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フェラチオによる調教

kage

2009/07/20 (Mon)

女の子の中にはおしゃぶりが苦手な娘も結構いるのは確かだ。エッチは好きなのに、肉棒をしゃぶるのはものすごく抵抗があって、したくない・・・そしてその理由も単純にアゴなんか疲れる割には、気持ち良くならない、興奮しない・・・ってのもあるようなのだけれども、やっぱり生理的に肉棒をおしゃぶりするのはキタないようで、抵抗があるって娘もいるのは確かなのだ。

”オシッコが出る所だから汚い!!”って気持ちがあって、おしゃぶりがイヤだ・・・って娘も結構実際的にいるのだろう。ただ、オスから出る体液・・・精液だけでなくオシッコやヨダレ、それに汗でさえも、その身体に浴びて汚れていきたい娘も存在するのだけれども、精液以外の汚れに対してある意味潔癖な娘が存在するのは事実だ。

しかし、実際的にオスはその肉棒をおしゃぶりさせることが好きなのである。いわゆるフェラチオなんだけれども、ほとんどのオスはメスに肉棒をしゃぶらせていくのが大好きなのだ。おしゃぶりさせるってことは肉棒での刺激の快楽はもちろん、そしてそれ以上にメスに奉仕させていく束縛感によっての満足感ってのもあってメスにそれを求めていくのだ。

ただフェラチオの嫌いな娘ってのは、逆に言えばセックスの経験が少なかったり、オスの束縛を受け入れたことのない娘の可能性が高いからこそ、”調教のしがい”があるのは事実だから、そんな娘にいかにおしゃぶりをさせていくか?が調教の目的になる。あごが疲れるとかならともかく、生理的に気持ち悪いから・・・って理由ではその娘に対しての束縛はありえなくなるのだ。

だからこそ、そんな娘にこそあえておしゃぶりの奉仕の悦びを教えることによって調教とすべきなのである。本質的にはオスの肉棒を性器としてメスが口でしゃぶり刺激させていく行為自体、アブノーマルなのは本来は間違いないのだ。射精とはその娘の子宮の中で子を孕ませることのためにするものであって、その交尾以外の射精はアブノーマルであると定義付けることも本来は正しいことなのである。そう言う意味で、フェラチオはアブノーマルなのだけれども、実際はAVなんかでみんな覚えて、セックスの方法として定番化してるためにノーマルセックスの愛撫の1つになってしまっているのが実情なのだ。

だから、ある意味メスの中でフェラチオに対して抵抗があるのは、普通の感覚であるとも言えるのだ。それなのに、フェラチオを調教として教えることは、その普通の感覚を壊す行為になるのだから、理性とは別のアブノーマルな部分をメスから引き出すことになるのだから、調教行為となると僕は思うのである。

それで僕が実際に良くしちゃうプレイは肉棒にハチミツやジャムなんかを垂らして、メスに舐めさせていくことが多い。勃起した肉棒にメスの目の前でわざと見せ付けるようにして、ハチミツなんかを垂らせて、それを舐めさせていくのである。直接肉棒を舐めるのではなく、肉棒に付いたハチミツを舐めるのだから、メスにそのことを教え込ませていくのである。つまりは舐めるための理由付けをするのである。

それによって理由があるからこそ、メスはおしゃぶりを”しなければならない”義務感が生まれるのである。フェラチオ嫌いの娘にもわりと効き目があるのだけれども、普通におしゃぶりする娘においても、それだけでフェラチオのアブノーマル度は高まるから、調教としてのフェラチオが完成されていくのである。

通常のフェラチオって言い方もヘンなのであるのだけれども、特におしゃぶり好きの娘にとっては、それによって愛撫される側から愛撫する側になって、オスの性欲すべてを受け止め、独占し、オスの快楽をコントロールする気分になるようだから、形としてはオスに対する奉仕であっても、実際はメスのオスに対する愛撫の一種になる。

ただ、ハチミツなんかを肉棒に垂らしてしゃぶらせる行為は、肉棒をキレイにしていくことがその目的になるので、そこには完全にそのおしゃぶりはメスのオスに対する奉仕となるのだ。そこにはメスの気持ちのどこかに、おしゃぶりによってオスの快楽をコントロールしていく優位性よりも、オスのために肉棒をしゃぶらされて奉仕させられていく奴隷としての感情のほうが上回っていくだろう。

つまりはどんなプレイでもそうなのだけれども、調教に必要なのは、行為に伴うメスの感情の支配である。そのオスに束縛されて惨めに他ではさらけ出せない姿をさらけ出していることをメスに気付かせ、完全に忠誠を誓わせていくことが調教なのである。逆に言えばどんなに激しいアブノーマルなプレイであっても、快楽だけで忠誠や束縛感がメスに感じさせないプレイであれば調教は成立しないのだ。

調教とはオスのメスに対する独占である。そのオス無しにメスは生きていけないことを、満たされないことをそのココロに教え込ませ、その束縛のためにはすべてを捧げてでも求めていく・・・・そんなふうにメスにさせていくのが調教である。そうすることによって、オスはそのメスを自身の所有物であると考え、他のオスからの独占をそのメスにアピールすることになっていく。それはある種の愛情となりえるのだ。

このブログを始めて、繰り返しになってしまうのだけれども・・・メスを所有することによってのオスの愛情もありえるのである。いや、実際モノにするからこそオスはきちんとメスを愛せるのだと思えるのだ。そうやって考えれば、フェラチオの方法でさえも、やりようによっては調教になりえるのである。いかにメスの気持ちをオス自身に向けさせていくか?それをセックスによって開発していくことが調教のであるのだ・・・・

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