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kage

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出会い系の存在意義

kage

2009/09/22 (Tue)

いつもと変わらない日常でその娘と出会って、なんとなく好きになって、それなりのチャンスがあって、彼氏彼女の関係になって、そしてキスとセックスをしてしまう。これが、何を普通とするかは判らないけれども、セックスに到るステレオタイプなプロセスなんだと思う。中には合コンやナンパでその場の勢いやノリでセックスすることもあるのだろうけれど、恋愛の過程でのゴールとしてのセックスっては、結構誰にだって判りやすいパターンだと僕は思う。

だから、その娘を手に入れるために、手に入れた後も・・・彼女がいるから、出来たからって感じで、他の娘から何らかのモーションがあったとしても我慢するってのが、その恋人にした娘に対する想いで、パターンだろう。確かに中にはどうしても我慢出来なくなって浮気をしてしまうこともあるのかもしれないのだけれど、基本的には恋人にした娘だけって感じになるのが普通だと思う。

しかしネットでその辺りはどうなのか?ってのが実際にある。ネットでの出会いってのは簡単に言えば、まずはセックスしたい!!って性欲がストレートにあって、それをいかに満たしていくか?ってのがある。もっと言ってしまえば特に欲情した時だけ、交尾できる相手が見つかればそれで良いって部分があるのは事実だろう。特に調教プレイなんかは日常じゃ絶対に出来ないプレイだから、そう言う性癖を満たせる相手を探してしまう側面があるから、そう言う意味では”その場”限りの出会いになっちゃうことは結構ある。

特に僕の場合ってのはおかしいのだけれども、基本的には”ネットで出会った相手とエッチなんかリアルで考えたことも無い!!”って女の子と結局はリアルで逢っちゃうことが多い。どんな肉棒でも良いから欲しいからネットで遊んでる娘ってのは実際ほとんど居ないような気がする。変態エッチに興味あって、性欲もそれなりにあるんだけれども、チャットなんかでのオナニーでそれなりに満たしてしまうってのがネットで遊んでる女の子の大部分だろうと僕は今までの経験上、そう思っている。

なぜなら、ハッキリ言ってしまえば見た目ウンヌンって問題もあるかもしれないし、性欲のためだけにオスを誘うって事自体に抵抗があるのかもしれないけれど、女性の場合、セックスしたければ日常の出会いの中でもそれなりにオスとの関係ってのは出来るものである。ヘンな言い方かもしれないのだけれども需要と供給の問題なのである。メスの場合、性欲があったとしても妊娠や周りの視線・・・性欲のままに相手関係なくセックスをしちゃうことに対する周りの視線、それに道徳感なんかがあって、簡単にセックスに踏み切るってことは出来ないだろう。

オスの場合は相手を妊娠さえさせなければ・・・・って分があって、男女のセックス観の違いってのは量と質の問題だと言ってしまえば、良いだろう。どんなにすばらしい女性と1回だけのセックスよりもオスの場合1000人のメスとセックスしたほうがある意味勲章になるし、逆に言えば女性は数よりも他のメスがうらやむ”良い男”とセックスすることが勲章になると言えば判るかもしれない。

そう言う意味では性欲が男女ともにあったとしても、その目的が量と質で違うのだから単純に言えば、それゆえにメスのほうがオスを選ぶ主導権があるのだと言えるのだ。だから、日常においての恋愛の主導権ってのはメスにあって、いかにオスはそのメスに"選ばれるか?”がポイントになる。そう言う意味においては、日常の中での出会いにおけるセックスってのはメスの性欲の中に選択があって、メスのほうがセックスの欲望に対して満たされやすいのだと言えるのである。

だからこそネットでの出会いってのはメスにとってはリアルに対して補完的な部分を持つことになる。性欲のための恋愛ってのはヘンなのかもしれないけれども、結果的にはそんな部分があるのはメスにとって否定出来ないはずである。ただ問題なのは、そこに到る為のエネルギーの量ってのが大きすぎるのがネットでの快楽を求める原因になるだろう。

ハッキリ言ってしまえば恋愛するって事は、時間的にも肉体的にも恋愛以外の生活があって、それを維持するための必要なエネルギーの残りを使うって事なんだけれども、恋愛においてセックスの快楽やその他の幸せを得るためには、ほかの事に必死すぎて余裕が無かったりするのが本音にあるだろう。そうなればセックスの快楽も諦めるべきなんだけれども、実際的には性欲ってのは動物的な欲望だから、簡単に諦めることなんかは出来なくて、だから快楽だけを求める行為としてのオナニーなんかがあるのだと言える。

そのオカズの1つとしてのネットの存在であると言えるのだ。オスの場合は、AVがあってアダルト雑誌があって・・・とオカズになる道具ってのはアカラサマに多いのだけれども、メスの場合は異性に対するビジュアルとしての肉体の存在よりも、いかにしてメスとして自分自身がどのように愛されるか?がテーマになるようだから、どうしても”想像力”をオカズにしてしまう部分が大きいのだろう。言い換えればオスってのはハダカのおねーさんの写真さえあれば、それをオカズに出来るのだけれども、メスの場合は単純にハダカのおにーさんの写真があったとしても、それをストレートにオカズにすることは難しいのだろう。”そのおにーさんにどのように犯されるか?”の想像力があってこそ、オカズになりえるのだろうと思うのである。

つまりはそうなれば、ネットでのヴァーチャルなセックスなんかはメスにとってオカズになりやすいのだろう。当たり前ながらネットでのチャットセックスなんかは文字での表現がメインになる。そうなれば、その文字から連想されるものがメスにとってのオカズに成り得るのである。逆に言えばオスの場合は、文字情報だけでの興奮ってのは少ないから、どうしてもチャットなんかでメスにその画像なんかを要求したりして、具体的なビジュアルをもって興奮するのがオスとメスの性差であると言えるであろう。

ただネットでの出会い系のイメージがマスコミで取り上げられている通り、どこかネガティブで犯罪的なものもあって・・・すべてがそうではないと言えるのだけれども、その側面ってのは必ずどこかにあって、否定出来ないのが僕のネットに関する感想である・・・特にメスの場合はオス以上に性犯罪に巻き込まれやすいのだから、ネットでの出会い系に抵抗があって、それさえも否定する女の子のほうが多いのが実情だろう。そして繰り返すのだけれども、それを利用してもあくまでも、オナニーのオカズの1つで、リアルであうことなんかを考えてないって娘のほうが多いのが実際だろう。

そしてその女性の気持ちってのは、正しいって僕には思える。しかし実際的にセックスってのはリアルがあってこそ、初めて満たされていく側面があるのは事実なのだ。今回、ここで言いたいことは、女性にとってネットでの出会い系ってのはどこか、モニタの向こうでしか存在しない世界だと思っている部分が大きいだろう。しかし心のどこかでもしかして、リアルでも・・・って感じで、実際にネットでの出会い系でリアルでもセックスしちゃってる女性の存在をマスコミなんかで知ってるために、思う部分がどこかにあるはずだ。

しかし、いきなり逢ってセックスするってのは抵抗が逢って出来ないってのは、当たり前の反応である。単純で短絡的な考えでフリーセックスが女性の姓に対する開放ではないはずなのは判っている。それに性犯罪があって、妊娠があって、道徳観があって・・・と様々なハードルがあって、それらを越えて初めてセックスに到るのが普通である。だからと言ってそれが面倒だからといって、オナニーで満足してしまって良い訳ではないのも事実なのだ。

普通に考えればネットでの恋愛の無いセックスってのは異常なのかもしれない。しかし、動物として生きている限りには性欲があって普通のなのである。無理してセックスする必要は無いけれども、そう言う世界をすべて否定するとは否定しないで欲しい。オスにだって純粋に性欲を満たすためって部分があって、ネットでの出会いを利用していることは否定出来ないのだけれども、プロセスはどうであれ、交尾した娘を自分だけのモノにして愛していきたい気持ちもあるのは事実なのである。そう言う出会いに対して男女関係なく、相性的に”合う合わない”があるのは当たり前である。しかし自身が合わないことを理由に全否定しないで欲しい。ただなんとなく今回はっそれが言いたいのである。
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