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おしゃぶり_最後の一言

kage

2007/06/07 (Thu)

“しゃぶらせる”から“しゃぶられている”に意識が変わることがあるのは事実
なのだ。そこには、その娘に独占されていくような気持ちになっていくのだ。
なぜなら・・・はっきり言ってしまおう。フェラチオは交尾なんかよりも射精
タイミングをその娘にコントロールされてしまうからだ。“ぶっかけてやる”と
いう気持ちよりも、ネットリとしゃぶられている肉体的な快楽によって精液が吐
き出される、そういう意味で性欲がその娘に管理されていると極端ながら言える
からだ。
特に僕の場合、異常性欲だから、おしゃぶりで出しても、そのまま続けてしゃぶ
らせて、連続射精が好きだから、恥ずかしながら連射が続かないほどしゃぶられ
たときは、その“独占されている”気持ちが心に浮かぶ。
その時はやっぱり、その娘をすごく大切に思うし、女の子から愛情の再確認をさ
れているようで、よりその娘を愛さなければならないと思うのだ。
飼い主がその娘に対して絶対的な存在でなければならないと調教を定義するので
あれば、僕は飼い主失格であろう。おしゃぶりだけでなく、“愛されたい”とそ
の娘がアピールするワガママに僕は直ぐに負けてしまうし、その娘が僕に対して
“飼われて束縛されている”ことを絶えず意識しているのであれば、そこには“
愛”があり、調教は成功していると思うからだ。
そういう意味では、女の子が求めるおしゃぶりは、その娘の可愛いワガママだと
僕は感じるのだ・・・


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