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kage

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kage

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花言葉

kage

2010/05/25 (Tue)

遅くなりました。
続きです。



ただそれでも性欲ってのは本能的な部分だから、どこかで何らかの形で解消したいって気持ちになるのが当然の流れだろう。そうなればネットってのは当たり前ながらプライバシーをある程度隠せる側面があって、そうなれば、日常の生活と切り離された世界がそこには存在するようになるのだから、結果的に日常では隠された性欲の部分をさらけ出すってことが容易になるのは当然の流れになる。

そしてチャットセックスって形で遊ぶ事も1つの方法論になるのだけれども、結局は日常から切り離されているので、日常にまったくそのしてしまった相手が存在しないのだから、どうしてもその場限りになってしまうパターンがどうしても普通になってしまうのだ。となればそこでの生まれる愛情もその場限りにならざるを得なくなるってのが本音になるのである。

ネットでの愛情ってのはその相手のことが全く判らないために、その場限りの幻想であると言い切れるのかもしれない。しかしオナニーとしてかもしれないけれど、そのチャットセックスにおいては快楽があって、そして快楽があるからこそ愛情が生まれると言えるのである。確かに結果的にチャットセックスはオナニーなのだから、その限りの快楽が手に入って、満足してしまう!!ってのがあるのかもしれない。





だから、僕のようにリアルまでもその相手のことを独占したい!!って希望には普通は到達しないだろう。理性では、はっきり言ってしまえばそのリアルにまで影響するような愛情を与え合うような事は出来ないと気付いているのだし、実際、メールの交換なんかしていても、どうしても快楽前提の出会いのために、セックスをバーチャルに求め合うだけのメールになってしまう部分が僕の場合であっても、少なくてもそうなのだ。

確かにリアルでセックスのためだけに逢うってなれば、性病や性犯罪の可能性もあって、モラル的にもどうなのか?って部分が誰しも躊躇する部分が大きいのは事実だろう。ただ、僕の経験上で、それがすべてに当てはまるとは思わないのだけれども、やっぱりチャットであっても、何度もそんなバーチャルなセックスを重ねるうちにリアルへの抵抗が無くなってきちゃうってのがあると思ってる。

今まで何人かの女の子・・・年齢的に人妻のおねーさんもいれば、女子大生もいたので女の子って表現が正しいか?は判らないのだけれども・・・とチャットの延長で逢って来たことは事実なのだけれども、それでもチャットしていきなり逢うってのはマレで、何度もチャットでセックスしてきた娘とリアルでしちゃってるのが事実なのである。





つまりはリアルへのセックスのテクニック的な話になっちゃうのだけれども、やっぱりチャットセックスであっても女の子がリピートしてくれないとリアルにつながらないのである。何度もチャットで僕とセックスするようになって初めてリアルでのセックスの可能性ってのは生まれるのだと僕は感じている。回数を重ねるってことは、ある種の中毒症状を意味する事で、そうなれば、”馴れ合い”って言い方はマズいのだけれども、それなりに信頼感を女の子が持ってくれるためだと僕は思っている。

最初のほうで、チャットセックスは”割り切り”で”その場限り”って書いちゃってるのに、ここでこんなふうに書いちゃうのは矛盾だらけなのかもしれないけれど、ただ考えて欲しいのだけれども、やっぱりチャットセックスであっても、相性ってのはどうしてもあって、気持ち良くなるためにはその相性の良い相手としたい!!ってのがあるんだと思う。確かにチャットセックスの上手い・下手ってのもあるんだとい思うのだけれども、それ以上にどこか相性ってファクターのほうが重要な気がする。

オスの僕でさえも、どうしてもこの女性とはチャットセックスでも”しにくい”ってのを感じる場合もあるのは事実だ。僕がサディストだからってこともあるんだけれども、どうしてもそのイニシアチブってのは僕が取って、チャットの流れを作ろうとするのだけれども、オドオドしながらも上手く乗ってくれる女の子もいるのだけれども、やっぱりどうも”スベって”しまう場合だってあるのは否定できないのだ。





そこにはやっぱり、僕のチャットセックスのテクニックが下手である可能性は否定できないのだけれども、その一方で悦んでくれてリピーターになってくれる女の子もいる訳で、そう考えれば、チャットセックスにも相性があるのだと僕は思うのだ。オスの僕でもそれを感じるのだから、チャットで受身な女の子のほうはその部分をもっと意識しているのだと思う。チャットセックスってのはある意味、リアルなセックスと同じで、主導権を持ったほうがある意味、独り善がりなセックスが出来るのである。独り善がりだからこそ結局は自己満足になってしまって、結局はその相手の気持ち良さってのは無視する部分が生まれてしまうのだ。

そのことを考えれば、女の子のほうがチャットセックスにおいても相性にシビアなのは簡単に判ってしまうのではないだろうか?逆に言えば相性の良い相手とはチャットセックスであってもその性欲は満たされるのだから、そうなれば、そのオスと何度でもしていきたいってのは普通にあってもおかしい事ではないだろう。確かに”マンネリ化”の可能性はチャットセックスであっても否定は出来ないのだけれども、マンネリ化するってことはそれなりに回数を重ねていく事になるのだから、相性が良くてリピートしている証拠だと言えて、今はその部分だけを考えたいのだから、マンネリの話は別でしたいと思っている。

だからそういう意味では女の子だって気持ち良くなりたいためにチャットセックスに来ちゃうのだから、オカズとして”出来の良い”オスとしていきたい!!って気持ちになっても不思議ではないだろう。そうなれば、愛情云々よりも快楽のためにリピートしてくる行動になっても不思議ではないのだ。僕自身も”気持ち良かったから、また来ちゃった!!”って言われちゃうとたまらなくうれしいし、変な言い方になるけれども”肉棒狂いにしてやった!!”とミョーな自信を持ってしまうのは事実なのだ。





そうなれば何度もその相手とチャットセックスしていく事になる。その過程で写真なんかを見せてもらったり、TELエッチをしちゃったりと・・・だんだんとチャットセックス以上のものを相手に求めていく事になる。そして僕の場合はリアルにむすびつけていくのであるのだ。女の子だってチャットセックスはある意味オナニーのオカズでしかないために、リアルでのセックスなんか考えないのが普通だろう。それを如何にリアルまで持ち込むか?になればそのテクニックしかないと僕は思っている。

ただ、そこで考えなければならないのは、確かに快楽のためにチャットセックスして・・・オナニーして・・・・何度もするってことなんだけれども、やっぱり、元の話に戻って、そこには微かな愛情らしい感情が生まれるのは男女共に間違いないだろう。チャットセックスの体験が1度や2度ならともかく、何度も繰り返せば、やっぱり”その女は僕だけのもの!!”って気持ちが生まれてくるのは間違いないし、女の子の方だって恋愛感情は生まれてくるようなのだ。

だから、変な話、僕は特定の女の子を目的にしてチャットで待つことは無いのだけれども、リピーターの女の子はその僕のやり方に浮気や嫉妬を感じてくれるみたいで、チャットでそれについて怒っちゃう女の子だって存在するのは事実なのだ。つまりはそこにはチャットセックスのバーチャルであっても、気持ちとしてリアルな恋愛感情をそんな女の子達は持ってくれるのだと僕は思うのである。





つまりはバーチャルな世界であってもその精神性ってのはやっぱりリアルなもので、ある一定のラインを超えちゃうと割り切れるものではなくなるのだと思う。女の子それぞれにそのラインの高さってのは違うのだけれども、それを乗り越えちゃうとやっぱり生の恋愛感情ってのは生まれるのだと思う。そうなればセックス前提のネットでの恋愛ってのは否定できないものだし、僕のようにチャットセックス前提でセックスがあって恋愛するってのはレアなのかもしれないけれど、それもまた1つの恋愛の形なのだと僕は思うのだ。

花言葉

kage

2010/05/20 (Thu)

本日の花”はなしょうぶ
花言葉”満足感”

続きです・・・・


つまりは、結局はチャットってのは自分自身の妄想の範囲でしか興奮できないプレイである側面は否定できないのである。確かに女の子も僕のチャットに乗ってくれてオナニーしてくれ、TELなんかで喘ぎ声まで聞かせてくれて、結局はリアルまでしちゃうって事はあったから”全てがそうでは無い!!”と言い切れるのだけれども、かなりの割合でその側面の方が大きいと言える方が正しい認識のはずであると僕自身は自覚している。

しかし、それでもチャットだけであっても女の子も僕のチャットでオナニーしてくれて感じてくれてるのだろうと、信じて行っているのが実情で、だからプレイ中、女の子がその喘ぎ声なんかをチャットしてくれたりすることに対して、そこに擬似的なセックスを意識する事になってよりそのプレイでの興奮が増して楽しむことが言えるのである。

つまりはチャットの大部分が”妄想”であるのは否定できない。チャット中”相手がどんな表情でどんなふうにオナニーして欲情しているのか?”であるとか”この相手とこんなふうにセックスしているのだ”と妄想する事によってそれをオカズにして楽しんでいるのである。だからその妄想の”手がかり”になる女の子からの反応があってこそ、より妄想が膨らんで興奮するのである。





つまりはある程度女の子もチャットに参加してくれないと、どこかそのチャットはむなしくなってしまうのが僕自身の本音なのだ。こちら側が5行10行と頑張って女の子を興奮させようとして卑猥な言葉を並べ立ててても、その女の子から何も反応が無ければ、自分自身の妄想に対して”裏づけ”がなくなるのだから、不安になって面白くなくなるのである。

逆に言えば”如何に女の子に喘ぎ声であるとかオナニーしている状況をチャットさせていくか?”ってのがテクニックになるのだと僕は思っているのである。ただ、だからと言ってオスがチャットしまくってメスがチャットするタイミングを奪ってしまってもいけないし・・・これが僕の場合、多いミスである、つい、無言状態になるのが怖くて、女の子のチャットの気持ちを無視してこちらからチャットしまくってしまう・・・・相手の興奮を想像せずに暴走してもいけないのである。

そしてこのようにツラツラと書いてみると繰り返しになるのだけれどもチャットってのは”妄想”が無ければまったく興奮できない道具である事は良く判るはずだ。結局は手に入るのは文字情報だけであるから、そこから妄想する事によってしか興奮する事は出来ないのである。つまりはチャットの場合”妄想”ってのがキーポイントになるのである。





言い換えればチャット中”妄想”が無ければ、興奮ってのは起きないのである。アダルトDVDなんかはビジュアル面で完全に妄想無しでもストレートに興奮を呼び起こすものであり(確かにAV女優さんのおっぱいを見て、その柔らかさや気持ちよさってのは想像するのだけれども)、チャットの文字情報だけってのはその部分をたまらなく引き出すのであるように僕は当たり前ながら思うのである。

特にメスってのは極端な話、ビジュアルオンリーのアダルト動画をオカズにするのは少ないようである。まったく興味が無くて観てても興奮しないとなれば、ウソになるのだと思うのだけれども、そこからそのセックス快楽を妄想して初めてオカズになるのだと思うのだ。

だから変な話、オスの場合ってのはストレートにアダルトDVDなんかのビジュアル面重視のものをオカズにしているのだけれども、メスの場合は、具体的なオカズって言い方も変なのだけれども、それよりも自分自身の中での妄想を膨らませる部分においての小説であるとか漫画であるとかの方がオカズになるような事を聞くことがそれなりにあるのだ。





そうなればチャットってのはその部分に特化した”オカズ”になり得るのだから、ある意味、オスのオカズとしてよりもメスのオカズになり得る可能性のほうが高いのではないだろうか?だからある意味、メスのほうが結構、チャットを利用しているような気がする。

変な話、僕自身の実感で申し訳ないのだけれども、チャットでのオスってのは”常連さん”が多いような気がする。もっと言ってしまえば興味本位で遊んでみようとするオスってのは少ない感じがするのだ。確かに女の子が来るまで待たなければならないし、来ても趣味の女の子か?なんか判らない、それに得られるのは文字情報だけであれば、どこか邪魔臭い部分が生まれて”旨み”が少ないと感じる場合もあって、”ご新規さん”のオスが遊び難い側面があるのだと思う。

その分、メスはワリとお手軽にその部分をクリアして遊んでいる場合が多いような気がする。言いかえれば”定着率”ってのは僕自身の主観的感覚なのだけれどもメスのほうが高いような気がするのだ。その導入、最初に遊びたいと参加する割合ってのはオスのほうが多いのだけれども、そこからのリピート率、もう1度そうやって遊びたい!!って思う割合はメスのほうが多いのではないだろうか?





ただ実際的には極端な話、これも僕自身の主観的感覚でなんの客観的事実も無いのだけれども、オスが100人新規参入しても、その場合のメスの新規参入は1人か2人で・・・結果的にメスのほうがそこで遊ぶ割合として絶対数が少ないのだと思うのである。

だからある意味、もっとメスにはチャットで遊んで欲しいのだと思うのだけれども・・・その分用心深くなって欲しいし、オスのほうも、ある意味、もっとメスが安全に遊べるように無理をしてはいけないのだと思う。セックス前提での出会いってのはやっぱりまだまだ社会的に反道徳的に思われる部分があるのだし、表立って言えるべきではないのだけれども、その純粋な意味での性欲ってのは否定できないのだから、その”折り合い”をどこでつけるか?ってことになるとチャットセックスってのは、ある意味合理的で判りやすいのだと僕は思うのである。


花言葉

kage

2010/05/19 (Wed)

本日の花”しゃくやく
花言葉”はじらい”

何度も言ってることなのだけれども、チャットセックスの本質はやっぱり”オナニー”に過ぎないってのは事実である。リアルでセックスするようにその相手の身体を思うままに直接陵辱して味わう事は事なんかは出来ないのである。あくまでも、PCのモニタ越しに映る文字情報のみだけの妄想をオカズにして、オスであるならばその肉棒をシゴくだけの遊びである。つまりはやってる事はアダルトDVDを観たり、エロ小説を読んだりしながら、性欲を興奮させ、それで自身のオナニーで精液を射精して肉体的な快楽を得ることと何等、変わりは無いのである。

そして、ここで考えなければならないのはチャットの本質は当たり前ながら”文字情報”がメインであることなのだ。確かに最近は画像アップ機能なんかが備えられててビジュアル面の部分でも楽しむことが出来るのだけれども、結局はそのメインはチャットでの文字情報による興奮になる。

ならなぜ文字情報で興奮できるか?ってことになるのだけれども、”妄想がオナニーの根本である”と言ってしまえる部分があるからだろう。はっきり言ってしまえば、瞬間的な興奮であるならば、アダルトDVDなんかの動画情報のほうが興奮できるのである。現実的にそこにはハダカの女の子がおっぱいを揺らしながらセックスしているビジュアルが動画として存在しているのだから直接的な興奮は存在するのである。





なおかつ、そんなAVってのは本当に様々な種類があって、巨乳もあれば、熟女もあり、美少女もあれば、フェチも存在するのである。つまりは自分自身の性癖にあったものをオカズに出来るのだから、ある意味、”ハズレ”が無く素直にオナニー出来てしまうってのが実際ではなかろうか?

それなのに”チャットにハマる”原因は何か?ってのを改めて考えてみる。チャットってのは結局はオスが何らかの待機メッセを出して、それに応じて女の子が遊びに来ちゃうのが大半である。そしてオスはそのサイトに複数存在するのだし、好みの待機メッセが無ければ、女の子はそこで別のサイトに移動するのだから、オス個人としては、来るか?どうか?も判らない女の子をただ待つばかりが基本姿勢になる。

そういう意味では”釣り”とよく似ているのだろう・・・・僕自身は実際の本来の意味での釣りは2,3度遊びで体験しただけでその真なる意味合いは判ってないので、ザックリとしか言えないのだけれども、”エサ=待機メッセ”をぶら下げて、後は”魚=女性”が釣れるのを待つのみである。





それに実際チャットで”釣れた”としても、実際”本当に食べたい魚=好みの女性”か?どうか?は判らないのである。そして後はその”さばき方、調理法=チャットセックスのテクニック”の問題であっても、魚と釣り人の相性が悪ければ、美味しく食べる事は出来ないし、それどころか、調理法が悪ければ、魚は機嫌を悪くしてスルリと逃げてしまう場合だってあるのは事実なのだ。

それでもなぜチャットにハマるか?ってことになるのだけれども、僕の場合は”もしかしたら・・・”のレベルでリアルでも美味しくいただける可能性があって、今までも何度かそんな経験があったために、その事を考えてチャットで遊んでるのは間違いない。ただしかし”本当にそれだけか?”と言われれば”そうでない!!”と言ってしまう事実もあるのだ。

簡単に言ってしまえばリアルで逢うことが出来なくても、僕自身、チャットセックスで興奮してオナニーしてしまっている部分があるのは間違いないのである。もっと言ってしまえば、リアルでのセックスまでに到達する可能性ってのは少ないし、そこに集まるほとんどの男女の実際的な目的はチャットセックスによるオナニーであると言えるのかもしれない。





そこで考えなければならない事は”なぜ文字情報だけで興奮できるのか?”ってことになる。先ほども書いたとおり、チャットってのはモニタに映る文字情報がメインだから、実際的にその相手がどんなメスなのか?なんて判らないのである。極端な話、その相手がメスだと思い込んでるだけでオスであったり、綺麗なおねーさんを想像していても、まったく趣味に合わない女の子だったりする可能性ってのは否定できないのである。

実際、カミングアウトしてしまうのだけれども、数年前、僕自身、それで”引っかかった”ことがある。何度かチャットセックスまでして遊んだ娘とリアルに逢う状況になって、そこでオスのイタズラであった事が判ったり、差別する気は無いのだけれども、チャットセックスの最後で相手から”オカマさん”だったことを告白されたりする事もあったのは事実なのだ。

そしてそんな悪意が無かったとしても、女の子がチャット中に見せてくれた写真がやっぱりどこかで観たAV女優さんのグラビア写真だったりすることも結構あるし、こっちが頑張って女の子をその気にさせようとしてチャットしていても、結局は女の子自身がそれに乗り切れずサメてるだけの空回り状態であったこともある。





次回に続きます

花言葉

kage

2010/05/18 (Tue)

本日の花”アヤメ
花言葉”よき便り”


人間誰しもある程度の年齢になれば、それなりに性欲ってのが生まれて、純粋に恋愛とかの関係なくセックスしたいって欲望がそのこころのどこかにわきあがってくるのは間違いないだろう。それって言うのは男性や女性の性別なんかは関係なく、他の条件なんかも関係なく、ストレートにその情動ってのは、動物的本能がそうさせているのだと思う。

ただ人間の場合は、性教育って言うか道徳的って言うか、簡単にセックスしてはならないって理性がどこか働いて、恋愛感情抜きでのセックスってのがどこか不純で汚いものだと感じる場合があるようなのである。オスの場合はその傾向は実際的に無い場合が多いんだけれども、日常の生活の中で恋愛感情無しで、知り合ったメスとそんな関係になりそうになると、心のどこかで躊躇する場合が結構あるのは事実ではないだろうか?

そのメスが恋愛感情的に好きでたまらないのであれば、そんな状況になれば喜んでセックスするのは間違いない。しかし、そんな感情が無いメスとのセックスってのは様々な事を考えてしまうのは、オスならば何かの拍子に経験しているように思う。例えばそのメスセックスする事によって周りからの評価やそのメスとの関係、もっと言ってしまえば”妊娠”に対するリスクとしての躊躇、その他様々な理性的な部分が渦巻くのである。





ただしかし、実際的にメス身体ってのは、それだけで純粋にオスとしての性欲を刺激するものだから、結局は”ヤって”しまってから、後で理性的な部分で反省したり後悔したりするってパターンもそれなりにオスである程度の年齢になれば経験しているのではないだろうか?

つまりは”日常のしがらみ”と”性欲”をハカリに掛けるような部分がオスにはどこかあるのである。確かに合コンなんかでその場の勢いでセックスしてしまうのも否定はしないのであるが、日常接している女性とのセックスってのはやっぱりその辺りの事に対してオスは考えてしまうのである。少なくとも僕はそうであった。

そしてメスの場合はその辺りはもっとシビアだろう。はっきり言ってしまえばオスの場合は妊娠の可能性なんか無いから”ヤリ逃げ”出来る部分がかなりある。孕ませてから逃げるのは卑怯だし、オスとしては絶対してはいけない事なのだけれども、オスは実際の部分でそれが可能なのも事実であることは誰だって気付いてる事だろう。

しかしメスの場合はやっぱり妊娠してしまえば、その身体の中に”赤ん坊”が存在する事になるのだから、結果的に堕胎する方法を選んだとしても、妊娠の事実からオスのように逃げられなくなるのは事実なのは否定できないはずだ。確かに1度のセックスで必ず妊娠するか?ってのは別問題としてあるのだけれども、メスってのはセックスに対してその可能性が絶えずあることを自覚してしまうのが普通だろう。





だから変な話、日常接するオスとのセックスに対しては、どうしても結婚なんかも考えてしまって割り切れないんじゃないだろうか?どうしても単純にセックスの快楽を楽しむだけでは納得できずに、その”妊娠の可能性までそのオスと共有したい、してほしい!!”って気持ちになるのは当然の流れではないだろうか?そうなれば単純にセックスするだけの関係を求めるのではなくて、恋人関係やもしくはその先の結婚相手まで視野を入れて探すのではないだろうか?

つまりは男女共に日常生活の出会いの中で、様々なシガラミやオモワクがあって、単純に性欲を満たしたいから・・・って感じの出会いは本音の部分で難しいのだろうと僕は感じている。そうなれば、どこで性欲を解消するか?って事になるのだけれども・・・そうなれば合コンなんかの気楽な場所でその相手を探したりするのが簡単になって来るのは実情だろう。

そう言った場所での出会いは本来の生活に対してあまり影響を与える事が無いからこそ、はっきり言ってしまえば性欲重視の出会いであったとしてもキガネ無く遊べる部分があるのである。ただ年齢的にそれなりに上になってくると・・・学生気分でのそう言った遊びはどうしてもし難くなるのだから・・・・やはりだんだんとその機会が少なくなってくるのは間違いないだろう。





実際的に矛盾な話だけれども、僕の感覚だけで間違っているのかもしれないのだけれども、やっぱり本当に性欲を満たしたくてセックスを求めるのは30歳前後が1番ある意味の性欲が強いのだと思う。確かに学生時代のほうが”しがらみ”が少なくて、体力的に元気だから、10代のほうが性欲があるように思うのかもしれないのだけれども、セックスの”ねっとり感”って表現もおかしいのだけれども、その性欲の本質がむき出しになりやすいには男女ともにその年代のような気がするのだ。

ただしかしその年代ってのは仕事があったりして、別のことにエネルギーを使う状況になってしまうのである。そうなればどうしてもセックスする機会ってのは無くなってしまうのだけれども、それに反して性欲ってのはどうしても生まれてしまうのだから、ある意味そこには行動的矛盾が生じる事になる。

特に女性になればその感覚は顕著だろう。男尊女卑的で時代錯誤な言い方だと敢えて判って言うのだけれども、やっぱり女性の”結婚適齢期”ってのはあって、乱暴な事を言ってしまえば、それは妊娠の肉体的なタイムリミットとの兼ね合いでそうなっていると考えれば、その発情期ってのは妊娠適齢期とかぶっているのは自明だろう。





次回に続きます。

花言葉

kage

2010/05/16 (Sun)

本日の花”しゃくやく
花言葉”はじらい”

エッチ系チャットの存在意義っていうか目的は、確かにリアルでのセックスを求めての場であるのは間違いないのだけれども、その”手前”としてのその場限りでの”チャットセックス”であることがほとんどだろう。日常じゃ満たされない性欲をオナニーで解消したいってことになるのだけれども、その興奮するための”オカズ”として存在するエッチ系チャットと言ってしまえば良いのかもしれない。

オスはそのHPで様々なオスと並んでそんな性欲を満たそうとするメスが来る事に待機することになる。その時にほとんどのエッチ系チャットHPはオス1人1人ごとの待機メッセを書くことが出来るから、やっぱり出来るだけ女の子に来て欲しいためにそれなりにエッチなことを書いて、女の子を誘うのである。女の子はその様々な待機メッセを見て、興味あるオスと出会っていくのだ。

それがまあ、クローズ系のエッチ系チャットのイメージなのだ。出逢った後はクローズなのだから、様々なことを女の子と話すことになるのだけれども、そうなれば、まあ、そのメインはどうしてもチャットセックスになってしまう。女の子自体もそのHP自体、チャットセックスをすることが目的のHPであることを知って、来ちゃってるのだから、極端な話、上手く”ヤって”くれるオスを求めて来ちゃってるってのが本音のはずだ。





つまりはチャットによってのイメージプレイでのオナニーがチャットセックスの本質なのである。オスメスに対して、様々な言葉で・・僕であるなら”ほらぁ、その腰、抱き寄せながら、ゆっくりとその柔らかなおっぱい・・・キスするようにしゃぶっていく、舌でその乳首、転がしていくよ・・・”的な言葉で女の子を欲情させてオナニーさせていくのである。そしてそうやって責めた女の子の反応を楽しんで、僕自身も興奮していくのだ。

だから女の子も、そんな僕のチャットでの言葉責めに反応してくれて、喘ぎ声なんかをチャットしてくれたり、中には命令したままに”ご主人様、○○の蜜壷はご主人様の肉棒をこんなにも欲しがって、だらしなくヨダレを垂らしています、淫らな○○にご主人様の肉棒をしゃぶらせてください”っておねだりをチャットしてくれる娘だって、存在するのである。

そこでいつも聞いちゃうのは”リアルでもそうやってだらしなくおねだりして、スケベにお尻振っちゃってるんだね?”ってことなのだ。大体の女の子は”チャットだからおねだりできる、こんなことを言わされるのは、初めて!!”的なことを告白するのである。





確かにチャットだし、女の子の秘め事だから、実際、それに関してリアルでは本当か?どうか?は判らない。しかし僕の場合はそうやって女の子に卑猥なことをチャットでも言わせていく事に興奮を覚えていくのであるのは間違いない。チャットってのは当たり前なのだけれども、モニタ越しのプレイなのだから、その入力して女の子のモニタに映し出される言葉によってのみしか”苛める”ことは出来ないのである。

リアルであるならば、多少ともなり強引に女の子を縛って思うままにその身体を陵辱して、女の子を興奮させていく方法だってあるし、バイブなんかの道具も、ホテルやその他の場所でのシチュエーションも、愛撫の方法も、本当に様々な方法で女の子を”イカせる”ことを考えてセックスする事が出来るし、女の子だってセックス前提の出会いであるから、そんなバラエティのあるセックスを求めて来てるのだから、1つのプレイが失敗でも次のプレイがあるって感じで、その内容を結構簡単に変化させる事が出来るのである。

しかし、チャットってのはやっぱり先ほども書いたとおり、どうしてもモニタ越しのプレイになるから”女の子にその言葉をイメージさせて、欲情を誘っていく”しかその手法は無いのである。確かに言葉の使い方ひとつを女の子ごとに変えるだけでも効果があるし、どこを責めるか?であるとか(女の子が持っているのなら)バイブなんかを使わせたりして、出切るだけ”イカせる”ようにある意味”努力”するのである。





ただ、しかし、こちらがどれだけ必死でもその波長っていうか相性が合わなければ、どうしても女の子からすればそのチャットはある種”スベった”ものになるのであるのも事実なのだ。もっと言ってしまえば結局はチャットセックスと言ってしまってもやってる事はオナニーなのだから、女の子の気分が乗らない限りには、女の子にとっては意味が無いものになるのである。

そして相性が悪ければ、どんなにオスが頑張ったとしても・・・頑張れば頑張るほど・・・女の子の気持ちを”置いてけぼり”にしていく可能性ってのは否定できないのだ。オス自身は頑張って、いかにメスをそんな雰囲気にさせていくか?ってことに努力しても、結果オスの独り善がりになって、女の子はその場合”無言落ち”してしまう事になるのだろう。

今までの経験上、チャットであったとしても女の子に対してまずはやっぱり”ガンバ”らないとイケないのだと思う。たとえバーチャルなチャットであったとしてもおざなりなプレイってのは女の子にとって不満な気持ちを起こさせる事になるからだ。しかし頑張りすぎるとどこか独り善がりになってしまう部分がある。僕なんかはつい、やっぱり”慣れて”しまっている分だけ、より盛り上げようとして女の子のテンションを読み切れずに独り善がりになっていく傾向がある。





ここでオスとして気付かなければならないことは、どんなにテクニックに偏ったとしても結局は女の子のテンションを見極めながら、その気持ちを考えてするべきなのだと思うのだ。変な話、これはリアルでも言える事なのかもしれない。ある程度セックスに慣れてしまうとどうしても初めての女の子であっても、その慣れた分だけテクニックでセックスしてしまうってのがあるだろう。

リアルの場合は直接的に女の子の身体に触れて行うのだから、肉体的な刺激がプラスされ、その刺激によって女の子はセックスに満足できる部分があるから、それなりに良いのかもしれない。しかしある程度、女の子が慣れだすとそれは結局は女の子のテンションを考えずにしている事になるのだから、どうしても感覚のズレが生まれて独り善がりになってしまうのだ。

チャットの場合は結局はオナニー命令だからその傾向は顕著なのである。つまりはセックスってのは当たり前で誰だって判ってる事で偉そうに言うべきではないのだけれども、男女のテンションの高まりを楽しんでこそ満たされた部分が生まれるのである。つまりは互いのテンションを上げていくって行為が必要になるのだ。





それを無視してテクニックだけに偏ってしまうと結局は女の子のテンションがあがらないままにセックスしてしまう事になるのだから、女の子はどこか欲求不満になってしまうのだろう。それではその女の子はそのオスのセックスでは満足できなくなる。結果的に”浮気”されても仕方が無い状況が生まれるのである。オスはそのことを十分に注意してその女の子を愛していく事が必要なのだと僕は当たり前ながらに思うのだ。

しかし女の子のほうにも少しだけ言いたいことが僕にはある。確かにオスが独り善がりにセックスを楽しむことは女の子にとっては欲求不満につながる部分になるのだろう。さっきも書いてしまったのだけれども、それによって性欲を満たしたくなって、結果的に”浮気”してしまうのはオスにある意味、原因があるのだから、仕方が無い事なのかもしれない。

ただ、それでもオスが女の子の性欲を満たそうとして頑張っている事だけは認めて欲しい部分があるのだ。確かにその頑張りは”空回り”して女の子にとってはもどかしい部分だと感じられるのかもしれないのだけれども、そのオスの基本ラインは女の子をメスとして悦ばそうとしているのだから、それだけは認めてあげて欲しいのだ。





中には”自分の射精さえ出来れば満足、女の子が満足できなくても関係ない”って感じのオスもいるだろう。そんなオスの身勝手さと独り善がりの頑張りは絶対的に異なるのである。確かに結果的には女の子はどちらにしても欲求不満になるのだから、一緒だと言う言い方は出来るのかもしれない。

それでも独り善がりの場合は少なくとも”精神的な波長が合わなくて相性が悪かった”と考えて欲しいのだ。無理に感じているフリをする必要なんかは無いし、それを原因としてそのオスと別れることになっても仕方が無い事なのだと思う。それでもそのオスの”頑張り”まで否定しないで欲しい。

確かにそこにはオスのセックスに対する余裕の無さなんかもあるのかもしれない。しかし、全否定だけはして欲しくないのだ。これはリアルであってもチャットであっても同じことが言える。もしそんなオスと出会った場合は、はっきりと”慌てすぎ”であるとか”相性が悪かった”と言って欲しい。





オスが1番不安になる別れ方は理由の無い拒絶である。せっかくセックス前提で気持ち良くなるために出会ったのだから、女の子もある意味そのオスのセックスを評価して伝えてあげるだけの余裕を持って欲しいのだ。もしそれで気持ち良ければ”気持ち良かった!!”と伝えてくれるだけでオスはうれしくもなるし自信も持つ。それがある意味、メスのセックスに対する作法なのだと僕は思うのである。

花言葉

kage

2010/05/15 (Sat)

続きです。


ある意味、SMってのはその延長なのである。そう言えばなんとなく誰にだって理解できるのではないだろうか?と僕は思うのである。つまりオスはそのメスに羞恥や苦痛を与える事を受け入れさせる事で、そのメスが自分だけのものである特別な存在であることを実感するのである。

なぜなら、普通は出来ない事をそのメスに”オス”として受け入れさせるのだから、そのオスメスにとって特別な存在になるからである。受け入れさせる事で、そのオスのためだけ・・・って気持ちをメスに持たせたいってのがあるからなのだ。つまりはそのメスの特別な存在になりたいのであるのだ。

確かに単純にセックスするだけでも、メスはそのオスを選んで受け入れるのだから、どこかオスとして単純にそのメスを”モノにした!!”と意識が生まれるのは間違いないだろう。そういう意味では恋愛の過程としてのセックスってのはオスにとってゴールになり得るのである。





ただ単純に恋愛して、その相手と好きだと言い合っても、やっぱりそこには”証拠”がないから不安で、その具体的な愛情の象徴としてのセックスがある。ある意味、ものすごく”健全”な恋愛の流れではないだろうか?だからそういう意味において、僕はプラトニックな恋愛ってものを信じた事はないし、純愛の中にセックスの概念を含めようとしない”健全”な道徳論は、”うすっぺら”に感じてしまうのである。

しかしSMはそれだけでは満足できなくて・・・って気持ちがあってする場合が多い。これもハッキリ言ってしまえばミもフタも無いんだけれども、どんなに恋愛をした結果のセックスであっても、結局は過去にその娘は別の相手ともセックスしているのであって、そのセックスが確実な束縛の象徴にはならないってことを意味するのである。

確かに中には”処女を捧げて永遠の愛情を誓う”的なパターンもあるけれども、ある一定の年齢になれば、男女共に恋愛の1つや2つはしているから、処女であるって事は少ないのが実質ではないだろうか?非処女である事自体が、その女の子に対して、受け入れられない原因にはならないのだけれども、そこには何らかの嫉妬があってもオスとして不思議ではないのである。





そしてそうなれば、セックス以上のより何らかの独占を相手に求めていきたくなるのがオスなのである。オスの愛情ってのは極端な話、そのメスを如何に”自分だけのモノ”にするか?がテーマであって、究極的にそのメスを愛しているか?どうか?はそのメスを自分だけのものにして独占したいか?どうか?だけの判断である。

つまり興味の無いメスが他のオスとセックスしてようがどうしようが、その相手には愛情は無いのだから、嫉妬も沸かず、”ふーん”で終わってしまうだろう。しかし、何らかの愛情を感じるメスが他のオスとのセックスがあったとすれば、独占できていない現状に嘆き、嫉妬してしまうのが本音であるはずだ。(まあ、そこでそのメスを諦めるか?諦めないのか?が分岐点になるのは間違いないのだけれども・・・)

ただ逆に言えば、好きなメスとはセックスしたいって思っても当たり前なのである。なら性欲のみのセックスってのはそんな恋愛感情が無いのだから、不純であるとある意味、言えるのかもしれない。しかし逆に言えば、セックス前提でそのメスを手に入れて、手に入れた限りには自分のもので、自分のものだからこそ、愛していくって論法もあるのではないだろうか?





僕なんかはリアルで逢ってセックスする時、そのメスを本当に自分のものにしたくてセックスする、するようにしている。つまり犯す限りにはそのメスを愛していくのである。だから1度限りでは寂しいし、もしかしたら結婚なんかもあり得ると思って犯して自分だけのものにしていくのである。

確かに最近は特に人妻中心がその相手になって、どうしても”終わりのある”恋愛なのかもしれないけれども、その時間だけは恋人のように振舞い合うのが幸せであると思うのである。つまりはセックス前提でセフレの関係なのかもしれないけれども、単純に肉体的な快楽だけでなく・・・確かにその快楽があるのが前提であるのは否定しないが・・・・そう言った精神性のものもパッケージで楽しむのである。

話は元に戻るのだけれども、なぜそこでSMになるのか?ってことなのだけれども、つまりはセックス以上のものをそのメスに受け入れさせる事によって、より自分の中にある独占欲を満たしたいって気持ちになるのである。つまりはSMってのはある意味、オスの独占欲の象徴である。だから変な話、SMにハマるオスほど嫉妬心ってのは普通のオスよりも強いのではないだろうか?





つまりはノーマルなセックスよりもSMのほうがある意味、相手に対する独占欲があるのである。だから極端な話、僕にとっては”1度限りのSM”ってのはありえないのである。メスを”飼う”ことによって独占し、そのメスの忠誠を求める事によってプレイとしてそれは成り立つからなのである。逆に言えばSMプレイってのはそのメスを自分だけのものにしたいからこそ行うプレイであるのだ。

確かにSMには変態プレイの興奮もあるのだけれどもそれだけを追求する事だけがSMではないのだ。メスに知っておいて欲しいのは、そのプレイで”何が犯されているか?”なのである。確かにメスの身体ってのはオスにとって性欲を満たしていくものであって肉体的な刺激を求めて、その結果、射精する事が重要なのであるけれども、僕自身は如何にそのメスの気持ちまで犯すことが出来るか?ってことを考えてしてしまっている。

プレイのテクニックによる肉体的快楽ってのも重要なのは認めるし、それが無ければ意味が無いのは判っているのだけれども、それ以上に精神的な独占を求めてセックスを求めるオスが居ることもメスには知って欲しいと僕は思うし、つまりはセックス前提の関係であってもそこには愛情がある可能性を否定して欲しくは無いのである。そのオスが何を求めてメスとセックスしたいのか?ってことに気付いて受け入れてくれるメスの存在が1番、僕にとってはうれしい損愛なのであるのだ。

花言葉

kage

2010/05/14 (Fri)

本日の花”アイリス
花言葉”恋のメッセージ”

最近、ってよりももう3,4年前から”婚活”って言葉がそれなりに雑誌やTVの特集で取り上げられるようになってきているのは、なんとなく誰にだってボンヤリと感じてるだろう。結局はそれってのは自分たちに直接関係なくて(結婚適齢期であっても、今の生活と結婚がリンクしないってこともあって)、また個人レベルでの活動が大きいからプライバシーの関係で、婚活見合いなんかの今まであるようなありきたりのマクロな情報で漠然としたイメージだけでそれは完結しているのではないだろうか?

もちろん、具体的に婚活活動をしている男女も居るだろう。結婚相談所に通い、お見合い会社なんかの主催の合コンにマメに出、それなりに結婚を意識して出会いを求めている男女もいるのは間違いないだろう。中には日常の恋愛でしか結婚を考えないと思うヒトもいるかもしれないんだと思う。

どちらにしろ、結婚観ってのはヒトそれぞれで、よく”ご縁”って言い方になるのだけれども、割り切って言っちゃえばその結果はある種の運命で、そのヒトが選んだことに他の誰もが何を言うべき事ではないのである。当たり前なのだけれども結婚するのも自由だし、結婚しないのも自由・・・それが、まあ、今の個人単位で物事を考える時代って側面からは、ありきたりだけれども、定番の考え方だろう。





そして、まあ、はっきり言ってしまえば、やっぱり不況で生活にどこか不安があるから結婚に踏み切れないってのもあるだろう。だから、20代30代でそれなりに仕事をしてしまえば、女性だって様々な事を考えるとその仕事を辞めるのに抵抗が出来てしまうのではないだろうか?

結婚適齢期って言葉なんてもう死語なんだけれども、学校を卒業して2,3年は最低限社会人独身生活をしてみたいってのが女性にもあるはずだ。確かに学生時代にそれなりの恋愛をして卒業後すぐに結婚とかのケースはまずはレアケースで、せっかく学校を出たんだから働いてみたいって意識が女性にもあって当たり前だろう。

ただそうやって2年3年と経ってしまうと当たり前ながら仕事の方法も覚えてきて、それなりにそれが楽しくなってくる頃になろう。そうなれば目の前の日常として仕事があるのだから、未来における結婚よりもそれを優先してしまうのではないだろうか?憧れとしての結婚ってのは漠然とあったとしてもそれ以上にその日常が目の前にあるのだから、それを優先してしまうってのがあるだろう。





そうなれば”仕事一辺倒”って言い方はマズいのだけれども、本当に”運命の出会い”的なものがなければ、そこにのめり込まなければならない状況になってしまう。極端な話、休み以外は基本は仕事優先で、休みになればその疲れで1日中ダラダラ、掃除や洗濯なんかがあって、それ以上のことは考えられなくなってしまうのではないだろうか?

つまりはそうなってしまうと恋愛に割くエネルギーってのは他の別の部分に割り当てられてしまって、恋愛が邪魔臭くなるってことになるんだと思う。この感覚はオスでもメスでも変わりないんじゃないだろうか?特に日常生活の中では、いくら異性が周りに存在していても、自分の立ち位置や周りのことなんかも無意識的に考えて、異性って見るよりも仕事の同僚として相手を観てしまって恋愛どころではなくなっているのが本音ではないだろうか?

ただそんな生活でも性欲ってのはやっぱりどこか我慢し切れないものがあるんだと思う。繰り返しになるんだけれども、オスの場合は本当にアダルトDVDがあってインターネットにエロHPがあって、極端な話、風俗なんかが簡単に存在して”手っ取り早く”性欲を何らかの形で満たすことは出来るのだ。だから25,6とかの性欲でいっぱいの時なんかでもそれなりに彼女なんかが居なくても解消しているってのが本音ではないだろうか?





しかし、女性の場合はそんなに簡単ではないだろう。これもまた何度もしつこいように書いているのだけれども、女性の性欲解消の”オカズ”になるものって確かにレディコミやファッション誌でのセックス特集なんかがそれなりにあって、無いとは言えないけれどもオスよりはやっぱりどこか少ないのは事実だろう。

それでチャットなんかで遊んでいると、特に土日なんかはやっぱり20代中心の独身女性が結構遊びに来てくれることが多い。当たり前なんだけれども、その曜日や時間によってどうしてもそれぞれタイプごとに生活サイクルが違うために”出会いの偏り”が生まれてしまう。

例えば、平日午前中なんかではやっぱり、専業主婦のおねーさん中心に、中にはスーパーなんかで働いて平日休みのおねーさんもチラホラって感じで、夕方は女子大生って感じで・・・本当にその時々で遊んでる女の子の”種類?”ってのが違うのである。このことに関しては当たり前だから誰だって少し考えれば当然だと思うだろう。





だから、土日の独身OL女性の登場もなんとなくの当たり前の結果なのである。そこでいつも思うことなのだけれども、やっぱり性欲ってのは誰だって、どんな女性だってあるモノだってことなのだ。変な話、特に独身OLさんなんかはチャットセックスで一応、性欲をすっきりさせようって感じで来ちゃってるんだと思う。人妻の欲求不満とはまた質が違って、変な意味でドライなのだ。割りきりって言った方が良いのかもしれない。ストレートに性欲が我慢できずになってチャットセックスで満足しようと言う形で完全に遊び気分で、ある種の”背徳感”ってのが無いのである。

まあ、当たり前だろう。人妻の場合は旦那なんかが居たりして、チャットセックスであってもやっぱりどこか後ろめたいものがあるから、その分精神的なプレッシャーとハカリに掛けて・・・って感じの背徳感があるようだ。しかし、独身OLってのはその部分においても精神的縛りが無いから、割り切ってその瞬間だけ楽しむような部分があるように思えるのだ。

そうなれば如何にチャットセックスで満足していくか?ってことが主眼になってエロチャットをテクニックとして楽しむ部分が出来るのだと思う。つまりは擬似恋愛も無しに純粋に快楽を求めていくのである。大切なのは”如何に淫らな興奮をチャットで感じるか?”ってことになるのだろう。





その分、喘ぎ声をチャットしてくれたり、どんなふうに濡れているか?積極的に報告してくれたりする独身OLさんが多いような気がする。どのようにすればオスを興奮させるか?考えての”慣れた”プレイがそこには存在するように思えるのだ。

つまりはどんなに忙しくて余裕が無くても20代のOLさんだって当たり前に性欲があるのである。むしろ、極端な話、当たり前ながら彼氏なんかがいなくて、セックスするチャンスがないOLさんほどある意味、性欲は当たり前ながら欲求不満ではないのだろうか?だから”手っ取り早く”性欲を解消できるセックスチャットにハマるOLさんが多いのではないだろうか?

人妻は人妻の、OLさんはOLさんの性欲があって当たり前である。問題は如何にその性欲をオスがきちんと受け止め解消できるか?に掛かってくる。確かにチャットセックスではオスが自身の性欲を満たすために遊んでいる側面があるのは間違いないのであるが、それ以上にどこかそうやって、性欲処理を楽しんでくれるメスに対して”来てくれた限りには感じさせて、満たしてあげたい・・・!って気持ちが大切なのだと思う。

花言葉

kage

2010/05/12 (Wed)

本日の花”つつじ
花言葉”節度”

いつもながらの出だしなのだけれども、出会い系チャットには様々な女性がその性欲を満たすために来ちゃうのだけれども、実はオスも結構来ているのも事実だ。確かに僕のようにセックスしたくてその性癖を満たすために、欲情しているメスを求めて待機しているオスがいるのはもちろんなのだけれども、僕の待機メッセで来てしまうオスも存在するのである。

ストレートに言ば・・・あまり言いたくないのだけれども・・・・いわゆる”同性愛者”でオスを求めてやってくるってのなら判るような気がする。実際、こうやってチャットなんかで遊んでると、モニタ越しの相手の本当の姿って判らないから、いわゆる”ネカマ”ってのが居て、オスが女性になりきってチャットセックスを楽しんでいる場合も、否定は出来ないだろう。(原則バレないのだから、勘違いして同性愛者を真性のメスだと思い切って興奮することもあった可能性も否定できないのだ)

僕自身は同性愛に関しては”自分と関係ないところで適当に楽しんでくれるなら、それで良いんじゃないの?ただ自分の性癖に同性愛は、まったく勃起の対象にならないから関係ない”ってのが本音だ。真っ向からその存在を否定する気は無いのだけれども、だからと言ってその世界に参加するのもイヤで、同性愛好者同士が好きにするならそれで良いんじゃないの?って感じだ。





ネットには様々な性欲があって、それを満たすために来ているのは、多かれ少なかれ誰だって実感している部分ではないだろうか?僕も本音、ずーっとカミングアウトしているのだけれども、首輪や緊縛、奉仕、露出、羞恥が好きな変態である。だからと言って、ムチやロウソクなんかは引いてしまうし、露出においてもあからさまにメスをハダカで街に歩かせるなんかのプレイは却って気持ち悪く感じたりして、変な部分でこだわりがある。

つまりは単純に変態セックス愛好者と言っても、それぞれコダワリがあって、それを満たしたくて遊びに来ているのが本音じゃないだろうか?変な言い方かもしれないけれども、確かにオスだからそれなりのメスのおっぱいをしゃぶって、その濡れた蜜壷肉棒を挿入してズボズボし、その中に射精さえ出来れば一応の満足はあるのは事実だ。

実際、首輪や緊縛なんかしなくても普通の出会いで性癖を隠しても、勃起もするし、射精も当たり前ながら出来るのである。しかしそれで100%満足しているか?ってことになるとそうではない。やっぱり言葉責めもしたいし、首輪もさせたりして、結局は自分なりの”調教”を相手にしていきたいのである。





ただそれをしてしまう自分自身の性癖に”変態性”の意識があるから、それが周囲にバレれば日常にも影響があるだろうと思うために普通は隠し、それを満たすためだけにネットでそれを前提にしてセックス出来る相手を探しているのが事実である。日常のリアルを隠してのネットだから、ある意味僕自身も大胆になりやすいし、メスだってそうだろう。

むろん、日常のリアルがまったくモテないから、結果的にお手軽に効率良く交尾が出来る可能性の高いネットにハマりきってしまっている側面が大きいので、そのように書くとものすごく日常でもモテるように思われるかもしれないが、普通のオスよりもそのチャンスが低いオスであることも書いておきたい。かすかにミエっぽく書いてしまったことに恥ずかしく思う。反省。

ただ、ネットでの出会いに関しては大筋本音で実際なのである。つまりはアブノーマルなセックスを満たすためのネットでの出会いだと僕は思う部分が大きいのも事実なのだ。変態セックスってのはやっぱり普通の日常の出会いでするのは、どこか抵抗があって出来ないってのがあるのだろう。





確かにアダルトDVDが山のごとくレンタルショップに並べられ、インターネットではアダルトサイトが氾濫し、それを見ながらセックスを”予行演習”していく側面がどこかあるから、どうしてもどこかアブノーマルな要素がそこにはあって、それを普通の恋愛の中でのセックスで試してみるってのがある意味”普通”になってきたような気がする。

例えば、フェラチオなんかはそのもっとも足るプレイではないだろうか?今ではノーマルセックスの中での1つの愛撫方法としてそれなりに抵抗はなくなってきてるのだと感じるのだけれども、実際、僕が小学生ぐらいの時はそんなプレイも変態セックスの1つに考えられていたように思われるのだ。

それと同じで何をもってアブノーマルなのか?って定義付けってのが曖昧になって、自分ではノーマルプレイだと思っていることが相手には変態プレイで・・・ってことが多々あるような気がすることも多いのだ。だから実際、日常の恋愛の中でのセックスにおいても、プレイの内容なんかはあまり気にする事はなくなってきているのかもしれないのだけれども、その分だけセックスにおけるコダワリにおいては細分化されてきているのではないだろうか?と思うのだ。





これも例えば、なのだけれども・・・単純に交尾と言っても正常位もあれば立ちバックもある。座位だってあれば騎上位もある。そうなればやっぱりどこか個人ごとに男女関わらずに好みが出来て、そこにコダワリが生まれてしまうのはなんとなく理解できるのではないだろうか?そんなに細々としたコダワリの違いで、セックスの快楽がまったくなくなることは無く、先ほども書いたとおりそれなりの快楽があってそれなりの満足があるのは間違いないだろう。

続きます。

花言葉

kage

2010/05/09 (Sun)

本日の花”八重桜
花言葉”豊かな教養”

このブログで何度も繰り返しているのだけれども、本当にいろんな女の子がチャットで遊んでいるのは間違いない。変な話、女の子のタイプに関して何かの傾向があるのならば、それなりに対応策を考える事が出来て、よりもっと効率的な出会いが出来るのは想像できるのだけれども、最初の前提の傾向が判らない為に待機メッセってのは広く”間口”を取るような感じで書いてしまうことが多い。

ここでチャットなんかで遊んだ事が無い女性には少しイメージし難いだろうから、説明するのだけれども、簡単に言えばエッチなことがしたいオスはその名前と自己アピールになる待機メッセを入力してリストに載るようなイメージで、メスはその待機メッセを読んで、好みのオスを探して遊ぶような形になっているのである。

そうなれば僕の場合、特に如何にメスの興味を誘うようなメッセを書くことが出来るか?ってのが初めの勝負になると思っている。単純に”セックスしたいです、待ってます!!”と書いても極端な話、1日中待機していても女の子は来ない可能性は高いのだと感じているし、”変態な言葉責めでスケベに調教してあげる”的な女の子の性欲を刺激するメッセが出来れば、それなりに来てくれる可能性は高まると思っているからだ。





つまりはその待機メッセで大体のプレイの内容やどんな相手を募集しているか?をメスにアピールする事になるのだけれども、あまりにもマニアックに書いてしまえば、例えば”26歳・メガネの掛けている黒髪ロングで、Dカップで乳輪の大きさは・・・・”って感じであれば、結局はそれだけで来る相手が固定されちゃうから、やっぱり出会える効率は悪くなる。

そうなるとやっぱりこちらが”どんなプレイをしていくか?”的なことをアピールして興味のある女の子を誘っていく事になる。こう書いてみると女の子に対して”こだわり”が無いのか?ってことになるのだけれども、本音を言ってしまうと”まずはどんな女の子でも良いから、性欲のままにオカズに出来る女の子が欲しい!!”のであって、女の子をえり好みするような”余裕”は無いのである。

だからどんなメスが来ても、来てくれただけで僕の場合はうれしいのだから、出来るだけ女の子に気持ち良くなってもらえるように努力するのだ。確かに根本はリアルでのセックスが目的でその前過程としてチャットセックスによる射精を楽しみたいってのがあるのだけれども、それと同じぐらいに”如何に女の子に興奮してもらって気持ち良くなってもらえるか?”ってのを考えながらしている。





これもまた都合の良い考え方なんだけれども、女の子が僕のチャットにさえ”ハマって”くれれば、やっぱり大胆にその写真なんかも見せてくれるし、結果的に何度もチャットに来てくれるようになる。そうなれば”TELエッチ”であるとか、もしかするとリアルでのセックスも可能性として見えてくるのだ。つまりは”気持ちよかったから、何度も来ちゃって、来ちゃった限りには信頼して、信頼した限りには大胆になれる”・・・そんなふうに女の子に思ってもらえるのがベストなのだと僕は考えているからだ。

確かにこれもまたブログで繰り返すことになるのだけれども、だからと言ってあまりにも女の子に都合の良いチャットセックスばかりをしていると、写真なんかも見せてもらえなかったりして、結局は”チャットで楽しんだけれども・・・そこから進展が無い”状態になって、本音の最終目的であるリアルでのセックスに行き着けなくなる可能性は高まるのだ。

だから、ある程度はこちらの性欲を相手にさらけ出し”命令”することによって、どこかそのこちらが満足できるような状況に持っていくことも必要なのである。ただ、その場合でもやっぱり結局は女の子に嫌われると意味は無くなるのだから”快楽とさらけ出す部分”の女の子の心の天秤で絶えず快楽のほうに傾くように頑張る必要はあるのだと僕は思っている。





まあ、このように書いてしまえばかなりのテクニックだと思われるのかもしれないのだけれども、やっぱり、つい性欲が我慢できなくて、性急に命令しすぎて女の子に嫌われる事もそれなりにあるから、書いていながらも、その部分は反省しなければならないと自省している。

そしてここで気付かなければならない事は”どこまでエッチなことをしていくか?”ってのは結局は女の子の判断であって、オスの僕がそれを判断する事はできないと言う事なのだ。待機メッセでもそうなのであるが、チャットの中身においても、女の子を促したり、その気にさせたりするのはオスの気持ちやテクニックによるのだけれども、そこからどれだけ踏み出していくか?ってのは当たり前ながらメスが決めていくことになるのである。

これもまた当たり前なのだけれども、チャットってのは所詮、モニタ越しでのプレイで気に入らなければ、極端な話、ウインドウさえ閉じてしまえばそれっきりにすることは出来るのである。もっと言ってしまえば、リアルでのセックスであるならば物理的に女の子を押さえ込んでレイプもすることは可能だろう・・・現実にしちゃうと犯罪だし、それ以前に女の子を傷付けるようなプレイ自体しちゃいけないことなのだけれども・・・しかしチャットってのは本当にイヤならすぐにそうやって逃げられるものであって、オスのほうから本質的には”促す”だけで何も出来ないのだ。





そう言った意味である意味、安全に思って遊んでしまう女の子だっているだろう。しかしネット犯罪でそこで知った個人情報をネタに脅迫してすることが出来るって側面もあるだろう。それも違法だし、オスとして絶対にしてはいけない行為だと僕は思っている。ただそれはあくまでもイレギュラーな部分であって、実際的にネットでは女の子を”促す”事しか出来ないって言い方は、なんとなく感覚として判ってもらえると僕は思っている。

つまりチャットの本質ってのはやっぱり女の子にイニシアチブ=主導権があって、オスはどうやって女の子を自分が思っている結果に”促す”ことが出来るか?ってことしか出来ないのである。どんなにチャットでプレイとしてサディスティックに振る舞い、言葉責めして命令したとしても、女の子がそれに反発して”無言落ち”してしまえばそれでその関係は終わってしまうのだ。

そうやって考えれば、オスはチャットにおいて如何にメスの気持ちを満たしていくか?ってことに頑張る必要があるように思える。どんなにサディスティックに振る舞い、飼い主ぶったプレイであっても、どこか女の子に対して”尽くしている”部分が無ければ、女の子は逃げてしまうのである。極端な話、オスのサド性であっても女の子が興奮してそのマゾ性を満たすためのツールになり得てしまうのだから、そういう意味ではどんなオスであってもメスの性欲解消の”都合の良い”ツールに過ぎない部分があるのだ。





逆に言えば、ある意味、そのことを自覚し、女の子にチャットを楽しんでもらうことが、最終的にオス自身の目的を満たすことになり得るのである。自分の思ったとおりに事が運ばないからと言って、イライラするのではなく、そう言った部分があることを勘案して遊んだほうがオスにとっても精神的衛生上良いことなのだと思う。

はっきり言えば、ネットでの出会いであったとしても、リアルと同じでオスの思うままにムチャは出来ないのである。メスに仕えるって言い方は卑屈すぎるし、オスのサディストなプライドを傷付けるものなのだけれども、どこかそんな部分があって、僕自身も余裕のある遊び方をしたいものである。

花言葉

kage

2010/05/07 (Fri)

本日の花”バラ
花言葉”愛情”

ネットでの出会いってのは結局は性欲を満たしあうことだから、極端な話、そこでの妄想オナニーが気持ち良いか?どうか?ってことが、その出会いのポイントになる。メスならチャットでのオスの言葉責めが上手いかどうか?相性にあっているか?どうか?で、オスならば自分自身のチャットで上手くメスが乗ってくれるか?どうか?タイミングよくハダカの写真なんかを見せてくれるか?どうか?なんかが具体的なポイントになるだろう。

だから逆に言えば、その瞬間興奮できれば、それで良いのであって、愛情云々よりも如何にチャットでの”テクニック”があるのか?ってのが重要なテーマになるのかもしれない。まあそれはある意味仕方が無い事なのかもしれない、ハッキリ言ってしまえばチャットでの目的ってのはその場限りのオナニーで、性的興奮があればそれだけで十分でそれ以上は求めていないってのがある。

メスの場合は特にその傾向が顕著だろう。実際日常のリアルの中で性欲を満たすことが出来ないために、純粋に快楽を求めてそう言ったエロチャット系に集まってくるのだから、普通の出会い系と違って、恋人募集であるとか友達募集サイトで暗黙の中でのチャットセックスでなく、そのものズバリを目的として来ているのだから、逆に言えば、チャットセックスしなくては、そこに来る意味は無いのだろう。





つまりはメスの場合は、その瞬間の快楽が欲しくて来ているのだと思うのである。変な言い方なのだけれども、何かの拍子にやっぱり発情して、オスならアダルトDVDなんかをオカズに手っ取り早くオナニーするのだけれども、メスの場合はそんなオカズが見当たらないために、手っ取り早く性欲を満たすツールとしてのチャエッチがあるのではないだろうか?

だからその瞬間の性欲が満たされれば満足できるのだから、メスの場合、チャットとしてどこか割り切った使い方をしているのではないか?と僕は思うのだ。だからその割り切りがあるためにオスと違ってチャットからのリアルでのセックスに結び付かないし、そこまで踏み込む気持ちは少ないのではないだろうか?と感じる場合がある。

変な話、友達作りなんかのコミュニケーションを伴った健全出会い系・・・この言い方も変なのだけれども、直接セックスなんかをイメージさせずに明るい出会いを求め合う場所的な作りをしているサイトって言えば良いんだろうか・・・なんかのほうがセックスに対して暗黙的な了解があって、リアルへの移行ってのはしやすいような気が最近になってし始めてるのが本音にある。





確かにそんなサイトは表面的にはセックスを目的とせずに、一緒にゲームを楽しんだり何かの話題で掲示板を楽しんだりして出会いを”明るく”演出してるのだろう。これもまた変な言い方かもしれないけれども、”お見合い情報会社”が誰もセックスを求めての男女の出会いの場所だとは言わないだろう。それと同じような雰囲気なのだと思うのである。

しかし、実際的にオスなんかは特に出会いを求める本音の部分にはどこかセックスしたくて性欲を受け入れてくれる女の子を探している部分があるのではないだろうか?もちろん、確かにデートして食事して楽しい時間を過ごしたいって希望があるのは間違いないのかもしれないのだけれども、それと同じぐらいにセックスしたい欲望があるのは間違いないのだと思う。

そのことを考えれば、健全サイト系の中にも性欲ってのは生まれても当然のことであると言えるだろう。例えば、セックスしたいなあ・・・って気持ちがどこかにあって、何かの拍子に女の子と知り合って、セックス出来る状況になれば”上げ膳”じゃないけれども、ある意味当然の流れとしてセックスしてしまうのが普通だろう。それから考えれば、ネットで盛り上がって、結果的にリアルで逢う事になれば、そこにセックスの関係が生まれるのは当然の流れだと言えるのかもしれない。





ただそこで問題なのは援助交際であったり、未成年であったり、レイプであったりする性犯罪の要素が生まれやすい事だろう。実際何かの拍子にそんなネット系性犯罪の事件がマスコミに取り上げられ、話題になるのはもう定番化してしまって、ニュースにもならないようなレベルになり始めてるのではないだろうか?ただそこで思うことは、そのほとんどの出会いの場所がそう言った健全系のサイトからの発生のような気がする。

確かに18禁サイトは、1年少し前に”出会い系規制”が施行され、敷居の高いものになってなかなか遊びにくい環境になり始めてるのは事実だろう。それに普通の女の子であれば、そう言った類のサイトに関してイメージとして不潔であるとか危ないものであるとかの意識があって、精神的な部分においてもハードルがあって不思議ではないからだろう。

そうなれば、やっぱり健全系のサイトであれば、そんな敷居が低くなるから、遊びやすくなるのは間違いないだろう。TVCMなんかで流され、雑誌なんかで特集が組まれ、社会的にそのサイトの名前が定着なんかしたりすれば、なんとなく安全で安心した出会いの場であるようにイメージが伴うような気がするのである。





ただそうなれば、そこには用心深さが無くなるのは事実のはずだ。誰でも遊んでいるサイトであれば安心で、何かがあれば誰かが救済してくれる・・・そんな気持ちで参加してしまうユーザーは多いはずだ。そして何かの拍子にそんなサイトでも性犯罪に巻き込まれてしまうのである。もちろん全ての出会いが性犯罪に結び付いているとは言わないし、健全系の全てのサイトがそんな状況であるとも言えない。全ての男女がそんな使い方をしているわけでもない。しかし、そんな性犯罪の可能性もゼロではない事は事実のはずである。

変な言い方かもしれないのだけれども、男女の出会いでセックスを伴わない出会いってのはほとんど無いと思う。確かに学校や会社、様々な日常で異性との出会いはあって、その全てが当たり前ながらセックスの関係につながらないのだ。むしろそのほうが当たり前だろう。しかしそれには自分自身がその日常の中の人間関係があってどこかそれを崩していくのはしんどくて、その疲れを伴ってまでセックスを求める余裕が無いためだと言えるのではないだろうか?

だから、そんな”しがらみ”が無い純粋な男女の出会いが出来るネットにおいては、どうしてもどこか性欲を優先した出会いになってしまうような気がするのである。確かにこの言い方は極端だし全ての人間が”セックスしたい!!”と性欲優先で物事を考えているわけではないだろう。しかしそのシチュエーションは”しがらみ”を考えない分だけ、日常よりも性欲に対する自己抑制がなくなってしまう側面もあるのだと感じるのである。





そうなれば却って健全系サイトのほうがトラブルになりやすいのではないだろうか?と考えるのである。18禁系サイトってのは最初に書いたとおりある種目的が決まっているから、女の子にとって”ズルズル”が無いような気がする。それにセックス前提の出会いである事は最初から気付いている部分があるから、どこか用心深くオスを観察しているような気がするのだ。しかし健全系サイトってのは、そんな性欲がどこか”暗黙化”されているために最初の目的と結果が異なるためにトラブルが起こりやすいのだと僕は思うのだ。

援助交際や未成年の利用、脅迫を伴った性犯罪・・・そんな部分は18禁サイトでも起こり得るし、健全系サイトでもあり得る。だからそれに関しては各自で考えるべきであって、逆に言えばなんとなく誰だってネットで遊ぶ人間なら用心深くなっているのではないだろうか?ただしかし、”残りの部分”・・・犯罪まで行かなくても、最初の思惑と結果が違った場合があることにも気付かなければならないのだろう。

繰り返しになるのだけれども、ネットでの出会いでリアルに移行した場合、1対1で出会う時は特にそうであるのだけれども、男女の出会いでセックスを伴わない出会いってのはほとんど無いと言えるのではないだろうか?言い訳かもしれないけれども、18禁サイトはどこかそれを理解してそれなりに遊んでいる場合があるから、そんな状況になってもなんらかの”覚悟”がメスにもあって普通だろう。しかし健全系サイトであれば、そう言った”覚悟”が無い場合もおおいのではないだろうか?後悔しない出会いって言い方は、ある意味、僕の言うに遊んでいるオスが言うのはマズいのかもしれないけれども、メスにはその部分、1度考えて欲しいと思う。

花言葉

kage

2010/05/06 (Thu)

本日の花”あらせいとう
花言葉”熟れる美味しさ”

ネットで遊んでると・・・このフレーズばかりで芸が無いんだけれども、結局は僕の出会いはそれがほとんどのメインだから、そう言うしかないんだけれども・・・やっぱり色々な女性が遊びに来ることがある。中にはやっぱり人妻のおねーさんなんかも結構、普通に来ちゃうのだ。むしろもしかすると人妻のほうが多いのではないだろうか?今までの経験から来ちゃう感覚での思いなんだけれども、こうやって勢いで書いちゃって、もう1度改めて考え直すのだけれど、あながち、ウソじゃないような気がする。

これは、まあ、ある意味、当然の帰結なんだけれども、結局はセックスの可能性を考えれば判り易いだろう。20代なんかで彼氏がいるような女の子でも、彼氏とのセックスの相性が悪ければ、隠れて”浮気”なんかしちゃうこともあるだろうし、そうでなくてもそんな彼女のオスなら性欲がまだまだいっぱいで、セックス快楽のためだけに恋人関係になっていると言うほど、そのメス性欲は満たされていく方法がそれなりにあるからだと僕は考えている。

つまりはネットでのオナニーってのはあくまでもセックスの代替行為で、とりあえずのオカズって感じで使ってしまう女の子のほうが多いのではないだろうか?だから、どこか始める前から限界・・・ネットだけの関係って感じで・・・が決まっていてネットでの快楽だけで満足してしまう女の子が多いような気がする。





この感覚はある意味、人妻のおねーさんでも当てはまるのだろう。独身の女の子よりも人妻のおねーさんのほうが生活があって、それを壊してまで快楽を求めるような事は出来ない部分があって、でも、それでもどこか満たされない性欲があって、それを満たすための”ネットだけの浮気”を楽しんでいるように思える。

特に子供なんかが産まれて、旦那のほうもやっぱり仕事なんかが大変でセックスに対してだんだんと淡白になっている状態であれば、人妻はどこか欲求不満になっても仕方が無いんだと思う。旦那のほうは仕事があって、奥さんとはまた違った世界でそれなりにいっぱいいっぱいだから、どうしても奥さんとの関係はおざなりになっていくのだろう。”釣った魚にエサはやらない”って言い方とはまた違うのだけれども、僕もオスだから感じるのだけれども、日々の生活にエネルギーをある程度以上使ってしまうと、セックスに対する欲望にまわすエネルギーってのは無くなってしまう。ハッキリ言えば、セックスを求める余裕が無くなってしまうのだ。

奥さんの方はある意味どこか余裕があって性欲もそれに伴ってあるのだけれども、肝心の旦那がそんな感じだから、どうしても性欲が欲求不満になってしまう部分があっても不思議ではないのだろう。そうなればどこかでそれを解消しなければならないのだけれども、先ほど書いたとおり、具体的にリアルでの浮気による旦那との生活の崩壊までのリスクは取れないので、その妥協点としてネットでのチャットセックスにハマって行くのではないかと感じるのだ。





そしてそんなおねーさんの身体なんだけれども、確かに僕自身、そのおねーさんが40代ってチャットなんかで聞いちゃうとどこかゲッソリした気分になる事がある。やっぱり変な話、それなりに身体のラインが”オバサン”化して、性欲に直結する体の作りでは無いからだ。ハッキリ言ってしまうのはなんだけれども、結構写真なんかで見せてくれる場合があるのだけれどもその素肌に”シワ”が見えちゃうとやっぱりどんなにハダカの写真でも抵抗が生まれてしまう場合があるのは、申し訳ないのだけれども事実なのだ。

ただ、中にはそれなりに綺麗で可愛いおねーさんが来てくれる場合だってあるのも事実だ。おねーさんの場合、素顔なんか写真でもさらけ出してくれる場合が結構あるのだけれども、本当に年齢不詳のおねーさんって感じがして、美人さんなのである。その時はやっぱり勃起もするし、リアルで犯したくてたまらなくなるのが本音にある。

そしてその違いってのがやっぱりあるのだけれども、簡単にさっき年齢と言ってしまったのだけれども、実は年齢ではなくやっぱりその身体に対するケアの違いがそうさせてるのだと思うのである。だから、年齢と言ってしまったのだけれども、その言い方には間違いがあるのだと僕個人は反省しなければならないのである。





そしてそのケアの意味なんだけれども、単純にお金を掛けてそれなりにエステに通って・・・と言う意味ではないだろう。確かに変な話、女性の素肌ってのはそれなりにお金を掛ければスベスベと美しくなって、オスを勃起させていくものになるのは間違いない。ただ、実際的にいろんなメスとチャットで出会って、中にはリアルでもさせてもらったのだけれども、その持ってる”雰囲気”って重要なのだと思う。

オスがチャットで遊ぶってことはそれなりにやっぱりセックスしたくて我慢できずに、メス蜜壷を求めて遊んでいるのは間違いない。簡単に言ってしまえば性欲のためなのだ。だからと言って、羞恥心の無いような女性とのセックスってのは、やっぱりどこか一歩、引いてしまう部分がある。

簡単に言えば”恥ずかしくてたまらないのだけれども、どこか性欲が我慢できなくてネットでほんの少しだけ冒険したくて・・・”って感じで接してくれるようなおねーさんに対しては、やはりそれが演技であったとしても、僕自身はそれなりに年齢なんか関係なく勃起してしまう部分がある。





しかし、ある一定の年齢のおねーさんに多いんだけれども、例えば濃い紫色のスケスケのショーツ姿で本当に”肉棒好きです!!”って姿をあからさまにさらけ出して快楽を求めるメスも存在している。確かにストレートにオスの性欲を刺激するような姿をさらけ出すのだから、勃起はしてしまうのだけれども、いきなりあからさまにこちらが求めないままに”蜜壷”なんかをさらけ出すようなプレイをし始めていくメスに対してはどうしても抵抗があるのだ。

メスである自覚を持つことと羞恥心を無くす事は本来、まったく意味性が違うのである。どうしても年齢を重ねるってことは”慣れ”を生む事には間違いない。だから慣れていると言ってメスの部分をあからさまに押し出し、快楽を貪欲に求めていくメスってのはどうしても一歩引いてしまうのだ。

セックスに慣れるってのは悪いことではない・・・ただ”オバサン”であることに開き直って、メスをストレートにさらけ出していく事は、やっぱりオスにとって気持ちの良いことではないのだ。むろん、そんなメスのほうが良いオスだって居るのは否定できないし、実際そんなメスと出会った時に勃起するのは間違いない。しかしそれ以上求めていくか?って部分でハッキリ、NO!!と感じてしまうのだ。





ハッキリ言ってしまおう。”羞恥心を忘れた性欲”ってのは美しくないのだ。あまりにも僕の好みで言ってしまうのは間違っているのかもしれないけれども、やっぱり”恥ずかしくてたまらないけれども、快楽に溺れて抵抗できずにさらけ出してしまう”ってのが、メスの性欲であって欲しいのだ。

年齢を重ねれば重ねるほど、メスってのはどこか羞恥心が無くなっていくところがあるような気がする。すべてのおねーさんがそうでないのは事実なのだけれども、そう言ったオバサンが存在してしまうのも事実なのである。変な話だけれども、ある意味オスってのはシチュエーションに勃起してしまう部分があるのだ。

繰り返しになるのだけれども、身体のラインを気にして、羞恥心を感じながらもそれでも、性欲が我慢しきれない熟れ盛りのおねーさんってのはたまらなくエッチで綺麗に思えるのだけれども、ハダカにさえなれば、密壷さえ見せ付ければどんな肉棒でも咥えることが出来て、快楽さえ求めれば良いって感じのオバサンに関しては、抵抗があるのである。つまりはメスの魅力ってのは”メスがメスであろうとする努力”も必要なのだけれどもオスに対して性欲をさらけ出していく事の羞恥心ってのが大事なのだと僕は思う。

花言葉

kage

2010/05/05 (Wed)

前回続きです


つまりはオスにとっては、次のステップに進むためのきっかけとしてのチャットなのである。しかしメスはある意味、チャットだけで完結してしまうのである。なぜなら先ほども書いたとおり、文字情報での妄想で”お腹いっぱい”にメスはなりやすいのである。つまりは最高のオナニーがそこには存在してしまうのだから、次のステップってのはどうしても難しいものになってしまうのであるらしい。

特にどうしてもネットでの出会いをリアルに移行する場合においては、当たり前ながらそれはセックス前提での出会いになる。オスの場合はリアルでのセックスがある種の”ゴール”なのだから、メス身体をその場限りで性欲のままに犯して射精さえ出来れば良いのだから、ある意味個人情報を互いに秘密に出来る状態でのそのような出会いは、言葉は悪いが”生出ししても、後の事は責任を取る必要がない後腐れの無いセックス”になってしまう側面があるのも本音にあるのだ。

しかしメスの場合は具体的にその身体の中で妊娠してしまう可能性があって、妊娠した場合、オスと違って逃げられないのだから、そう簡単にセックス出来ないってのが存在するだろう。実際、愛情なんかが無い割り切りのセックスであっても快楽がそこには伴うのはメスにとっても事実である。ハッキリ言ってしまえばセックス快楽ってのは肉体的な刺激によって生まれるものであって、精神的な恋愛だけで性欲メスにとっても満たされる訳ではないはずなのだ。





だからオスと違ってセックスに対して安易に求められない気持ちがメスにあっても不思議では無いのだと僕は思う。ただ動物的な性欲ってのはメスにあっても不思議ではないのだから、それを満たすために結局はセックスする事になるんだけれども、そうなれば相手を固定したほうがその妊娠した時なんかを考えれば、リスク回避になるために、そう言った意味でもメスのほうが”恋愛体質”になるのだと思う。

つまりはオスと違って妊娠の可能性までトータルとしてセックスをメスは考えてしまうのだろう。そうなればやはり恋愛とセックスをメスは同じものとしてオス以上に考えてしまうってことになるのだと僕は感じる。しかし、実際的にはそんなに簡単に恋愛ってのは出来ないのだから・・・やっぱり恋愛ってのはタイミングであったり体力であったり時間であったり様々な要素が必要になるために難しいのだと僕は思っている・・・どうしても結果的にはオナニーになってしまう女性が多いのだろう。

だからチャットにメスは結構集まってくるのだし、そこでのオナニーでそれなりに性欲は満たされてしまうのだから、結果的にオスと違ってそこからリアルに進むメスってのは少ないんだと思うし、実際チャットじゃそれなりのリピーターとして結構時間的にも関係が続いているメスであっても、やっぱりリアルでのセックスは躊躇してしまって、どんなに誘ってもチャット止まりでズルズルになってしまっている関係だってある。





ここでメスに伝えたい事なんだけれども、確かにメス自身、チャットの目的がオナニーでオスのように様々な理由でリアルでのセックスを考えていないのは判るのだけれども、それなりに関係が続いたオスであるなら、信頼して欲しいのだ。何度もチャットでヴァーチャルなセックスをしちゃってるとそれなりにリアルでも・・・って思うのがオスなのだし、信頼して欲しく思うのである。

いかにメスに気持ち良くなってもらってリアルでのセックスを求めさせていくか?ってのはオスのテクニックであり、誠意なのだと思うのだけれども、初めからチャットだけ・・・と割り切られちゃうとその糸口ってのは一気に難しくなる。オスの身勝手な欲望だと判って言ってるのだけれども、”もしかして・・・”と思う程度の可能性だけは持って、チャットに遊びに来て欲しく思うのだ。

メスにとってこうやって考えてみるとセックスする相手を探すってのは、当たり前ながらオス以上に用心深くなっても仕方ない事だし、どんなにチャットで関係が続いて信頼が生まれたとしてもどこか怖い部分があっても不思議ではないのだ。オス自身もそんなメスの気持ちを考えてチャットで遊ぶべきだと思うし、もちろん、そのためにも紳士協定じゃないけれども、メスが嫌がる性犯罪なんかは絶対にしてはならないんだと思う。





そうやって”セックス前提の出会い”ってのは普通のモラルじゃ怪し過ぎるのかもしれないけれども、でも互いの動物的な部分を埋めあうには、ある種、合理的な出会いなんだと僕は思っている。そのためにはネットの関係からリアルへの関係へ移行するためのメスの勇気ってのがオス以上に必要になるんだと僕は思うのだ。

当たり前ながら”単純にどんなオスとでもリアルであって、セックスしても良いんじゃないの?”なんて無責任なことは言えないし、そこまで適当なつもりも無い。でもやっぱりリアルでのセックスはものすごくネットに遊ぶオスには魅力的に写るものであるのだ。そして単純にネットでの出会いだから簡単にセックス出来る訳ではないのは判っているし、今まで遊んでいても痛感している。

このブログを読んでいるメスの中にはネットでの出会いを幻想として思っている娘なんかも居たりして、頭から否定している場合もあるだろう。すべてのメスにネットでの出会いを推奨するわけでもないけれども、最低限、オスがどの様に思ってネットで遊んでいるか?を想像して、全てが性犯罪者、もしくはその予備軍と考えずに、”まあ、関係ないけれども・・・そんな世界もあるんだなあ・・・”程度の寛容の気持ちになって欲しく思うのである。

花言葉

kage

2010/05/05 (Wed)

本日の花”しょうぶ”
花言葉”ゆうき”

当たり前なんだけれども、ネットで性欲を解消するってことは、それなりにリスクがあって怖い部分があることは否定できない。普通にネットで遊んでいたとしても、個人情報をさらされたり誹謗中傷があったりする可能性はあって、特にエッチ系の遊びをしちゃってる場合は、そのリスクってのは性犯罪なんかとリンクしてしまうから、より高まる可能性があるのは事実だろう。

たまたま僕の場合は、約10年以上ネットで遊んでいるのだけれども、実際具体的に困るような状況になった事はない。しかし、”晒し”問題や性犯罪に関する話題はもうネット関連で普通の事件として現れるようになって、この瞬間でも誰かがネットで困った状態になっている可能性ってのは否定できないし、僕自身ももしかしたら、これからその可能性ってのはあるのかもしれないって思っている部分がある。

これはある意味、リアルな生活でも交通事故であったり、泥棒であったりと様々な犯罪にあってしまう可能性があって、それと一緒で、ネットだから”特別”プライバシーが守れて安全だってことはないのである。つまりはネットってのは誰かが言ったとおりその意味でも”リアルの延長”であるのは間違いないのである。





逆を言えばネットでの遊びは絶対に犯罪に巻き込まれる訳でもなく、トラブルにならない可能性もあるのだ。極端な言い方かもしれないのだけれどもネット世界ってのはリアルと一緒で”100%安全ではないかもしれないのだけれども、だからと言って100%危険でもない”という事なのだ。

ただ実際ネットってのは日常とはどこか”かけ離れた”ところがあって、プライバシーが100%守れるとは言えないけれども、それでも表面的な部分においては、日常生活に影響を与えない部分として遊ぶ事が出来るのは事実なのだ。だからどうしても、日常ではモラルであったり、周囲の関係であったり、様々なことを考えて出来ない事でも、ネットでならさらけ出してしまうってことになる。

これは特にネットがモニタの中だけの世界で、具体的な日常生活とは切り離されている感覚がどこかにあるからだと僕は思う。確かに個人情報の公開のリスクなんかがあったりして”危ない”部分を感じられるのだけれども、実際的にそのモニタの向こうの相手の手が届く訳ではないから、”夜の盛り場”・・・この言い方も古臭くて陳腐なのだけれども・・・的なリスクを感じる事は少ないからだと思うのだ。





逆に言えば、そう言う怪しげながらも具体的なリスクが見え難いネットだからこそ、どうしても日常じゃ言えない部分を告白出来る部分があるのだと僕は感じている。こんなブログでも結局は日常、普通の生活じゃ誰にも言えなくてモンモンとしている部分を発散したくて書いちゃってるのだし、もっと言ってしまえばネットでの出会いなんかは、極端な言い方かもしれないけれども”セックス前提”での出会いだから、普通じゃモラルの中でありえないことをしてしまっている自覚は心のどこかにある。

つまりはネットの曖昧な”匿名性”の部分に頼って日常じゃ絶対さらけ出せない部分を求めて遊んでいるのだ。そしてこの感覚はネットで遊ぶほとんどのヒトに当てはまるんじゃないかなあ?と思うのだ。特に性欲に関してはネットってのは満たしやすい環境が整っているって言ってしまえるのかもしれない。

具体的にオス性欲ってのはやっぱりビジュアル的なものから満たしたくて・・・ハッキリ言ってしまえば、好みの女の子のハダカの写真がまずは見たくて、それをオカズにしたくてネットで遊んじゃう場合が多いんじゃないだろうか?チャットや掲示板、出会い系サイトなんかを利用する前に、検索サイトなんかで好みの女の子の単語なんかで調べて観ちゃってるんじゃないだろうか?





まずはそんな使い方でアダルトサイト廻りなんかしちゃって、後はそこから実際的に出会い系サイトなんかの利用になっていくんだと思う・・・少なくとも僕の場合はそうだった。実際的に”出会い系サイト”って言葉を意識したには5,6年前でその前からエッチ系の掲示板はあって、無意識に使っていたために、初期の頃はそんな意識は逆に言えば無かったのだけれども・・・苦笑。

そしてメスの場合もこれに近いんじゃないだろうか?オスと違って女の子は簡単にレンタルDVDでアダルトなんか借りる事は出来なくて、それでも結局はオナニーのオカズが必要になって、妄想なんかでやっちゃってるって聞いた事がある。だからレディコミやファッション誌のセックス特集なんかで興奮したりしてオカズにしているような感じがするんだけれども、チャットなんかで遊んで思うことなんだけれども、結局は女の子の場合はオスのように具体的なビジュアル面でのオカズよりも妄想しやすいイメージでのオカズを求めているような気がする。

だから却って女性向けアダルトビデオなんかは発売されても、そのカテゴリは一過性のもので定着しないように感じる。それよりもレディコミやティーンズラブのようなストーリー性があってイメージを膨らませやすいものの方が”オカズ”になりやすいのではないだろうか?





最近は何かの拍子に女性向けのアダルト漫画にスポットが当たる場合がある。絵柄はそれなりに少女漫画風なのに、その内容ってのは青年アダルト漫画よりも過激で、欲情を誘うものであるとかの論法で、その過激さがクローズアップされている場合が多い。

つまりはそれなりに女性だって性欲があって”オカズ”を必要としているのだけれども、結局はオスと違ってリアルなものを望まずに妄想しやすいものを求めていく流れのために相そう言った雑誌なんかがオス以上に過激になっていくんだと僕は思う。オカズにリアルなものを求めず、それでいて、その性欲を喚起させていく・・・そんなオカズがメスにとって興奮させる最高のものになるのだろう。

そう言った意味でチャットってのは、ある意味、メスにとって最高のオカズになり得る要素がそこには存在するのである。なぜなら当たり前なのだけれどもチャットってのは文字情報の集まりで、ビジュアル的に具体的なものが原則的に存在しないのである。確かに最近は特に画像交換機能があったりするのは間違いないんだけれども、それさえもオスが見せるってよりはメスがさらけ出すために存在する機能だって言えてしまう。





そうなればチャットで文字から受ける情報を頭の中で妄想し、その妄想が興奮となっていくのである。そしてその度合いなんだけれども、オスだってそう言った部分で興奮してオナニーしちゃう訳なんだけれども、結局はビジュアル面なんかを重視するから画像交換機能なんかで文字情報以外を求めてしまうのだし、やっぱりリアルでセックスしたくてつい、性欲が我慢できなくて強引に誘ってしまって、それで女の子に嫌われて逃げられてしまったりする。

次回に続きます。

花言葉

kage

2010/05/04 (Tue)

本日の花”百日草”
花言葉”恋慕”

基本的に僕の場合、その出会いってのはネット中心だからチャットセックス前提での出会いになる。だからかもしれないのだけれども、単純に気持ち良いセックス・・・この場合オナニーになるのだけれども・・・・がしたくて来ちゃうってよりもマゾになりたくて来ちゃうって感じの女の子が多い。

これは前にも書いたのだけれども、ネットだからこそ、その日常じゃ隠れた性欲をさらけ出したいってスタンスで遊びに来ちゃうってのがあるんだけれども、そんな女の子の中でやっぱり”束縛”を求めて来ちゃう女の子も結構存在する事に気付くのだ。つまりは”ご主人様が欲しくて来ちゃう・・・”って感じだと言えば判るだろう。

このご主人様って感覚なのだけれども、やっぱり女の子の中にも”愛されたい”って気持ちがあって、そこには独占されていきたいってのがあるのだと僕には感じられる。この感情ってのは敢えて言っちゃうのだけれども、漠然とした女の子にとっての理想の恋愛として漠然と求めてしまうものではないだろうか?もっと言ってしまえば”誰かのものになる”ことに対する充実感ってのは、どこかの少女マンガのテーマになってしまう程度のものかもしれないのだ。





ただ、逆に言ってしまえば、その感情ってのは本来、どの女の子でもその心のどこかに持っている感情なのだと思う。”誰かのもの”になるってことはそのオスの支配下の中で守られていく事につながり、そこには精神的な”つながり”が生まれる。普通の恋愛でも、どんなに自立したメスであっても”オスに甘えたい”って気持ちはあっても不思議ではないし、オスだってそんな気持ちを持ってもらったほうが、その恋愛の中でのプライドってのは満足できるようになるのが本音だろう。

そしてセックスを求めるシチュエーションにおいて、”ご主人様願望”ってのはメスのそんな気持ちが端的に表されていく手段ではないだろうか?と僕は思う。なぜなら、セックスってのは本来、ある意味メスオスを選んで、その身体を捧げていく事になるのだから、ある意味、オスのものになっていく感覚がメスの中に生まれても不思議ではないはずなのだ。

ハッキリ言ってしまえば、単純にどんな肉棒でも咥えて、性的快楽を求めていきたいって感覚の中に本来、マゾ性は生まれないのである。なぜなら、マゾってのは基本的にサディストの変態性欲を受け止めることによって、その精神性を満たしていくものであるからなのだ。





だから、何を持って調教とするか?ってことになるのだけれども、単純に緊縛であるとかムチであるとかそんな行為だけのSMってのはあまり性的興奮を生まないはずである。そこに例えば”メスをそのプレイで従わせていく”であるとかの精神的な意味性を含めてこそ、調教ってのは男女の中で成立するのであると僕は思っている。

つまりは単純に例えばムチで叩かれるだけなら、メスはそれは痛みだけでしかなくて、性的興奮に高まる事はないのではないか?という事である。確かに調教ってのは特にマゾのほうは羞恥であるとかの部分で性的興奮を覚えていく可能性は否定しないし、サドの方もそのプレイをしていることでの変態であるという自覚が生まれ、それによる自己陶酔性による興奮があるのも事実かもしれない。

特に僕がサディストでマゾの気持ちはあくまでも想像するだけでしかないから、その部分はハッキリ言えないのだけれども、僕の場合は少なくとも、調教しているメスを思うままに束縛していきたいって気持ちがその発端にあるのは間違いないのだ。その手段としての調教であって、確かに変態性欲として緊縛や露出、それに奉仕、羞恥なんかでメスを苛めていくのだけれども、スパンキングなんかでお尻を叩く事があっても、ムチやロウソクなんかでお仕置きしていくってことに関してはどこか引いてしまう部分がある。





それでもメスの心の中に”僕だけのために淫らなメス豚になって奉仕していく”って気持ちにさせていかなければ満足できないのだ。つまりは完全にそのメスの愛情を僕だけに独占していきたいのである。それが僕にとってのサディストの根本だという自覚があるのは事実なのだ。

つまりもっと言ってしまえば、変態セックスをメスに受け入れさせる事によって、理想は”他の肉棒ではもう満足出来ない、ご主人様の肉棒無しじゃ生きていけない・・・”ってメスに自覚させていくことになる。本来セックスってのは何度も書いてしまうのだけれども、妊娠なんかのリスクがあって、メスにとってはその相手を選ぶことは、愛情を捧げていく事になるのである。

そんなセックスでも普通なら出来ない変態セックスを求めるようになるのであれば、それは飼い主に対する忠誠を表す行為になり得るのである。逆に言えばメス豚になればなるほど、そのオスの特別なものとしての意識をオスに促すためにそのような行為を求めていくってのがメスのマゾになる原因になるのではないだろうか?





つまりは調教ってのは変態セックスを介在した愛情の具体的確認の手段とも言えるのである。調教を受け入れる事によってメスはそのオスのものであることをアピールし、オスはそれを受け入れさせる事によって、メスの飼い主である事を教えさせていく・・・そう考えれば、調教ってのはある意味、理想的なセックスであるような気が僕にはするのである。