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kage

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メスのセックスのときの表情

kage

2009/09/30 (Wed)

女の子とエッチしちゃってる時、僕にとっては確かに女の子を犯して射精する満足ってあるのはもちろんだけれども、それ以上に女の子が僕の愛撫や肉棒でその表情を歪ませてヨガ゙らせていってる支配感に対する満足度のほうが本質的には大きいような気がする。支配感って言い方自体、ちょっと違うのかもしれないのだけれども、”僕でこの娘を感じさせてやってる!!”って気持ちと言えば判りやすいのかもしれない。

なぜならセックスでの女の子の表情ってのは特別なものであると言えるからだ。当たり前なんだけれども、普通の日常で接している限りには絶対観ることの出来ない表情であるし、そのシチュエーションとしても、ある種のアブノーマル状態以外は完全に二人きりのときにしか観られない表情であるからだ。つまりは、僕にだけ、それはその娘が見せてくれている表情である訳でそうなればオスとしての充実感ってのは生まれてくるのは当たり前だと言えよう。

もちろん、確かにその前提としてセックスがあってそのハダカを見つめて愛撫なんかもしてるのだから、その状態でも他のオスには出来ないことをその娘にしているって意識が生まれて、その気持ちってのは独占欲だったり支配欲であったりして、”モノ”にしている気持ちがあるのは間違いないのだけれども、しかしその娘を”感じさせている”ってのはその表情や喘ぎ声でしか判らないものなのである。確かに腰の揺れやかすかな汗の匂い、愛液の流れなんかでもその娘の欲情の度合いなんかも感じられるのだけれども、ビジュアル的にストレートにその感じ方が判るのは、その娘の表情なんだと思う。

なぜならハッキリ言ってしまえば、強引な愛撫でもその女の子の身体ってのはそれなりに反応してしまうのは事実だからだ。悲しい経験だけれども、ある女の子とエッチな関係になって何度かセックスしちゃってる仲であっても、たまたまその時は上手くその女の子の気分を乗せることが出来なくて、それでもつい始めちゃった為に、僕自身オスだから、それまでの甘えもあって、その娘を犯していったことがあるのは事実だ。こんな経験はどんなカップルにだってあるのだと思う。

オスってのはセックスをある意味で”甘え”としてそのメスに求めていく部分があって、ある種”お手軽”に自身の性欲を満たすためだけにその娘を犯していくってのがそれなりに関係が続くとヤってしまう場合があるのは事実だろう。しかしメスの場合ってのは、今までの経験した雰囲気でしか言えないのだけれども、ある程度その性欲とは別の部分・・・仕事であるとか人間関係であるとか、それなりに充実して、その上で性欲を満たしてしまいたいって感じで、オスのように本質的には甘えのセックスではないように思える。

逆に言えば、なにか他の事でダメージがあれば、性欲もそれに伴って減退するのが女性なんだろうと僕は感じている。確かにオスが居て、なんらかの辛いことがあって、それに対する甘えとしてのメスが求める部分も否定しない。しかしそれはあくまでもオスに対する”甘え”であって、それがストレートにセックスにつながらないのがメスなのだ。そう言う意味でも当たり前ながらメスの性欲ってのはオス以上に”発動条件”がシビアであると言えるのだろう。

そんな中でどうしてもオスのほうが”お手軽”に欲情するのだから、メスの気持ちを無視して性欲のままに犯してしまう部分は否定出来ないのだと思う。特に繰り返すのだけれども何度もセックスしている関係であるならば、オスのほうはその娘とセックスして”当たり前”の意識になる。そうなれば、ドメスティックバイオレンスまで行かないまでにしても、その性欲のままに相手の気持ちを考えずに犯してしまうのは事実になってしまうだろう・・・そしてメスのほうもそれまでのセックスを受け入れてしまっている事実や快楽に対する気持ちなんかもあってオスの性欲のままにそのセックスをある種”なし崩し”に受け入れてしまう所があるのは事実だろう。そう言う部分があるのをオスは本能的に理解して、それに甘えてメスを犯していくのがオスの”ズル”さであることを僕は気付いている。

そしてセックスになってしまうのだけれども、メスのココロのどこかにやっぱり、何かの”ひっかかり”があって素直にセックスが楽しめない状態であっても、その身体ってのは愛撫によって単純に快楽を感じていくのは事実であるはずだ。厳しい言い方になるのかもしれないのだけれども、肉体的な快楽ってのはやっぱり肉体的な刺激によって得られる部分があるのだから、メスにとってムゴい事を言えば、レイプによって感じてしまっても仕方の無いことであるのだ。

ステレオタイプな議論なんだけれども、レイプによって感じるメスは淫乱なのか?って問題はあるのかもしれないのだけれども、実際的に合コンなんかのお持ち帰りや何かの拍子でのセックス・・・そんな相手との愛情関係が無いたぐいのセックスでも感じることは事実だろう。それとレイプはある種、一緒なのだから、つまりはオスのどんな愛撫であったとしてもメスはその刺激によって、愛液を垂らし乳首を尖らせ腰を振って感じていくのは、事実のはずだ。セックスってのは究極的にはその肉体に対する刺激だからこそ、その精神性はどうしても後回しになるのが実際のはずだ。

ただしかし、その表情って問題に関しては、ヘンな言い方なのだけれどもその精神的なものが全て出るような気がするのである。これもまたステレオタイプな想像を働かせて欲しいのだが、例えばレイプなんかでの娘の表情ってのは苦痛や恐怖、そしてその中にかすかな快楽があるだけで、心としてはそのセックスに満たされないだろう。しかし恋愛感情までは行かないかもしれないのだけれども、メス自体が快楽を求めてセックスを受け入れた場合はその表情はより激しい快楽を求めて貪欲に息を喘がせて歪ませていくだろう。

そこで考えなければならないのはオスがメスに対してどのような表情を求めていくか?になる。オスだけの中にある性欲を満たすだけであれば、メスの蜜壷の中に射精さえすればそれなりの満足度があるのは間違いないだろう。オナニーと違ってそのメスの中に、もしくはメスの身体で射精したことに対してそれなりの充実があって納得できる部分があるのは事実のはずだ。だから悲しくて絶対オスとしてしてはいけないのだけれども、本音の部分でレイプと言う犯罪があるのはどこか理解できる部分がある・・・理解したからと言ってそれをするのは間違っているのだし、メスを傷付ける行為になるのだから、オスとしてメスと合意の無いセックスってのは絶対にしてはならないことを改めて書いておく。

ただレイプってのは当たり前だけれども自身の性欲を満たすだけのセックスだからそのメスとは”その場限り”での関係になるのが原則だろう・・・確かにどこかの小説やゲームのようにそれでそのメスを脅して関係を続ける的な発想もあるかもしれないのだけれども、実際はその場限りでのレイプのほうが多いだろう。そうなればメスを支配したいであるとか独占したいって気持ちはそのセックスには生まれないだろう。その時さえ射精する相手としてメスを扱い、思うままに犯すことが出来ればそれで良いのだから・・・・・

僕自身も当たり前ながらメスとのセックスにおいては、肉棒から精液を射精することを目的にして犯してしまうのが本音にある。ただ何度も言ってるように僕自身サディストだから、そのメスに対する支配欲ってのが当たり前ながらにあって、”自分のモノだけ”にしたいって気持ちがあってその手段としてのセックスだと思う部分が大きいのも事実である。よく日常での出会いの中でのプラトニックなつながりを重視したいって恋愛論の中で語られる場合が結構あるし、女の子の心の中でオスとの関係を性欲を満たしあうだけでの関係ではなくより内面的な愛情での関係でありたいと思うのもあるだろう。

確かにセックスだけの関係ってのも支配独占を求めるには、イビツなのである。簡単に言ってしまえばその娘の性欲だけを支配しただけでそのすべてを独占したことになるか?ってことになる。僕がそのメスに求める支配ってのは精神的にも肉体的にも完全なる忠誠を求めることになるのだから、そう言う意味ではセックス以外の部分に対しても独占していきたいって気持ちがあるのが事実なのだ。

ただ実際的にはセックスってのは当たり前ながら”子作り”の側面以外においても、メスにとってはそのオスを受け入れるか?受け入れられないか?って部分が大きいはずで、それってのは動物的な部分でしちゃう部分だから、日常での理性では求められない何を差し出すことになるのはメスの誰しも漠然とながらかもしれないのだけれども気付いてるはずだ。その心の中での性欲を満たすことと同時に何らかのものをセックスによって受け入れ、それによって”オスのモノ”になっていく覚悟ってのがどこかにあるはずである。

そう言う意味ではプラトニックな関係なんかよりもセックス前提での出会いのほうが、ある種、強固な関係になると言えるはずだ。逆に言えばセックスしたからこそその相手を”自分だけのモノ”として愛し、大切にしていきたいって気持ちになるのがオスの気持ちなのだ。確かにセックスのためだけに、性欲処理のためだけに出会ってしまうってのは不自然かもしれない。でもだからこそ、出会った相手に対してはきちんと愛して束縛していきたいのがサディストの本質であると言えるのである。

そしてそうなれば、やはりそのために、メスにはそのセックスで”満たしてあげたい”って気持ちになる。メスだって性欲があって快楽を求めて僕と出会うのだから、そのセックスってのは終わった後に満足出来なければ、その出会いには意味が無いことになる。逆に言えばオスはそのメスを独占するためには、メスが求める以上の快楽を与えることによって”快楽に溺れさせる”って言い方自体、不遜なものがあるのだけれども、”また次もセックスされたい!!”って思ってもらえるように頑張るのである。

そしてその判断基準になるのは、やっぱりセックス中のその娘の表情である。表情ってのは本当にその娘の気持ちがストレートに判る部分で、その快楽に溺れている表情ってのは、オスにとってその娘を”自身で溺れさせている!!”って自己満足につながっていく。他の誰にもその娘が見せたことの無い表情をより明確にさらけ出させるように激しくその娘を求めていくことになる。確かにおっぱいやお尻の柔らかさってのもオスの性欲を刺激するものであるのは間違いないのであるのだけれども、それ以上にメスの快楽に溺れる表情ってのはオスとしての支配欲を満たすことになるのだ。繰り返すようだけれどもその表情ってのは特別なもので通常では絶対見られないものであるからである。

つまりはその表情をさらけ出すことによってメスは自然とオスに対して忠誠を誓うことになると言えるのである。逆に言えば、肉体的に快楽を感じているのにレイプなんかでの苦痛をにじませた表情ではオスの独占欲を満たすことにはならないのである。そう言う意味ではメスの表情ってのはオスの独占欲を満たすものだからこそ、メスはセックスのときは恥ずかしがらないでその気持ちのままにその表情もさらけ出して欲しいと僕は思うのだ。
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