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調教の本質

kage

2009/10/17 (Sat)

やっぱり、セックス前提の出会いであっても何度かそうやって交尾して食事してそれなりに無駄話なんかしたりすると、それにあわせて恋愛感情ってのが生まれてくるのは事実だ。確かにセックス前提での割り切った関係って部分は、心のどこかで意識しているのはあるのだけれども、それでもやっぱりちょっとだけでもそう言った恋愛気分になってしまう場合が結構ある。そう言った感情自体持つ事は悪い事ではないし、ある意味その関係の”健全化”が行なわれている過程での気分なのだから、関係を持続させる意味においては好ましい事ではないか?と思う事の方が大きい。

確かにドラスティックな意味でのSM,調教にはその関係ってのは性欲処理にあるのだから、そう言った”馴れ合い”の感情ってのは不要なのかもしれない。例えば、人妻なんかは、やっぱり性欲とは別に生活があって旦那が居てて、子供までいてる状態であれば、僕とのリアルでのセックスってのはその瞬間の快楽、性欲処理を求めて来ちゃう部分があるから・・・・そう言う意味ではネットでのチャエッチの延長である部分が否定出来なくて・・・そこにはその瞬間のプレイとしての主従関係を楽しむ部分があったとしても、当たり前ながら恋愛感情ってのが日常に影響するって感じで生まれる訳は無いのだ。

つまりは純粋に互いの性欲を満たし合うだけの関係だけとしても、ある種セックス前提の出会いは成り立つのである。これは人妻だけに限った事じゃなくて、彼氏がいたりして、恋愛よりも重要な仕事がそのメスにあったりしてって感じで恋愛以外の部分で、他の何かに精一杯になってる場合が当てはまると言って良いのかもしれない。ただそれでも性欲ってのはメスにでもあって、動物としての本能的な部分だから、解消したいって欲望がどうしても生まれて、恋愛とは切り離されて求めてしまうってのがそう言ったタイプではないだろうか?と感じるのである。

ただ実際的にはメスでそう言っていわゆる”セフレ”関係だけでとりあえずの性欲の満足があったとしても、その心のどこかで、形はどうであれ、恋愛関係を求める部分があるのだと僕は思う。確かに、セックスってのは恋愛以上に相性があって、セックスしたものの、どこか感じ切れなかったりして不満に思うってのがある場合があるだろう。それが普通の恋愛関係から出発してその結果としてのセックスであるならば、セックスでの不満が心のどこかにあったとしても、それ以外で”愛されてる・愛してる”実感がメスにはあるだろうから、その部分はとりあえずスルーされるだろう。

まあ、それなりにその関係が続いて年月が立って恋愛関係であるのが当たり前になってるマンネリ化してしまった状態でセックスに不満があった場合、メスでも純粋に快楽を求めて”浮気”してしまうって可能性は否定出来ないのであるのだけれども・・・それって言うのは恋愛での”好き”を前提としてセックスをしているのだから、その相性が悪くても、それを求めてしまうことはメスの本性としての”淫乱”性を相手にさらけ出す羞恥やセックステクニックが悪いとアカラサマに言えない相手に対する思いやりなんかで、セックスの相性の悪さを相手に”黙っている”って事の方が、メスの場合多いのではないだろうか?

逆に言えばオスの場合ってのはセックスってのは基本的にオス自身の性欲のままにメスを陵辱し、その蜜壷の中で精液を射精できれば、それなりに満足するって部分あるから、その身体に”飽きる”ってことはあっても、セックスの相性が悪いって感じ方は少ないだろう。確かにおっぱいの大きさや蜜壷の匂い、その具合なんかでなんらかの”もの足りなさ”を感じる事があっても、極端な話だけれども、その蜜壷の中に生で精液を直接射精できるチャンスがあれば、それだけでとりあえずの満足になるのだから、そのメスとのセックスってのは納得出来るものになってメスのように不満をアカラサマに蓄積する事は無いのである。少なくとも僕の場合はそうなのだ。

そしてそう言う意味においてはセックス前提の、快楽を重視した出会いってのはまずはメスの場合、当たり前ながらそのセックスに満足できるか?どうか?が最重要のテーマになるのは当たり前だろう。ネットで遊んでリアルで出会ってしちゃってるって言ってしまってるけれども、カミングアウトしてしまうが全てのメスを満足させているとは僕の場合は言えない。セックステクニックの問題で中には本当に1回こっきりで2度と逢わなくなってしまったメスだっている。ストレートに相性問題だと思いたいのだけれども、結局はそのメスを満足させることの出来るテクニックを持ち合わせていなかったと言えるのである。

ただそれでも、僕とのセックスに満足してくれて何度もリアルで逢っちゃうメスもいることも事実だ。確かにそのメスの中でも”とりあえずのセフレ”としての感覚で僕とのセックスを楽しむスタンスで関係を続けたメスだっているだろう。しかしそう言ったメスの大部分は”もっと調教されて忠誠を誓いたい、肉奴隷としての幸せを感じたい・・・”と思って、その蜜壷をさらけ出してくれてたんだと僕自身は信じたい。逆に言えば、そのように思わせるのが僕の調教方針である。僕との調教・交尾がメス自身の幸せで、僕だけのモノになるしか求めていた快楽を満たす事が出来ない・・・そう言って欲情してもらえるのが僕にとっては1番嬉しい関係となるのである。

そうなれば当たり前ながら関係が続いていくのだから、こちらから呼び出したり、メスのほうからおねだりがあったりして何度も何度も交尾していく事になる。そうなれば繰り返すようだけれども、単純にホテルに入って交尾するだけじゃなくて、デートっぽく遊びに行ったり食事をする時間なんかが増えてくる。中にはその娘自体の家にも行くようになって食事なんか作ってくれたりしてくれた事もあった。つまりは快楽の共有だけの関係ではなく、ある種の恋愛関係の中での充足が生まれるのは事実なのだ。

確かにそれでもその関係ってのはどこかやっぱり肉体関係であって、セックスしないってことは無いのだけれども、それでもそう言ったセックス以外の部分での関係を作り出していく行為ってのは重要なの事なのであると僕は思いたい。その事によってメスってのは性欲以外の部分でも満たされていくのだと思う。普通のって言い方も変だけれどもセックスしてしまって飽きれば終わりってオスもいるらしいのだけれども、それって言うのは射精の自己満足だけになっているのではないだろうか?と僕は思うのである。

調教ってのは確かにセックスの中でオスの性欲を満たすためにメスにそのことを教え込ませるのが重要なテーマになるのだけれども、それ以上に”飼い主のために・・・・”とメスに思わせ、飼い主としてオスはそのメスの趣味やそう言ったもののどこかまでも踏み込んで調教し、独占する事が重要なのだと思う。つまりはどんな時でも”飼い主のため・・・”と思わせることが調教の本質なのだ。これには当たり前なのだけれども、メスにもセックス以外の生活があってそこに踏み込む部分が出来てしまう事になるのだけれども、そこでメスに”踏み込みすぎ!!”と思われるのはマズいってのはあるだろう。

オスの束縛が”ウザく”思われるのであるならば、結局はそのメスの心はオスの支配から逃げ出す事になる。それでは調教は失敗であると言えるのである。”オスに束縛されて幸せ・・・”そんな風に思ってもらえるように調教していくことが重要であり、そのテクニックの追求ってのがある種サディストでありたいオスの永遠のテーマになり得るのである。

ただそれは本能的な部分でそうするのが理想であり、僕のようにアカラサマにテクニックとしてそれを考えてしまうのは、その部分でメスに”見透かされてる”部分を産んでしまうので、それは反省しなければならない。でも純粋に心の赴くままにそうやって調教できるってのが理想と判りながらも、どうしてもネットでの出会いって事でテクニックを考えてしまう自分自身が存在してしまう。

そう言う部分がある程度の付き合いになるとメスに嫌がられるのだと判っているのだけれども、考えれば考えるほどどこか不自然になってしまって、メスの気持ちに合わす事が出来なくなってしまうのだ結果言いたいことはセックス以上の調教をメスに求めることは、難しいのだけれどもそれが出来ない限りには、本当の調教になり得ないのである。そう言う意味では調教ってのは”テクニック”だけではないのだと言えるのである。

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