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手コキの興奮
2009/04/24 (Fri)
女の子とセックスするとき、何かの拍子に肉棒を握らせてシゴかせるときがある。感覚としてはAVなんかをオカズにして一人でオナニーすることと形は似てるのだけれど、実際それなりに興奮はある。自分自身の手の感覚と違ってその娘の手の感覚はある意味新鮮な部分があって興奮するのだ。画像はU・Me SOFT:白衣のご奉仕 ~舞 涼香編~より
この画像は、ソフトハウス『U・Me SOFT』の作品の素材を使用しています。
これらの素材を他へ転載することを禁止します。
ただそれにはどこかオス自身が”マゾ”になる部分がある。肉棒に対する刺激がそのメスの管理下に直接的に置かれ、メスにオスとしての快楽を支配されるためだ。特に肉棒を弄るメスは最初のうちはその興味のままに弄るのだから、オスがそれによってどう感じていくのか?なんかは余裕が無いだろう。そういうプレイに対して慣れていったとしてもそれはメスとしてオスを感じさせることを楽しむことを覚え始めていくことを意味する。
つまりはある種メスの指使いで手コキは行われるのだからメスのオスに対する優位性となる。そう言う意味では完全なる調教の意味合いからそれは離れるものなのかもしれない。特にフェラチオ、おしゃぶりなんかと違ってメスにさせるのではなくしてもらう意識になるような気が僕にはするのだ。
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ではおしゃぶりと手コキの違いはどこにあるのか?を考えてみるのだけれど、本質は肉棒に対する刺激なのだけれど、それは交尾で蜜壷に射精するときと変わらない。メスの肉体の一部で肉棒が刺激され、それが快楽となって射精につながるのだ。口・手・蜜壷と場所は変わるだけで究極的には射精の形は変わらないのだ。
では何をもって、オスはメスに奉仕させてやってるのか?それともシテもらってるのか?の分岐点はどこにあるか?なのだけれど、それはメスの身体の中に精液を射精出来ているか?どうか?だと思う。セックスの本質は子作りだから精子と卵子の受精があって意味が成される。その部分をオスは特に本能的に求めているからこそ、精子をメスの身体に流し込もうとする。
そう考えればおしゃぶりや交尾は精子をメスの身体の中に精液を射精するのだからその観点からはオスがメスを求めオスのイニシアチブでそれは行われるのだと思う。そうなればオスのメスに対する優位性がそこにあると言っていいのだろう。
逆に言えば手コでキは精液はメスの身体の中に射精されることはないだろう。だからその射精はある意味動物的な本能の部分から離れると言える。そうなればオスの射精に対する満足性は交尾やおしゃぶりの射精のときよりも少なくなるのが本音あるのだ。
ましてや握ってシゴく行為はオスのオナニーをイメージさせる部分があるのも否定出来ない。つまりは肉棒を精液を出させることにつながっていくことを意味する。オナニー自体恥ずかしいものなのだから、それを意識させられる手コキはオスの羞恥な部分・・・マゾ性を無意識にでも意識させられていくのは否定できない。
手コキはそう言う意味でオスのマゾ性を引き出す部分があるような気がする。オスのマゾ性を呼び出すことによってメスはその心のどこかでオスに対する優位性を感じるのだろう。単純な意味で女王様的な優位性ではなく心のどこかにある母性を満たすことの悦びとしての優位性と言えば良いのだろうか?単純な主従性ではなく調教はそう言う意味での共存性がその本質にあるような気がする。
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