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僕について・・・その9
2010/03/11 (Thu)
続きです。これが相手が恋人で自分だけのものであることを自覚し、そうやって“所有感”を無自覚にも意識する相手になれば、やっぱりどこかその相手に“わがまま”になってしまう部分があるのが普通なのだと思う。そしてメスの方もその“わがまま”を受け入れることによって、“所有される悦び”を感じる部分があって、日常以上の共依存が成り立つのだから、互いに幸せである場合、それがどのような状態であっても、周りは何も言えない部分になってしまうのである。
画像はEROTICA BLACK:公衆快楽施設 Macht Frei.より
この画像は、ソフトハウス『EROTICA BLACK』の作品の素材を使用しています。
これらの素材を他へ転載することを禁止します。
極端な例かもしれないが、恋人関係のドメスティックバイオレンスなんかはわかりやすい例なのだと思う。そしてその関係ってのは、女性の母性としての部分がそれを許してしまうのだと思うのだ。子供が母親に対してワガママを言い、それを“可愛さ”として受け入れてしまう母親としての愛情の拡大活用したものが、そこには存在しているような気がするのだ。つまりは変な言い方かもしれないが、女性ってのは、子供を産んだ経験がある・ない、に関わらずその本質が”母親”であるために、何かに対して“母親である”ことに満足感を得ようとするのではないだろうか?
逆に言えば、オスの場合、メスに甘えることで、それなりの満足感を意識してしまう・・・単純に言えば、マザコンの部分・・・があるのではないだろうか?つまりはもっと言ってしまえば、ある程度の年齢になれば本当の母親に甘えることは当たり前ながら恥ずかしいことになるのだけれども、日常のほんの少しのメスに対する甘えの中でオスとして満たされていく部分があることは誰にだって否定できないはずだ。
しかし“甘える”って行為自体は、ラクで精神的にも満たされる部分があるから、どうしても恋人なんかの“甘え”を許してくれる相手が見つかれば、それに対してその充足を求めようとするのではないだろうか・・・昔から“姉さん女房”と言う言葉で女性が年上のカップルに対してある種のプラスイメージを持つのは、その共依存性が、“年齢の逆転”によって社会的に許される部分があるからではないだろうか?
そしてそこで考えなければいけないのは、オスの場合、“甘えられる相手が多ければ多いほど、ラクになれる”と言うことである。これも当たり前のことだろう。どんなに仲の良い恋人関係であっても、いつでも上手くその関係が続いていく訳ではない。完全に相手から満足感を得ることなんてないだろう。極端な話、満たされすぎて何か物足りないって贅沢過ぎる感覚だってあるのではないだろうか。そうなれば、その相手とは別のメスに甘えてみたいと考えるのは当然の帰結だろう。
甘えられる相手が多ければ多いほど、オスは精神的にラクになるのだし、ただ一人のメスに依存している“負い目”から逃れられる。もっと言ってしまえばその内の一人と別れる場合になっても別の甘えられるメスが“スペア”として存在するのだ。もっと言ってしまえば、“別のメスの身体でセックス出来て射精の満足を得る”ことがお手軽に出来ると言うことだ。それって言うのは、ある種、絶対的なアドバンテージになり得るのである。
この言い方は本当に理性では間違っていることは判って言うのだけれども、セックス以外の欲望ってのはオスの場合、割と何の苦労も無く手には入るのだ。つまりは究極的にはセックスを求める為だけの恋人関係だと言い切って良い部分が口には出すことは出来ないが、多分にあることは事実のはずなのだ。繰り返して言うことになるが、セックス以外の欲望は、何らかの形で・・・確かに経済的な問題が出てくる可能性があることは否定出来ないのだけれども・・・もっと言ってしまえば、売春が違法として出来てしまう部分を除いて・・・クリア出来てしまうことがほとんどなのである。
やっぱりまた続きます。
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