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花言葉

kage

2010/05/02 (Sun)

本日の花”ライラック
花言葉”未知への興味”

ある程度の年齢になると・・・それなりに個人ごとに違うのだけれども・・・学校なんかで”セックス”が話題になるのは、まあ、当然の流れであると言える。誰だっていつの頃からか性欲が生まれて、そんな話を興味半分で聞いて、親に隠れてアダルトDVDや週刊誌のエッチネタに興奮し、オナニーだってするようになる。

中にはそれなりのチャンスに恵まれて、制服時代にセックスを経験してしまったヒトだっているんではないだろうか?もしかしたら、その方が多いのかもしれない。そんな状況の中である種の一部の知識人や教師ってのは、思春期の性欲を否定するようになる。”中学生・高校生じゃセックスはまだ早い、アダルトの知識は不要!!”って論法だ。

確かにある側面、その論法は正しい部分を突いているのは間違いない。ただ、その大人たちが理想としているのは天使のような性にマミれていない純粋な青少年であり、”理想ってのは、なし得ることが出来ないから理想なんだなあ・・・”と僕のような汚れた人間は思ってしまう時がある。





実際、これほどインターネットが普及し、ファッション誌なんかの特集でさえもセックスが取り上げられる状況で、中高生のほとんどがセックスに対して何の予備知識も持たないってことは無いだろう。馬鹿正直にそんなものを親に言われたまま否定する優等生はある意味、存在しないはずなのだ。

キスするだけで妊娠する”なんて思っている”中高生”の存在は、もう幻想のはずだ。つまりは実生活の中でセックスの様々な情報が飛び交い、ある種の疑似体験化が出来るような状況であることは、誰しも気付いているだろう。そしてその情報の流出・・・こんな書き方をすればエラそうであるけれども、結局はエロの知識である・・・は1度でもその洗礼を受けてしまえば、誰しも知り得る情報になり、その規制の意味は無くなってしまう。

それなのに、現実を理解できない知識人はインターネットのフィルター規制やアダルト関係の販売規制、セックス表現の規制まで、様々な情報規制を行って、未成年のセックスに対する情報規制を掛けていこうとしているのである。確かにセックス情報を完全に規制すれば、それなりの効果はあるのかもしれない。





しかし”実際的にどれほど効果があるか?”はかなり疑わしいんじゃないだろうか?規制をやる・やらないのどちらにしろ、ここまでインターネットが生活の一部になり、携帯でもそれなりに簡単にアクセスできる状況になれば、それだけでも簡単にそんな情報は誰でも手に入る。そうでなくても、スポーツ新聞やそれなりの週刊誌さえあれば、行政が考えているアダルト情報以上の情報が簡単に掲載されているのだ。

単純にセックステクニックや性器画像の規制をすれば、未成年のセックスに対する乱れは防げると考えるのは、難しいのではないだろうか?そう言った情報よりも結局は風俗の情報であるとか売春の情報、その他様々なシチュエーションに対する情報の方が悪意があるのではないだろうか?

単純に言えば、いわゆるエロゲやエロ本なんかの性表現よりも、週刊誌なんかに載っている性関連の情報のほうが、具体性があって、性犯罪を刺激するものが多いような気がする。もっと言ってしまえば、アダルトゲームで性犯罪を考えるよりも、そんな週刊誌の具体的な情報のほうがその部分を刺激するのではないだろうか?





変な言い方かもしれないのだけれども、確かにそのセックスの対する猟奇性や変態性ってのはアダルトゲームやエロ漫画のほうが雑誌なんかと比べると激しいだろう。それに感化されて性犯罪を起こす可能性は否定できない。しかしそれよりも週刊誌なんかに書かれた安易な性関連の記事のほうが具体性があって、性犯罪を刺激するような気がするのである。

漫画やゲームなんかは、どこか醒めた目線で楽しんでいる場合が多いような気がするのであるのだけれども、週刊誌などの性関連の記事なんかは、妙に具体性を意識させて、”もしかしたら・・・”を刺激するような気がするのだ。つまりは安易に、今まで無かった・・・知識人として考えられている年代の時は無かったと言った方がより正しいかもしれない・・そんな新規メディアの情報を遮断する事で、若年層の性知識のレベルをコントロールしようとするのは難しいんじゃないだろうか?

実際、今の40代前半の年代の時は、確かにエロアニメもアダルトゲームも無かったかもしれないのだけれども、それなりに性風俗の乱れってのは問題になっていたはずだ。結局、ここで言いたい事は性知識に対する情報のある・なしで性モラルの崩壊を考えるのは馬鹿げているような気がするのだ。

次回に続きます。

花言葉

kage

2010/05/01 (Sat)

続きです・・・

そうなれば、セックスレスはもちろん、旦那のセックスの仕方で不満を持つ人妻が居てても不思議ではないのだ。特に結婚してオスってのは一応の性欲をその妻に求める事は出来るのだけれども、射精さえ出来ればそれで良いのだから、ある意味、結婚と言う束縛が出来ているために、愛撫がおざなりになってしまっている場合が結構あるんではないだろうか?と思うのだ。

これは同じオスとして弁護するわけではないのだけれども、やっぱり性欲はあって射精はしたいのだけれども、仕事や日常に対して疲れがあって、愛撫するだけの余裕がないために、どうしても、愛撫に手を抜くと言う言い方はマズいのだけれども、結果的にそうなってしまうのかもしれない。そうなればメスとしては、射精によって一応の快楽は得ていても、どこかセックスに対して欲求不満になってしまうのだろう。

きちんと愛撫されて性欲の高まりの中で挿入があれば、満たされるのかもしれないが、おざなりのセックスってのは結果的にメスの欲求不満を高めてしまうのだろう。そしてその欲求不満をメスはどこか解消したくて、チャットセックスにハマっていくような気がするのだ。つまりは出会いでなく純粋に快楽を求めて直接的な欲望でチャットに来てしまうのが人妻なのだと僕は思う。





これもまた繰り返しになるのだけれども、具体的な肉棒の挿入はあったほうがメスにとっても良いのかもしれないのだけれども、結局はその日常の愛撫に不満があって、チャットセックスに来てしまっているのだから、チャットセックスで思うままに、そのメス性欲が満たされれば、それがオナニーであってもメスは満足してしまうのだろう。

なぜならチャットセックスってのは、愛撫に対するこだわりがそこにあるためである。変な言い方かもしれないけれども、チャットセックスは、旦那とのセックスのように挿入と射精さえすればおしまいのような事は出来ないからだ。きちんとメスをどのように愛撫し、犯していくか?をメスに伝え、その結果をメスから報告させ、絶頂を作り出していくのがチャットセックスの基本的な遊び方だと僕は思う。

そして、それがチャットセックスの醍醐味であり、言い換えれば”愛撫=オナニー”をいかにメスにさせていくか?がオスのテクニックになり、また興奮の元になると言えるからだ。そうなればメスはチャットセックスによって”愛撫の密度”を楽しむ事になるのだから、結果的に愛撫の無いセックスに対する代償行為として、チャットセックスを人妻は特に求めていく事になるのだと僕は思う。




それにやはり生活の安定を考えて、具体的にリアルでの浮気に抵抗があれば、チャットセックスは十分にそのメスの性欲を満たしていく手段になり得るのである。言い換えれば、人妻にとってのチャットセックスは、離婚原因リスクを最低に取りながらも、快楽の手法としてそれなりに満足できる状態を作り出す手段だと言えるのだから、ハマり易いのだと僕は思うのだ。

後はそのまま、チャットセックスの中で遊んでしまうのか?それともリアルに踏み出していくか?になるのだけれども、それはチャットでのオスの目的とテクニックになってしまうのである。チャットセックスでいかにリアルに踏み出せば魅力あるセックスがそこにあるのだと人妻に意識させる事が出来れば、リアルに誘いやすいのは、リアル目的である僕には自覚がある。

ただ、その場合、逆に言えば、純粋に快楽の割り切りだから、リアルの関係になったとしても・・・チャットだけの関係であったとしても・・・・その生活を壊すようなことをしてはいけないのだと僕は思っている。例えば携帯のメアドを教えてもらったとしても、旦那が居そうな時間には送らずに、絶対バレないような環境作りをしていくことが、セックスのテクニック以上に人妻との関係を作り出すには重要なのだと思う。





特に当たり前なのだけれども、そうやって割り切りの関係であるから、なんらかそれが原因になって、トラブルになっても、責任ってのは取る事はチャットで遊んでいるオスは出来ないだろう。だからこそ、人妻との関係ってのはその辺りを気をつけて楽しむべきだと思うのだ。

いかにその目的とリスクのバランスを考えるか?ってのは人妻だけに求めるものではなく、出会ったオスにもそれなりのリスク管理ってのは必要になる。この言い方自体、明け透け過ぎてマズいのかもしれないけれど、人妻にセックスを求めるってことは、やっぱりそう言った部分でいかにケアできるか?ってのがテーマになるはずなのだ。

花言葉

kage

2010/05/01 (Sat)

本日の花”すずらん
花言葉”再びの悦び”

ネットで遊んでると、何度も繰り返しているようで申し訳ないのだけれども、本当に様々な女性が快楽を求めてやってくる。そのすべての女性がリアルでのセックスを求めて、チャットに来るって訳ではなく、やっぱりそのほとんどの女性は、チャットセックスを”オカズ”にして、オナニーし、その結果として快楽を求めていくのが定番で、それ以上のことを求めているわけではないと言う事なのだ。

特に人妻なんかは当たり前ながらその傾向にある。日常に家族があって、当たり前ながら旦那もいて、それなりに生活が安定しているために、具体的にリアルで浮気をして、その結果、家族崩壊なんかを想像してしまうと、やっぱり、”損得勘定”にあわないと感じている人妻がほとんどだからだろう。

ネットで出会いは特に相手が誰なのか?ってことを特定する事は難しい・・・そうなれば、そんな状況になった時に”責任”を求める事は出来ないと気付いている部分もあって・・・その場限りのリアルでの快楽と生活の安定とハカリに掛ければ、ネットだけの快楽を求めるのは当然の結果であるのは判りやすい。





それでもチャットに快楽を求めるには、やはり人妻であったとしても、日常ですぐさまにセックス出来る環境が、ある意味旦那の存在があるために整っているはずなのに、その人妻の日常の性欲が満たされていない結果であると言えてしまう。中には旦那と週何度かのセックスがあったとしても、我慢しきれずにチャットに来てしまう人妻だって存在する。

ある意味、回数の問題はあるのだけれども、その内容においてもメスにとってはストレスになり得る要素になるのかもしれない。オスの場合は、これまた、繰り返しになるのだけれども”肉棒から精液さえメス蜜壷に射精できれば、それなりに満足してしまう”ってのが本音だろう。それだけで射精の快楽があって、そのメスを所有している気分になれるのだから、極端な話、愛撫も無く、単純に挿入して射精さえ出来ればそれでオスは良いのである。

特にセックスってのはどうしてもオスのほうが主導権を取ってしまうから、どうしても独り善がりな部分がセックスにあるのは事実なのだろう。ただ、メスはそれでは堪ったものではないのだと思う。”いきなり挿入されて子宮の中に精液を射精されておしまい”・・・これではメス性欲の高まりも何も無視した状態であると言えるのだ。





実際、オスだってそのことに、本能的に気付いてるはずなのだ・・・確かにセックスってのは、挿入はメインイベントでそれが無ければオスとして満足出来ない。しかし、それと同じぐらいメスを愛撫なんかで悦ばせて濡れさせていく事はメスの身体を十分に味わって楽しむ事を意味して、それ自体が射精へのプロセスであって、それ無しにメスを悦ばせることは出来ないということ・・・

では、なぜ”メスを悦ばせる必要があるか?”ってことになるのだけれども、結局メスに”また、セックスして欲しい!!”と思わせることが必要であるとオスは気付いているはずだ。確かにオスの本能としてメスを犯すために、そのおっぱいをしゃぶりつくし、キスも激しく・・・って感じでメスの身体を味わっていくのだけれども、その心のどこかで、”自分自身のセックステクニックでメスを虜にさせたい”って気持ちがあるのは間違いないのではないだろうか?・・・少なくとも僕は、メスを愛撫している間にそんな気持ちがあるのは事実であるのだ。

ただ愛撫ってのは結局はメスへの奉仕に当たるのも事実なのである。奉仕って言う事はそのメスを気持ち良くさせて悦ばせることになるのだから、オスにとってはある種の”労働”になってしまう。つまりはオスの性欲を優先するよりもメスの快楽を引き出す行為になるのだから・・・オスはセックスにおいてメスの悦びを引き出す事に興奮を覚えるのは間違いはないのだけれども・・・メスはそれによって性欲が高められる事になると言えるはずなのだ。





つまりはメスにとってセックスは単純に肉棒蜜壷に挿入されて射精さえしてもらえれば良いと言う訳ではないのである。ある意味、それまでのプロセスである愛撫にメスは、その快楽の重点を置いているのかもしれないように僕は思う部分が結構ある。極端な話、愛撫さえ最高であれば、挿入無しでもメスの性欲は満たされるような気がする時だってそれなりに僕の場合はあるような思える。

続きます・・・

花言葉

kage

2010/04/30 (Fri)

本日の花”るりからくさ
花言葉”可愛いさ”

オスってのは、メスに対して”ヤレるか?ヤレないか?”で判断する部分があるのだけれども、それでもそれなりに顔の作りであるとか、身長や体重、センス、おっぱいの大きさ、その他様々なところにこだわりがあって、選択の間口はそれなりに広いのに、いわゆる”女の子の趣味”ってのはオスごとに千差万別になってしまうのはもちろんだろう。

実際、グラビアアイドルなんか見ちゃうと、それなりにおっぱいが大きくてロリフェイスでって感じでなんとなくその方向性ってのはあるのかもしれないけれども、それでも、やっぱりポッチャリもいれば、スリム体系もいたりして、お嬢様風もあれば、ボーイッシュなタイプだって存在する。こういう言い方は完全に男尊女卑で、上から目線過ぎるのだけれども、それなりに平均的に”観られる”女の子であれば、どんな娘だってグラビアを飾る可能性ってのはあるのだと思う。

つまりは最近、特に思うのだけれども、そんなにオスってのは女の子の”美人・可愛さ”の基準ってのは千差万別になりすぎて、それに女の子の苦労を無視するようでなんだけれども、”化粧”でそれなりにイメージをコントロール出来る事も気付いてしまって、平均的に可愛ければそれである意味、見た目はクリアしてしまう。クリアしてしまえばそのグラビアで勃起してしまうのがオスであるのだ。





ただ、逆にそれなりのこだわりってのはオスにはあるのかもしれない。いわゆるフェチシズムだ。後はそれなりに妥協しても、これだけは女の子の外見上、譲れないって部分がオスの場合、あるような気がする。黒髪フェチであったりメガネであったり、おっぱいでったり、何か女の子の一部分に妙にこだわりがあるのがオスの性癖かもしれないと僕は自覚している。

だからメスのフェチ部分に魅かれ、オスはそのメスを手に入れようとし、それからだんだんとその性格面も”受け入れて”そのメス全体を求めていく。ハッキリ言ってしまえば、付き合う瞬間はそのオスのフェチシズムを刺激するメスの見た目を求め、それからだんだんと・・・って感じがオスのメスに対する接し方になるだろう。それで付き合い始めるとメスの性格面がそれなりにクローズアップされるから、結局は”性格的な相性の不一致”で別れてしまうパターンが多いのではないだろうか?

そしてそのフェチシズムの例で判りやすいのはメスの年齢だと僕は思うのだ。僕自身はハッキリ言ってしまえばチャットで遊んで、それなりにどんなメスでも結果的にリアルで”ヤレれば良い”とスタンスで遊んでいる。そうなってしまうとハッキリ言えばそこで出会う女の子の年齢なんて千差万別だから、本当に若い娘から超熟女まで様々の年齢層のメスと出会う事になる。





チャットで遊ぶ限りにおいては、実際文字情報のやり取りで遊ぶのがどうしてもメインになってしまうために、その相手の本当の見た目ってのはまったく判らない場合が多い。写真交換が出来るチャットもあるのだけれども、結局はその写真でさえも本当か?どうか?ってのは判らない。そういう意味ではネットってのはすっごく真実が曖昧な世界であるのは誰だって、気付いているだろう。

そうなれば年齢なんかは10代でも50代でも、チャットで遊んでると気付くのだけれども、相手の年齢がどんな年齢であっても、その文字の並びってのはほとんど変わりが無いから、そこからまったく相手がどんな年代か?判らないってことになる。ただ、実際本音を言うと40代後半なんかの年代を言われちゃったり、逆に10代前半なんかを言われちゃうと、それがアカラサマなウソだと判っていてもゲッソリしてしまうことがあるのだ。

ただ、それは僕だけで他のオスは50代の以上の熟女が良いと考えるのもいれば、いわゆる”ロリコン”と呼ばれる性癖のオスだっているのは間違いない。犯罪性云々の問題が年齢の場合は含まれているのは判っているのだけれども、それ以上に、生理的に相性のある年齢ってのがあって、そのターゲットに当てはまらないと辛く感じてしまう。ターゲットの大きさってのはそれなりに大きいつもりなのだけれども、逆に言えばそこから外れてしまうと途端に厳しくなる。





チャットで妄想するだけで直接的に関係の無い”年齢”ってファクターであったとしても、それなりにこだわりがあるのが本音なのだ。つまりは人それぞれ、オスは特にセックスの相手にこだわりがあって、そのこだわりってのは曖昧で意味が無いぐらい、もしかすると適当なのかもしれないけれども、そこで結局は嗜好の判断をしているのだ。

今回年齢を例にさせてもらったのだけれども、これが喫煙だったり、お酒だったり、口紅の色だったりする場合もある。どこでどんなこだわりがあるか?は本当に千差万別なのだと思う。確かにこう言っては何だけれども、見た目だけで笑いが取れる女芸人と、ドラマなんかでヒロインをしちゃう女優さんなんかを比べれば、どちらがセックスの相手に好ましいか?ってのは大体、予想がつくだろう。しかし実際的にはそんな女芸人さんだって・・・この言い方もマズいのだけれども・・・・セックスする相手が存在するのは事実だろう。

今回、言いたいことなんだけれども、結局は女の子の魅力ってのは結構オスにとって間口が広いもので、誰が美人か?ってのはほんの些細なファクターに過ぎないってことなのだ。それよりも、嗜好や性癖にオスとして様々なこだわりがあって・・そのこだわりも曖昧で適当なものなのだけれども・・・・そこにいかに合致しているメスを探せるか?ってのがオスにとっての重要なポイントになるような気がする。





オスが口で言うほど、そんなに外見上のこだわりはないのかもしれない。もしグラビアなんかで論評してるのは、実際逢ってセックスする可能性がまったくないから、気持ち的にお手軽だからだろう。こういう言い方はマズいのは判ってるのだけれども、それなりに平均的に観られるメスであれば、それだけでオスは勃起してしまうのである。結局はその程度なのであるのだ・・・・オスのメスに対するこだわりは・・・・苦笑。

花言葉

kage

2010/04/29 (Thu)

前回続きです

簡単に言えばアダルトDVDがあって、出会い系サイトがあって、それなりの風俗産業がある。それが高レベル化すればするほど、周囲との中で恋愛をしてセックスをしなくても、擬似的であっても性欲は一応の満足を満たしてしまうのだから、無理に恋愛にエネルギーをかける必要は無くなってしまうのである。

”好きだから、恋愛して、その過程でセックスして、子供が出来る可能性があるから、結婚する”・・・これが本来の恋愛論だったのだろう。ちょっと年齢層の高い少女漫画を見れば、それなりの愛憎はあっても、結婚がゴールとするならば基本的にはこの流れで恋愛は存在してしまうはずだ。逆に言えば、それが古典としての恋愛と結婚の関係だと思うし、今もその幻想としての結婚観は社会に蔓延しているのだから、恋愛による結婚ってのはこんな感じなのだろう。

しかし、セックスと恋愛はどんどん、切り離されていってしまっている部分が多いはずなのだ。ハッキリ言ってしまえば、制服の似合う年齢で、結婚を考えない純粋な意味での気持ちとその場の勢いでセックスを経験してしまったメスってのはそれなりに多いと思うし、極端な話、オナニーを覚えちゃってセックスの魅力が頭から離れずに、純粋に性欲の部分でセックスを覚えてしまった場合もあるだろう。特にオスなんかは後者の場合が多いかもしれない。セックスしたいために恋人を作って、そのシチュエーションだからセックスが許されて、経験してしまう・・・そんな感じでそれなりの年齢で経験してしまった人間は多いのではないだろうか?





そうなれば思春期から、学生時代が終わるまで、それなりに恋愛があれば、その相手の数も2,3人は居ても不思議ではなくなる。プラトニックな恋愛なんかは当たり前ながら存在せずに、セックスをするための恋愛って側面がやっぱり動物的にあって、その結果、とりあえずの恋愛でセックスを覚えていく事になるのが事実ではないだろうか?

そうなれば、やっぱり話は元に戻るのだけれども、メスの場合は特にそのセックスアピール、見た目重視が恋愛の対象にならざるを得なくなる側面が生まれても不思議ではないだろう。確かに表面的にはメスの性格なんかの内面性で恋愛すると言うのだけれども、結局はオスとして性欲を満たしたいって欲望があって、その流れで恋愛をするのだから、その部分においてメスのセックスアピールってのは重要になってしまうのだろう。

ただしかし、性欲ってのはある種一過性の高まりの結果である事も言えるはずである。極端な話、食欲と一緒である程度満たされれば、仕事であるとか趣味に他のものにエネルギーを割り振っていきたくなるのがオスなのだから、セックスアピールが魅力的なメスと恋愛をしてセックスしてしてしまえば、それなりに性欲は満たされるのだから、それ以上にそのメスに魅力を感じなくなってしまう。そうなればオス自身の生活の中で”都合の良い”メスのほうが実際、必要になってくるのだから、そう言ったトータルの面で初めて”メスの性格”、内面性が求められる事になる。





もっと言ってしまえばセックスってのはその場限りで、そのメスと共有する時間の割合の中である一部分だけの行為であると言えるのである。逆に言えば、セックス重視の関係だけであるならば、その割合はそれに伴って増加するのだから、その内面性よりもセックスアピールが重要になる。つまりはその結果として恋愛におけるメスの内面性が重要視される事になる。

割り切るならば、極端な話、性欲が何らかの形で満たされるのであれば、恋人としてのメスの存在は内面性重視だけで、見た目に関してはかなりの割りきりが可能になるとも言えるのだ。最初の話に戻るのだけれども、メスの身体ってのは、それだけで結局はオスを勃起させるものになるのだから、とりあえずの性欲ってのはそれで解消されて、満たされることが出来る。そうなれば残りの部分を重要視する事になって、結局は見た目無視でも恋愛は可能になってしまう。

ただそこまで割り切ってしまうと、そのメスに対するセックスアピールの否定になって、セックスアピール自身、メスの魅力のひとつなのだからそれを否定する事になる。そうなればメスの人格の尊厳の部分を傷付ける事になるのだから、そこにメスからの信頼感情は生まれず、結局は恋愛関係も無くなってしまう可能性は否定出来ない。





そうなれば結婚を伴う恋愛としての彼女の存在は”そこそこ見た目が良くて、セックスアピールがあって、それなりに性格的にも、安定した娘”ってことになってしまう。そうなれば、どうしてもある程度の妥協が生まれてしまうのだから、結果的にオスの結婚観ってのはどこか”流された”ものになってしまうのは仕方がなくなってしまうのかもしれない。

確かに1番の理想はスタイルが良くてセックスアピールが高くて、美形で、性格が良くて家事その他に問題が無くて、永遠に自分だけのことを愛してくれて、忠誠を誓ってくれるメスの存在だろう。しかし見た目なんかはその時々で好みは変わるのだし、性格面においてもそのシチュエーションごとに別の性格を求めてしまうのがオスの身勝手さだろう。瞬間的な理想は存在していても、永遠の理想は、理想像自体が変化するのだから、ありえなくなってしまうのが実際のはずだ。

メスも性欲があって、それを満たすために恋愛をする側面があるはずだ。ただいつもこのブログで書いてしまうのだけれども、結局はそれは妊娠の可能性なんかがあって、単純に一時的な性欲の解消のためだけのセックスってのはメスの場合、ありえないだろう。メスだってだからこそ、オスを選んでセックスするのだし、単純に選びきれないのも事実のはずだ。





つまりは現代社会ってのは単純に恋愛感情だけで、恋愛するほうが少ないように思う。その選択も複雑に見えて、ものすごく安易でタマタマで、それでいながら、だからと言って、その相手を考えるときはものすごく難しくなる。本来は”何かのきっかけでその相手が好きで、恋愛して、セックスして結婚する”ってのが理想なのかもしれない。ただ、実際は制服を脱いだ以降の恋愛は、結構疲れるものであるような気がするのである。

花言葉

kage

2010/04/29 (Thu)

本日の花”つばき
花言葉”魅力”

当たり前なんだけれども、オスってのはストレートにメスのヌードに勃起して精神的な興奮を覚えてしまう。単純な話、だからこそ、グラドルであっても、AVアイドルであっても、ハッキリ言えば、そのメスがどんな性格のどんなキャラクターなのか?なんかは関係なく、見た目だけでそれなりに勃起して性欲の対象として観てしまう。それが、まあ、普通の世間一般のオスだろう。

だからハッキリ言ってしまえば男性週刊誌を買えば、本音の部分、そこにあるグラビア記事が気になるし、青年誌だって漫画がメインながらもアイドルなんかの水着グラビアが載っていれば結局はそこを観てしまう。未来においてもまた過去においてもほとんど100パーセント、逢う事も無く話すことも無いメスの身体に勃起してしまうのだ。

確かにそれなりにオス一人一人にメスの好みがあって、どんなメスでもヌードになったからといって興奮を誘うわけではない。セックスの対象って言い方になると明け透け過ぎる自覚はあるのだけれども、幼女趣味であったり熟女好きであったり、制服好きであったり、スーツフェチであったりメガネなんかもそんなフェチシズムアイテムになったりして、こだわりがあるのは事実だ。





しかし厳密にそのこだわりの中でしかオスは勃起しないと言う事ではない事も事実だ。妥協って言い方もマズいのだけれども、自分自身のこだわりからそれなりに離れていたとしても、そのメスがヌードになれば勃起もするし、セックス出来る状況であれば、とりあえずの性欲の解消のためにそのメスの蜜壷の中に精液を射精する事も普通にあるのが実情だろう。確かにそこにはまったくこだわりが無いといえばウソになるのだけれども、そのメスに生理的拒否感が無ければ、それなりにセックスも出来てしまうのがオスの本音だろう。

つまりはもっと言ってしまえば、そのこだわりってのは見た目重視でそのメスの内面性に対してまったく興味が無いと言い切っても良いのかもしれない。だからこそグラビアアイドルやAVなんかは簡単にオスの夜のオカズになり得るのだし、風俗なんかのその場限りでの出会いでもあっても射精は簡単にしてしまう。

よく恋人にしたい時の選択の基準ってのは雑誌の特集なんかで書かれている場合があるかもしれないのだけれども、その時、結構”性格”であるとか”女らしさ”、”振る舞い”であるとかのなんて言うかそのメスの内面的なものを求めているように書かれている場合が結構あるはずだ。





ここで考えなければならない事は”セックスする相手=恋人関係にある彼女”ってのが普通の当たり障りの無いセックスと恋愛の関係なのだと考えられるのだけれども、オスは見た目重視で結局は勃起していることを認めた上で恋人にはそれ以上に内面性を求めているとなると、なんだか矛盾っていうかズレが認められるのではないだろうか?

もっと言ってしまえば”一目ぼれ”って言葉ある。ストレートに見た目重視の恋愛の始まりだと安易ながら言えるだろう。つまりはセックスの対象としてどこかオスは恋人のメスを見てしまうのだから、そう言ったセックスアピールの相性も結局は性格の部分よりも重要になっていくのかもしれない。

ただ理性として・・・道徳的・社会的な部分といったほうが良いのかもしれないが・・・恋人としてのメスの存在を単純に性欲の対象としてオス自身が認めてしまうことはオスの”いやらしさ”が出て、オス自身もそこに抵抗があって、ストレートにメスのセックスアピールを評価しにくい部分があるのかもしれない。





グラビアアイドルやAVなんかは、そのメスと話す可能性ってのはまずほとんど無いであろうから、だからこそ、単純に性欲の対象として見ることが出来るのだけれども、日常生活においては周りのメスを性欲の対象としてあからさまに見てしまうのは、そのオスの人間性を周りから疑われる事になる可能性が高くなる。つまりは性欲を表に出さず、紳士的に振舞う事がそのオスの社会的評価を高める事になるのである。

そんな社会の複雑な部分の根本は、本来、結婚を伴う恋愛論と、性欲の解消であるセックスを同一視しなければならないことにあると僕は思うのである。”セックスする=妊娠の可能性がある”と言う公式において、結局は”セックスと恋愛と結婚”の関係は同一視しなければ成らない部分があるのだけれども・・・だからこそ”出来ちゃった婚”なんかの言葉が生まれるのだから・・・・本来はセックスと恋愛はまったく別物と考えれば、そもそもこんな話をする必要でさえないのではないだろうか?

ただ繰り返すようだけれども、結局はセックスと妊娠と結婚の関係はどこか切り離せないものだから、単純に周りの異性をセックスの対象としてばかり見てしまえば、人間関係に感情面において様々な”齟齬”が生まれてしまって、生活するのが疲れてしまう。変な言い方かもしれないのだけれども、性欲は解消したいのだけれども、恋愛によって性欲を解消してしまうと、その人間関係をそれなりに考えなければならないから、それを考えると単純にセックスする相手として周囲の異性を考えるのは”おっくう”になるのではないだろうか?





だからこそ、性欲の喪失って言うのは変なのだけれども、特に学生時代が過ぎ去って、恋愛とセックスと結婚の関係が見え始めると、そこにエネルギーを裂くことが馬鹿らしくなってしまうってのがあるのかもしれない。しかし、それでも性欲ってのは結婚以上に動物的な欲望であるから、性欲の解消として”のみ”のツールが、あからさまに増え始めてきている状況が生まれてきているような気がする。

ええっと・・・ごめんなさい
途中です、次回、続き書きます。

花言葉

kage

2010/04/28 (Wed)

本日の花”さくら草”
花言葉”神秘な心"

チャットで遊んでるとよくレイプ願望っていうか、陵辱されたいマゾ娘なんかと出会う事がある。日常じゃ絶対言えないし、ありえない事なんだと思うけどネットだからこそオスのむき出しの欲望のままに、犯されたいって感じで来ちゃう女の子がいるのだ。チャットセックスなんか知らない女の子からすれば”ありえない!!”って感じで思うのが普通だろう。しかし”チャットセックス”だからこそ、そんな気持ちってのは明らかになるんだと僕は思う。

こんな僕だって日常の生活じゃ周りにはセックスなんか興味ないどこにでも普通に存在している無害なオスって感じで振舞ってるのが事実だ。それなのに例えば、頭の中じゃそれなりに街ですれ違ったり電車の中でそばに立ってたりする女の子をちらりと見ながらも視姦したりして妄想でいっぱいになる事がある。これってのは僕だけじゃないし、オスなら誰だってレベルの差はあるんだけれども、そう言った部分があるんじゃないだろうか?

そうでなくても漫画雑誌のグラドルなんかの水着グラビアなんかで、そのヌードなんかを想像したりするってことぐらいは誰にだってオスならあるんじゃないかなと思っている。ただ、日常の周りでそれを口に出したり、痴漢なんかの性犯罪をするだけの度胸も無くて・・・度胸って言い方自体問題なのだけれども・・・理性で自然と我慢して・・・この方が判り易いかもしれない・・・隠れてコソコソ、アダルトDVDなんかをレンタルしたりするのがオスの普通の性欲ではないだろうか?





無論、もし彼女なんかが居るのであれば、その性欲ってのは彼女に向けて発散してしまうので、そんな部分は無くなるのかもしれないけれども、そんなシチュエーションでもなければなんとなくそんな感じになっているのがオスの事実だろう。そしてこの感覚はメスにも当てはまるのではないだろうか?

特にネットってのは実際、ほとんどの場合は自分自身の日常を隠して遊ぶ場合がほとんどである。そうなれば、性欲を満たしたくてそんなチャットサイトに来ちゃうのだから、オスはもちろん、メスだってそれなりに気持ち良い快楽を求めたくなるのが当然の流れだろう。特に結果的には極端な言い方なのだけれどもチャットセックスってのは”オナニー”なんだから、自分自身の妄想のままに興奮していきたいってのはあるのではないだろうか?

どんなに彼氏や彼女が居たりしても、例えば僕なんかそうなのだけれども、ノーマルなセックスじゃどこか満足出来ない部分がある。女の子の泣き叫ぶような痛みを伴うSMなんかはダメなんだけれども、首輪なんかさせたりして精神的にその女の子を陵辱して束縛していきたいって欲望があってチャットサイトで遊んでいるのが本音だ。つまりは日常でセックス出来る状態であったりしても本当の性欲を満たさずに、一応の快楽って形でセックスを受け入れている場合があるのが、普通の出会いでのセックスではないだろうか?





オスの場合はそんな場合でもそれなりに”責める”側だから、女の子に対して自分自身の性癖をぶつける事が出来る場合がある。しかしメスの方はある種、セックスにおいても”受身”だからこそ、オスの性癖にあわせてセックスしてしまう場合が多いのだろう。そうなればセックスをしたとしても一応の快楽があっても、本当の満足とは遠いはずなのだ。

だからこそ、逆に言えば、オナニーぐらいは自分自身の性癖のまま、妄想の中で興奮していきたいって欲望があっても不思議ではないだろう。その流れでチャットセックスを考えれば、日常を切り離して、女の子は特に自分自身の性欲を満たしたいと思ってきちゃうのだろう。

これは今までの僕が経験してきた結果の感覚なんだけれども、そんな女の子こそ、”メスとして観られたい”って欲望があるのではないだろうか?と感じる場合がある。ハッキリ言えばどんな女の子でも、ハダカになればおっぱいもお尻も身体のラインもメスでオスはその魅力のままに犯したくなるのだけれども、そうやってむき出しの”メス”である部分を満たしたくて、結果、オスのむき出しの性欲にチャットだからこそ、その身体を差し出していく部分があるのかもしれない。





言い換えれば”メスとしての魅力の再確認”って気持ちがどこかにあってオスの性欲の対象に見られたいって気持ちになってしまうのだろう。あくまでも僕自身の妄想なんだけれども、そう考えれば、日常が真面目である女の子ほど、性欲は満たされないのだから、彼氏の居ない真面目な女の子のほうがチャットで遊んでるのではないだろうか?なんだかそんな気持ちになってしまうことが、遊んでいてそれなりにある。

つまりは理性ではそういうことに対しては否定的であるのに、その心の欲望としてメスでありたい欲望が女の子にはどこかあるような気がする。オスの都合の良い解釈なのだけれども、チャットで割り切っているからこそ、そういう部分を見せることが出来て、日常では真面目なような気がする。

チャットで遊ぶオスに伝えたい事なんだけれども、当たり前で言う必要は無い事かもしれないんだけれども、女の子の心には様々な側面があって、だからこそチャットで遊んでしまっている部分が、その女の子の性欲かもしれないのだけれども、それがそのまま日常の性欲に当てはまらないのである。どんなにチャットで淫乱性をさらけ出したとしても、実際はどこまでセックスに対して開放的なのか?はまた別問題だと思う。





確かに僕なんかはリアルでセックスしたいからこそ、チャットで遊んでリアルに誘えるように努力するのだけれども、それってのはあくまでも女の子の”自主性”を促すプレイであって、脅迫したりしてのレイプになってはいけないのだ。逆に言えば、だからこそ、”上手く”やれば女の子が専属の肉便器として忠誠を誓ってくれる可能性だってあるのである。メスにしていくプロセスってのは重要なのかもしれないけれど、女の子自身がメスになっていきたい気持ちがあってこその本当の調教の出会いだと僕は思うのである。

花言葉

kage

2010/04/23 (Fri)

本日の花”ききょう
花言葉”女性のぬくもり”

確かにセックスってのは、オスがそのメスの身体を求めて、性欲のままにズボズボする事なんだけれども、でも、それ以上にどこかそのメスの存在を確かめる行為であるような気がする。オスってのはメスからすれば情けないのかもしれないけれど、具体的にその肉体の存在を自分だけのものにしないと不安で、たまらないって気持ちになる事がある。

どんなに相手の事を信じて、愛されているって感じる事が出来ても、相手の身体を抱きしめて、犯さないと気持ちが満たされない。繰り返して言っちゃうけど、確かに性欲があって、精液を射精したくてセックスをしちゃってる、しちゃいたいって気持ちにはウソは無い。





ただ、その他にもそのメスの存在を確かめたくてって気持ちもあるのは事実なのだ。セックスしちゃったからと言って、その相手の全てを得ることなんて無いってことは判っている。でも、相手を自分だけのものにするのは何か、具体的な理由が欲しいのだ。

”セックスしたから、その女はオレのモノ”ってのは単純すぎるってのは判ってるけど、メスの”暖かさ”を独占していきたいってのが本音にある。その身体の暖かさこそ、そのメスの優しさで、ほかの誰にも盗られたくないから・・・・