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10代の性欲

kage

2009/07/22 (Wed)


注意!!
10代との安易なセックスは犯罪です!!
このブログは妄想系ブログです!!


やっぱり夏休みになるとエッチな出会いを求めて女子高生なんかが出会い系に来ちゃうことも結構増えるのは事実だ。処女なんかでセックスの経験がしたくて、もしくは興味本位で・・・気持ち良くなりたくて・・・そんな性欲のままにセックスを求めて、ネットに遊びに来ちゃうのだ。

たしかに女子高生になれば、はっきり言ってしまえば”初潮”も始まって、動物的にセックスが出来る身体になっているのは事実だろう。性欲が動物的な本能から来ちゃうものであると考えるのならば、身体が”子供を産める”ならば快楽としてのセックスを求めてしまうのは自然なような気がする。ましてや、実際的に少女雑誌やTVなんかで簡単にセックス特集があって、ネットじゃエッチ目的のHPが検索すれば簡単に出せるのであるなら、”快楽”の知識は頭の中でいっぱいになるのは普通だろう。

それに加えて、”オナニー”ことをほとんどの娘は、その頃になると覚えてしまうだろう。オナニーってのは擬似的な性的刺激だから、それによってセックスの快楽がどのようなものか?擬似的に経験してしまうのだ。そうなれば実際的にセックスしてしまえば、どれだけ気持ち良いか?想像して求めてしまうのも仕方がない部分も出来てしまう。処女であっても、オナニーで”感じて”しまうのだから、そこには自身の性欲を自覚する部分が出来てしまうのだ。つまりは恋愛の延長としてでのセックスでなく、快楽としてのセックスを想像することになる。

そうなってしまえば、欲求としての性欲が行動として出会い系を選んでしまうのもなんとなくその気持ちは判るのだ。オスなんか特に単純だから、勃起してオナニーすることを覚えれば、彼女が出来れば、ストレートにその彼女にセックスを求めてしまう部分があるのは事実だろう。そうでなくても、チャンスがあれば交尾を求めてしまうのがオスなのだ。

確かにオスの場合、性病を別にすれば、交尾を繰り返しても”妊娠”に直接的にはつながらないのだから、快楽を優先させしまう部分があるのは事実だ。逆にメスの場合はセックスすれば、”妊娠”の可能性があるのだから、その部分で躊躇するのが本音にあるのだと僕は思う。性欲が動物的であったとしても、実際的に”子供を産み、育てる”行為は社会的にも経済的にも様々な負担を生み出すのは事実であるから、である。

実際的にある程度の収入が共にある男女が結婚しても、”子供を作る”段階になるとキャリアの部分や様々な部分において、”ハードル”を感じるのを良くマスメディアが捉えている。そんな社会情勢で、社会的にも経済的にも不安定な女子高生が快楽のセックスによって結果的に妊娠するのは、かなりの問題があるだろう。特に快楽のセックスで結婚なんかが伴わなければ、それ以上のトラブルを生み出す結果になることは誰にだって想像できるのは簡単なはずだ。

つまりは行動としての動物的な性欲と結果としての社会的な妊娠が因果として直結してるのに、実際的には矛盾になっているのが、現実なのだ。確かに”避妊”を確実にすることによって、結果としての”妊娠”がなければ、同意の上でのセックスであれば問題がないように思われるのだけれども、実際的にその妊娠のリスクがあって、現実的にトラブルになるのは女性が妊娠した場合によるのだろう。

ただ、逆に言えば・・・女性が妊娠すれば、孕ませた男性が結婚して、社会的に問題のない形にしてしまえば、逆に問題は無いのがあるのかもしれない。これは相手が女子高生であるとか、そんなのは関係なく、純粋に”妊娠”に対する対応だろう。人妻ならもっと問題は複雑になるのだけれども、実際的に、これもまた”出来ちゃった結婚”があるのだから、妊娠と結婚のバランスなのだと言えるのだろう。

しかし、出会い系のセックスの場合、セックス前提での出逢いになるのだから、その場限り・1度限りの出会いを求めることが多い。関係がセフレ関係として続いたとしても、性欲を満たすことがその本質だから、結婚に直結しないのが普通だろう。そう言う意味で、動物的に”出会い系”ってのは存在するのは論理的に矛盾はないのだけれども、社会的にそれはリスク回避が出来ないからこそ、存在悪と考えてしまうのは仕方がない部分なのかもしれない。

ただ”性欲”って部分になると、繰り返しになるのだけれども動物的な欲求だから、女子高生なんかが出会い系で快楽を求めてしまうのは、ある意味判りやすい行動なのだと言える。社会が10代のセックスに対して禁欲的であっても、性欲は実際的に存在するのだから、その矛盾をどう考えるか?も、もっと議論すべきである。

本音を言ってしまえば、そんな禁欲的な30代・40代のおじさん・おばさんでも10代の頃に性欲があったことは否定出来ないはずだ。確かに”性の氾濫”って言い方もあって、性知識が爆発的に流通している今の状況を当時の状況と比べると異質であるのは間違いないだろう。だからはっきり言ってしまえば、その当時は陰湿化して今は表面化しているとも言えるのだろう。今の30代40代の10代の頃はそんな情報にアクセスすることがなかったから、その頃にセックスする機会がなかったから、それが”健全”であると言える部分もあるのは確かだろう。しかし今の状況ははっきり言ってしまえば”不純異性交遊(死語)”の表面化なのだ。

10代の性欲を積極的に推奨する必要は無いのだけれども、実際的にどんな情報でも氾濫する時代になっているのに、何でも規制では、規制の限界と矛盾に行き付く事になるのはちょっと考えれば、誰にだって判るはずだ。情報があれば実行に移すのは簡単なのだ。そうなればステレオタイプに簡単に”規制”をしても意味がないのは判るはずだ。

あくまでも個人的な想いだけれども、時間は進めば進むほど、どんなものでも複雑化して、多様化して、価値観は様々な形で並列化する。”古き良き素朴で単純な時代”には戻れないのだ。

そう考えれば、性犯罪の視点から、いかにそれを防いでいくか?が重要なのだ。セックス産業が莫大な利益を生み出すのは事実だし、未成年売春の話は、簡単にマスメディアに載ってしまう。同意の上でのセックス産業であったとしても、それ自体犯罪であり問題があることを10代に教えるべきである。

つまりはあくまでも個人的な極端な意見だと自覚してるのだけれども、10代の性の規制に関してはもっと実際的な問題として考えるべきだし、逆に金銭のやり取りを生む性犯罪に関してはより規制を激しくすべきだと思う。単純に10代のセックスのすべてを性犯罪に考えるのではなく、なんらかの金銭的な利益を生むことに関する性犯罪を悪として考え、援助交際や未成年売春をいかに防止していくか?が重要なのだと思うのである。10代の性欲が性犯罪につながっていくのが問題であるのだけれども、性欲の動物的・自発的な部分にまで規制が出来るか?をもっと考えるべきのような気がするのであるのだ。

”金さえ払えばどんなセックスだって出来る!!”と考える馬鹿者がいるのも事実だ。実際、援助交際でレイプまがいの事件だっていっぱい存在している。援助交際で失敗してトラブルになった女の子のケースはもう数え切れないほどだろう。そんな危険性から回避させるって事で10代の性の規制ってのは在り得るのだと思うのだけれども、援助交際だけでなく、合コンなんかでのレイプ事件も含めて、”セックスに対する用心深さ”を知る必要があるのは言えるだろう。

大人のオスが10代の少女との恋愛は成立しないか?と言えば、成立するし・・・・セックスだって成立してしまう。恋愛が成立すれば肉体的なつながりを求めるのは自然だし、恋愛の結果が結婚に安易につながらないのは、誰だって知ってるはずだ。もっと言ってしまえば、互いの性欲を満たしあう関係だけになってしまっても、同意があって納得出来るのであるなら、そんな関係もあるだろう。それを単純に性犯罪であると捉えるほど、10代の精神はセックスに対して無知ではないし、そんなに簡単なシチュエーションも金銭のやり取りが明確化されなければ、難しいのが実際ではないだろうか?

古い概念での理想の一方通行では、現代の10代の性欲は判断出来なくなっているような気が僕にはする。非処女・処女での概念分けに様々なシチュエーションで意味をなさなくなっているのであるなら、”女性の独身者が処女である”概念はもう幻想としか言えないのだ。結婚する相手にオスは処女を求めるパターンは少なくなってきてるだろう。

アカラサマ過ぎる性と言う表現は間違っているのかもしれないけれども、それが実際なのだ。”セックスは神聖視されるもの”という価値からは快楽を求めるセックスは否定されるべきなのかもしれない。しかし動物的な性欲からは決して快楽は否定出来ないのだ。リアルがアカラサマになった現代だからこそ、単純な古い価値観だけで判断することは出来なくなっていってることに、大人は気付くべきなのかもしれない・・・・・

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