スポンサーサイト
--/--/-- (--)
新しい記事を書く事で広告が消せます。
ネットでの出逢い、再考
2009/06/11 (Thu)
調教のイメージってのはステレオタイプなイメージなんだけど、ムチだったりローソクだったり縛ったり、首輪だったりしてそのメスの肉体を何らかの形で陵辱して独占していくことにある。でもメスにとってのその本質ってのは当たり前ながらメスがそのオスに忠誠を誓いそのバーターとしての快楽を得ることになるのだろう。画像はD’z:生娘、より
この画像は、ソフトハウス『D’z』の作品の素材を使用しています。
これらの素材を他へ転載することを禁止します。
つまりはその身体を通じてしかそのココロまでの独占は出来ないから、肉体的刺激を与えることによってそのメスのココロにまで快楽を求めさせ、それは忠誠によって得られることを教えていくのがオスにとっての調教であると言えるのかもしれない。
出会いK (2008/12) 河井 克夫 商品詳細を見る |
では何をもってメスの忠誠とするか?なのだけれども、簡単に言えばオスの命令をいかに実行し守っていくか?になると僕には思う。オスの思うままにメスはその痴態をさらけ出し、羞恥を忘れるようにして快楽を求め、淫乱に奉仕していく・・・オスはそんなメスの振る舞いに”自分だけのものになってるからこそ、そのメスにさせている”って気持ちで満足し、メスは”飼い主の命令だからこそ言いなりになって束縛されていくことに”満たされていく。その共依存がある種の愛情となり、その究極的な形が調教なのだろう。
そしてそれは愛情と言う名の信頼があって成り立つことが言えるのだ。なぜなら、調教の形式的な部分はやはり緊縛であったり奉仕であったり露出であったりして一般的にアブノーマルな異常性愛であるために、相手のことを完全に信頼できなければならないことが前提となる。
ではいきなりの調教・セックスを前提にした出会いで、その信頼を愛情として生むことは可能なのか?と言う疑問があるのは当たり前だろう。確かに調教によって得られるであろう快楽とそれに伴う様々なリスクを天秤にかけて快楽のほうが大きく揺れる魅力があるからこそ、出逢ってしまう部分も否定出来ない側面もあるのは事実だろう。
だがしかし、その出逢いによって確実にその快楽が得られるか?判らない場合・・・興味本位の出会いとしてそれを選んでしまう女性は、リスクがある故に結果的に誘惑としてあっても、実際の実行に移すことをためらうのが本当の部分だと僕は今までの少ない経験の中で思ってしまう。
それでもリアルに来た場合、それだけでもある意味その娘は”忠誠と快楽を求めるメス豚”として堕ちたために来たのだから、それにあわせて相手の希望のままに調教し、愛していくことがその娘に対する愛情となると僕は思って実行してきた部分がある。
簡単に言えばリアルで逢った時点でその後のセックス・調教は確定しているのであってメスはその時点でオスの束縛から逃げられないのだ。後は繰り返すようだけれども、いかにメスの理想の調教をヒアリングしてそれにあわせてどのように調教していくか?が主眼になるのだ。
でもそうやって実際簡単に逢えることは”まれ”なのだ・・・・当たり前ながら普通の娘はセックス前提でリアルで逢う事に躊躇するのは当たり前だし、特にネットなんかでの出会いは様々な問題が既にマスメディアで捉えられているため、イメージとしてマイナスの部分が大きいとも言えるのだ。
すいません・・・・長くなったので次回に続きます。よろしくお願いします。
いつか光の降る朝に 出逢い編 (Darlin’ Collection 17) (2006/08/24) 夏生 恒 商品詳細を見る |
業務報告?ふう・・・今日も逆・・・・≪ | HOME | ≫業務報告?鋭意作成中!!笑
コメントフォーム
この記事へのトラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)