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kage

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チャットにハマる女性

kage

2009/10/31 (Sat)

あまりにもステレオタイプ過ぎて偏った言い方になってしまうのだけれども、結局はネットでの、それも性欲解消を前提とした出会いを求める女性は、結構真面目な女性が多いような気がする。これもまたハッキリ言ってしまえばセックス中毒になるほど適当にセックス出来るような女性は、わざわざネットで遊ぶ事は少ないのだ。ネットで遊ばなくてもほんのちょっとだけ夜遊びを覚えるだけで、したければしたいだけセックスってのは女性の場合出来るだろうし、そこまでいかなくてもいわゆるセフレ関係を求めるなら簡単に日常でもある意味手に入ってしまうのだ。こういう言い方は本当に女性の性に対して安易に言い切る部分があって、適当すぎるのは判っているのだけれども、ある種そう言った一面もあるのは否定出来ないだろう。だから、これもまた安易過ぎる発言だと自覚はあるのだけれどもネットで性欲の解消を求める女性はある種の欲求不満なんだと言えるのかもしれない。

確かにこのブログで何度か書いてることなんだけれども、オス・メス関係なく人間には当たり前ながら性欲があって、セックス出来ない場合はオナニーなんかでその性欲の解消をしちゃうってのが、”手っ取り早い”性欲の解消方法であるのは間違いないだろう。オこれもまた繰り返しになるのだけれども、オスの場合はAVなんかのビジュアル面での興奮によって、メスの場合はその耽美小説なんかのイメージの興奮によって、オナニーして快楽を擬似的に得て満たしていくってのがそれなりのパターンだと思う。

そこでネットでの役割といってしまえば言いのだろうか?特にチャットなんかでの興奮ってのはモニタ越しの向こうの存在を意識して興奮し、それをオカズにしてオナニーするってのがあるから・・・これがいわゆるチャエッチってもの・・・どうしても各個人のその文字情報から生まれるイメージによる"妄想”ってのが必要になる。ここで”妄想”って書いてしまったのだが、結局は文字情報の中でのプレイを創造してオナニーする事になるのだから、妄想って言っちゃっても仕方が無い部分があるのは僕自身実感してる。

そしてここでのポイントとなるのは”文字情報による興奮”だろう。つまりはビジュアルの興奮の部分が少ないのだ。そうなればチャットはオスのオカズになるよりもメスのオカズに適したものだと言えるのかもしれない。もちろん、オスだって文字情報と自身の妄想力で興奮し、勃起させオナニーするのだからメスだけのものとは言い切れない。しかしどうしてもオスの場合はどこかビジュアル的な興奮も求めてるのは確かだ。だから最近の2ショットチャットなんかはその辺りも考えて・・・かもしれないのだけれども、画像交換機能を持たせてオスにとっては相手のメスの写真なんかを見ることが出来てよりオカズとして使いやすくなってきてるのがある。

ただどちらにしろ、結局はチャットってのは掲示板なんかも含めて文字情報が主体であるから、どうしてもその文字からのイメージでの興奮がメインになるのは間違いないのだ。オスの場合、少なくとも僕の場合、チャットで遊ぶって事はその文字情報でのオナニーもあるのだけれども、それ以上に”いつかはリアルで!!”って部分で遊んでるのが実際だ。しかしこれも何度かブログで書いちゃってるのだけれども、メスの場合はネットでのオナニーでそれなりの快楽を得てしまって満足してしまうってのがあるような気がする。

つまりはオナニーで性欲が満たされてしまうのだ。確かに2ショットチャットなんかの相手がモニタの向こうに存在する興奮ってのはあるのだけれども、"オカズ”が何にせよ、そうやって気持ち良くなってしまえばそれで良いってことになるのがメスなんだろうと思う。だから逆に言えばチャットなんかでのオナニーを経験してしまったメスの場合、その依存性ってのはオス以上に高いのではないだろうか?と思うのである。オスの場合はチャットでオナニーしなくても、それなりに静止画・動画問わず、ネットで遊んでいれば好みの女の子でのオカズってのはそれなりにあるってのは誰にでも判りやすい事であるから、”リアルでのご褒美”が無ければなかなかチャットなんかでの興奮をオカズにし難い部分がある。

その”性差”を考えてチャットでの出会いを考えるとすると、チャットでの興奮・快楽はそれなりに感じて生きたいのだけれども実際的にリアルまではしたくない、リアルでの出会いは危ないと考えるメスが大半なのではないだろうか?ではなぜチャットに来ちゃうか?ってことになるとこれは簡単に言っちゃえばセックスの相手がいないから、ってのが理由だろう。無論、これは男女の区別無く、そうであるといえるのである。恋愛関係なんかで簡単にセックス出来る状態であればわざわざチャットでの興奮で満たす必要は無いのである。”チャエッチ”と言っても結局はオナニーなのだから、純粋なセックスでの快楽の方が気持ち良いに決まっているのだ。

確かに彼氏がいたり、人妻であったりしてセックス出来る環境があったとしてもチャットに来ちゃう女性が居るのは間違いない。それはそのセックスに満たされていないってのが理由にあるだろう。夫婦間であってもセックスレスであったり、言ってしまえば性癖の違いによってそう言ったセックスに満たされない部分があってきちゃうってのもあるだろう。どちらにしろ、性欲に関して欲求不満だから来ちゃうってのがメスのチャットに来ちゃう理由になるのは間違いないはずだ。

ただ、ここで考えなければならないのはメスの”ネットだから・・・”って部分があることだ。つまりは結局はそのチャットでの遊びの中で当たり前ながらそのプレイが”オナニー”であることをどこか意識して、行なっている部分があると言うことなのだ。確かに”チャットセックスにハマってます!!”なんかは旦那にも彼氏にも友達にも言えないだろう。しかしリアルでそうやって性欲解消の為にセックスしてしまっていることをせずにネットでの快楽を求めるのだから、そう言った意味では、ある意味チャエッチにハマってしまうメスは貞操観念って言い方は変だけれども、ネットでのセックスを割り切っている分だけ、リアルのセックスにストイックな部分があるのだと僕には感じられるのだ。

そう言う意味で、チャエッチにハマる娘は、どこかセックスに対して用心深く真面目な所があるのだろうと僕には感じられるのだ。確かに逆に言えば”手っ取り早く”ネットでのバーチャルなセックスで性欲を満たす事が出来るお手軽な部分があることは否定しない。そのお手軽さにハマってって言う女の子もそれなりにいるだろう。女性にだって当たり前ながら動物的な性欲があって満たしたいって思いがあるのは当然である。

問題はそれをどのように解決するか?である。普通であるならば恋愛の中なんかでセックスがあって性欲を満たすのがある種の自然なその解決法なのかもしれないが、実際的に単純に恋愛が出来るような状況になる事は少ないはずだ。そうなれば性欲をどのように解消するか?ってことになるのだけれども、何かの拍子に男友達なんかとセックスしてしまって解消するって事もありえるかもしれない。またまったく知らないオスとの1度きりのセックスで満たすって事もあるかもしれない。そう言った事をせずにネットでのチャエッチで性欲を解消するって事は、ある意味そんな中途半端なセックスをしなくても良い手段に成り得るのである。

”チャエッチ=オナニー”である前提の中でのメスの求めにオスはいかにオス自身の欲望・・・リアルでのセックス・・・に持ち込むか?は、そんな感じで割り切ってるメスに求めていくのは難しいのであろう。しかし結局はそれはイメージによるオナニーであるのは間違いないのだ。そこでオスとして努力しなければならない事はいかにメスにリアルでのセックスの誘惑を行なっていくか、にあると僕は思うのである。

つまりは結局はチャエッチはオナニーに過ぎない事、リアルでのセックスの方が気持ち良い事、当たり前のことなのだけれども、チャエッチの快楽の延長にリアルでのセックスの悦びがあることを想像させる事によってオスはネットでの出会いをリアルに変える事が出来るのだと僕には思うのである。つまりはメスがチャットでの出会いをリアルへの出会いに変えていくのは、オスがいかにそれを刺激していくか?にあるのだと思うのである。そういった意味で真面目なメスをいかに快楽を教えていくか?ってのがオスにとってのチャットでの出会いによる重要なテーマになりえるのであると僕は思って頑張ってる次第である。
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オスの浮気に関して・・・・

kage

2009/10/29 (Thu)

僕の場合、このブログで何度も書いてることなんだけれどもネットでセックス出来る娘を探している。ハッキリ言ってしまえば、恋愛であるとかそんなモノを吹き飛ばして、ストレートに性欲のままにセックス出来ることを前提にその娘とリアルで逢う事になる。だからチャットなんかでも”リアルで逢ったらセックスして肉奴隷に調教してあげる”って感じで宣言してから逢う時間や場所なんか決めて、実際逢っちゃうから、その娘もセックス前提の出会いであると割り切って来てくれるのが普通だ。

もちろん、これもまた何度も言ってるけれど、チャットで遊んだ女の子、すべてとセックスしちゃう訳ではない。当たり前なんだけれども、チャットって日本全国、何かの拍子に海外までありえるから、いくらその素顔の写真なんか見せてもらったりして、名前やTEL番号まで聞き出したりしても、結局は簡単に逢える距離ではない事の方が多い・・・これもまた当たり前なんだけれども電話番号まで聞きだした女の子全てとリアルまで行ける訳ではない。ただその確立ってのはそれなりにまったく何も訊けずにネットやメールだけの関係が続く娘よりも高くなるって本音だし、リアルでヤレるか?どうか?のひとつの判断基準としての電話番号なのだ。

当たり前のことなんだけれども、日常での出逢いだと、それなりに口説きたい娘が居た場合、結局はその娘の信頼を得ようとしてその娘目的でアタックしたりして、他のメスを無視するって言い方はマズいけれども、手に入れるためにターゲットを絞り込むってのがオスの事実だろう。目的の娘以外に別の娘にも手を出してって感じでリアルで複数同時攻略できるのはよっぽどのプレイボーイで逆に女の子からのアプローチをこなしていくだけのタイプだと言えるだろう。しかしほとんどのオスはそんなシチュエーションは幻想でモテないことは自覚してる。僕だってそうである。だからこそ、日常はただ1人の彼女を求めて頑張るのが普通のはずだ。

しかしネットでの出会いってのは、掲示板とかチャットで待ってて、興味ある娘が来てくれるって感じだから、ヘンな言い方だけどどうしても複数同時攻略になる。結局は何度かチャットなんかに来てもらわないと、リアルでのセックスの話になり難い。当たり前だけど、いきなりチャットで出会って、そのままリアルで交尾ってのは、あるかもしれないけれども、実際ほとんどそんなラッキーはあり得ないのだ。だから何度もチャットであって、ネットセックスやTELエッチしちゃって・・・そしてだんだんとリアルでのエッチを誘っていくのが僕のパターンだ。その間に写真なんか見せてもらったりして名前やTEL番号聞き出して、リアルで逢う事が当然の状況を作り出して・・ってと結構ある意味それなりに手間が掛かってるのだ。

ただそうなると何度か来てもらうってのが実際の”キモ”になるんだけれども、リアルと違って必ずその女の子と逢えるって訳じゃない。最初のうちなんかは特にそうだ。初めの1度目は待機メッセなんかで興味があって来てくれて、2度目3度目は、前に来たからって感じで・・・それ以上になって初めて女の子が僕の事を探して来てくれる状態になる。リアルでのセックスの誘いはそこからだと僕は思って遊んでる部分が大きい。

そうなればいつ、どんな娘が”リピーター”として来てくれるか?判らないのだ。結局はネットってのは”待つ”だけの行為が前提だから、”この娘指名!!”って感じで必ず同じ娘とチャットセックスする訳ではなくなる。そうなれば結果的に複数同時攻略にならざるを得ない。そう言う側面がネットでの出会いにはあることは事実なのだ。逆に言えばもちろん、女の子だって前回エッチなことしちゃったオスがそこに居てる事が判ってるのに、別のオスとのチャットセックスを求めてるって可能性だって否定はしない。特にネットでの出会いだからこそ、ハンドルネーム(チャットなんかで利用する自分自身でつけるニックネームのようなもの)を変える事によってそれなりに”別人”になりきれる部分がある。Aと逢う時はA’のハンドルネームでBの時はB’でって感じでメスのほうもそんな感じでネットでのエッチな出会いを楽しんでるのだろうって想像できる。

ただ、僕の場合は出来るだけ同じハンドルネーム・メッセージで待ってる場合がチャットなんかで多い。僕の場合、ハッキリ言えば最終的な目的がリアルなのでリピーターが来てくれることを望んでるのだ。やっぱり何度も来てくれる女の子のほうがリアルでセックス出来る可能性ってのは高くなるし、どんなプレイで興奮できるか?判りやすく、”前回は写真見せてくれたんだから今日は名前を聞き出してみよう!!”って感じでそれなりに段階を踏んで、その娘を専属の肉奴隷に調教していくのである・・・確かに慌てすぎて急ぎすぎて、女の子に逃げられてしまう事も結構あるのは否定出来ないのだけれども・・・

それで結局はリアルに持ち込んでいくんだけど、やっぱりその過程で、オスのズルさを使っちゃってることがある。それは”キミだけを肉奴隷にして調教したい!!”である。完全に客観的に観て”ウソ”である。結局はネットで複数同時攻略しちゃってるのだから、そう言いながらもまた別の女の子に同じように”キミだけを愛してる!!”ってやっちゃってる場合がある。それ自体、ある種プレイのひとつの手法であると言える部分があるのは事実で、やっぱりネットセックスであったとしても、抱きしめた限りにはその娘を独占したいって気持ちになる。そうなれば独占したいからこそ、”キミだけを愛してる”につながっていく。

セックス前提・快楽前提でのネットでの出会いに”愛情”を口にする事自体、男女共に幻想なのは互いに理解してるはずである。ハッキリ言ってしまえば、興奮と快楽が満たされるのであればその関係に満足するべきであって、そこに愛情なんかのヤヤこしい関係は本来不要である。女の子自身、愛情よりもエロチャットに来ちゃうのは気持ち良くなりたいからであって、それ以上のモノはある意味求めてないはずである。お手軽に性欲を満たしたい・・・そのためのエロチャットであると割り切ってしまえばそうなってしまう。

ただ実際的に僕の場合、特に性欲の表現としていわゆる調教で興奮を覚えてしまうのだから、単純に性欲だけのセックスってのは難しくなってしまう。これもまた何度もこのブログで書いてることなのだけれども、調教ってのは本来、相手に対する支配と忠誠の関係だから・・・普通の恋愛以上にその相手を”モノ”にする意識がないと興奮できなくなる。つまりは独占欲の究極が調教なのだと言える部分がある。独占欲ってのは相手を自分だけのモノにすることだからこそ、そこにはどうしても”感情”が必要になる。その感情こそが相手に対する愛情なのだと僕は思うのである。

ものすごく身勝手な言い方だと思うのだけれども、”愛してる”と言うこと自体が僕にとっての調教手段である。その愛情を相手のメスに受け入れさせて犯していくことが、メスの悦びになっていくように調教していくのが僕の理想である。”ご主人様のモノになって犯されて汚されていくことだけがメスとしての悦び!!”と相手が心から言ってもらえるようにするにはこちら側から愛していくしかないのだ。それがバーチャルな関係であったとしても、愛情は口に出してこそ相手に伝わるものである。そうやって逆に言えばメスである相手に忠誠を誓わせて独占していくのである。

問題は同時に複数のメスをオスは愛する事が出来るのか?と言う問題なのだけれども、独占と忠誠を受け入れざるを得ないメスから見ればオスの身勝手でワガママな裏切りかもしれないけれども、答えは”可能”であると僕は思っている。その場その場は抱きしめてるメスを1番大切に思って愛していくのが重要なのであるけれども、考えて欲しい。僕だけなのかもしれないけれども、やはり性欲ってのがあって、理想は思うままにセックスして精液を射精する事が本当の気持ち良さなのだ。ただしかし、実際的にはパートナーであるメス自体にもそれなりの生活があって時間があわない場合だってある。スペアって言い方もヘンだし、相手が誰だって良いって言い方もマズいのだけれども、AがダメならBで・・・って感じで複数のメスがいれば性欲はそれなりに満たされやすいってのは判りやすいだろう。

それにはオスとメスとの発情の度合いってのがあるんだと僕には思う。オスってのは精力復帰のタイムスパンが短いのだと言える。極端な話、朝誰かとセックスして満足してても、夕方にはまたムラムラとしてくるのである。個体差もあってそれがすべてのオスに当てはまるかどうかは判らないんだけれども、僕の場合は少なくともそうであるのだ。メスの場合はセックスをしてから次のセックスに欲情するまでのタイムスパンがそれなりにあるのだと思う。これはハッキリ言ってしまえば生理の問題だってあるし、セックスに対してメスの身体が繊細である事もその理由になるのかもしれないと僕は思うのである。つまりはそう言う観点からオスが複数のメスを求めてしまうのは当たり前と言ってしまうのは、問題があるのは判っているのだけれども、結局はそれが本当の気持ちであることを僕はカミングアウトしてしまうのである。
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二人だけの世界としての露出

kage

2009/10/28 (Wed)

夏が終わって、当たり前ながらだんだんと肌寒い季節になってきたように思える。そうなればやはりまだコートの季節ってのは早いのかもしれないけれど、それなりに厚手の服装になり始めてるのは事実だろう。つまりはアカラサマ過ぎる言い方かもしれないけれども、女性にとっては下着が透け難い服装になってきてると言えるのだろう。特にキャミやブラウスからかすかに透けて見えるブラのラインなんかは観難くなる。逆に言えばノーブラ・ノーパン露出には最適な季節だと言えるのかもしれない。

夏の露出ってのは、その普通の服装自体が薄手でそれなりに身体のラインが浮かんで見える服装であるから、メスを露出させる場合はブラなんかを脱がせたりして、かすかに浮かぶ乳首をTシャツ越しにさらけ出させたりして人込みの中を歩かせたりするのが僕の露出プレイだ。ピッチリとしたキャミなんかだとアカラサマにそれが浮かんで見えたりして、その胸の谷間なんかとあわさって、結構それだけでエロくなるのは事実なのだ。周りのオスたちもチラチラとそのおっぱいを観てドキドキしてる事を、その調教してるメスの耳元でささやいたりして、それがある意味僕にとっての夏の露出プレイであるのだ。

しかし、冬になるとそう言った感じでの露出はやっぱり出来なくなる。当たり前だけれどもどうしてもやっぱりセーターなんかのそれなりに厚手の生地のものになるから、”身体を透けさせていく”ってプレイは出来なくなる。しかし、その分、逆に言えばそれなりにノーブラノーパンにさせながらも、尖った乳首なんかにクリップを挟ませたりして意地悪するように出来るようになる。厚手の服だからこそ、そう言ったもののラインが外見からは浮かび難くなって、やり易いってのが本音にある。

まあ、このように考えるとステレオタイプの露出のイメージから考えれば、僕の露出プレイってのはどこか、中途半端で過激さが足りないものであるのは実はそれなりに自覚している。もっと激しく過激にするなら厚手のコートの下を裸にさせて縄で縛って、バイブなんかも咥えさせて、命令のままにどこでもそのコートを脱がせてオナニーさせたり極端な話、交尾したりして徹底的に露出便器に調教していくのが本当の露出調教かもしれない。

しかし実際的に、そんなプレイを行なうってことは、当たり前ながら社会的なリスクが高いのは誰にだって気付いてるだろう。法的には単純にワイセツ物陳列罪などの罪になるし、そうでなくてもそんなプレイで欲情してる事を誰かに気付かれるだけでウワサになって日常生活にもそれなりの支障になっていくだろう。もしかするとオスならともかくメスならば、それで脅迫されたりしてレイプの対象やストーカー行為の標的になる可能性だって否定しきれないだろう。

だからある意味、チキン(臆病)だと思われるかもしれないのだけれども、僕の場合の露出は周りにかすかに伝わるかもしれない部分での露出になる。それにもちろんそう言ったリスクも考えてのことなんだけれども、それ以上に事実としてその調教してるメスを他のオスに触らせたくないって気持ちがある。他のオスに盗られたくないのである。そうなれば本来はメスを閉じ込めて他のオスとの接触をさせないってのがある種の理想なのかもしれないのだが、実際的にはメスにも仕事なんかがあったりして、買い物なんかの生活があったりして・・・まったく他のオスと触れさせられない時間の使い方なんかありえないのは当たり前だろう。

その中での露出だから、周りには”もしかして・・・!?”って気持ちは持たせたい部分があるのだけれども、結局はそのプレイはメスに羞恥を呼び起こさせるものであれば良いのだから、レベルとしてはアカラサマな露出ではなくなっていくのである。つまりはオスとメス、二人の共通認識として露出が成立すれば良いのである。ネットで遊んでると、最初から露出はこんな感じだって言うものがあって、その思いに囚われて露出志願を求めるメスはいるのは事実だ。しかし、アカラサマな露出ってのはスリルを前提とした興奮であって、羞恥を伴った露出とはまた違った意味になる事を、調教するオスはそのメスに教える必要があるのだと僕は思うのである。

セックスってのは当たり前ながら羞恥を伴って隠すべき行為である。特にメスの身体ってのはオスの欲情を誘うって意味においても本来は隠すべきものである。それがだんだんとメスであること自体がファッション化してメスをさらけ出す事での魅力作りってのがメスの中に生まれてきてるのが事実だろう。そう言う意味ではメスであることを不特定多数のオスにさらけ出す事によって、メスとしての”自信”を再確認する行為に成り得るのである。その極端な行為が露出であるのは事実であると僕は感じる場合がある。そこにはある種の羞恥を伴いながらも、それ以上に”メスである魅力の再確認”の意味合いが大きいような気がするのだ。

だからそう言う意味での”二人きりの世界の中での周りに判らない、判りづらい露出”ってのは、なんとなくもの足りなさを生むのだろう。しかしどちらにしろ、メスが露出のパートナーとしてオスとして選んでくれたのであれば、オスはそのメスを”リスク”から守るスタンスを持たなければならないのだと思う。もし単純にメスに命令してリスクも全てメスに持たせるのであるのであれば、極端な話、飼い主としてのオスはその露出に対して不要になるだろう。メス自身で思うままに”チラ見せ”じゃないけれども、オスに対する”フェロモンの優位性”さえ自覚できれば良いような露出をすれば良いから、である。

オスが必要なメスの露出ってのは、そのオスの為に・・・って気持ちがそのメスの中にあり、何らかのリスクがあればオスが愛情と責任を持ってそのメスを守るスタンスの相互作用によって成り立つのである。これは露出に限っての事ではない。セックスがアブノーマル化して調教と考えられるなら、オスはどんなに性欲重視の関係であっても、結局はメスを愛して守る必要がある。その代償って表現はおかしいかもしれないけれど、それを愛情としてメスは感じ、オスに忠誠を誓って堕ちていく・・・それが本来の理想の調教関係ではないだろうか?確かにセックス前提の出会いってのはどこか割り切っての関係になってしまうのだから、そんな理想はどこか幻想でしかないのだけれども、オスとしてメスを調教する限りには、大切に飼っていくスタンスが重要なのだと僕は思うのである。
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調教の趣味の違い

kage

2009/10/26 (Mon)

変態セックスって言い方にはなんだか抵抗があるんだけれども、結局は人それぞれに性欲があってフェチシズムがあって、それによって性的興奮が生まれていく部分での特殊性癖を”変態”って言葉でまとめてしまうのがその言葉の基本的な概念だろう。つまりは、自分自身の中では当たり前のプレイであっても、相手が未体験で想像の範囲外のプレイになると”変態”って事になってしまう。その変態さってのが受け入れられるなら新しい快楽の始まりとしてそれは許されるんだと思うけれども、まったく性的興奮に結び付かずに苦痛でしかないプレイがあるのも事実のはずだ。そう言う意味で”調教”って言葉に潜む個人の意味の違いは結構相性として大きなモノになっていくのだと僕には思えることがある。

例えば、スカトロ・・・ストレートに言えば排泄物に対する性的興奮を伴うプレイって言えば綺麗に言い過ぎなのかもしれないけれども、ともかくセックスの間にウンチやオシッコが存在するプレイだと考えればいいのかもしれない。極端な話、お漏らしプレイなんかもスカトロプレイのカテゴリの中に入るのかもしれない。まあ、漠然としたイメージはそれなりにこう書くと誰だって意識出来るだろう。問題はただ、そのプレイの方法に様々な趣味の違いがあることだ。

例えばだけれども、結局はそのプレイなんだけれども、オス・メスのどちらがするか?でも意味が異なるように思える。オスがメスにオス自身の排泄物をぶっ掛けるなら、それはメスに対しての”汚れ”を与える事になるのでつまりはそこには独占の意味合いをより深めるって事があるだろう。メスがオスにって感じで逆だと意味合いは一緒でも”ああ・・・女王様”になるのかもしれない。また、自分自身の排泄を相手にさらけ出すって事は相手の命令でするか?どうか?の兼ね合いはあるのかもしれないが、普通ならさらけ出せない羞恥な姿をさらけ出すって意味で相手に対する忠誠を意味するのかもしれないし、それによってまた別の意味があって興奮を覚えていくのかもしれない。

このように書くと本当にスカトロを楽しんでるカップルからすれば、ものすごく浮ついた観方をしてるように思うだろう。実際告白するのだけれども、僕自身スカトロに対してまったく性的興奮を覚えないし、むしろ嫌悪感がある。だからどうしてもそのスカトロの意味を考えようとしても浮ついた部分でしか捉える事が出来ないってのが本音で、こんな感じでしか書けなかったってのが事実だ。

ただここで思ってもらわなければならない事は、僕自身、スカトロを全否定するものでは無いと言うことだ。人の性癖ってのは個々人においてそれなりに違うって事は当たり前の事だと思うし、他人がそれでそれなりに満足してるならそれで良いんだと思う。自分自身の性癖に合わないからと言って全否定するのは間違っているからだ。それにもしかしたらスカトロに何かの拍子にハマるかもしれない可能性ってのはこれからもありえるし、カミングアウトしてる緊縛や奉仕なんかの性癖が他の誰かさんからすれば耐えられない事かもしれない。

つまりは単純にマゾだからサドだからってことでSMプレイがしたいって感じでやっちゃうと結構相性問題が普通のセックスよりもシビアなところがあって難しい所があるってことだ。しかしここで考えなければならない事なんだけれども、どうしてもサディストの方が調教の主導権を持つって事になるのは事実なのだ。これは当たり前なんだけれども、サディストがその性欲のままにマゾを犯していく構図が出来上がるのだから、そうなればマゾの性癖ってのは”再調教”を理由に無視されていく部分が大きいって事になるだろう。

たしかにマゾ自体、そのサディストを調教の時のご主人様であるとか飼い主であると認めて、その支配を受け入れる事からSMの関係は成り立つのだから、その延長としてサディストの思うままにマゾは調教を受け入れるってのがあるだろう。つまりはそこで相性に対するなんらかのこだわりは解消されると表面的には考えて良いのだ。ただそれはあくまでも”表面的”であって、実際それでマゾが性的に満足するか?どうか?に関してはまったく別問題であるといえるはずである。

特にここで考えてるシチュエーションはネットでの出会いだからこそ、セックスして性欲を満たしたくてって感じで普通のセックスじゃ満たされないからネットで相性の良いパートナーを探してるってパターンなのだ。ほとんどのネットでのマゾ志願者ってのは、実際的にリアルでの調教を経験したことは無いって感じで・・・それが変態セックスであったとしてもその自覚が無いってのが本当の部分で・・・だからこそ、そのサディストの性欲をうけいれることで一応の満足があるのだと思う。

そう考えれば調教ってのはある意味、ものすごく精神的なものが重要になってくるのだと思う。つまりは行為・プレイによる興奮ってのはあくまでも手段であってその結果、そのサディストの支配を受け入れるか?どうか?のほうがマゾにとっては重要なのだと思うのである。しかし問題はそれでもやはり普通のセックス以上に調教ってのはそれなりに理想がそれぞれ違うから、サディストの満足度よりも表面的には相性の出ないマゾの満足度のほうがその関係が続くか?どうか?のポイントになるのだと僕は今までの経験から感じる部分が結構あるのだ。

だからサディストってのは、確かに自身の性欲を満たすためにそのプレイをするべきだと思うし、その事に対してマゾの気持ちを考えて躊躇してしまっては本当の意味でのサディストではなくなるのかもしれない。しかし、だからと言ってマゾの悦びを無視するような調教をしてしまえば、結果マゾの気持ちが醒めてしまって関係が終わってしまう部分も事実なのだ。そうなればサディストとしてどのように調教を考えればよいか?になるのだけれども、それはやっぱり”調教”の本来の意味に戻って、そのプレイでマゾ本来の悦びを教えていくことになるのだろう。

つまりはマゾにマゾ自身が想像したもの以上の満足度である事を教える事がサディストの調教の意味になるのかもしれない。そう言う意味では最初の間はサディストだからこそマゾに”サービス”する事を意識してマゾの性欲を満たす事を調教においてしなければならない事だろう。だからこそ調教ってのはいきなり最初の1度目から成立するものではないのである。中には乱暴に自身の性欲を興味本位のままに満たす事がサディストだと思っている人間も居るだろう。しかし断じてそれは本当の調教ではないはずだ。いかにマゾが自主的に忠誠を誓って欲情していくか?そのためにはどのように調教すべきなのか?を考えて、飼っていくことが本当の調教の醍醐味であり、サディストの役割であろうと僕は思うのだ。
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女の子のセックスの求め方

kage

2009/10/25 (Sun)

女の子とセックスする時、最初の1度目、それも導入部分ってのは結構緊張するものである。特に当たり前ながら、セックス前提での出会いが多いから、リアルで出会った時点でもうセックスすることが約束されてる状態のために、本音の部分、ホテルにさえ入ればいきなり襲っても問題はないと僕自身、思ってるのだけれども、やっぱり女の子自体は、”そんなセックス前提の出会いが初めて”って娘が多いから、強引にしちゃうと怖がらせる部分もあるし、だからと言ってそのまま女の子が覚悟を決めるまでズルズルとボケーっとしてることも出来ないってのもある。そう言う意味でオスとして緊張してしまうのだ。

基本的に女の子ってのはセックス前提での出会いってのは慣れていない・・・中には出会い系なんかにハマって”1度きりのセックス”を何人ものオスとしちゃってるメスがいることは否定はしないのだけれども、ネットで性欲処理をしちゃってる女の子のほとんどは実際的にはそんな大胆な女の子は少なくて、チャットセックスにハマってるんだからセックスに保守的って言い方は変だけれども、リアルでフリーセックスしちゃってて性欲が満たされてる娘ってのはほとんどいない。当たり前ながらそう言った状況であるならば、逆にネットで性欲解消しなくてもリアルで解消出来てるのが普通だからだ。そう言う意味においてはステレオタイプ化して言い切っちゃうのは間違いなんだけれども、敢えて言っちゃうと”男性経験2,3人・・・年齢27,8歳の結構真面目な女性・・・彼氏現在無し、1,2年は性交渉なし”ってのがなんとなくのモデルケースではないだろうか?

確かにそのモデルケースが全ての女の子にはまる訳ではない。変態セックスに興味あってどうしても来てしまう女子大生ってのもいちゃったりするし、フリーの時間が上手く取れずに欲求不満のレースクイーンやモデルさんだっていたりする・・・確かにネットだから”自称”モデルだったりレースクイーンだったりする訳で本当の所は確かめ様が無いってのが事実なのだけれども、その見せてくれたりする写真なんかで事務所のHPに掲載されてる写真の顔と全く同じって感じで確証を得たりする。実は誰とは言えないのだけれども、たった1度だけいわゆる”グラビアアイドル”さんとリアルで逢ってセックスしてしまった事もある。他にも彼氏や旦那を持ってる女性もいたりして、”こんな女の子がほとんどだ”って感じで本当に1つのタイプとしてまとめる事は出来ないのは事実だ。それでも毎日のように誰かとセックスして性欲が満たされてる女の子ってのは極少数だって言えるのは事実なのだ。

それにこれもまた当たり前なのだけれども、結局はチャットなんかでの盛り上がりでセックスの約束をして出会っちゃってるんだけれども、実際的にその女の子のキャラクターって言うか性格ってのはそんなに上手く掴んでいない事の方が多い。それでもオスだからメスの身体に欲情して、性格やタイプなんかを考えるよりも、”せっかくホテルに連れ込んだんだから、とりあえずはヤリたい”って気持ちになるのは本音にある。そうなればどうしてもオスとしてその主導権を持ちたくなるのは当たり前なのだ。

確かにサディストの自覚があって調教交尾するためにその女の子と出逢った意識はあるために、その娘をメスにして性的奉仕をさせていきたいってのが気持ちの中にあるのだけれども、マゾとして実際的に既に調教済みって女の子は少ないから、こちらからどうするのか?を教えてあげる必要がそれなりにある。レディコミやネットで”マゾってのはこんな感じなんだ”ってイメージがあって、そのマゾ性って言い方はヘンだけれどもそう言ったものを満たすために女の子はリアルに来ちゃうってのがあるのだけれども、実際それを女の子自身が主体的に実行に移すことってのはやっぱり羞恥もあっていきなりは出来ないってのが本音じゃないだろうか?

そうなれば最初のスタートにおける導入においてはオスのこちら側が主導権を持って、導いてあげなければならないって意識がある。僕の場合、己の緊張を隠すって意味合いもあって意味合いもあって、部屋の扉を閉めたと同時に女の子を後ろから抱き寄せて襲ってしまう場合が結構多いかもしれない。”犯されるために来ちゃったんだよね?”って耳元でささやきながら、服の上からでも結構激しくレイプするように愛撫していく。女の子自身の中にも当たり前ながらセックスするために来ちゃってるからそれを受け入れざるを得ない部分があるから、調教云々よりもまずはその娘の身体を犯してしまうって感じでヤッちゃうことが多い。そこからだんだんと言葉責めして、メスにも卑猥な事を言わせたりして少しずつ調教って感じでしちゃうのがほとんどだ。

女の子のほとんどはそうやってこちら側がヤル気を見せちゃえば、そのまま受け入れてくれるから結局はそのままベッドなんかに押し倒したりして犯しつくしていくんだけれども、やっぱり女の子の中にはそんなセックスに怯えてしまって雰囲気を作り出せない場合があったことも事実だ。そうなればどんなにネットリと愛撫を繰り返してもある意味、女の子には苦痛でしかない状況になってしまう。シクシク泣かれちゃうとこちら側もやっぱりサメてしまって続かなくなる。

リアルで逢う前にチャットやメールなんかで出来る限り、その女の子がどんなセックスを求めてるか?ってのはリサーチするようにするのだけれども、結局は僕の中にオスの欲望ってのがあって、それが優先してしまう所に問題があるのかもしれないとは気付いているのだけれども、逢う前にチャットなんかで”こんな感じで襲っちゃうよ・・・”って感じで予行演習じゃないけどそれなりに伝えてるつもりになって、そこでリアルで逢ったときの強引さも許されるって気分になってる部分もあるのは事実だ。

そう言う意味では女の子のリアルでのセックスに対する覚悟の問題だと思う。確かに道徳観であるとかのいろんな要素があって、セックスに対して用心深く思う女の子が多いのは当たり前だろう。特に繰り返しになるのだけれども、”セックス前提での出会いなんか普通ありえない”って考える女の子がつい性欲に我慢出来なくなって・・・・って感じの場合が多いような気がする。リアルでのセックスってのは当たり前ながら妊娠の可能性なんかもあったりして、ネットでのバーチャルなセックスとはまた違った部分になるのだから、そう言う意味ではネットでの出会いの延長では無くなるのである。そうなればまた違った意味でリアルでの覚悟ってのが必要になってくる。

問題はその覚悟をいかにオスのほうがフォローしてメスの負担にさせないか?ってことにある。つまりはアカラサマな言い方になってしまうのだけれども、コンドームの利用の約束をしたり、セックスしてしまった事を理由に女の子を困らせる事は無いようにしたりすることを約束したりして、その精神的な負担を出来るだけオスが小さくするべきなのである。結局はセックスってのはオス・メスのどちらかが楽しむって訳ではなくてそのどちらも満たされて初めて成立するものだと僕は思ってる。

ただ実際的にはオスってのはメスの身体で精液を射精さえ出来ればそれで満足であるって部分があって、それ以上のことを求めないってのが、そのどこかにあるのだけれども、メスの場合は快楽を反芻するって言い方はヘンだけれども、思い出の中でもそのセックスが満たされたものでなければならないように感じるのだ。そうなればこれもまたヘンな言い方だけどセックスによる快楽の満足じゃなくて、トータルとして満たしていくって事が重要になるんだと思う訳で、そんな部分がオスとメスのセックスに対する捉え方の”差”なのかもしれないと僕は思うのだ。

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”汚れ”の悦びを教える事

kage

2009/10/23 (Fri)

やっぱり当たり前ながら、女の子だって純粋に性欲があって気持ち良くなりたくてエッチなチャットに来ちゃう訳なんだけれども、そこでそれなりにオナニーなんかで満足しちゃってるようなのは、このブログで何度か書いてることなんだけれども、結局はオスの性欲処理の対象に使われている事にどう感じるか?ってのがものすごく大きなテーマに成り得るのに、それなりにそう言った快楽に慣れてくると気付いてきちゃうんだろうって感じる場合がある。

最初のうちってのはそう言ったエッチ系のHPに女の子が来ちゃうのは純粋にセックスなんかに興味があって、処女・非処女の区別無く、なんらかの性欲に対する欲求不満を少しでも解消したいって気持ちで来ちゃうんだと思う。これはオスがエッチなHPで”オカズ”を探す気分と同じように思える。オスだって2ショットチャットなんかで性欲処理したくて来ちゃうんだから、そう言う意味においては、気持ちよくなりたい!!であるとかセックスしたい!!って欲望のままに来ちゃうって事でオス・メスの性別関係なく、純粋に性欲解消のためって感じで来ちゃうんだろうって当たり前ながら思うのだ。

問題はリアルにまでその出会いが発展するかどうか?は別にして、それに慣れていく女の子の気持ちってのが難しいんだと思う。オスってのはセックスに対して”汚れ”を感じないってのが本当の気持ちだろう。もちろん、性病なんかのリスクに対する気持ち悪さってのはあるのだけれども、セックスする事によってオス自身が汚れていくって意識を持つ事は全くって言って良いほど無いはずだ。少なくとも僕はその辺りの気持ちを持った事は全く無い。

それにはセックスの本質がオスは精液を射精して汚すもの・メスはオスの精液を受け入れて汚されていくものって部分があるからではないだろうか?精液ってのは当たり前ながら体液である。そうなれば意識的には小便や汗なんかと同じカテゴリに入るものなのかもしれない。ハッキリ言ってしまえば、その娘の蜜壷に中出し・生出し射精して、精液でグショグショに汚れた蜜壷を出したオス自身が抵抗無く綺麗に舐める事が出来るか?にある。

セックスのそれなりの流れでそうやって舐める事もあるのだけれども、ふと気付くと舐めているオス自身、どこか抵抗って言うか”ひっかかり”がある場合が結構あるんじゃないだろうか?フェラチオさせた後のディープキスに抵抗のあるオスもそれなりにいるのではないだろうか?完全にそれが出来ないって訳ではないけれども、何か”ひっかかり”がそう言うところに感じるオスがいるってことは、ストレートに精液に対して何らかの”汚れ”を意識することになっている証拠である。

射精したオス自身がそうやって感じる部分があるのであれば、それを受け入れざるを得ないメスにとっては精液による快楽を伴いながらも、どこかそれは”汚れ”として実感している部分がオス以上に感じられて当然なような気がする。問題はその”汚れ”の意味なのだけれども、本当に恋愛感情なんかがあってっそのオスの”モノ”としてメス自身がその関係を受け入れられるものであるなら、汚れってのは汚したオスのモノである証明になるのだから、そう言った部分で他のオスを受け入れない証明になるのだろう。

ハッキリ言ってしまえば、どんなオスだって他のオスが汚した蜜壷を”観念的”には舐める事は出来ないのだ。確かに割り切って性欲のままにその娘を性欲処理の対象として扱うだけならそんなことを意識しないだろう。だから単純に風俗だってオスの性欲処理の場として存在するのだろうし、そこまで極端でなくても本当に出会い系なんかのセックス前提での出会いなんかでも、性欲処理の対象としてそのメスの蜜壷を舐める事は出来るのである。

ただ、オスはそうやってセックスする事に対してある種の割り切りを意識する場合が多いのだと思う。恋愛感情があってその娘とセックスする事になったとしても、それとは別に性欲があってその解消にその娘の身体を使って精液を射精するってのは、アカラサマ過ぎるのかもしれないが風俗や遊びでの射精したときでの満足感と実際は変わらない部分があるのが事実だろう。本質的にはオナニーと違ってメスの身体を利用して精液を射精した満足感ってのが1番感じる部分ではないだろうか?

もっと言ってしまえば、恋愛感情になってそれなりに時間を過ごした時点で、ある意味その関係が当たり前になって、その彼女と当たり前にセックス出来る関係に安心したオスって言えば判るだろうか?”ヤる為だけに恋愛関係をしてる”ってのはヘンな言い方だけども、メスだってオスの性欲処理のためだけに付き合ってるような感覚に陥ったことは何かの拍子にあるのではないだろうか?

つまりはオスのセックスってのは動物的な性欲に依存して、射精の満足だけがある意味重要で、だからこそそこには”汚れ”をオス自身意識しないってのが本音にあるのではないだろうか・・・・つまりオスのセックスってのはオス自身の中にある性欲処理の意味が大きくて、メスのようにその意味を考えない安易で単純な本能なんだろうと思う。

逆にメスってのはセックスに対して”汚れ”の概念を大幅にオス以上に感じるのではないだろうか?と僕は思う。ネットなんかでオスとして性欲処理のためだけのメスを求める僕自身が言うべきことではないのだけれども、大いなる矛盾があることは自覚してるのだけれども・・・セックスってのは究極的には子供を作る行為であるのだから、オスの場合は射精するだけでそれを実感する事は生まれ出た子供を意識するまでは感じられない部分が多いだろう。ましてやそこまで考えずに性欲処理のためだけに遊びでセックスする事で妊娠を意識する事は無い。

しかしメスの場合はその身体の中で妊娠を意識する事になるのだから、セックスするって事はその可能性があることにその身体を持って直結することになる。どんなに遊びだとメス自身が割り切ってもその妊娠の可能性ってのは恋愛関係でのセックスでの可能性となんら変わるものではないことは誰にだって判っている事だろう。そうなれば”遊び”でのセックスってのは"汚れ”をメスが意識するのはなぜか?って問いがあるのだけれども、そう言ったリスク=汚れって捉えるのはありえるだろう。

しかし実際はそうではないはずだ。そのセックスでどんなに妊娠の可能性が無くても、妊娠していないことを確認する事が出来たとしても、何かの拍子にセックスの”汚れ”を意識することはメス自身否定しないだろう。つまりは妊娠のリスクと汚れの関係は間接的な部分があってもインスピレーションとしての直接的な部分ではないのは自明である。ならばメスにとってのセックスの汚れとは何か?ってのを考えなければならないのだけれども、メス自身の性欲と関係して考えるのであればそれなりに難しいテーマだと僕は思えるのだ。

”汚れ”を1番安易で簡単に捉えるのであるなら、メスが恋愛感情を伴わないセックスをしてしまった事になるのだろうとオスとして思える。もしそのメスに旦那や恋人が居るのなら、その関係の中で”不貞行為”をしてしまったのだから、ある種の道徳観の現われとして”汚れ”としてそのセックスを捉えるのかもしれない。もっと言ってしまえば、そのメスに旦那や恋人なんかの相手が居なくてもそういったセックスに対してどこかそう言った道徳観から"汚れ”と表現するのではないだろうか?

こう言った捉え方は安易でステレオ化し過ぎて、間違いではないかもしれないのだけれども、本質からは外れているのを僕自身はかすかに感じている。しかし、”後悔”のあるセックスってのは結局はメスは”汚れ”と感じるのではないだろうか?つまりは結局はオスの性欲処理の対象としてだけのメスのあり方に対しての何らかの気持ちだってそこにはあるはずだし、そうなればメスとしてのプライドの問題だってあるのだろう。

ただ逆に言えば、それでいながらもメスにだって性欲があるのは事実であるはずだ。だからこそ、オナニーだってするし、その場の勢いに任せたセックスだってあるだろう。そうなれば恋愛感情とはまた別の所に性欲が生まれてしまうのだから、”汚れ”に対する拒否としてのセックスの否定とは、それがまた別のベクトルを持たざるを得ないってことに気付いてしまうだろう。ならそれを合理的に解決するには”彼氏”なんかを作る事になるのだけれども、性欲処理に彼氏を作るって事はその延長上にある種のセフレ関係を求めることになる矛盾もありえるはずである。しかしどのように考えてもメスにだって性欲はあるのだし、あれば何らかの形で解消したいのが動物的な本能のはずである。

そう言った意味で”汚れ”と”性欲”のバランスってのはメスにとって難しい問題であろうと僕は考えるのである。オスはセックスに対して本質的に”汚れ”を意識しない分だけ安易にセックスを求める部分があるのは事実である。そこがオスとメスとのセックス観の違いであろう。ならオスはセックスに対してどのように考えるか?をある意味意識してメスを犯す必要があるのではないだろうか?このスタンスは恋愛関係のメスだからであるとか、遊びでの勢いでのセックスの相手としてのメスであるとか関係ないはずだ。

つまりはメスだって性欲があるのだからセックスでその性欲を満たしてあげるってのは傲慢すぎるかもしれないけれども、それでもメスが”気持ちよかった!!”と満足するセックスをオス自身が提供する必要があるのは言うまでも無い。オスだけが射精の満足を得るだけの独り善がりのセックスではメスはその性欲を当たり前ながら満たす事は出来ないだろう。そう言った意味ではどんなにメスに対して絵奉仕を求めたりして調教プレイを行なっていても、その性癖・内容とは別な部分でのメスに対する”サービス”が必要であると言えるはずだ。

ただしかし、それだけでは快楽だけを求めるセックスとしてメスはそこに汚れを感じてしまうのかもしれない。それを防ぐには結局のところ、恋愛感情を持つか?どうか?にあると言えると僕は思える。セフレ関係に恋愛感情を持つってのはある種の”邪魔臭さ”を感じるオスのほうが多いだろう。手っ取り早くセックス出来てメスの身体での射精の満足感さえあれば良いって部分は恋愛関係にあったとしても、オスのエゴとしてどこかにそういった部分があることは否定しない。しかしそれでは本当にメスがセックスに満足しない事に気付いてるはずだ。いかにその関係を続ける事がメスにとって幸せであるか?を教え、満たしていく事が恋愛関係を伴わない関係であったとしても必要ではないか?と思う。

蛇足であるが、だからと言ってその意味はセックス前提での関係である事を否定する事ではない。問題なのはそのオスに”犯される”幸せをメスに与えられるか?どうか?であるのだ。メスだって理性では性欲処理のためだけに来てるって意識があって、その同意の下でするのだから、そこまで考える必要は無いってことも言えるのかもしれない。ただそうなれば相手は誰でも良いって事に究極的にはなってしまうのだから、その関係ってのは長続きしない。そして調教ってのはメスに対する束縛・支配が前提だから、長続きしない関係の中ではその気持ちってのはプレイだけにしか表現出来なくなってしまうことになる。それでは本当の束縛には成り得ないだろう。

調教・変態プレイってのは確かに性癖を満足させるための行為であるのは間違いない。しかし、それ以上にメスを専属の肉奴隷に調教していく過程を楽しむための行為である事の方が重要なのだと僕は思う。”飼い主の為にその身体を提供し、奉仕していく”悦びをメスに教え、忠誠を誓わせる事が調教の本質ではないだろうか?そうなればセックスに後悔するのであれば、そう言った悦びをメスは感じることは無い。つまりは”汚れ”に対する否定が生まれるはずである。変態プレイで感じること自体”汚れ”である。その”汚れ”ること自体が肉奴隷としてメスの悦びであることを教え込んでいく事がサディストとしてのオスの役割であると僕は思うのである。
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