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言葉責めの魔術
2009/05/23 (Sat)
ネットに遊びに来る女の子のほとんどは、多かれ少なかれどこか調教なんかのアブノーマルなエッチに興味があって来ちゃってるような気がする。彼氏や旦那が居ても、どこかその性欲が我慢出来なくなってその性欲のままに想像して求めてくるような気がする。つまりははっきり言えば調教に興味ある娘がほとんどなのだと思う。画像はサイク:同人誌即売会をやろう!より
この画像は、ソフトハウス『サイク』の作品の素材を使用しています。
これらの素材を他へ転載することを禁止します。
(c)Cyc
ただリアルでの経験済みで忘れられない・・・ってパターンでなく、なんとなく興味あって想像してみたいってパターンで、だからこそ痛いのや汚いのは抵抗があって、でもその入り口ぐらいはやっぱり体験してみたいって感じの出会いも結構あることは事実なのだ。つまりは処女はともかく、初体験を済んでしまうとメスのその性に対する興味は方法論、調教に変化していくような気がする。
オスの場合と違って、様々なメスをどれだけ犯していくのではなくて、どんな交尾を経験していくか?を重要視するようになっていくのだろう。極端な話、理想の興味のあるセックスを経験できるオスをメスはネットで探しているのであって、オスの性欲のようにヤラせてくれれば、だれでもOKの”ノリ”ではないのだ。
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そうなれば、リアルで求める調教の内容はそのメスごとに具体的に異なっていくのだけれども、調教未体験のメスは当たり前ながら、そんな出逢いに躊躇してしまう。確かに素性のわからないオスと交尾すること自体に抵抗をもつ感覚もそのメスにはあるのだけれども、その調教の内容にも、どこか不安を持つ場合があることを良く聞くのだ。はっきり言ってしまえば、いつかは経験してみたいのだけれども、痛いのや汚いのはNG・・・でもその交尾が調教であって欲しい・・・そんなある種、矛盾を持つ要求があるのが多い様な気がする。
その気持ちは、それなりに経験してる僕にもなんとなく判るのは本音にある。身体を苛めることは痛みを伴い、それはどこか恐怖であるし、交尾で必要以上に汚れていくことは生理的な抵抗を生む・・・・でも、それは調教の方法論とある意味、矛盾を含んでいるのだ。なぜなら調教の本質はその娘の身体を通じてそのココロまで犯し陵辱し従属させていくことになる。従属は束縛であり被独占を強いることだから、そうなればその身体に対する調教はある種の強引さを伴い、強引さは恐怖感を伴うものだから、それに関するプレイはNGだと言えるのだ。
それでも結果的には、簡単な緊縛や目隠し、強制奉仕などの方法でのライトな部分での調教はしてしまうのだけれども・・・・いきなり何も知らない娘にヘビーな調教はこちらとしてもマズいと思うし、段階を踏んでからこそ本当の調教になり得ると思うからこそ、最初はそれで良いと僕自身も思う部分はあるのだけれども・・・・。
ただ、それでもNGな娘に関しては”言葉責め”をする場合がある。いや、普通に調教を楽しんでいても言葉責めをしてしまう。なぜなら言葉は直接的な快楽を相手に刺激として与えることは出来ないのだけれども、その娘の心に”調教されている現実”を伝えることが出来るからだ。どんなふうに今、その娘自身が僕に汚され、犯されているか?を伝えることによって調教をその身体に意識することになる。
逆に言えば、どんな緊縛をしても肉体的な責めを行っても・・・その娘が調教されて束縛されていると言う意識が無ければ、その交尾は調教になりえない。あくまでも必要なのはオスの性欲処理のためにその身体を使われ、独占されていってる屈伏感と快楽・・・飼われていくメスである悦びなんかをその身体に刻み込んでいくことが調教の本質である。
つまりは言葉はそれを意識することを強制させる手段になり得る。その娘がどんな状況になってるか?を客観的なイメージで意識させ、その姿は1匹のマゾ豚であることを思い知らせていくのだ。それによって普通の愛撫であっても、犯されていくことで惨めに感じていくことをその娘の心にさえも刻み込んでいくことになる。それだけ言葉は調教の一つの手段に成り得ると僕は考えている。
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業務報告?うーん・・・今日もやっぱりサボり気味≪ | HOME | ≫言葉責めの魔術_はるかの卑猥な喘ぎ声
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