2ntブログ
2009 09 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31. »  2009 11

スポンサーサイト

kage

--/--/-- (--)

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

調教における雰囲気と波長の重要性

kage

2009/10/20 (Tue)

オスが女の子を選ぶ場合、やっぱりその見た目、ストレートに容姿による部分があるのは事実だ。ハッキリ言ってしまえばやっぱりブサイクな娘よりも可愛かったり美人であったりする娘の方がうれしく思う。この容姿の好みってのはオスがメスを選ぶ場合もそうなんであるけれども、逆にメスがオスを選ぶ場合だってその判定はされるだろう。それに後はスタイルの良さなんかが見た目の判断基準になる。デブよりもやっぱりスタイルの良いタイプの方が基本的にはモテる要素となる。これがある意味ものすごくオーソドックスなステレオタイプなモテ方に対する考え方ではないだろうか?

そしてそこに性格的なものがあって、相性問題が挟まって、そして色々なバックボーン・・・どんな仕事をしてるであるとか、収入であるとか、そう言った打算的なモノがあって恋愛感情が生まれるのであろう。特にある程度の年齢になって恋愛と結婚が直結するような場合なんかは、その後の人生って側面も考えて相手のことを選ぶのが普通になってくるだろう。特にメスの場合はオスのそう言ったバックボーンがそれなりに重要だと考えてしまうのが本音の部分ではないだろうか?結婚ってシステムの中でやっぱり相手の経済的余裕であったりのそう言ったものを考えないとは、どんなに”働く自立した女”であってもまったく考えないわけではないだろう。

ただ、ネットでの出会いでは当たり前ながら、その場限りの性欲の解消ってのがオス・メスの性別の関係なく求めるものであるから、その出会いが結婚なんかに直結せず、もっとストレートにどのような快楽が得られるか?ってのがその出会いのメインテーマになってくる。つまりはそこにはセックス=恋愛関係、結果的に結婚って構図は生まれないのである。普通の日常の出会いであっても、よっぽど結婚に”がっつかない”限りには恋愛してることの幸せを楽しむのであって、結婚となればまた別次元の考え方になるはずだ。

確かにそんなネットでの出会いであったとしても中にはそのまま結婚と言う形でゴールになったパターンも否定しないし、それによってそのカップルが納得済みで幸せな時間がそれからも続くと想像出来得るのだから、それはそれで結果的におめでたい話であり、人それぞれだ。それに日常の恋愛であっても結婚になんらかの形で結び付く事はある意味良い事であり、まったく否定する意味合いで言ってるわけではない。

ただここで言いたいことはネットでのセックス前提の出会いは、あくまでもメインは性欲の解消であって、恋愛や結婚とはまた違った意味合いでの出会いであると言うことだ。だからもっとハッキリ言ってしまえば、容姿や体型なんかは実際逢っちゃうまではまったく判らないってことになる。ネットでの出会いってのは当たり前だけれどもチャットやメールになって基本的には文字情報でのイメージでのことを意味するからである。確かに2ショットチャットなんかにおいても画像の交換はできる場合も結構あるし、メアドが交換できれば結構その素顔の写真なんかも送ってきてくれたりする。

しかし、実際は写真を観たとしても逢ったら雰囲気が違ったりして・・・って事は多々あるし、もっと言ってしまえば”逢える”事自体がオスの場合、特に目的となるのだから、メスとセックスするために出会えるって前提条件が狂わない限りにはセックス出来るだけで満足できる部分があって、実際こだわりが少ないってのが本音にある。少ないってよりもほとんど無いって言った方が正しいかもしれない。特に外見的な部分でそうなのだから、内面的な性格なんかは完全にその出会いにおいては無視する事になる。ハッキリ言ってしまえば”ヤレるか?どうか?”だけなのだ。

メスだってある意味、そうであろう・・・確かに好みってのがあってそれなりの美男子との交尾を求めていくのが日常ではあるのかもしれない。しかし、ネットでの出会いってのはストレートに調教を求めてくる場合が多いので・・・僕自身がそんな出会いを求めてる結果もあって・・・逆に”キモデブの肉奴隷になって惨めに調教されて汚されたい・・・”って希望の娘が結構いることだ。

確かに日常じゃプライドなんかの問題もあって、そう言った欲望が言えないってのもあるんだと思うのだけれども、もっと言ってしまえば、そんなシチュエーションに興奮してしまう自己陶酔って言い方はものすごく変だけれど、惨めで卑猥な肉奴隷になるシチュエーション自体がそのメスを興奮させていく部分があるのではないだろうか?と思うのである。逆に言えばそう言う部分がそのメスの心のどこかにあるからこそ、メス自身の中での”マゾ”性に気付いて、それを満たしたいために”汚れる”って表現でそう言ったセックスの相手であるオスに対しても、メス自身が惨めになれることを求めているのではないだろうか?と感じている部分がある。

つまりはメスの興奮はこのブログで何度も言ってるのだけれども、メス自身の中でのイメージがあって、そこにどれだけ近付いていくか?ってのが重要となるのではないだろうか?そうなればその相手であるオスに求めるものに対しても、”汚れていく”ためには2枚目俳優が調教しては意味が無くなるのであろう。そしてその汚されていくシチュエーションをどれだけ感じられるか?が調教と言う手段ではないだろうか?そこにはノーマルなセックスでは感じられない変態性があって、そのプレイ自体の直接的な快楽ってよりも、それを受けていることに対する感情での快楽の方がマゾにはあるのではないだろうか?

それを前提に考えるのであるならば、確かに道具を使ってであるとかの具体的な調教方法を考えて実行する必要がサディストであるオスには必要なのかもしれないのだけれども、それ以上にそのシチュエーションに溺れさせて精神的にメスを調教していくスタンスが実際的にはよりそのメスのマゾ性を引き出す事になるのではないだろうか?と僕は思うのである。つまりは緊縛であるとか露出であるとかの具体的な調教方法のテクニックってのも重要なのかもしれないのだけれども、実際的にはそれによってメスがどのように思うか?そのシチュエーションに溺れていくか?の雰囲気作りが重要なのだと僕は思うのである。

そして、リアルで逢えるかどうか?って部分においてもメスはその判断基準に”その雰囲気に溺れていってるか?どうか?”があるのだと思う。単純に変態セックスがしたいから、リアルで逢ってみたい!!って感じの娘はほとんど全くと言って良いほどいないだろう・・・中にはほんの少数だけれども、ネットでのプレイやメールの交換なんかを飛ばしていきなりリアルで逢いたい・ヤリたいって娘が居た事は事実であるのだけれども、本当にそれは繰り返すのだけれども極少数である。だ

だから逆に言えば僕の場合、そう言った”堕ちていく”雰囲気作りってのはネットでのプレイの中でも頑張ってやっているつもりだ。相手がどんな娘か?ってのはあまり実際的には関係が無い。確かに、人妻なのに・・・であるとか、恋人が居るのに・・・であるとかの言葉使いによって背徳なイメージ作りをしたりはするのだけれども、それよりも相手の本当の名前や勤め先なんかを聞き出したりして、”もう逃げられないんだよ・・・”って感じに持っていくことが好きである。

なお、当たり前ながら女の子が告白したすべてが全部、本当のことなんてありえないって思ってる。結局はネットでの出会いだから、”ウソ"を言っても本当か?どうか?なんて判らない。女の子だってその事には気付いてる。それでもその聞き出す行為と告白してしまう行為の中で、ある種のプレイが成り立つのである。

特に写真を見せて欲しい、見せてしまったってのは画像交換チャットなんかでよくあるシチュエーションなのだけれども、その見せてもらった画像ってのは大体は”ああ、掲示板で観た事あるなあ・・・・”って感じで判っちゃうのだけれども、それを女の子自身の秘密の画像として扱ってプレイとして”堕ちていくのが判ってるのに、見せちゃったね・・・・”ってやっちゃうのがオスのネットでのプレイの礼儀であると思ってる・・・確かに全てがまったくウソでなく画像も本当にその女の子のものであろうって確信するときもあるのだけれども、その時は本当にその女の子のプライバシーを明かさせたんだから、それなりに扱いに気をつけて、絶対誰にも秘密で女の子の生活に迷惑をかけないようにするのは絶対のお約束である。

そしてそう言った雰囲気作りってのは犯罪染みてるから、女の子に恐怖を与える事になる。怖がらせて脅迫してリアルでの出会いをさせる形に表面的にはなってしまう部分が多分にある。それでは女の子にとってその出会いは苦痛でしかない。それでは僕にとっての調教は意味が無いのである。なぜなら、究極的には”ご主人様のためだけに、奉仕してメス豚になっていくのが悦びです”ってことを感じさせるのが僕の調教テーマである。つまりはセックス前提の調教を目的とした出会いであっても”ご主人様の性欲処理のために悦んで奉仕します”って雰囲気で来て欲しいからだ。

つまりは無理をさせない事が大前提である。そうなるとその束縛感、堕ちてしまったってのは来てくれる限りにはその娘には持って欲しいのだけれども、だからと言って緊張と恐怖だけの気持ちにはなって欲しくないから、そう言う意味でのサジ加減ってのが難しいのである。僕の場合、”まあ、そうやって聞いちゃったけど、プレイだから・・・”って感じでその目的を実際出会う前にタネアカシじゃないけど言っちゃうことのほうが多い・・・そうやって安心してもらう。女の子にはその出会いで後悔して欲しくないからだ。

調教ってのはある種、精神的な束縛をメスに感じさせる事である。そのためにはそれなりの雰囲気作りをオスはサディストとして、しなければならない。ただ女の子を強制させる事ではない。あくまでも自発的に奴隷になる事の悦びを自発的に感じさせなければならない。単純にセックスの相手を探す事ではないのだ。そして実際にそこまでの状況を作り上げてリアルで逢うのだから、女の子のルックスなんかとは別のところで・・・・精神的な部分で・・・その好みに近付けさせていくのだから、その相性において、最も大事なのはその精神的な波長かもしれない。本当にリアルで逢えるって事は、オス自身の精神的波長が作り出した雰囲気作りにメスがのめり込んだときである。そう言う意味では普通の恋愛以上に調教での出会いってのはその精神的な相性ってのが重視されるのだと僕は思うのだ。
関連記事