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kage

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花言葉

kage

2010/05/15 (Sat)

続きです。


ある意味、SMってのはその延長なのである。そう言えばなんとなく誰にだって理解できるのではないだろうか?と僕は思うのである。つまりオスはそのメスに羞恥や苦痛を与える事を受け入れさせる事で、そのメスが自分だけのものである特別な存在であることを実感するのである。

なぜなら、普通は出来ない事をそのメスに”オス”として受け入れさせるのだから、そのオスメスにとって特別な存在になるからである。受け入れさせる事で、そのオスのためだけ・・・って気持ちをメスに持たせたいってのがあるからなのだ。つまりはそのメスの特別な存在になりたいのであるのだ。

確かに単純にセックスするだけでも、メスはそのオスを選んで受け入れるのだから、どこかオスとして単純にそのメスを”モノにした!!”と意識が生まれるのは間違いないだろう。そういう意味では恋愛の過程としてのセックスってのはオスにとってゴールになり得るのである。





ただ単純に恋愛して、その相手と好きだと言い合っても、やっぱりそこには”証拠”がないから不安で、その具体的な愛情の象徴としてのセックスがある。ある意味、ものすごく”健全”な恋愛の流れではないだろうか?だからそういう意味において、僕はプラトニックな恋愛ってものを信じた事はないし、純愛の中にセックスの概念を含めようとしない”健全”な道徳論は、”うすっぺら”に感じてしまうのである。

しかしSMはそれだけでは満足できなくて・・・って気持ちがあってする場合が多い。これもハッキリ言ってしまえばミもフタも無いんだけれども、どんなに恋愛をした結果のセックスであっても、結局は過去にその娘は別の相手ともセックスしているのであって、そのセックスが確実な束縛の象徴にはならないってことを意味するのである。

確かに中には”処女を捧げて永遠の愛情を誓う”的なパターンもあるけれども、ある一定の年齢になれば、男女共に恋愛の1つや2つはしているから、処女であるって事は少ないのが実質ではないだろうか?非処女である事自体が、その女の子に対して、受け入れられない原因にはならないのだけれども、そこには何らかの嫉妬があってもオスとして不思議ではないのである。





そしてそうなれば、セックス以上のより何らかの独占を相手に求めていきたくなるのがオスなのである。オスの愛情ってのは極端な話、そのメスを如何に”自分だけのモノ”にするか?がテーマであって、究極的にそのメスを愛しているか?どうか?はそのメスを自分だけのものにして独占したいか?どうか?だけの判断である。

つまり興味の無いメスが他のオスとセックスしてようがどうしようが、その相手には愛情は無いのだから、嫉妬も沸かず、”ふーん”で終わってしまうだろう。しかし、何らかの愛情を感じるメスが他のオスとのセックスがあったとすれば、独占できていない現状に嘆き、嫉妬してしまうのが本音であるはずだ。(まあ、そこでそのメスを諦めるか?諦めないのか?が分岐点になるのは間違いないのだけれども・・・)

ただ逆に言えば、好きなメスとはセックスしたいって思っても当たり前なのである。なら性欲のみのセックスってのはそんな恋愛感情が無いのだから、不純であるとある意味、言えるのかもしれない。しかし逆に言えば、セックス前提でそのメスを手に入れて、手に入れた限りには自分のもので、自分のものだからこそ、愛していくって論法もあるのではないだろうか?





僕なんかはリアルで逢ってセックスする時、そのメスを本当に自分のものにしたくてセックスする、するようにしている。つまり犯す限りにはそのメスを愛していくのである。だから1度限りでは寂しいし、もしかしたら結婚なんかもあり得ると思って犯して自分だけのものにしていくのである。

確かに最近は特に人妻中心がその相手になって、どうしても”終わりのある”恋愛なのかもしれないけれども、その時間だけは恋人のように振舞い合うのが幸せであると思うのである。つまりはセックス前提でセフレの関係なのかもしれないけれども、単純に肉体的な快楽だけでなく・・・確かにその快楽があるのが前提であるのは否定しないが・・・・そう言った精神性のものもパッケージで楽しむのである。

話は元に戻るのだけれども、なぜそこでSMになるのか?ってことなのだけれども、つまりはセックス以上のものをそのメスに受け入れさせる事によって、より自分の中にある独占欲を満たしたいって気持ちになるのである。つまりはSMってのはある意味、オスの独占欲の象徴である。だから変な話、SMにハマるオスほど嫉妬心ってのは普通のオスよりも強いのではないだろうか?





つまりはノーマルなセックスよりもSMのほうがある意味、相手に対する独占欲があるのである。だから極端な話、僕にとっては”1度限りのSM”ってのはありえないのである。メスを”飼う”ことによって独占し、そのメスの忠誠を求める事によってプレイとしてそれは成り立つからなのである。逆に言えばSMプレイってのはそのメスを自分だけのものにしたいからこそ行うプレイであるのだ。

確かにSMには変態プレイの興奮もあるのだけれどもそれだけを追求する事だけがSMではないのだ。メスに知っておいて欲しいのは、そのプレイで”何が犯されているか?”なのである。確かにメスの身体ってのはオスにとって性欲を満たしていくものであって肉体的な刺激を求めて、その結果、射精する事が重要なのであるけれども、僕自身は如何にそのメスの気持ちまで犯すことが出来るか?ってことを考えてしてしまっている。

プレイのテクニックによる肉体的快楽ってのも重要なのは認めるし、それが無ければ意味が無いのは判っているのだけれども、それ以上に精神的な独占を求めてセックスを求めるオスが居ることもメスには知って欲しいと僕は思うし、つまりはセックス前提の関係であってもそこには愛情がある可能性を否定して欲しくは無いのである。そのオスが何を求めてメスとセックスしたいのか?ってことに気付いて受け入れてくれるメスの存在が1番、僕にとってはうれしい損愛なのであるのだ。

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