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花言葉

kage

2010/05/04 (Tue)

本日の花”百日草”
花言葉”恋慕”

基本的に僕の場合、その出会いってのはネット中心だからチャットセックス前提での出会いになる。だからかもしれないのだけれども、単純に気持ち良いセックス・・・この場合オナニーになるのだけれども・・・・がしたくて来ちゃうってよりもマゾになりたくて来ちゃうって感じの女の子が多い。

これは前にも書いたのだけれども、ネットだからこそ、その日常じゃ隠れた性欲をさらけ出したいってスタンスで遊びに来ちゃうってのがあるんだけれども、そんな女の子の中でやっぱり”束縛”を求めて来ちゃう女の子も結構存在する事に気付くのだ。つまりは”ご主人様が欲しくて来ちゃう・・・”って感じだと言えば判るだろう。

このご主人様って感覚なのだけれども、やっぱり女の子の中にも”愛されたい”って気持ちがあって、そこには独占されていきたいってのがあるのだと僕には感じられる。この感情ってのは敢えて言っちゃうのだけれども、漠然とした女の子にとっての理想の恋愛として漠然と求めてしまうものではないだろうか?もっと言ってしまえば”誰かのものになる”ことに対する充実感ってのは、どこかの少女マンガのテーマになってしまう程度のものかもしれないのだ。





ただ、逆に言ってしまえば、その感情ってのは本来、どの女の子でもその心のどこかに持っている感情なのだと思う。”誰かのもの”になるってことはそのオスの支配下の中で守られていく事につながり、そこには精神的な”つながり”が生まれる。普通の恋愛でも、どんなに自立したメスであっても”オスに甘えたい”って気持ちはあっても不思議ではないし、オスだってそんな気持ちを持ってもらったほうが、その恋愛の中でのプライドってのは満足できるようになるのが本音だろう。

そしてセックスを求めるシチュエーションにおいて、”ご主人様願望”ってのはメスのそんな気持ちが端的に表されていく手段ではないだろうか?と僕は思う。なぜなら、セックスってのは本来、ある意味メスオスを選んで、その身体を捧げていく事になるのだから、ある意味、オスのものになっていく感覚がメスの中に生まれても不思議ではないはずなのだ。

ハッキリ言ってしまえば、単純にどんな肉棒でも咥えて、性的快楽を求めていきたいって感覚の中に本来、マゾ性は生まれないのである。なぜなら、マゾってのは基本的にサディストの変態性欲を受け止めることによって、その精神性を満たしていくものであるからなのだ。





だから、何を持って調教とするか?ってことになるのだけれども、単純に緊縛であるとかムチであるとかそんな行為だけのSMってのはあまり性的興奮を生まないはずである。そこに例えば”メスをそのプレイで従わせていく”であるとかの精神的な意味性を含めてこそ、調教ってのは男女の中で成立するのであると僕は思っている。

つまりは単純に例えばムチで叩かれるだけなら、メスはそれは痛みだけでしかなくて、性的興奮に高まる事はないのではないか?という事である。確かに調教ってのは特にマゾのほうは羞恥であるとかの部分で性的興奮を覚えていく可能性は否定しないし、サドの方もそのプレイをしていることでの変態であるという自覚が生まれ、それによる自己陶酔性による興奮があるのも事実かもしれない。

特に僕がサディストでマゾの気持ちはあくまでも想像するだけでしかないから、その部分はハッキリ言えないのだけれども、僕の場合は少なくとも、調教しているメスを思うままに束縛していきたいって気持ちがその発端にあるのは間違いないのだ。その手段としての調教であって、確かに変態性欲として緊縛や露出、それに奉仕、羞恥なんかでメスを苛めていくのだけれども、スパンキングなんかでお尻を叩く事があっても、ムチやロウソクなんかでお仕置きしていくってことに関してはどこか引いてしまう部分がある。





それでもメスの心の中に”僕だけのために淫らなメス豚になって奉仕していく”って気持ちにさせていかなければ満足できないのだ。つまりは完全にそのメスの愛情を僕だけに独占していきたいのである。それが僕にとってのサディストの根本だという自覚があるのは事実なのだ。

つまりもっと言ってしまえば、変態セックスをメスに受け入れさせる事によって、理想は”他の肉棒ではもう満足出来ない、ご主人様の肉棒無しじゃ生きていけない・・・”ってメスに自覚させていくことになる。本来セックスってのは何度も書いてしまうのだけれども、妊娠なんかのリスクがあって、メスにとってはその相手を選ぶことは、愛情を捧げていく事になるのである。

そんなセックスでも普通なら出来ない変態セックスを求めるようになるのであれば、それは飼い主に対する忠誠を表す行為になり得るのである。逆に言えばメス豚になればなるほど、そのオスの特別なものとしての意識をオスに促すためにそのような行為を求めていくってのがメスのマゾになる原因になるのではないだろうか?





つまりは調教ってのは変態セックスを介在した愛情の具体的確認の手段とも言えるのである。調教を受け入れる事によってメスはそのオスのものであることをアピールし、オスはそれを受け入れさせる事によって、メスの飼い主である事を教えさせていく・・・そう考えれば、調教ってのはある意味、理想的なセックスであるような気が僕にはするのである。


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