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続・マゾ娘の種別
2009/04/14 (Tue)
前回、続きからです・・・・そんな娘は”こんなに汚れてもまだセックスしてもらえる安心感”なんかを求めてるような気がする。だからすべての性体験をカミングアウトして、それでも快楽を求めようとする。男性に受け入れてもらうことを求めて・・・その方法がセックスでしかないことしか選ぶことが出来ずに・・・・そして肉棒を求める。つまりはオスの強い性欲を受け入れることでしか、愛情を感じられなくなる娘だ。その娘の心の中の”不安さ”が大胆な行動をさせるのだから、変態プレイに躊躇が無くなる、
画像はGuilty:新妻と誘拐犯 ~寝取り孕ませ計画~ より
この画像は[ Guilty ] 製品の画像素材を引用しています。これらの素材を他へ転載することを禁じます。(C)2008 北都凛/Will/Guilty+
躊躇の無い変態セックスは所有とはかけ離れていくのだから、愛情が無くなっていく。なぜなら、オスの性欲以上にメスの変態性が現れるのなら、オスの支配からメスはその変態性の部分だけ飛び出していくことを意味する。もっとはっきり言ってしまえば、オスはそのメスに対して変態過ぎて”引く”状態になる。そこには完全な束縛がない。そうなれば射精するだけの道具としてしかその娘の意味は無くなる。それではその娘にとってセックスは救いのない行為となるしかない。
繰り返しになるのだけれど、セックスはオスにとってそのメスを”所有”する手段なのだ。快楽を仲介にしてそのメスにオスの存在を受け入れさせていく・・・その意味が大切なのだ。所有するからこそ、オスはその娘を真剣に愛することができるし大切にも思える。言うなれば”自分だけのモノ”の気持ちが大切なのだ。
その場合はやっぱりオスはメスに無理しなくても愛されることを教えてあげる必要がある。どんな性体験を経験しても受け入れられることをそのメスにオスは教える必要がある。結局はどんなメスであってもオスはいかにそのメスを受け入れ束縛できるか?がポイントになるのかもしれない。
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そして精神的マゾ娘なのだけれど、それは飼い主の存在を精神的な支柱とするタイプだ。たとえばホストなんかに貢ぐ女性なんかが判り易いのかもしれない。つまり束縛を求めオスのために尽くすことで悦びを求めるのであって、調教の手法はあまり意味が無いパターンだ。だからはっきり言ってしまえば、オスの命令の”激しさ”を愛情とするため、オスの甘えを受け入れることで愛していることをそのメスは実感するのだろう。だから命令の内容が屈辱的で理性の抵抗が大きいものほどその実感は大きくなる。
だから、そんなメスはどんなオスの性癖であっても受け入れることが悦びなのだからどんなプレイでも羞恥や理性的抵抗があっても最終的には受け入れてしまう。その飼い主のためだけにその娘はマゾとして淫らになるのだ。そうなればオスはメスの愛情を試すように調教していくことになる。オスとしてはその娘は理想のメス豚となる。自分だけのためだけに尽くすのだから、オスの所有欲は完全に満たされていく。つまりはそれが理想のマゾだと僕は思える。
ただどちらにしろ、出会った限りにはオスはそのメスをいかに束縛していくか?愛していくか?が重要になる。確かに性欲前提の出会いもあるかもしれないけれど、その瞬間だけでもその娘を束縛し愛していく必要がオスにはあると思う。いやそれが義務なのかもしれない。
オスの愛し方でメスの性癖であったり性格は変化する。抱きしめた限りにはオスとしての理想のメスに相手を調教していく・・・それが本当の調教であり、そのためには所有が必要になりそれはメスに対する愛情表現になる。愛するからセックスするってよりもセックスして所有したからこそ愛情が始まるって考えるほうが判りやすいのではないだろうか?その身体を通じてしかメスのココロは犯すことは出来ない。犯す限りには自分だけのものにするのだから、大切にして調教していくのが僕にとっての1番の理想であると思っている。
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