いがあって憧れるんだと思うし、そうなればモデルやタレント志望の女の子だからこそこれもまた言葉は悪いのだけれども、それなりに容姿が整っていて可愛い・美人の評価がある女の子なんだと思う。







そうなればやっぱり”ここは・・・モデルとかタレント専用の風俗でキミは選ばれたんだから・・・”的な自尊心を煽るような誘われ方をすれば、傾いてしまう部分があるのだろうし、どうやら高級売春クラブのようで周りが同じようにタレントやモデルを目指している娘ばかりであれば、それなりに競争心を煽る事もあったのだろう。そして”高級”に所属しているだけでステータスになるような気持ちがその娘たちのどこかにあったように僕は思うのだ。

それに顧客・・この言い方も変だけれども・・・だって、どうしてもそんな娘たちに対して、それなりの額を支払っているのだから、昔の”花魁”じゃないけれどもチヤホヤもするし、実際、”モデルさんだろ?タレントさんだろ?”と売春中に女の子たちに言っちゃう事になるんだと思うから、そうなればその女の子のプライドってのは、それが欺瞞であっても満たされる部分があっても不思議ではないのではないだろうか?

そして問題なのはそんなタレント志願なんかの女の子のある意味”頑張ろう”とする気持ちを利用してしまって売春をさせたことであるように思える。確かに女の子だって流れに乗って売春してしまった事に対して犯罪の自覚を持たなければならないし、反省すべきなんだと思う。しかしそれ以上に女の子の”アイドルになりたい!!タレントになりたい!!”って気持ちを上手く利用して、だまして儲けたこの容疑者は普通の売春よりもそう言った意味で悪質なんだと思う。タレントやアイドルになるって事は”奇麗事”だけじゃ済まないのかもしれない。しかし、ある一線ってのは守るべきだと思う。”もし”って言い方自体申し訳ないのだけれども、本当にアイドルやタレントになった場合、そんな過去ってのはスキャンダルのネタになってしまうのは自明である。本当に頑張ろうと思うのであれば、スキャンダルには絶対ならないような事を考えて、そのようなことを選んで欲しくないと僕は思うのである。







追伸
確かに今回はモデル志願タレント志願の娘がターゲットになったんだと思うのだけれども、普通の女の子でも援助交際なんかの売春の誘惑がどこかにあるのかもしれない。買春してしまうオスが居て需要があるから供給としてそんな事になってしまうのだから、本質的には買春するオスが悪いのかもしれないけれども、お金さえ出せれば簡単に出来てしまう側面があるのもまた事実なのだと思う。もっと言ってしまえば安易な供給があるからこそ安易な需要につながって売春が成立してしまうのだと思うのだ。

”誰かにバレなければ援助交際だし・・・・”って安易に考えちゃうと、もしバレたり他の犯罪に巻き込まれたりする可能性だってあるのだから、安易にその辺りを女の子のほうも考えるべきではないのだと思う。安易なジェンダー思考で売春を道徳的に否定するのは簡単だし、恋愛や快楽以外の何らかのオモワクがあっての金銭が絡まないセックスも存在するのはどうなのか?って問題もあるのだし、問い詰めれば売春って様々な側面があって、単純に悪いと言うのは難しいのだけれども・・・中世の巫女売春なんかを考えれば悩む部分がある・・・売春自体、現在においては犯罪なのだし、後になって後悔するようなことはすべきじゃないと思う。

もっとハッキリ言ってしまえば”好きになった彼女に売春の過去が在れば、それだけでオスの恋愛感情ってのは萎えてしまう”のである。やっぱり完全処女って言う訳にはいかないかもしれないけれども、売春でヤリまくってるとなれば、僕のようなオスはそれだけで”付いていけなくなってしまう”のである。そういう意味でもやっぱり売春ってのはいけないことだと僕は思うのである。






追伸の追伸
”売春”に関してこのブログで1度考えてみたく思う。単純になぜいけないのか?って回答には法的に認められていない!!犯罪である!!だけでは違うような気がする。もっと根源的なところで売春ってのはマズいのであって自制すべき問題のような気がするので、次回、機会があれば考えてみたいと思う。

とらっくばっく”女性の化粧について・・・”

kage

2010/05/20 (Thu)

とらっくばっく
アラフォー女性に聞いた「スッピンでどこまで行ける?」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100519-00000023-rbb-ent
アラフォービューティたちのホンネ
http://kirei.biglobe.ne.jp/around40/honne/

最近って言うのか、いつの間にかなんだけれども・・・街を歩くと女性のチークが気になるようになってきている。若い女の子に多いのかもしれないけれど、頬紅がかなり濃い目に浮かんでいるような気がするのだ。

僕の学生時代って言えば、かなり大昔なんだけれども、その時はナチュラルメイクで、うっすらとしていることがトレンドだったように思える。それがいつの間にか、だんだんとその顔の作りをはっきりとさせるものになってきているように僕自身は思えるのだ。

特に若い娘・・・20代のOLさんなんか・・・は、その傾向がかなり強いような気がする。それはある意味、あんまり使いたくないのであるけれども”ジェネレーションギャップ”があるのだろうと僕は想像するのだ。

簡単に言ってしまえば、最近の流行ってのは・・・今になるとあまり聞かなくなってしまっているのだけれども・・・コギャルブームなんかにそれなりに洗礼を受けて、age嬢であるとかの、化粧で華やかな感じにすることに抵抗がない世代が最近の20代から30代なのだと思う。





バブル崩壊直後に20代であった世代はやっぱり、それなりのナチュラルメイクであったのだから、つまりは化粧においても”洗礼”の違いがあるのだろうと思ってしまうのである。

それにステレオタイプすぎる発言になるのだけれども、ある程度はやっぱり結婚なんかしちゃって子供が生まれて、メスであるよりも”母親”である事に頑張ってしまう年齢なんだと思う。

確かに最近は兼業主婦なんかでそれなりに働いている女性のほうが多いのだと思うのだけれども、だからそのあたりの立ち位置を考えて化粧もするようになって結果的にナチュラルメイクやスッピンで頑張れるのかもしれないって感じる場合も普通にある。





だから、却ってある意味、40代の”すっぴん”に対する抵抗ってのは、若い頃がナチュラルメイクがベースで現在の生活があって、そのためにほとんど無いような気がするのだ。

僕自身、そんなにおしゃれに敏感でない、だらしない汚いオスだから、本音ファッション雑誌なんかめくった事も無い。だから人のことなんかは全く何も言えないのだけれども・・・それでも結構40代前後のおねーさんと、こうやってチャットで遊んでると何かの拍子に出会うことがある。

その時思うのだけれども、やっぱり、セックス前提での出会いってのを求める女性ってのは”メス”なんだなあ・・・って事なのである。それなりに綺麗に装って、オスを性的魅力でひきつけていく事を心のどこかで自覚しているように思うのだ。





そうなれば、どんなにナチュラルメイクであっても、極端な話、スッピンであっても・・・”綺麗”に見えるのである。変な言い方だけど、”メスの自覚”がそうやって綺麗にさせてるんじゃないかなあ?って素直に感じてしまうのだ。

つまりは逆に言えば、オスから観て、女性が必ず化粧をしなければならないってことは無いような気がするのである。確かに化粧ってのはそのメスの魅力を引き出すものだから、言い換えれば魅力を引き出したくてメス自身が求めて行っているものだから、それだけ、化粧で綺麗になれるのだろう。

しかし、どこかのオバサンのように”みんなが化粧しているから、一応の体裁だけで化粧をしとかないと・・・”的な感覚ではその化粧は意味が無いように思える。メスである前に人間であって、化粧なんかしなくても死なないって考えてしまっているオバサンは悲しい事にいることは事実なのだ。





あくまでもオスの適当な意見なのだけれども、化粧にこだわり過ぎるのもどうか?と思うのだけれども、やっぱりそれなりに綺麗に観られたいって意識で化粧してもらって、その立ち振る舞いなんかにもメスであることを自覚して欲しいのが本音だと思うのである。

確かに”見た目”の美しさも大切なのだけれども、何かの拍子にメスである立ち振る舞いを見せ付けられると、やっぱり年齢なんか関係なく、ストレートにオスとしてドキっとくる場合がある。メスのフェロモンってのはやっぱりトータルな部分であって、だからと言って”化粧しなくても生きていける・・・”的な開き直りが生まれたオバサンを観ると、なんだか悲しくなるのが僕自身の本音であるのだ。