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kage

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肉体への落書き

kage

2009/05/06 (Wed)

女の子を犯す意味って言うほどでもないんだけど、実際無意識の中でオスがそれによって求めるものってのは女の子の独占だと僕は思ってる。口説いてデートしてキスして・・・そしてセックスセックスするまではどこか普通に彼氏彼女の関係になったと言っても不安で、犯すことによってそのメスが”自分だけのモノ”になったような気がする。メスからすればセックスだけでメスの全てをオスが手に入れたように思えるのは間違った感覚かもしれないけれど、僕の場合はそうなのだ。

女体への落書き
画像はエスクード英雄×魔王より
この画像は、ソフトハウス『エスクード』の作品の素材を使用しています。
これらの素材を他へ転載することを禁止します。
(c)エスクード




なぜならそのメスを”犯す”ってことは精液によってその娘を汚し独占していく行為なのだ。他の誰でもない自分自身の精液によってその身体中を真っ白に染め上げ精液の匂いを染み込ませて他のオスが”汚くて”触れないほどにグチョグチョに汚していくことである。オスってのはそのメスの身体に別のオス精液が残っていることを意識してしまうとそのメスの性的魅力はどこか”ひく”部分が生まれるし、そんな蜜壷を丁寧に舐めようとは思わなくなる。

確かに過去のオスに対する”嫉妬”がある分、それ以上に犯して染め上げ直していく欲求があるのだけれど、その匂いがきつければ・・・その娘に対する恋心ってのは冷めてしまう。だからこそ逆に犯しまくって他のオスに盗られないようにそのメスを陵辱していくのだ。少なくとも僕の場合はそうである。
だからこそ、セックスをすることによってその娘を自分自身のモノに出来ると思うからこそ、セックス前提の恋愛はありうると僕は考えるのだ。


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そして具体的には・・・ってことになるのだけれど、簡単に言えばその娘をメスとして犯しまくるのだから、その身体にも顔にも、もちろん密壷にも何発も何発も自身の精液を大量に射精してその娘を真っ白に汚し尽くしていくことになる。メスもそうやってオスの精液を浴びまくることによって、だれがメス自身の所有者であるか?飼い主であるか?自覚していくことになる。つまりは汚すことがそのメスに対する束縛・・・調教につながっていく。

そう考えればメスを”汚していく”行為が調教につながり束縛になり独占となっていく感覚が出来上がるのはなんとなく判ってもらえるだろう。そこで女体に対する”落書き”プレイになるのだけれど、精液ってのはオスのセックスの象徴と言えるのだけれど、それ以外によってメスの身体を汚すことによってそれは精液の代わりとなり得てメスを束縛する手段になる。



そもそも僕自身の一方的な感覚だけれど、メスは”汚されていくこと”に対して敏感に反応していくのだと思う。何もセックスでの汚れだけではなく日常にあっても”汚い”ことを行うことには抵抗があるはずなのだ。それはメス自身の”美しさ”を汚すことは自身の価値をおとしめる事になることに本能的に気付いてるのだと思うからである。そのメスが綺麗であればあるほどオスはその美しさに魅かれて集まりそのメス自身の美しさにひざまづくことになるからなのだ。そのことをメスは本能的に気付いていると僕は思っている。

だからこそその身体を陵辱されることはメスにとって羞恥を呼び起こし、汚れていく感覚においてそのオスに対する抵抗の無意味さを意識しその交換的な感覚としてその汚したオスに対する従属を求めるようになる。それがメスのセックスに対する本質であると思う。だから”汚れる”ことに慣れすぎるとその感覚が麻痺しオスの束縛に対する絶対性が信頼できなくなり、究極的には肉体的なセックス中毒になってしまうのだろう・・・。



つまりはそれだけ”汚される”ことに敏感なメスに対するその身体への落書きはメスに対する調教になりえるのだ。特にマジックなんかでの落書きは具体的にその身体に視覚として”汚れ”をそのメスに意識させることが出来るからこそ、より”汚されていく”ことをメス自身に感じさせ奴隷であること自覚させる手段になる。

だからこそオスは落書きをすることによる自己満足で終わらずに鏡なんかでその落書きされた身体をメス自身に見せさせ、”汚れ”を完全に認識させていくことに意味があるのだ。それによってメスはオスに”汚された”ことを自覚しそのことによってオスへの忠誠を誓うことを意識させることが出来ると僕は思っている。



そしてその汚し方なのだけれど”肉便器”であるとか”肉棒好き”であるとかのメスとしての評価を書き込むことによってその娘自身にメスであることを自覚させよりそのオスのために淫靡になることがメスとしての肉体的な快楽とそのオスに対する従属性・・・つまりはオスに対する愛情を産むになっていくことになる。

どんなにオスがメスを陵辱しても肉滝的快楽のみを与え、メス自身にその淫靡性を自覚させない限りにはセックスによる束縛はありえない。そのオスのために快楽を与えられそれだけ淫靡になってることをメス自身が自覚して初めてそのメスはオスのためにより積極的に淫らになっていくことを受け入れ、その積極性がオスの対する忠誠となるのは本当はみんな、どんなメスでも気付いているはずだ。



だからこそメスに対するその肉体への落書きは調教になり得る。ある意味緊縛なんかよりもその娘を激しく束縛し陵辱していくことにつながるのだ。なぜなら緊縛なんかよりもそのメスの精神的なものに訴えそれが肉体的な興奮に変わっていくことをそのメスに教えていくことが出来るからだ。逆に言えば落書きプレイはそれだけメスの精神を追い込むことになるのだから、ある種のトラウマを作り上げていくことにオスは気付きそのメスに対して独占を意識させない限りにはその娘を傷つけるだけのプレイになり得る可能性もあるので、より信頼関係などを考えて行うのが良いと僕は思うのだ。

どんなにオスとしてその娘に欲望があったとしてもその娘自体が、そのオスのためだけにメスにならない限りには、その調教はメスにオスのエゴを押し付けてるだけであり、メスを玩具にして傷つけるだけになるからである。その娘を調教し愛していくのはその過程に対する性急性よりも内容を充実させた愛情表現だと思って大切に育てていくのが重要だと僕は思っている。


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