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調教の最も大切なことはデッドラインを超えない!!って事なんだと思うのだ
2016/04/01 (Fri)
もう4月も始まってで少しずつ暖かくなり、もう春が来てるかなあ?と花粉症で目や鼻がやられるとそんなふうに僕は感じる。そうなれば当然ながら、だんだんと女の子の服もどこか薄着になっていくのは当然で、そんなのを街なんかで観てしまうと、”ああ・・・また露出の季節が来ちゃったんだなあ・・・”って僕の場合は思ってしまうのだ。つまりは、これから秋に掛けて、僕にとっては露出プレイ解禁!!って感じになるのだ。
それは、普通はどうやら、”コートの下はハダカで緊縛で・・・”ってのがあって、命令のままにそれをはだけさせて・・・ってのが、露出の定番のプレイとしてあるのかもしれないが、実は僕はそんなプレイがあまり好きでは無い!!ってのがあるのだ。実際、考えてみれば判るんだけれども、そんなプレイってのは、当然ながら、周りにバレてしまえば、どんな変態プレイをしているか?判るから、その部分において、お巡りさんに厄介になる可能性ってのは高くて、”そこまでして露出プレイをしてみたい・・・”とは思わないのである。
それに、調教して露出させる女の子ってのは、当然ながら、僕だけの”専属の肉奴隷”であって、その身体は僕だけを悦ばせるために存在していて、何も他のオスに、その痴態をさらけ出させて、欲情させる気持ちには僕自身はなれないのだ。つまりは、何処までも変態なプレイをしたとしても、それはあくまでも僕だけのためにするべきであって、他のオスの存在をそのメスに意識させたくない!!ってのが言えるのである。
ただ、そうなれば、ある意味、露出プレイってのは、他人の目が無ければ、羞恥を刺激しない!!って部分があるから、僕の感覚の中では、成立しないプレイになり得る部分は多分にあるのだ。つまりは、調教されてる女の子は”誰かに観られるかもしれない・・・観られてるかもしれない・・・観られたい・・・”ってふうに、調教するごとにより刺激を求めて、だんだんと大胆になっていく部分があるのだ。
画像はあけいろ怪奇譚 :シルキーズプラス WASABIより
この画像は、『シルキーズプラス WASABI』の作品の素材を使用しています。
これらの素材を他へ転載することを禁止します。
なお、この画像とブログの内容とは関係はありません。
だから、何かの拍子に調教されたメス豚さんと出会うことがあるんだけれども、このメス豚さんってのは、露出においては、”観られるかもしれない・・”だけでは満足出来ずに”誰かに観られたい・・・”のステージまで進んでしまっている場合が結構あるのだ。つまりは、”誰にも観られない露出ってのは露出では無い!!”って感覚になってしまっているのだろう。
ある意味、そんなメス豚さんと出会って思うことなんだけれども、”ああ・・・行き着いちゃって・・・もうオモチャにされて愛されないメス豚さんになっちゃってるんだなあ・・・”ってことなのだ。ハッキリ言ってしまえば、露出において、”見られてるかもしれない”じゃなくて”誰かにその痴態を観られたい!!”になっちゃってる女の子ってのは、露出のカテゴリにおいては、”行き着いてしまっている”部分があると言えてしまえるのだ。
無論、どんなふうに見せていくか?って部分でその違いがあるのだろう。例えば、わざと道でしゃがみこんでミニスカート越しにパンチラさせる!!であるとかは、僕だってしてしまう部分ってのがある。”ああ・・・さっきのパンチラ、通りかかったあのサラリーマン、じーっと観てたよね・・・”なんてことを女の子にささやいて苛めたりするのは僕だってしてしまうのだ。
しかし、”行き着いてしまった”女の子になれば、”ああ・・・・道のど真ん中で、お尻を突き出して、交尾されたい!!”なんてことを平気でおねだりするようになるのだ。無論、実際にはそんなプレイってのは出来なくて、それなりに妥協が生まれるんだけれども、それでも、まあ、出来る限りのギリギリのラインで露出してしまっている!!ってのが言えるのだろう。
そうなれば、ある意味、考えられるだけ出来るだけの露出ってのはしていることになる。そうなれば、そこである種の”デッドライン”に来てしまっている!!ってことが言えてしまうのだ。無論、露出だけが調教では無いから、他の調教プレイで、”目先を変えて・・・”ってのが言えてしまえるのかもしれないが、少なくとも、”露出”においては、”もうこれ以上は・・・”ってラインに行き着いてしまう!!ってのが言えてしまえるのだろう。
そうなれば、女の子は、オスに対して、より過激な調教を求めていくことになるんだけれども、こう言ってはなんだけれども、オスのほうは、そこに”ある種の限界”を感じてしまうのだ。そうなれば、その女の子に対して、”手が終えなくなる”状態になっていくことになるのだ。すると、”支配している感覚”ってのはその女の子には感じられなくなるのだから、その部分で”投げやり”になってしまうのである。
それで、”飽きた・・・”を言い訳にして、そこまで調教してしまった女の子を、オスは捨てることになるのだ。本当は”飽きた!!”のでは無くて、その女の子の”変態性に付き合いきれなくなった!!”ってことが言えてしまえるのだろう。そうなれば、輪姦や貸し出しで他の肉棒の味を覚えさせたりして、グダグダのままに見捨てていく状況が出来上がってしまうのだ。
だから、リアルでも調教済みの女の子で、ある一定以上の調教を受けた場合、大部分の女の子は、そうやって、輪姦や貸し出しで”公衆便器化”してしまう!!ってのがあって、この場合、”どんな肉棒でも快楽は得られる!!”ってことになってしまって、結局は飼い主との関係性を求めるのではなく、純粋に行為そのものとしてのセックスだけが目的になってしまっている女の子ってのが悲しい事に居てしまうのだ。
ごめんなさい・・・・
いつも通り、タイムアップです・・・・・
続きは次回になります、よろしくお願いします!!
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