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犯し尽し・・・4人目
2010/04/11 (Sun)
たった一人のご主人様に
その身体も心も独占されて
淫らに堕ちていきたいんだね、キミは・・・
僕の精液だけを、1滴残らずに
その蜜壷で受け止めながら
幸せ感じていくんだよ・・・
ほらあ、そのワガママも
すべて僕だけが
受け止めてあげるから・・・
運命のままに
僕だけを信じてごらん
きっと僕だけが
キミの事、愛していくからね
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僕について・・・その16
2010/04/11 (Sun)
だから、結果として仕事であるとか人間関係とかなんらかの状況が変化して、恋愛に対するその他の優先度合いが変わってしまえば、その恋愛関係がうっとうしくなってしまうのが、本音になってしまう。それにその関係が時間的に長くなってしまって、ある程度マンネリ化してしまえば、新鮮味が無くなって“飽きる”可能性ってのは否定出来ないだろう。確かにマンネリ化ってのは、安定化につながることなのだ。画像はanise:剣乙女ノアより
この画像は、ソフトハウス『anise』の作品の素材を使用しています。
これらの素材を他へ転載することを禁止します。
つまりそのマンネリ化が心地良く、それに満足するのであれば、当たり前ながら、それはそれでその恋人関係をプラスイメージとして考えて良いのだと思う。ただ、それが当たり前になれば、“そうであること”を前提として変化を求めず、その上に重ねるようにして、恋愛以外の他の生活、例えば別の男友達であるとか仕事であるとかにそのエネルギーを費やしてしまうのがオスのだらしなさなのだと感じる場合がやっぱりあるのだ。
“釣った魚にエサはやらない”って昔からそんな言葉で、オスの男女関係のやり方を使い古した形で表現されている場合がある。これは基本的には結婚したオスが奥さんに対して何も気を使わず、その苦労に対して報わない時によく使う言葉であるはずだ。しかし実際的にそれなりに関係が長くなった場合の恋人関係にも当てはまるはずである。やはりその関係が長くなれば、ある種その関係は擬似的な夫婦関係の側面をどこか持つことになるためであると言ってしまえば、それなりの結論になってしまう。
しかし実際には、もっとオスの身勝手さがそこには存在するのだと僕は思っている。ひとつは、前からずーっと書いてしまっているのだけれども、オスの場合はセックスが恋愛関係のひとつのゴールなのである。どんなに精神的なプラトニックな恋愛感情を持ったとしても、結局はその相手とセックス出来たか?どうか?ってのがその関係の大きなポイントとなる。子供のような純粋なプラトニックな恋愛をしていても、オスってのは性欲でどこか判断してしまうからだ。
だから、その彼女以外のメスに誘われて、セックスしてしまえば、セックス出来ないプラトニックな彼女よりも、セックス出来るメスの方に魅かれてしまうのは、事実なのだ。どんなに表面的にストイックにその辺りをオスとして演じることが出来たとしても、それはあくまでも演技であって、実質的には“射精したい!!”ってのが本音にあって、それまでの恋愛関係の“生ぬるいマンネリさ”よりも相手が変わる新鮮なセックスを求めてしまうのが本音だろう。
もしそれが一時的な浮気として考えるのであるならば、それはオスにとってそのメスとの永続的なセックスが約束されていないことをオス自身が自覚している場合のことなんだと思う。つまりは恋愛と遊び・浮気との違いってのはオスにとっては“そのメスと必ずセックスが出来るか?どうか?”にあると言えるのかもしれない。もっと言えば、よく恋愛は“相手に対する無償の愛”と表現されている場合がそれなりにあって、メスに対して思うままにセックス出来るか?ってのがオスにとって重要になる。
つまりはオスからすれば“都合よく、代償を支払わないままに、己の性欲のままにセックス出来る相手”が恋人なのだと言えるのだ。この言い方自体、それなりに道徳的な判断力があるほとんどの人間からは、様々な側面から否定される部分があるのは、僕自身十分に自覚している。しかし恋人を持った・・・恋人がいた、とかの表現の方が正しい表現だと分かっているのだけれども、オスのエゴとして恋愛をしてしまっている自覚があって、このような表現をしてしまうのだけれども・・・オスならば恋人に対して“自分だけのもの”として、そんなエゴをメスにぶつけたことが、その心のどこかに思い当たる部分があるはずだ。
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