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続・タトゥーの意味
2012/03/28 (Wed)
昨日の続きです!!よろしくお願いします!!
そう考えれば、”タトゥー”を入れる意味合いってのは、そう言った覚悟を表すものって事になるのだろう。しかしながら、ここで考えて欲しいのは、確かに先ほど書いたように映画でのイレズミシーンってのは、その覚悟を感じさせる部分があって、確かに変な感動や格好良さを感じさせる部分はあるのは否定しないんだけれども、そこには、なんて言うか、その女性キャラなんかの悲壮感や、ダークサイドに落ちて戻れない悲しい覚悟ってのを感じるからこそだと思えるのだ。
つまりは原則的にイレズミってのは1度入れた限りには決して消えないものである!!ってのが根底にあって、それを入れてでも覚悟を見せるってのがあって、その部分では今回肯定派のタレントが主張する”思い入れ”につながっていく部分があるのだろう。だから、単純に”ファッションだけで入れてしまった!!”って言う場合以外の”タトゥー”の存在もある意味、僕自身は否定はしないのだ。
画像はWAFFLE:団地妻となう。より
この画像は、ソフトハウス『WAFFLE』の作品の素材を使用しています。
これらの素材を他へ転載することを禁止します。
しかしながら、それで言いのだろうか?って思えるのだ。確かに何かの拍子に好きな男性の名前をタトゥーにしたりして身体に残すってのはある種の覚悟のPRになるのは否定しない。でもしかし、アカラサマなことを言ってしまえば、その感情はいつかは変わる可能性があるのだ。極端な話、すっごく大恋愛をして結婚して・・・ってのがあったとしても、40代・50代になれば、生活があって、格好の良い人生送れているか?どうか?なんて判らなくて、そこにあるのは最初の恋愛感情ではなくて、結婚してしまった!!って言うだけの共同体の感覚だけなのかもしれない。そう考えればタトゥーと一緒でその気持ちってのはどこか色あせてしまうのだ。
無論、一生、かかっても成し遂げなければならない恨みや想いがあって、その覚悟としての”イレズミ”があるのかもしれない。そういう意味では、絶対的にはイレズミの存在を否定する事は出来ないと思うのだけれども、問題はそこまでの”覚悟”があってのイレズミなのか?どうなのか?って部分なのだろう。
それにハッキリ言ってしまえば、どんなにその人にとって、そのイレズミが大きな覚悟の証であっても、周りからすれば、感覚の相違があって、そういう風に思われない!!って事実があるのだろう。特にファッションとしての安易なイレズミも存在してしまっているのは事実としてあって、そうなれば、第三者の他人からすれば、その違いがどこにあるのか?判らないのが事実なのである。そういう意味では、周りから100%その意味合いを認められる!!って訳ではないって事も気付くべきことなのだろう。
そして、確かに普通じゃ見えない部分・・・例えば足の甲であるとか・・・に入れれば、周りに判らないのだから、問題は無い!!って考えもあるだろう。もちろん、プールや温泉なんかで完全にマッパダカになる場合は見えてしまって、そう言ったところはイレズミ・タトゥーNG!!になっている場合が多くて、もっと言ってしまえば、敢えてタトゥーを入れた場合、自主的に、そう言った場所へ行く事を回避してごまかす!!って事も言えるのかもしれない。
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そういう意味じゃ他人に見えないところなんだから・・・って論法もあるのかもしれない。しかしながら、タトゥーが見つかって、ウワサになってしまう可能性もあるのだ。タトゥー自体がヤクザのイレズミと区別が付かない側面があるから結局はそこからマイナスイメージになる場合もあって、そう言った意味合いで、100%隠しきれる可能性ってのは絶対的でないことも気づくべきであって、タトゥーがあるか?どうか?のそれだけである種の人間的評価が決まってしまう部分もあることを、入れる場合は覚悟を決める必要があるのだろう。
それに何かの表皮に良く聞く話が、”その時に付き合っていた男性に進められて・・・”って事なのである。確かにオスってのは女の子に対して”自分自身の所有物にしたい!!”って、エゴイスティックな部分があるのは否定しない。僕がセックスにおいてノーマルなセックスよりもアブノーマルなプレイをしてしまうのは、どこかそう言った”自分だけのモノにしたい!!”って言う欲望がそうさせているのは自覚はある。だから、女の子の人格を無視する発言になるんだけれども、”モノにする”って表現ってのはオスとしてそのメスを独占したい!!って気持ちがあって、ある意味、愛情ってのはその女の子をどれだけ独占したいか?ってことなのだろう。
例えば、すっごく綺麗で可愛い女の子が居たとする。その女の子は実は淫乱でセフレなんかとセックスしまくっている!!って話をうわさなんかで聞いたりすると仮定する。この場合、極端な話、オスとして二つの感情が生まれるのではないだろうか?簡単に言えば”僕も参加して、あの女のことならセックスしたい!!ヤラせてもらえるのかなあ?”って感じでAVを観る延長の感情と、”嫉妬する!!こんなにも僕だけのモノにしたいのに・・・・”のどちらかではないだろうか?そう考えれば、つまりはオスの愛情ってのは独占欲が根本であるって言えるのではないだろうか?相手がどのように思うか?よりも独占したい!!って気持ちがオスの愛情なのだろう。
そこから考えれば、どのようにその女の子を独占するか?って事になるだろう。動物的な本能としての独占ってのは究極的には”犯して子供を産ませる!!”ってのがあるのだろう。だからこそ”好きな女の子とセックスしたい!!恋愛感情のある種のゴールにセックスがある”ってのは、そう言った本能的な部分だと思えるのだ。
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ただ、処女の女の子を犯すのであれば、ある意味、その部分ってのは”犯す”行為で満足できるのかもしれない。しかし、実際的に何人かのオスとセックスしている女の子ってのは、セックスで独占しきれない部分が既に前提としてあるって感じる部分もあるのだ。だからこそ、方法論として、それまで以上の快楽をその女の子に与えて・・・って考えてしまうのが僕であって、その方法論としての調教であるのは事実としてあるのは否定できないのだ。
そして、オスの中には”犯して自分のモノにした限りには、その女の子に対して何をしてもよい!!”って意識になるオスも居るだろう。僕だってその部分がどこかしらあるのは否定しない。女の子の愛情を試すって言うか、自分自身の思い通りにして、その結果によって”自分のモノだからそうさせている!!”って部分に自己満足に浸りたい!!ってある種の甘えがあるのは事実なのである。
特にセックス前提の出会いで、僕自身がマゾ系の女の子と出会っているからかもしれないんだけれども、どこかその女の子もそう言ったオスのワガママを受け入れる事で、愛されている事を実感してなおかつ、それに応える事で、女の子からの愛情をアピールしている部分があるって感じる場合も結構あるのだ。そういう意味ではオスの所有欲ってのはある種の共存感覚でメスに対する甘えとメスのそう言ったある種の母性本能の中で成立してしまう!!ってのが言えるのだろう。
タイムアップです。
やっぱり明日に続きます。
ごめんなさい。
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