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kage

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女の子の体型

kage

2009/09/14 (Mon)

今回のブログに関しては、ものすごく僕1人の女の子の体型に対するこだわりがあります。体型ってのは遺伝的な部分も含め、個人で変化し難いモノですから、ある意味、すごく差別的な内容になってるのかもしれません。実際問題、日常で女の子の体型を話題にすることは”セクハラ”に当たります。だからある意味体型の話題はマズい話題であると認識があります。しかし、ダイエットなんかの話題をオスとして観ちゃうとちょっと思うことがありまして、敢えて書きました。言葉足らずで、不快に思う女性も居るかもしれませんが、1人のオスの考え方だと思って、読んでいただければと思います。


女の子の体型で、1番判りやすいのはストレートに体重なんかが話題になったり価値基準になったりしちゃってるのは実際的な事実だ。どんなに女の子の価値基準は性格なんかの内面の問題と言いながらも、それなりにやっぱり”見た目”ってのも気になるのはオスにとっての素直な感想だろう。そしてそれをある意味、すっごくシビアに理解してるのも女性自身なんだと思う。だから、雑誌なんかでのダイエット特集なんかはどこにでも載ってるのは誰でも知ってることだし、情報バラエティー系のTVでも”女の子を美しくするダイエット”なんか何かの拍子に当たり前ながら放送される。それだけダイエットってのは女の子にとっては興味のある話題なんだろう。

でも、ここで考えなければならないことはそんなに女の子にとってダイエットは必要なことだろうか?と言うことだ。言い換えればそんなにオスはメスに対してダイエットを要求しているか?である。僕自身、女の子の出会いってのは、セックス前提での出会いがそのほとんどだから、あんまり女の子の体型は気にしない部分があるのは本音の部分だ。こう言ってはなんだけれど、逢える娘が”ヤレるか?どうか?”が重要でそれ以外の条件はあまり考えない。ネットでの出会いなんだから、来てくれるだけでうれしいから、そう言う意味では選り好みしないってのが僕の出会いのスタンスだからだ。

だから、ある意味それなりにいろんな体型の娘と経験しちゃうのが実際だ。本音、体型じゃなく年齢も本当に千差万別ってのがあって、あからさまに無節操な部分があることを自分自身でも自覚している。そしてだからこそ思うことなんだけれども、女の子自身が思うほど、オスにとって区別が出来てないのではないだろうか?と言うことだ。

よく女の子の体型の表現で、ムッチリ・ポッチャリ・デブ・ガリ・ヤセなんかがあるのだけれども、女の子の7割がたはムッチリの表現で良いんだと僕は思う。確かに出会う女の子が20代後半から30代が多いから、どうしてもメスとしての熟れ盛りの身体を味わってしまうために、肉付きの良い身体を味わい易いってのはあるのかもしれない・・・・チャットで遊んで出会うために、相手が人妻の割合も結構、普通にあるためだ・・・・だから、どうしてもメスの身体の表現は”ムッチリ”になってしまうのかもしれない。

そうなると、やっぱり何かの拍子に交尾したメスと”痩せたほうが良いか?”との話題が出る。僕自身、言っちゃうのだけれどもかなりのメタボ体型だから、その女性と食事なんかしてると話題になり易いのもあって、話しちゃうんだけど・・・その時に基本的に言っちゃうことは”ほんのちょっとだけムッチリしてるほうが、オスって興奮しやすい”ってことである。確かに限度ってのはある。太ってる僕が言うことではないけれど、無節操にデブッとした女性に対してはそれなりに抵抗があるのは事実だ・・・それでもしちゃうのだけれども・・・・・でも1番困るのは本音”ガリガリ”の娘だ。

そこで何を持って”ガリガリ”になるのだけれども、僕の場合、萎えるのはおっぱいの付け根からお腹にかけてのアバラが浮かんで見える女性の身体がダメなのだ。かすかに見えるだけでもかなり抵抗がある。産まれた時の体質でどれほど、食べてもそうやって痩せてしまうってのは仕方が無いことなのだけれども、ダイエットなんかで無理して痩せてしまう娘なんかに出会うと、抱きしめると皮の向こうに骨があるのを実感してしまってどうも強引に抱きしめるのが怖くなる。

女の子の身体ってのは基本的には華奢で細く、壊れやすく感じるのは、いつも抱きしめた時に思うことである。チカラを入れちゃうと壊してしまうんじゃないだろうか?ってのは本当に実感としてあるのだ。そんな状況であの浮かんだアバラを観ちゃうとどうしても、その”モロさ”だけがそこにクローズアップされて、そう言う意味での怖さを感じる場合が僕には多いのである。だから、ストレートに言ってしまえば、その怖さを隠す部分において女の子の”肉の柔らかさ”ってのは抱きしめるときの心地よさに直結するのである。

そう言う意味ではそれなりにムッチリとしてくれたほうが良いのではないだろうか?と僕には思われるのだ。それにハッキリ言ってしまうと僕の場合、セックス=調教ってのがあるので、何かの拍子に女の子を縄で縛ってしまう場合がある。おっぱいなんかは特にその食い込み感ってのが浮かびやすくてビジュアル的に興奮が高まるのだけれども、あまりにも痩せすぎる女の子との緊縛プレイってのは、アバラに縄が掛かって、変に”痛々しさ”を感じる場合があるのは事実なのだ。そう言う意味ではガリガリよりも縛ると縄が食い込みやすいオデブさんのほうが興奮しやすいのが事実である。

ただ、だからと言って、際限なくオデブさんが良いのか?って訳ではないのも事実なのだ。僕にとって理想なのはおっぱいのあたりのアバラの部分の肉付きが、ムッチリとしてるのが理想なのである。指で撫でるとそこにはそれなりの肉があるのが判るのだけれども、触れた感触にはアバラを感じてしまう程度が理想的なのだ。あまりにも肉付きが良すぎてアバラを感じられないのも、ちょっと抵抗があるのだけれども、まったくその肉付きが感じられなくて皮の向こうにすぐにアバラを感じるのもダメなのである。

なんだか難しそうに書いてしまったのだけれども、実際的に女の子なら、アバラの辺りを触れてみていただければ嬉しい。ほとんどの女の子はそんな感じなのだと思う。つまりはオスにとっての理想体型の範囲はそれだけあることを知って欲しいのである。だらしなくポッチャリと体重がある娘であるなら、やはりオスとしてはそれなりに抵抗があるのだけれども、女の子に求める体型の幅にはそれなりにあって、そこから越えてなければある意味、OKなのである。

つまりはハッキリ言ってしまえば、女の子が考えるほど、オスにとってはその体型に対してシビアに考えていないのである。だから、女の子ってのはあまりダイエットなんかを考える必要なんかは無いのだと思うのだ。それよりも明るく元気に微笑むことが出来る娘のほうがオスにとっては魅力的なのである。セックスを求めて出会いを選ぶのであるならば、特にそのことは言えるのである。

なぜなら、性欲ってのは日常では羞恥を伴って隠すべき欲望の側面があるのに、それをあえて、さらけ出すってことは感情をさらけ出すことにつながるのである。そうなれば思うまま感じるままにセックスの時はメスに振舞って欲しいってのがオスの本音なのだ。演技で気持ち良いと気遣って言ってくれるよりも、終わった後で”気持ちよかった!!”と微笑んでくれる笑顔がオスにとって、ある種セックスに対する”ヤって良かった!!”と思える結果なのだ。

ダメならダメって言ってくれれば、次はもっと頑張りたいと思うし、それでも厳しければ相性の問題だって考えるだろう。女の子は気持ち良くなりたいためにセックスをするのだ。逆に言えばそれが満たされないと女の子にとってのセックスは意味がなくなるのだろう。そう言う意味では女の子はセックスに対してシビアなジャッジをオスにして良いのだと僕は思う。

そしてここで言いたいことは無理してダイエットに挑戦する必要は無いことも言えるのである。オスのためにとか、周りからの視線が・・・・なんかよりもまずは明るく微笑んでくれるほうが良いのだと僕には思う。よくダイエットなんかの広告で”痩せて綺麗になって、自信をもって明るく微笑むことが出来ました!!それで男性にモテモテです!!”って感じでCMがあると思うのだけれども、女の子が痩せて綺麗になること自体は悪くないことなんだと思うのだけれども、結果綺麗になったからオスにモテて自信になるのでは無くて、”明るく微笑む”ことが出来る結果がモテた原因だと思う。明るく微笑む手段がダイエットで良いのかもしれない。それはあくまでも手段であることを知っておいて欲しいのである。その手段でなくても明るく微笑むことが出来るのであれば、それだけで女の子は良いのだと僕は思うのである。手段を目的にせず、目的の”明るく笑える”方がオスにとっては重要なことだと僕は思うからである。


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