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kage

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調教の趣味の違い

kage

2009/10/26 (Mon)

変態セックスって言い方にはなんだか抵抗があるんだけれども、結局は人それぞれに性欲があってフェチシズムがあって、それによって性的興奮が生まれていく部分での特殊性癖を”変態”って言葉でまとめてしまうのがその言葉の基本的な概念だろう。つまりは、自分自身の中では当たり前のプレイであっても、相手が未体験で想像の範囲外のプレイになると”変態”って事になってしまう。その変態さってのが受け入れられるなら新しい快楽の始まりとしてそれは許されるんだと思うけれども、まったく性的興奮に結び付かずに苦痛でしかないプレイがあるのも事実のはずだ。そう言う意味で”調教”って言葉に潜む個人の意味の違いは結構相性として大きなモノになっていくのだと僕には思えることがある。

例えば、スカトロ・・・ストレートに言えば排泄物に対する性的興奮を伴うプレイって言えば綺麗に言い過ぎなのかもしれないけれども、ともかくセックスの間にウンチやオシッコが存在するプレイだと考えればいいのかもしれない。極端な話、お漏らしプレイなんかもスカトロプレイのカテゴリの中に入るのかもしれない。まあ、漠然としたイメージはそれなりにこう書くと誰だって意識出来るだろう。問題はただ、そのプレイの方法に様々な趣味の違いがあることだ。

例えばだけれども、結局はそのプレイなんだけれども、オス・メスのどちらがするか?でも意味が異なるように思える。オスがメスにオス自身の排泄物をぶっ掛けるなら、それはメスに対しての”汚れ”を与える事になるのでつまりはそこには独占の意味合いをより深めるって事があるだろう。メスがオスにって感じで逆だと意味合いは一緒でも”ああ・・・女王様”になるのかもしれない。また、自分自身の排泄を相手にさらけ出すって事は相手の命令でするか?どうか?の兼ね合いはあるのかもしれないが、普通ならさらけ出せない羞恥な姿をさらけ出すって意味で相手に対する忠誠を意味するのかもしれないし、それによってまた別の意味があって興奮を覚えていくのかもしれない。

このように書くと本当にスカトロを楽しんでるカップルからすれば、ものすごく浮ついた観方をしてるように思うだろう。実際告白するのだけれども、僕自身スカトロに対してまったく性的興奮を覚えないし、むしろ嫌悪感がある。だからどうしてもそのスカトロの意味を考えようとしても浮ついた部分でしか捉える事が出来ないってのが本音で、こんな感じでしか書けなかったってのが事実だ。

ただここで思ってもらわなければならない事は、僕自身、スカトロを全否定するものでは無いと言うことだ。人の性癖ってのは個々人においてそれなりに違うって事は当たり前の事だと思うし、他人がそれでそれなりに満足してるならそれで良いんだと思う。自分自身の性癖に合わないからと言って全否定するのは間違っているからだ。それにもしかしたらスカトロに何かの拍子にハマるかもしれない可能性ってのはこれからもありえるし、カミングアウトしてる緊縛や奉仕なんかの性癖が他の誰かさんからすれば耐えられない事かもしれない。

つまりは単純にマゾだからサドだからってことでSMプレイがしたいって感じでやっちゃうと結構相性問題が普通のセックスよりもシビアなところがあって難しい所があるってことだ。しかしここで考えなければならない事なんだけれども、どうしてもサディストの方が調教の主導権を持つって事になるのは事実なのだ。これは当たり前なんだけれども、サディストがその性欲のままにマゾを犯していく構図が出来上がるのだから、そうなればマゾの性癖ってのは”再調教”を理由に無視されていく部分が大きいって事になるだろう。

たしかにマゾ自体、そのサディストを調教の時のご主人様であるとか飼い主であると認めて、その支配を受け入れる事からSMの関係は成り立つのだから、その延長としてサディストの思うままにマゾは調教を受け入れるってのがあるだろう。つまりはそこで相性に対するなんらかのこだわりは解消されると表面的には考えて良いのだ。ただそれはあくまでも”表面的”であって、実際それでマゾが性的に満足するか?どうか?に関してはまったく別問題であるといえるはずである。

特にここで考えてるシチュエーションはネットでの出会いだからこそ、セックスして性欲を満たしたくてって感じで普通のセックスじゃ満たされないからネットで相性の良いパートナーを探してるってパターンなのだ。ほとんどのネットでのマゾ志願者ってのは、実際的にリアルでの調教を経験したことは無いって感じで・・・それが変態セックスであったとしてもその自覚が無いってのが本当の部分で・・・だからこそ、そのサディストの性欲をうけいれることで一応の満足があるのだと思う。

そう考えれば調教ってのはある意味、ものすごく精神的なものが重要になってくるのだと思う。つまりは行為・プレイによる興奮ってのはあくまでも手段であってその結果、そのサディストの支配を受け入れるか?どうか?のほうがマゾにとっては重要なのだと思うのである。しかし問題はそれでもやはり普通のセックス以上に調教ってのはそれなりに理想がそれぞれ違うから、サディストの満足度よりも表面的には相性の出ないマゾの満足度のほうがその関係が続くか?どうか?のポイントになるのだと僕は今までの経験から感じる部分が結構あるのだ。

だからサディストってのは、確かに自身の性欲を満たすためにそのプレイをするべきだと思うし、その事に対してマゾの気持ちを考えて躊躇してしまっては本当の意味でのサディストではなくなるのかもしれない。しかし、だからと言ってマゾの悦びを無視するような調教をしてしまえば、結果マゾの気持ちが醒めてしまって関係が終わってしまう部分も事実なのだ。そうなればサディストとしてどのように調教を考えればよいか?になるのだけれども、それはやっぱり”調教”の本来の意味に戻って、そのプレイでマゾ本来の悦びを教えていくことになるのだろう。

つまりはマゾにマゾ自身が想像したもの以上の満足度である事を教える事がサディストの調教の意味になるのかもしれない。そう言う意味では最初の間はサディストだからこそマゾに”サービス”する事を意識してマゾの性欲を満たす事を調教においてしなければならない事だろう。だからこそ調教ってのはいきなり最初の1度目から成立するものではないのである。中には乱暴に自身の性欲を興味本位のままに満たす事がサディストだと思っている人間も居るだろう。しかし断じてそれは本当の調教ではないはずだ。いかにマゾが自主的に忠誠を誓って欲情していくか?そのためにはどのように調教すべきなのか?を考えて、飼っていくことが本当の調教の醍醐味であり、サディストの役割であろうと僕は思うのだ。

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