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女の子の表情
2009/04/09 (Thu)
よくTVのバラエティなんかで可愛いアイドルが元気に笑って大声で話している姿を観ることがある。その表情は確かにTVなんだから”前に出よう”として誇張された部分も感じるのだけれど、派手に変化するその表情はただ微笑むだけのお人形さんのような女の子のそれよりも魅力的に見える。画像はHEAT-SOFT:みこみこランブルより
この画像は、ソフトハウス『HEAT-SOFT』の作品の素材を使用しています。
これらの素材を他へ転載することを禁止します。
それと同じことで普通の女の子でも微笑み、笑い、怒り、泣き、困り・・・様々な表情を見せてくれるとオスはたまらなくその娘を愛しく感じる。特にオスの意地悪に困る女の子の表情はたまらなくオスの嗜虐感を刺激する。そしてそうやって変わっていく表情のなかにそのオスにだけしか見せない表情がだんだんとその娘に生まれていくことがある。それはメスを伴う微笑であったりオスを受け入れた困り顔であったりして、オスからすればその娘に対する所有感を実感するものである。
そしてそれは調教の時なんかでもオスを誘うメスの魅力になる。なぜならばオスはメスに対する愛撫を当たり前ながらメスがどんなふうに受け取っているか?知りたいのだ。飼い主としてそのメスを求め愛撫を行い、メスがそれに感じていることを実感することによってその所有欲を満たしていくためである。そうなればメスの気持ちが1番判るその表情の変化にオスが敏感になるのは当たり前である。
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もし調教のとき、メスの表情の変化を楽しむことが出来ないオスがいるのであるなら、オス自身のことで精一杯になってメスを楽しむ余裕が無いのだろうと僕は思う。それではオス自身の快楽だけを優先することになってメスの快楽を置いてけぼりにすることになって、本当の調教にはならない。調教のひとつの側面はその快楽の虜にすることによってメスを束縛し他のオスに奪わせないことの部分もあるのだ。メスがその調教に満足できなかったのであるなら比較として他のオスに逃げ出す可能性を高めることになる。それでは調教の意味が無いのだ。
そして調教によるその娘の快楽に溺れる表情はそのメスの素顔なのだ。隠すことも出来ない、演じることも出来ない本当の素顔・・・・それがその瞬間の表情なのである。ただ、そのオスとのセックスの相性があわなくて快楽を演じるメスがいるのは事実である。その見極めをおこない、本当の素顔をさらけ出させることが本質的な愛情だと僕は思う。そういう意味では調教はメスに対する奉仕なのだ。SMの表現方法はサディストがその欲望のままにメスを玩具にするのだけれどいかに感じさせるか?を考えながら行う意味においてはメスのマゾ性を引き出すサービスと言えるのかもしれない。
それに調教が終わった後の恍惚としたメスの表情はオスから観ればそこまで犯しつくした証拠と感じる。メスを調教の結果の作品として感じ、そうやってさらけ出させたメスの表情はどこか満たされてるようで一種の安心感を伴った悦びの表情だからこそ、オスはそんな表情を見せてもらえるとその娘をより悦ばせようと思うことが出来る。他のオスには作り上げることができなかったであろう快楽に満たされたメスの表情はとても愛しく思えるからだ。そこにはやはりオスの”自分だけのもの”と思える独占欲の充実がある。その娘をメスとして扱い束縛し所有することによってオスは、そのメスに対してどこか満足していくのが当たり前だからである。
メスの表情はオスに満足を与え不安を与えそして喜びを与えるものだ。だから表情の豊かな娘ほどオスにとって魅力的なのだ。そういう意味ではメスの魅力はそのキャラクターに依存する。見た目の魅力も否定しない。でもしかし笑うことが苦手な娘であっても微笑んで欲しいのだ、困って欲しいのだ、怒って欲しいのだ、泣いて欲しいのだ・・・それが本質的なその娘の魅力につながっていくと僕には思える。
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