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花言葉
2010/05/08 (Sat)
本日の花”藤”花言葉”恋に酔う”
確かにネットでの出会いってのは、モニタ越しの出会いで何が本当のことか?ってのは実際何も判らない部分がある。どんなに二人の関係がチャエッチなんかで盛り上がったとしても、結局はハンドルネームなんかで呼び合っていたりして、相手のことは何も判らないなんてことは普通にあるのだ。
それでも、僕なんかはチャットセックスの中で、本当の名前や年齢、勤め先なんか聞き出そうとすることが多い。何度も繰り返しているけど、チャットセックス自体、興奮して(オナニーだから)気持ち良い部分があるのだけれども、結局はやっぱりリアルでのセックスが最終的な目標だから、その目標に向かって行動していく。
1番良いのは何度かチャットセックスなんかしているうちに、相手の女の子の方からリアルでのセックスに誘われる事なんだけれども、実際的にそんなふうにリアルでのセックスを考えているメスってのはほとんど居ない・・・中にはいきなりのリアルのセックスを求めてくるメスだって存在したのは事実なのだけれども、本当に極端な話、数千人に1人、数万人に1人でそんな可能性を求めるのは意味が無いと感じるほどの割合でしかないはずだ。
そうなればどうすれば良いか?ってことになるのだけれども、僕の場合は基本的に名前を聞き出したり、勤め先を聞き出したりしている。特に最近は、画像交換機能があるチャットが増え始めてるので、素顔の写真なんかを見せてもらえるように命令してみたりして、その女の子の個人情報を手に入れることに頑張ってみる。
このようになぜ女の子の個人情報にこだわるか?ってことになるのだけれども、考えてみれば判るとおり、女の子がセックス前提でそのすべてをさらけ出していくってことは、どこか少しずつ”僕自身”を存在あるものとして受け入れていく過程になるためだからだ。自分自身の個人情報をさらけ出す事によって、だんだんと精神的に追い詰められて逃げられなくなる・・・・そんなことを自覚させながら女の子を快楽に溺れさせていくのである。
むろん、変な話だけれども、ある種のプレイだから、具体的に聞いちゃったからといって、どうする訳でもないってのもある。そこで女の子を脅かして、リアルでのセックスを求めたりするのはルール違反だと思っているし、犯罪じみている。1番の理想はやっぱり女の子が”また、もう1度ヤリたい!!”って思ってくれることだから、それはリアルでもチャットでも同じだから、そのスタンスとして女の子の個人情報に対する扱いを考えなければならないのだ。
つまりは繰り返しになるのだけれども、女の子の個人情報を聞き出すのは”束縛”プレイの一種だと思う。”このオスの肉奴隷になって逃げられないのだ・・・”と女の子に意識させる事によって、女の子の中のマゾ性を刺激し、また、”オスのもの”になっていくことによって奴隷としての自覚を与えていく事になる。
ここで考えなければならない事は、メスのマゾ性には、オスに束縛されていく事を求めているように思えることなのだ。これはあくまでも僕自身の考えで極端な考えなのかもしれないと自覚はあるのだけれども、女の子ってのはどこか愛する以上に愛されたいって気持ちがあって、それを満たしたくてマゾになっているような気がするのである。
もっと極端な言い方をすれば、緊縛やムチ、ロウソクなんかの物理的な刺激や露出なんかの精神的な刺激はあくまでも2次的なものであって、本音の部分は”そのオスのために堕ちていくことに対する満足感”なのだと思うのである。確かにそう言った物理的・精神的な刺激が興奮を呼び起こす側面は僕自身否定できない。実際縄の食い込んだ女の子の白いおっぱいなんかを想像するだけで、無条件で勃起してしまう。
しかし、メスにとってはそうやって”オスに求められていく事”に対する充実感の方が大きいような気がする。母性本能という言い方はマズいのだけれども、オスから求められる変態性欲を受け入れる事によって、オスからの愛情を受け入れていく証拠にしている部分がマゾ性のあるメスには存在してるのではないだろうか?
そういう意味では”マゾ”に自覚の無いメスが多いのかもしれない。例えばフェラチオなんだけれども、結構嫌いな女の子は多いようなのだ。それでもオスに求められる事によって、”仕方なく”って形でしちゃってる部分があって、その受け入れ方にはどこかメスとしてのマゾ性を刺激して、やってしまっているってことはあるように思える。
つまりは、極端な話、オスとメスの愛情の基本にはどこか”束縛”があるのだろう。束縛という言い方がイメージできなければ”浮気と嫉妬の関係”と言えば判りやすいのではないだろうか?”ここまでオスの性欲を受け入れてるのだから、オスは私だけを愛してくれるのだ・・・”という論法だ。尽くせば尽くすほど、愛情の見返りがあるって考えるいつものステレオタイプな議論がそこには生まれてしまうのだけれども、メスの中のそう言った部分は否定できないような気がする。
次回に続きます。
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