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kage

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挿入の意味

kage

2009/10/08 (Thu)

ネットで遊んでると、やっぱり僕の場合、リアルが目的だから・・・運良くというか努力の結果としてリアルで女の子とセックスしちゃう場合がそれなりにある。逆に言えば、それがあるからこそネットでの出会い系が止められない原因であり、性欲を満たすそれなりの方法の1つであると思う次第だ。もっと言ってしまえば、日々日常の出会いや飲み会、そんな中で恋愛の延長としてのセックスの可能性よりも女の子が性欲をなんらかの形で満たしたいって感じでネットでの出会い系に来ちゃうのだから、結果、そうなりやすい部分があるってのは誰にだって漠然となら理解できるのではないだろうか?

ただそうなればオスのセックスってのは何を持って満足するか?になるのだけれども、ハッキリ言ってしまえばメスの身体に射精出来るか?どうか?にあるような気がする。極端な言い方だけれども、フェラチオやぶっ掛けなんかで、どんなにメスの身体を汚しても本質的には満たされることは無いのだ。肉棒から精液を射精して得る快楽ってのはフェラチオやぶっ掛けでもある程度は気持ち良いのだけれども、それって言うのはAVなんかをオカズにしてオナニーした結果の射精の快楽と良く似ている部分がある。

確かに”自家発電”ではなく、メスに何らかの奉仕なんかをさせたりしてその結果、精液を射精するのだからオナニーとはまた違う満足感があるのは事実なのだけれども、その射精ってのは、あくまでもその蜜壷の中での射精を行なう過程での愛撫のひとつとして満足していると言えば判り易いだろうか?女の子とのセックスってのは単純に蜜壷の中に肉棒を挿入するだけがセックスではないはずだ。つまりはその女の子を抱きしめ、キスして、おっぱいやお尻、その身体の全てを味わった結果として挿入があるのが理想のはずである。その過程の愛撫として蜜壷への挿入以外での射精が愛撫として存在するはずである。

これにはオスの動物的な部分に対する満足に、射精が直結しているからだと僕は思っている。セックスってのは本来、”子作り”であるのは間違いない。種族保存の行為であり、生物として本能的なものであるのは間違いない。それって言うのは自分自身の遺伝子をたとえ半分でも子供を作ることによって未来に残すことを意味している。

人間としてというより、動物として・・・他の動物がそこまで考えているか?どうか?は判らないのであるが・・・・少なくとも”死の恐怖”ってのが心のどこかで根源的にあって、死とは究極的には自己の遺伝子の消滅であるから・・・確かに脳死判定のように死とは自己の意志の消滅であるからって感じで遺伝子レベルでの消滅を普通は”死”とは考えないのかもしれないけれども・・・その恐怖から逃れる部分としても”子作り”を根源的に求めてしまうのではないだろうか?

そうなれば、"子作り”とはメスの子宮の中で精液を射精させて、それによって精子をメスの卵子に受精させて、その子宮に出来た受精卵を着床させること以外意味を本質的には為さないのである。ややこしいことを言ってしまったのだけれども、”孕ませる行為”以外はその本質から離れているのだから、結果意味がないと言えば判り易いのかもしれない。そう考えると、オスが妊娠のリスクなんかを判ってるのに敢えて、メスの蜜壷の中に生出し射精したいのは、当然の結果と言えるのだ。

ヘンな言い方かもしれないのだが、誰だって何かの拍子に人間以外の他の動物の交尾姿を観た事があるだろう。それは犬の交尾姿かもしれないし、シャケなんかの魚の受精シーンかもしれない。生でそんなものを観なくても、TVなんかで動物の特集番組なんかを見てると何かの拍子で観てるって経験ならほとんどはあるんじゃないだろうか?そんなのを思い出して欲しいのだけれども、基本的に動物の交尾・セックスってのは射精と受精だけのパターンが多いってのは判るだろう。快楽を得るために愛撫を楽しんでる動物ってのはほとんどないのではないだろうか?

つまりは人間ってのは他の動物と違って、ただ、”妊娠さえさせればよい”って感じでセックスしてる訳ではないのだ。確かに他の動物と違って子供が出来るって事は社会的な責任が生まれたりして、単純に”産み捨てる”訳にはいかないのが人間の社会性である。そうなれば快楽を単純に求めてセックスすれば良いって事ではなくなって、それなりにその結果をコントロールする必要がある事になる。これには、子供が出来ることには困るから、いわゆる”中出し”日を考えてしたり、コンドームなんかの避妊具を頼ったりして、セックスを楽しむ観点からはそれなりの方策がもうすでにある程度確立されているので、判りやすいのではないだろうか?

それでもやはり、動物として本能的な部分で、セックスの快楽の魅力ってのは存在し得るのは誰にでも理解できるだろう。だから、子作りを求めない純粋な快楽を求めてのセックスを行なうことになる。そうなれば先ほど言ったように、妊娠のリスクを直接的に回避するフェラチオやぶっ掛けプレイなんかもすることになるのだけれども、結局はオスの性欲を満たすのは、メスを妊娠させることが動物的な本能だから、蜜壷の中に出していきたいってのがそのセックスの目的にならざるを得なくなる。そうなれば、これもまた繰り返すのだけれども、コンドームなんかの利用によって”擬似的”にその蜜壷の中に精液を射精して満足する結果になるのだ。

つまりはそのメスにオス自身の子供を作らせる行為・・・必ず子供が出来るのではなくて、子供が出来るかもしれない可能性としての行為・・・をメスに受け入れさせることによって、そのメスをモノにする行為となるのである。そうなればどうしても、どんな形で射精を行なったとしても結局はその蜜壷への挿入をセックスの目的としてしまうのは当然の事となる。そう考えれば、特に子供が出来る可能性が高い”生出し”なんかはオスの性欲を満たすものになるのである。

だからと言って逆に言えば、蜜壷への挿入だけで満足するか?と言って、それだけのセックスってのもありえないのは事実だろ。普通はメスのおっぱいをしゃぶりまくり、性欲のままに陵辱していくのはそれなりに興奮し、その結果として挿入がある。もっと言ってしまえば、どんなにメスが興奮してても愛撫無しの挿入など、”あっけなさ過ぎて”満足はしたものの・・・って感じになってしまうだろう。それでもオスは満足があるかもしれない。しかしメスの場合はその快楽の高まりを感じさせてこそ、その挿入の興奮につながっていくことがオスよりも顕著なはずである。

よく、濡れずに挿入するのは挿入するのは”痛い”ってのがメスから漠然と聞く話である。愛液が挿入の潤滑剤になるのはそれなりに誰にだって聞いた話であろう。単純な挿入だけでのセックスではその愛液の量が少なくなるのは判るだろう。つまりはメスは挿入までの興奮の高まりを愛液の量で表し、結果、挿入の快楽をより高めようとしてるのではないだろうか?確かにこの愛液の量ってのは、そのメスごとにまったく流れる量が違うので、一概には言えない部分があるのは事実である。しかし、それでもまったく愛撫のないセックスにメスが抵抗してしまうのは普通のことであろう。

ハッキリ言ってしまえば、直接的な蜜壷への挿入よりも、それまでの愛撫を楽しむメスのほうが多いのではないだろうか?確かに結果としての挿入がないのであれば、メスだって動物的な部分でセックスに対する満足感ってのはないだろう。しかし、それはあくまでもオスを受け入れる結果としての満足感であって、そのオスに愛されてる意識をもつのは、それまでの前戯としての愛撫のほうにウエイトがあるのはメスにとっての事実だろう。そう言う意味ではセックスにおける興奮の部分が性別によって異なるのだと言えるはずだ。

そうなれば、単純に挿入して射精さえすれば良いというセックスはオスの快楽のみを優先させるセックスになってしまうことにオス自身は気付かなければならないと言えるだろう。セックスってのは結局、互いの性欲を満たしてこそ、満足できるものだから、どちらか一方でも満たされることがなくなれば、その関係は終わってしまうことになる。もっと言ってしまえば、蜜壷への挿入・射精さえ出来ればとりあえずの満足を得られるのはオス自身なのである。

そう言う意味でオスのほうが安易にセックスに対して満足を得られ易いと言えるはずだ。それでもメスがそんなオスのエゴだらけのセックスに合わしてくれるのである部分があるのだから、それだけきちんとオスはそのメスを満たすように愛していかなければならない。どんなにセックスでオスがイニシアチブをもつことになっても、そのセックスの内容を濃くする方法はメスのセックスに対する満足度になるのだから、オスはそれを暗黙的に理解して、そう言う意味ではどんなにオスがサディスティックにメスを愛したとしても、その本質はオスのメスに対する”奉仕”でなければならないことにオスは気付かなければならないのだと僕は思う次第である。
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