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kage

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動物的本能としてのセックス

kage

2009/09/13 (Sun)

やっぱりストレートに性欲があってセックスしたいから、エロチャットなんかで遊んで、結果リアルでもセックス出来るように頑張っちゃうのが僕のいつものパターンだ。普通なら、職場や学校、そんな感じでの日常でのごく普通の場所で出会って恋愛をし、その結果、セックスの関係になっていくのがステレオタイプながら普通のセックスに至るプロセスだろう。そうでなくとも、ヤリコンまではいかなくても合コンなんかでお持ち帰りのパターンやナンパでのセックスなんかがネットでの出会いを信じられないタイプのセックスの機会ではないだろうか?

つまりはネットで遊んでて、結果、リアルまでしちゃうってのはネットでの出会い系にハマりこまないタイプの人間には”信じられない”行為であると思うのが普通だろう。特にネットでの出会いってのはやっぱり性犯罪や中高生の援助交際など、様々な意味でのトラブルの温床ってのがやっぱりそのイメージにあるのは事実だし、実際何かの拍子にニュースになってそれが社会的に表面化するのも事実だ。その為ネット規制って呼び方で成人認証や警察への届出制なんかが行なわれたりして、それなりにトラブルを防ごうとする動きがあるのは仕方が無い部分もあると思う。

確かにネットでの匿名性って側面においてはトラブルに成り得る状態であるのは認めなければならない。ネットでのモニタに写る情報ってのは、その情報だけで原則他の部分は全く出てこない。それでいながら、不特定多数の人間と様々な情報を交換し得る状態になっているのは間違いないのである。

ネットワークの個人の利用はプロバイダを通じての利用になるため、その個人がどのようなHPを閲覧したか?メールの内容はどのようなものか?はプロバイダによって記録されている部分があり、またHPにおいてもそのアクセス記録はHP管理者が保存しているのが原則である。だから、何らかの犯罪を伴った場合、警察なんかがその記録を調べることが可能だから、そう言う意味では匿名性は無いと言えるのかもしれないのだけれども、原則的にはその利用者からは匿名性があると言えるのである。

これは何も出会い系サイトの類いだけでは無い。通常の掲示板でもトラブルになり得るものであるし、オークションサイトなんかでも起こり得る話だ。つまりは安易な匿名性を利用した犯罪は程度の差はともかくとして誰にだってなんらかの事件に巻き込まれる可能性があるのは事実だろう。だから通常、出会い系サイトなんかを利用してない人間なんかはそのリスクをクローズアップして、その危険性を語るのである。

ただ、しかし本当にそうであろうか?って部分もネットで遊んでいる人間は考えなければならないだろう。繰り返すようであるが、ネットでの悪意が全く無いとは絶対言えないし、トラブルだってゼロではない。それだけは事実なのだ。しかしその部分においては、夜の繁華街で起こり得るトラブルと安易に比較してはならないと思うのだけれども、リアルでの日常においても様々な犯罪リスクがあるのだから、単純に悪意だけをクローズアップしてはならないと僕は思うのである。

実際、こうやってブログを観てくれるほとんどの人間はネットでの便利性もある程度は理解してくれているのだと思っている。ネットでの買い物や情報収集、メールのやり取りまで、これもまた個々人で程度の差はあるのかもしれないけれども、どのレベルであってもネットでの利用を止める事は出来ないだろう。つまりはそう言う意味でもネットのあり方は日常と変わらなくなってきてると言えるのである。だからこそ、リスクと便利性を比較してその使い方を考えてネットを利用している人間が多いのではないだろうか?

そして出会い系サイトについては、たしかにその”イビツ”性の側面があることも判っている。ハッキリ言えば、日常においてはセックス前提での出会いなど、実際的にはあり得ないのに、そこには歴然として快楽を得ることを目的として男女の区別無く集まってくるのが、その”イビツ”性であろうと言える。日常においてストレートに”セックスしたい!!”ってだけで出会いを求めるのはインモラルであると社会的に共通認識があるためだろう。男女間でどんなに合意があったとしてもセフレ関係なんかのセックスのための関係ってのはやっぱり社会の表面的な感覚から言えば”イビツ”であるのだ。

しかし性欲ってのは動物の根源的な部分であることも事実なのだ。どんなに道徳的なことを説いても実際的には性欲ってのが人間のどこかにあって、それを満たしたくてウズウズしているのだ。確かに理性があるからこそ、ほとんどのオスは何らかの理由をつけてしかセックスはしない。それがナンパであったり合コンであったりと手っ取り早く”ヤレ”る方法を考えての理由であったとしても、恋愛ではなく性欲を満たす方法として何らかの形で満たしていくのである。

理想は好きな女性との恋愛の結果でのセックスであったとしても、性欲ってのは恋愛感情とは別の部分であるから、どうしてもそうなるのである。つまりは犯罪でない、レイプでないチャンスがあれば、性欲に従ってしまうのがオスの性欲であると言えるのだ。極端な話、だからこそ、生産業としての風俗が存在するのも事実なのである。

この感覚はある意味、女性だって言えるのかもしれない。性欲の量って言うか高まりは男女で異なるか?と言えば、絶対そんなに差は無いと感じている。ただ妊娠なんかのセックスによる結果のリスクってのがはっきりと現れてしまうのがメスであるために、そう言う意味ではメスにセックスの躊躇があって当然なのである。ありえないことだけれども、もし、その類いのリスクが男女共に実際的に同じであれば、セックスに対する行動は男女共に同じものを示したであろうと僕は思っている。つまりは性差の区別無く性欲は人間として持つものであると言えるのである。

それなのに、セックス前提の出会いを反道徳的として社会的に”隠して”しまう風潮は根強い。確かにセックスって行為自体、多かれ少なかれどんな人間でも、ある一定の年齢を越えればそれなりに経験する行為のはずだ。それなのにストレートに話題とするのは、セクハラの関係もあって・・・それ以上の何らかの恥ずかしさを伴ってタブーとなる場合が多いのは事実だ。誰だってそれなりに興味があるのに、ゴールデンタイムのTVの番組でセックスに対する話題なんかを取り上げないのは、当たり前であると考えるのが社会の常識である。

そこにはある種、単純な意味で羞恥の精神があるのだろう。誰だってセックスのテクニックと言うかその方法をさらけ出すのはどこか羞恥を伴って抵抗がある。セックスを話題にした場合、どうしても”自分の場合は・・・”ってのが出てくるから、それを語るには抵抗があって、そうなれば暗黙の紳士協定として、その話題をタブー視してしまう部分もあるのだ。そして性欲をさらけ出すこと自体、やはり、理性ある動物のすることではないと言う部分だってあるだろう。セックス自体は自然の行為であるのに、それをさらけ出すのはインモラルであると”刷り込まれた”部分で告白出来ないってのがあるのも事実だろう。

これにはある種、家族を作る意味も考えなければならないのも事実だ。セックスすると言うことはある種、子作りを意味する。つまりは子供が出来て当然の行為なのだ。そうなれば安易なセックスは、”出来ちゃった婚”を許せない限りには、その家族の成立とは矛盾した行為となる。だから、安易なセックスを防ぐために、ある種のタブーとなる側面も否定は出来ないだろう。

しかし、実際的には人間は快楽を得るためだけのセックスが出来る事を知ってしまっているのも事実である。はっきり言えばコンドームなんかの避妊の方法を知って交尾を楽しむことを覚えてしまえば、セックスの結果での子作りの意味をなさなくなるのだから、そうなれば、快楽を楽しむセックスがあっても良いのではないだろうか?と言う部分が生まれるのが実際である。そしてそこまでハッキリと言わないまでも、だからこそ結婚を前提としない恋愛であっても、愛情の証としてのセックスは成り立つのであるし、実際的な部分で、互いが独身であれば特に、性欲の発散としての快楽をなんらかの形で楽しんでいるのが、男女の性差、関係なくそれが本音の部分ではないだろうか?

ただ、問題としてそんなに簡単に交尾する機会ってのは実際的には少ないのも事実だ。確かに先ほど、合コンなんかの例を話したのだけれども、”ヤリコン化”している人間は少ないだろう。何度かその流れでのセックスを経験してしまっても、そのままそれが当たり前であると考える人間は実際的に思ったよりも少ないのが実情であろう。

そうなれば、やはり実際的に性欲の解消としてやってしまうのはオナニーであると言える部分があるはずだ。社会的にもはばかることなくセックス出来る関係があったとしてもオナニーしてしまう場合が結構あるはずだ。恋人が居ても、オナニーを全くしなくなる場合のほうが少ないはずだ。もちろん、性欲が枯れて・・・枯れなくても生活環境がそれなりに厳しくなってそれどころではなくなる場合は否定しないのだけれども・・・そんなパターン以外はそれなりにオナニーライフを楽しんでるのではないだろうか?

そうなれば、やはり性欲を興奮させる手段としての”オカズ”が必要になってくるのは事実である。オスの場合、雑誌のグラビアやAVなんか様々なグッズが揃っているのは事実であるし、実際的にはその延長としての風俗が存在するのは事実なのだ。そう言う意味ではオスは具体的なメスの身体をビジュアル的に意識してそれを興奮とさせていくってのが判るのである。

しかしメスの場合は、あまりどうやら視覚的な”オカズ”を求めないような気がするのが僕の感覚である。当たり前ながら僕自身がオスであるために、メスの本音を知らないってのがあるためにこれ自体、あくまでも推測にしか過ぎないのであるのだけれども、確かにAVなんかでもそれなりに女性でも興奮があるのだと思うのだけれども、そのAVに出てる女優なんかをもし自分自身だと見立てて・・・って感じでイメージによる興奮ってのがオス以上に大きいような気がするのである。そうなれば、チャエッチなんかのイメージでのセックスは女性にとってオカズに成り得るのだと言えるのだろう。

ただ、その”オカズ”としてのネットでのバーチャルなセックスのあり方は否定しないのだけれども、しかし、本当はそれ以上の”何か”があるのではないだろうか?と僕は思うのである。リアルでの社会ってのはある意味、セックスに対してどこか否定的な部分があるのは、先ほど書いたとおりである。しかし性欲の存在自体、動物的な部分であるから、それを否定することも出来ないのも先ほど書いたとおりである。そうなればネットでのセックスの要求ってのはある意味、ものすごく合理的な使い方であるとも言える部分が出てくるのである。なぜなら、ネットってのはあくまでもバーチャルな部分でのリアルであるからだ。

つまりはその匿名性を理由に、個人の存在はあくまでもモニタを通した”アイマイ”な存在になる。極端な話、親兄弟間であったとしても、モニタを通じての情報は具体的な個人情報を足さない限りには、その相手を特定しきれない部分が大きいのだ。たしかにITスキルの高いものであれば、その相手が具体的に誰なのか?を特定できるのかもしれないが、大多数はその匿名性によって”アイマイ”化されていると言えるのである。しかしその存在はアイマイであったとしても、必ずモニタの向こうには、リアルな人間が存在しているのである。そう言う意味では、ネットでのバーチャルなセックスであったとしても人間の共同作業としてのセックスが成立する。そう言う部分を求めて、ネットでの快楽を求めて、チャット系サイトに集まってくるのではないだろうか?

それに、そうやってモニタの向こうの誰かはリアルであるからこそ、その延長としてリアルでの本当のセックスを求めてしまう部分がありえるのも事実である。確かにチャエッチと呼ぶバーチャルなセックスの本質は文字情報でしかないためにオナニーの”オカズ”で終わってしまう場合がほとんどだろう。しかしオナニーってのは本当のセックスの代替行為であるのは事実である。

そうなれば、”もしかして、リアルでも・・・”と言う意識はそれを利用する男女共に心のどこかであるのは当たり前なのである。そう言う意味で、僕はネットで遊んでる場合でも絶えず、リアルを考えているし相手にもアピールする。だからこそリアルで逢えて”ヤレる”のである。誰も本質的に性欲の発散にオナニーだけを望んでいる訳ではない。

日常での出会いにセックスを安易に持ち込めないからこそ、それを解消するためにネットでの出会いがあるのだと僕は思っている。問題は繰り返しになるのだけれども、相手は必ず”リアル”なのである。つまりは自分自身のエゴだけを押し通せないのだ。それに気付かずに出会った場合は、不幸になる。ネットはパソコンが計算したゲームではなく、必ず相手がそこに居るのだ。

どのレベルであっても相手から”良かった・・・またしたい・・・”って言ってもらえるように、そのシチュエーション作りってのが、ネット・リアル関係なく、セックスする場合の相手への礼儀だと思う。それを考えることが出来るのであるならセックス前提のネットでの出会いであっても、何も問題は無いのだと僕は思っているのである。

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