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kage

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”汚れ”の悦びを教える事

kage

2009/10/23 (Fri)

やっぱり当たり前ながら、女の子だって純粋に性欲があって気持ち良くなりたくてエッチなチャットに来ちゃう訳なんだけれども、そこでそれなりにオナニーなんかで満足しちゃってるようなのは、このブログで何度か書いてることなんだけれども、結局はオスの性欲処理の対象に使われている事にどう感じるか?ってのがものすごく大きなテーマに成り得るのに、それなりにそう言った快楽に慣れてくると気付いてきちゃうんだろうって感じる場合がある。

最初のうちってのはそう言ったエッチ系のHPに女の子が来ちゃうのは純粋にセックスなんかに興味があって、処女・非処女の区別無く、なんらかの性欲に対する欲求不満を少しでも解消したいって気持ちで来ちゃうんだと思う。これはオスがエッチなHPで”オカズ”を探す気分と同じように思える。オスだって2ショットチャットなんかで性欲処理したくて来ちゃうんだから、そう言う意味においては、気持ちよくなりたい!!であるとかセックスしたい!!って欲望のままに来ちゃうって事でオス・メスの性別関係なく、純粋に性欲解消のためって感じで来ちゃうんだろうって当たり前ながら思うのだ。

問題はリアルにまでその出会いが発展するかどうか?は別にして、それに慣れていく女の子の気持ちってのが難しいんだと思う。オスってのはセックスに対して”汚れ”を感じないってのが本当の気持ちだろう。もちろん、性病なんかのリスクに対する気持ち悪さってのはあるのだけれども、セックスする事によってオス自身が汚れていくって意識を持つ事は全くって言って良いほど無いはずだ。少なくとも僕はその辺りの気持ちを持った事は全く無い。

それにはセックスの本質がオスは精液を射精して汚すもの・メスはオスの精液を受け入れて汚されていくものって部分があるからではないだろうか?精液ってのは当たり前ながら体液である。そうなれば意識的には小便や汗なんかと同じカテゴリに入るものなのかもしれない。ハッキリ言ってしまえば、その娘の蜜壷に中出し・生出し射精して、精液でグショグショに汚れた蜜壷を出したオス自身が抵抗無く綺麗に舐める事が出来るか?にある。

セックスのそれなりの流れでそうやって舐める事もあるのだけれども、ふと気付くと舐めているオス自身、どこか抵抗って言うか”ひっかかり”がある場合が結構あるんじゃないだろうか?フェラチオさせた後のディープキスに抵抗のあるオスもそれなりにいるのではないだろうか?完全にそれが出来ないって訳ではないけれども、何か”ひっかかり”がそう言うところに感じるオスがいるってことは、ストレートに精液に対して何らかの”汚れ”を意識することになっている証拠である。

射精したオス自身がそうやって感じる部分があるのであれば、それを受け入れざるを得ないメスにとっては精液による快楽を伴いながらも、どこかそれは”汚れ”として実感している部分がオス以上に感じられて当然なような気がする。問題はその”汚れ”の意味なのだけれども、本当に恋愛感情なんかがあってっそのオスの”モノ”としてメス自身がその関係を受け入れられるものであるなら、汚れってのは汚したオスのモノである証明になるのだから、そう言った部分で他のオスを受け入れない証明になるのだろう。

ハッキリ言ってしまえば、どんなオスだって他のオスが汚した蜜壷を”観念的”には舐める事は出来ないのだ。確かに割り切って性欲のままにその娘を性欲処理の対象として扱うだけならそんなことを意識しないだろう。だから単純に風俗だってオスの性欲処理の場として存在するのだろうし、そこまで極端でなくても本当に出会い系なんかのセックス前提での出会いなんかでも、性欲処理の対象としてそのメスの蜜壷を舐める事は出来るのである。

ただ、オスはそうやってセックスする事に対してある種の割り切りを意識する場合が多いのだと思う。恋愛感情があってその娘とセックスする事になったとしても、それとは別に性欲があってその解消にその娘の身体を使って精液を射精するってのは、アカラサマ過ぎるのかもしれないが風俗や遊びでの射精したときでの満足感と実際は変わらない部分があるのが事実だろう。本質的にはオナニーと違ってメスの身体を利用して精液を射精した満足感ってのが1番感じる部分ではないだろうか?

もっと言ってしまえば、恋愛感情になってそれなりに時間を過ごした時点で、ある意味その関係が当たり前になって、その彼女と当たり前にセックス出来る関係に安心したオスって言えば判るだろうか?”ヤる為だけに恋愛関係をしてる”ってのはヘンな言い方だけども、メスだってオスの性欲処理のためだけに付き合ってるような感覚に陥ったことは何かの拍子にあるのではないだろうか?

つまりはオスのセックスってのは動物的な性欲に依存して、射精の満足だけがある意味重要で、だからこそそこには”汚れ”をオス自身意識しないってのが本音にあるのではないだろうか・・・・つまりオスのセックスってのはオス自身の中にある性欲処理の意味が大きくて、メスのようにその意味を考えない安易で単純な本能なんだろうと思う。

逆にメスってのはセックスに対して”汚れ”の概念を大幅にオス以上に感じるのではないだろうか?と僕は思う。ネットなんかでオスとして性欲処理のためだけのメスを求める僕自身が言うべきことではないのだけれども、大いなる矛盾があることは自覚してるのだけれども・・・セックスってのは究極的には子供を作る行為であるのだから、オスの場合は射精するだけでそれを実感する事は生まれ出た子供を意識するまでは感じられない部分が多いだろう。ましてやそこまで考えずに性欲処理のためだけに遊びでセックスする事で妊娠を意識する事は無い。

しかしメスの場合はその身体の中で妊娠を意識する事になるのだから、セックスするって事はその可能性があることにその身体を持って直結することになる。どんなに遊びだとメス自身が割り切ってもその妊娠の可能性ってのは恋愛関係でのセックスでの可能性となんら変わるものではないことは誰にだって判っている事だろう。そうなれば”遊び”でのセックスってのは"汚れ”をメスが意識するのはなぜか?って問いがあるのだけれども、そう言ったリスク=汚れって捉えるのはありえるだろう。

しかし実際はそうではないはずだ。そのセックスでどんなに妊娠の可能性が無くても、妊娠していないことを確認する事が出来たとしても、何かの拍子にセックスの”汚れ”を意識することはメス自身否定しないだろう。つまりは妊娠のリスクと汚れの関係は間接的な部分があってもインスピレーションとしての直接的な部分ではないのは自明である。ならばメスにとってのセックスの汚れとは何か?ってのを考えなければならないのだけれども、メス自身の性欲と関係して考えるのであればそれなりに難しいテーマだと僕は思えるのだ。

”汚れ”を1番安易で簡単に捉えるのであるなら、メスが恋愛感情を伴わないセックスをしてしまった事になるのだろうとオスとして思える。もしそのメスに旦那や恋人が居るのなら、その関係の中で”不貞行為”をしてしまったのだから、ある種の道徳観の現われとして”汚れ”としてそのセックスを捉えるのかもしれない。もっと言ってしまえば、そのメスに旦那や恋人なんかの相手が居なくてもそういったセックスに対してどこかそう言った道徳観から"汚れ”と表現するのではないだろうか?

こう言った捉え方は安易でステレオ化し過ぎて、間違いではないかもしれないのだけれども、本質からは外れているのを僕自身はかすかに感じている。しかし、”後悔”のあるセックスってのは結局はメスは”汚れ”と感じるのではないだろうか?つまりは結局はオスの性欲処理の対象としてだけのメスのあり方に対しての何らかの気持ちだってそこにはあるはずだし、そうなればメスとしてのプライドの問題だってあるのだろう。

ただ逆に言えば、それでいながらもメスにだって性欲があるのは事実であるはずだ。だからこそ、オナニーだってするし、その場の勢いに任せたセックスだってあるだろう。そうなれば恋愛感情とはまた別の所に性欲が生まれてしまうのだから、”汚れ”に対する拒否としてのセックスの否定とは、それがまた別のベクトルを持たざるを得ないってことに気付いてしまうだろう。ならそれを合理的に解決するには”彼氏”なんかを作る事になるのだけれども、性欲処理に彼氏を作るって事はその延長上にある種のセフレ関係を求めることになる矛盾もありえるはずである。しかしどのように考えてもメスにだって性欲はあるのだし、あれば何らかの形で解消したいのが動物的な本能のはずである。

そう言った意味で”汚れ”と”性欲”のバランスってのはメスにとって難しい問題であろうと僕は考えるのである。オスはセックスに対して本質的に”汚れ”を意識しない分だけ安易にセックスを求める部分があるのは事実である。そこがオスとメスとのセックス観の違いであろう。ならオスはセックスに対してどのように考えるか?をある意味意識してメスを犯す必要があるのではないだろうか?このスタンスは恋愛関係のメスだからであるとか、遊びでの勢いでのセックスの相手としてのメスであるとか関係ないはずだ。

つまりはメスだって性欲があるのだからセックスでその性欲を満たしてあげるってのは傲慢すぎるかもしれないけれども、それでもメスが”気持ちよかった!!”と満足するセックスをオス自身が提供する必要があるのは言うまでも無い。オスだけが射精の満足を得るだけの独り善がりのセックスではメスはその性欲を当たり前ながら満たす事は出来ないだろう。そう言った意味ではどんなにメスに対して絵奉仕を求めたりして調教プレイを行なっていても、その性癖・内容とは別な部分でのメスに対する”サービス”が必要であると言えるはずだ。

ただしかし、それだけでは快楽だけを求めるセックスとしてメスはそこに汚れを感じてしまうのかもしれない。それを防ぐには結局のところ、恋愛感情を持つか?どうか?にあると言えると僕は思える。セフレ関係に恋愛感情を持つってのはある種の”邪魔臭さ”を感じるオスのほうが多いだろう。手っ取り早くセックス出来てメスの身体での射精の満足感さえあれば良いって部分は恋愛関係にあったとしても、オスのエゴとしてどこかにそういった部分があることは否定しない。しかしそれでは本当にメスがセックスに満足しない事に気付いてるはずだ。いかにその関係を続ける事がメスにとって幸せであるか?を教え、満たしていく事が恋愛関係を伴わない関係であったとしても必要ではないか?と思う。

蛇足であるが、だからと言ってその意味はセックス前提での関係である事を否定する事ではない。問題なのはそのオスに”犯される”幸せをメスに与えられるか?どうか?であるのだ。メスだって理性では性欲処理のためだけに来てるって意識があって、その同意の下でするのだから、そこまで考える必要は無いってことも言えるのかもしれない。ただそうなれば相手は誰でも良いって事に究極的にはなってしまうのだから、その関係ってのは長続きしない。そして調教ってのはメスに対する束縛・支配が前提だから、長続きしない関係の中ではその気持ちってのはプレイだけにしか表現出来なくなってしまうことになる。それでは本当の束縛には成り得ないだろう。

調教・変態プレイってのは確かに性癖を満足させるための行為であるのは間違いない。しかし、それ以上にメスを専属の肉奴隷に調教していく過程を楽しむための行為である事の方が重要なのだと僕は思う。”飼い主の為にその身体を提供し、奉仕していく”悦びをメスに教え、忠誠を誓わせる事が調教の本質ではないだろうか?そうなればセックスに後悔するのであれば、そう言った悦びをメスは感じることは無い。つまりは”汚れ”に対する否定が生まれるはずである。変態プレイで感じること自体”汚れ”である。その”汚れ”ること自体が肉奴隷としてメスの悦びであることを教え込んでいく事がサディストとしてのオスの役割であると僕は思うのである。

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