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続・汚れる快感
2009/04/13 (Mon)
前回の続きになります・・・そこにはメスに対する所有欲は無くなるから性欲を優先するどんなラフなセックスでも自己満足として己を満たしてしまう。知り合い間の馴れ合いの中でレイプが行われるのはその気分があるからだろう。自分の大切なものであるならばオスとしてそんなことは出来ないはずだ。
画像はじぃすぽっと:今日のおかず 放課後のマネージャー 白濁輪姦のグランドに散った処女生贄 早乙女ちずる より
この画像は、ソフトハウス『じぃすぽっと』の作品の素材を使用しています。
これらの素材を他へ転載することを禁止します。
その感覚は女性にも言える。繰り返しになるのだけれど、僕の場合ほとんどがネットでの出会いだから、いろいろな理由の女の子と出会う。SMに興味があるとか性欲があるのに彼氏がいなくてどうしても我慢できなくてとか・・・なら、その娘を犯すことで自分だけのものにしたい欲望をもってセックスする。もっと言えば、処女が性的な興味をもって体験してみたいって理由だけで僕にその身体を差し出してくれた場合なら、きちんと犯して”モノ”にしていこうと努力する。つまりはセックスを前提にして恋愛感情まで持ち込もうと努力するのだ・・・・努力の表現はおかしいかもしれないけれど・・・愛して独占しようとする気持ちにうそは無い。
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しかし中には”セックス中毒”でどんな肉棒でも欲しがって来ちゃう女性もいたのは事実だ。もっと言えばどんな肉棒でも良いから毎日でも欲しがる娘のことだ。毎日でも欲しいのは性欲だから、僕も判る感覚である。僕だって犯した娘と恋愛関係が出来てもその娘とは毎日出来ないのだから、同時に別の娘をまた探して犯していく。
そういう意味では異常性欲だから何発でも毎日でも射精したくてたまらないのだ。でもセックス中毒になる娘は手段が目的になる。愛されたい欲望がセックスを求めセックスするだけで満足してしまう。つまりは男女関係の連続性を求めない。それだけで満足するようになるのだから、相手のことを考えずにどんな肉棒でも咥えるのだから、”汚れる”だけが目的になるのだろう。
愛情とはその相手を独占し束縛していくことである。そうなれば汚し汚される感覚の共有がなされるのであるならそれは幸せな関係だと僕は思う。ただオスであってもメスであってもそれを目的とするだけではあまりにも悲しく、汚れていくことになるのだろう。特にオスは精液を射精するのだから、汚れが溜まるのではない。メスは精液を受け入れるのだから、汚れが溜まるのだ。
その感覚の相違がセックスに対する男女のギャップになることも否定出来ない。つまりはフリーセックスに対する否定はそこから生まれるような気がするのだ。セックスが動物的な本能レベルで否定せず、道徳的には否定する・・・そんな矛盾があることに気付かなければならない。だからこそそれをオスは意識してメスを愛するべきなのだ・・・。
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