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絶頂だけのセックス
2009/03/27 (Fri)
女の子の中には、純粋にオスの性欲処理のためだけにその身体を使われたいって思う女の子がいるみたいだ。愛情なんかよりも純粋に性欲処理にだけ使われて犯されていくことを求めていく・・・惨めに呼び出されて交尾されるだけのその時だけの”肉便器”としての存在・・・。画像はF&C FC01:CanvasDVD ~セピア色のモチーフ~より
この画像は、ソフトハウス『F&C FC01』の作品の素材を使用しています。
これらの素材を他へ転載することを禁止します。
オスに求めることは所有でも愛でもなく、ただ純粋に性欲処理にだけ使われたい欲望・・・確かにオスでも肉棒から精液さえ射精できれば良いと割り切って交尾する感覚がある。はっきり言ってしまえば風俗や売春だ。肉棒から精液を射精すれば確かに気持ち良い。オナニーでも同じような会館があるかもしれないけど、具体的に異性の身体を便器にして出してるんだから、その分だけちょっとだけのマシな快楽。その場限りだけの肉体的な満足感。その娘が求めてるのはそれと同じ本質の肉体的快楽と考えれば良いのであろうか?単純にその蜜壷に肉棒を咥えて絶頂さえ感じられれば良い・・・そんな類のセックス。
確かに、オスがそのメスを犯して快楽を与えることによって関係をつなぎとめようとする感覚があるのはどこか間違いない。他の肉棒では感じられない快楽を与えてセックス中毒化させたい欲望・・・それがある意味オスにとっての理想のセックスであるかもしれない。もっと言えば愛する意味はそのメスにたしてどれだけ快楽を与えられるか?が焦点になる。
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ただ、その場合は繰り返しになるのだけれど、オスの意識化の中で快楽によって”つなぎとめたい”欲望がある。愛情の本質がオスの場合所有欲とするなら・・・いや、本質は所有欲なのだろう・・・メスに対してセックスの快楽における中毒化を求めることはある種の愛情表現なのだ。
しかし所有欲のないセックスもあるのだ。射精だけの目的の自己満足なセックス。つまりは自己完結してしまってる快楽なのだ。オナニーよりも興奮して自分だけがイってしまえばマズはOKなのだろう・・・。もっと言ってしまえばオナニーの延長線上のセックス、形式的な肉体的な交尾である。それはある意味、始末に負えないところがある。簡単に言えば実際”セックス”してるのだからオナニーよりも高級でメスを犯したことには間違いないのだから、形式的・肉体的には”健全”な形での射精だろう・・・セックスしてるのだから、オナニーなんかよりも・・・・。でもその精神性はオナニーと一緒だから、それに気付かないことがオスの悲しい部分だろう。
ヴァーチャルな恋愛、特に出会い系なんかはリアルでのセックス前提の恋愛だとはっきり言ってしまっても良いだろう。オスもメスも性欲があってオナニーなんかよりも”健全”に形式的に快楽を共有したい目的で一致してるのだから、脅迫や金銭のやり取りなんかの犯罪性が無ければ何も問題は無い。(妊娠や性病などの2次的な問題はあったとしても・・・だ、それは普通の日常でのセックスでも起こりうる”リスク”である。)
僕もそうやって何人も逢ってるしセックスもしちゃってる。その場合、確かに1度きりの出会いもあったけれど、それを前提でのセックスもあったけれど・・・それでもそのメスを抱いてるときは”今だけでも飼い主になりたい、なっている”と言う思いで抱きしめていたし、”なりたい、なってやる”と犯していったつもりだ。そこにはオスとしてメスに対する所有欲があってそれが愛情だと言いきれる自信があったし、今でもこれからでもそうやってメスを求めていきたいし、いくであろう。
でも、女性でセックスに対して所有されることを求めずに快楽だけを求められるのだけは辛いものがある。彼女たちは生きたバイブレーターが欲しいのだろうか?あまりにもそれだけを求めているのであるならたまらなく寂しいことである。動物的欲求に素直すぎるのは悪くないことだと思うのだけれど、1度限りのセックスでも偽りでも・・・恋を求めて欲しいと思うこと自体がオスの軟弱さなのかもしれない。それでもやっぱり女の子に対してはきちんと愛していきたいと思うのだ。
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