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kage

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花言葉

kage

2010/04/29 (Thu)

前回続きです

簡単に言えばアダルトDVDがあって、出会い系サイトがあって、それなりの風俗産業がある。それが高レベル化すればするほど、周囲との中で恋愛をしてセックスをしなくても、擬似的であっても性欲は一応の満足を満たしてしまうのだから、無理に恋愛にエネルギーをかける必要は無くなってしまうのである。

”好きだから、恋愛して、その過程でセックスして、子供が出来る可能性があるから、結婚する”・・・これが本来の恋愛論だったのだろう。ちょっと年齢層の高い少女漫画を見れば、それなりの愛憎はあっても、結婚がゴールとするならば基本的にはこの流れで恋愛は存在してしまうはずだ。逆に言えば、それが古典としての恋愛と結婚の関係だと思うし、今もその幻想としての結婚観は社会に蔓延しているのだから、恋愛による結婚ってのはこんな感じなのだろう。

しかし、セックスと恋愛はどんどん、切り離されていってしまっている部分が多いはずなのだ。ハッキリ言ってしまえば、制服の似合う年齢で、結婚を考えない純粋な意味での気持ちとその場の勢いでセックスを経験してしまったメスってのはそれなりに多いと思うし、極端な話、オナニーを覚えちゃってセックスの魅力が頭から離れずに、純粋に性欲の部分でセックスを覚えてしまった場合もあるだろう。特にオスなんかは後者の場合が多いかもしれない。セックスしたいために恋人を作って、そのシチュエーションだからセックスが許されて、経験してしまう・・・そんな感じでそれなりの年齢で経験してしまった人間は多いのではないだろうか?





そうなれば思春期から、学生時代が終わるまで、それなりに恋愛があれば、その相手の数も2,3人は居ても不思議ではなくなる。プラトニックな恋愛なんかは当たり前ながら存在せずに、セックスをするための恋愛って側面がやっぱり動物的にあって、その結果、とりあえずの恋愛でセックスを覚えていく事になるのが事実ではないだろうか?

そうなれば、やっぱり話は元に戻るのだけれども、メスの場合は特にそのセックスアピール、見た目重視が恋愛の対象にならざるを得なくなる側面が生まれても不思議ではないだろう。確かに表面的にはメスの性格なんかの内面性で恋愛すると言うのだけれども、結局はオスとして性欲を満たしたいって欲望があって、その流れで恋愛をするのだから、その部分においてメスのセックスアピールってのは重要になってしまうのだろう。

ただしかし、性欲ってのはある種一過性の高まりの結果である事も言えるはずである。極端な話、食欲と一緒である程度満たされれば、仕事であるとか趣味に他のものにエネルギーを割り振っていきたくなるのがオスなのだから、セックスアピールが魅力的なメスと恋愛をしてセックスしてしてしまえば、それなりに性欲は満たされるのだから、それ以上にそのメスに魅力を感じなくなってしまう。そうなればオス自身の生活の中で”都合の良い”メスのほうが実際、必要になってくるのだから、そう言ったトータルの面で初めて”メスの性格”、内面性が求められる事になる。





もっと言ってしまえばセックスってのはその場限りで、そのメスと共有する時間の割合の中である一部分だけの行為であると言えるのである。逆に言えば、セックス重視の関係だけであるならば、その割合はそれに伴って増加するのだから、その内面性よりもセックスアピールが重要になる。つまりはその結果として恋愛におけるメスの内面性が重要視される事になる。

割り切るならば、極端な話、性欲が何らかの形で満たされるのであれば、恋人としてのメスの存在は内面性重視だけで、見た目に関してはかなりの割りきりが可能になるとも言えるのだ。最初の話に戻るのだけれども、メスの身体ってのは、それだけで結局はオスを勃起させるものになるのだから、とりあえずの性欲ってのはそれで解消されて、満たされることが出来る。そうなれば残りの部分を重要視する事になって、結局は見た目無視でも恋愛は可能になってしまう。

ただそこまで割り切ってしまうと、そのメスに対するセックスアピールの否定になって、セックスアピール自身、メスの魅力のひとつなのだからそれを否定する事になる。そうなればメスの人格の尊厳の部分を傷付ける事になるのだから、そこにメスからの信頼感情は生まれず、結局は恋愛関係も無くなってしまう可能性は否定出来ない。





そうなれば結婚を伴う恋愛としての彼女の存在は”そこそこ見た目が良くて、セックスアピールがあって、それなりに性格的にも、安定した娘”ってことになってしまう。そうなれば、どうしてもある程度の妥協が生まれてしまうのだから、結果的にオスの結婚観ってのはどこか”流された”ものになってしまうのは仕方がなくなってしまうのかもしれない。

確かに1番の理想はスタイルが良くてセックスアピールが高くて、美形で、性格が良くて家事その他に問題が無くて、永遠に自分だけのことを愛してくれて、忠誠を誓ってくれるメスの存在だろう。しかし見た目なんかはその時々で好みは変わるのだし、性格面においてもそのシチュエーションごとに別の性格を求めてしまうのがオスの身勝手さだろう。瞬間的な理想は存在していても、永遠の理想は、理想像自体が変化するのだから、ありえなくなってしまうのが実際のはずだ。

メスも性欲があって、それを満たすために恋愛をする側面があるはずだ。ただいつもこのブログで書いてしまうのだけれども、結局はそれは妊娠の可能性なんかがあって、単純に一時的な性欲の解消のためだけのセックスってのはメスの場合、ありえないだろう。メスだってだからこそ、オスを選んでセックスするのだし、単純に選びきれないのも事実のはずだ。





つまりは現代社会ってのは単純に恋愛感情だけで、恋愛するほうが少ないように思う。その選択も複雑に見えて、ものすごく安易でタマタマで、それでいながら、だからと言って、その相手を考えるときはものすごく難しくなる。本来は”何かのきっかけでその相手が好きで、恋愛して、セックスして結婚する”ってのが理想なのかもしれない。ただ、実際は制服を脱いだ以降の恋愛は、結構疲れるものであるような気がするのである。

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花言葉

kage

2010/04/29 (Thu)

本日の花”つばき
花言葉”魅力”

当たり前なんだけれども、オスってのはストレートにメスのヌードに勃起して精神的な興奮を覚えてしまう。単純な話、だからこそ、グラドルであっても、AVアイドルであっても、ハッキリ言えば、そのメスがどんな性格のどんなキャラクターなのか?なんかは関係なく、見た目だけでそれなりに勃起して性欲の対象として観てしまう。それが、まあ、普通の世間一般のオスだろう。

だからハッキリ言ってしまえば男性週刊誌を買えば、本音の部分、そこにあるグラビア記事が気になるし、青年誌だって漫画がメインながらもアイドルなんかの水着グラビアが載っていれば結局はそこを観てしまう。未来においてもまた過去においてもほとんど100パーセント、逢う事も無く話すことも無いメスの身体に勃起してしまうのだ。

確かにそれなりにオス一人一人にメスの好みがあって、どんなメスでもヌードになったからといって興奮を誘うわけではない。セックスの対象って言い方になると明け透け過ぎる自覚はあるのだけれども、幼女趣味であったり熟女好きであったり、制服好きであったり、スーツフェチであったりメガネなんかもそんなフェチシズムアイテムになったりして、こだわりがあるのは事実だ。





しかし厳密にそのこだわりの中でしかオスは勃起しないと言う事ではない事も事実だ。妥協って言い方もマズいのだけれども、自分自身のこだわりからそれなりに離れていたとしても、そのメスがヌードになれば勃起もするし、セックス出来る状況であれば、とりあえずの性欲の解消のためにそのメスの蜜壷の中に精液を射精する事も普通にあるのが実情だろう。確かにそこにはまったくこだわりが無いといえばウソになるのだけれども、そのメスに生理的拒否感が無ければ、それなりにセックスも出来てしまうのがオスの本音だろう。

つまりはもっと言ってしまえば、そのこだわりってのは見た目重視でそのメスの内面性に対してまったく興味が無いと言い切っても良いのかもしれない。だからこそグラビアアイドルやAVなんかは簡単にオスの夜のオカズになり得るのだし、風俗なんかのその場限りでの出会いでもあっても射精は簡単にしてしまう。

よく恋人にしたい時の選択の基準ってのは雑誌の特集なんかで書かれている場合があるかもしれないのだけれども、その時、結構”性格”であるとか”女らしさ”、”振る舞い”であるとかのなんて言うかそのメスの内面的なものを求めているように書かれている場合が結構あるはずだ。





ここで考えなければならない事は”セックスする相手=恋人関係にある彼女”ってのが普通の当たり障りの無いセックスと恋愛の関係なのだと考えられるのだけれども、オスは見た目重視で結局は勃起していることを認めた上で恋人にはそれ以上に内面性を求めているとなると、なんだか矛盾っていうかズレが認められるのではないだろうか?

もっと言ってしまえば”一目ぼれ”って言葉ある。ストレートに見た目重視の恋愛の始まりだと安易ながら言えるだろう。つまりはセックスの対象としてどこかオスは恋人のメスを見てしまうのだから、そう言ったセックスアピールの相性も結局は性格の部分よりも重要になっていくのかもしれない。

ただ理性として・・・道徳的・社会的な部分といったほうが良いのかもしれないが・・・恋人としてのメスの存在を単純に性欲の対象としてオス自身が認めてしまうことはオスの”いやらしさ”が出て、オス自身もそこに抵抗があって、ストレートにメスのセックスアピールを評価しにくい部分があるのかもしれない。





グラビアアイドルやAVなんかは、そのメスと話す可能性ってのはまずほとんど無いであろうから、だからこそ、単純に性欲の対象として見ることが出来るのだけれども、日常生活においては周りのメスを性欲の対象としてあからさまに見てしまうのは、そのオスの人間性を周りから疑われる事になる可能性が高くなる。つまりは性欲を表に出さず、紳士的に振舞う事がそのオスの社会的評価を高める事になるのである。

そんな社会の複雑な部分の根本は、本来、結婚を伴う恋愛論と、性欲の解消であるセックスを同一視しなければならないことにあると僕は思うのである。”セックスする=妊娠の可能性がある”と言う公式において、結局は”セックスと恋愛と結婚”の関係は同一視しなければ成らない部分があるのだけれども・・・だからこそ”出来ちゃった婚”なんかの言葉が生まれるのだから・・・・本来はセックスと恋愛はまったく別物と考えれば、そもそもこんな話をする必要でさえないのではないだろうか?

ただ繰り返すようだけれども、結局はセックスと妊娠と結婚の関係はどこか切り離せないものだから、単純に周りの異性をセックスの対象としてばかり見てしまえば、人間関係に感情面において様々な”齟齬”が生まれてしまって、生活するのが疲れてしまう。変な言い方かもしれないのだけれども、性欲は解消したいのだけれども、恋愛によって性欲を解消してしまうと、その人間関係をそれなりに考えなければならないから、それを考えると単純にセックスする相手として周囲の異性を考えるのは”おっくう”になるのではないだろうか?





だからこそ、性欲の喪失って言うのは変なのだけれども、特に学生時代が過ぎ去って、恋愛とセックスと結婚の関係が見え始めると、そこにエネルギーを裂くことが馬鹿らしくなってしまうってのがあるのかもしれない。しかし、それでも性欲ってのは結婚以上に動物的な欲望であるから、性欲の解消として”のみ”のツールが、あからさまに増え始めてきている状況が生まれてきているような気がする。

ええっと・・・ごめんなさい
途中です、次回、続き書きます。
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業務報告?風邪だなあ・・・・・

犯し尽し・・・22人目

kage

2010/04/29 (Thu)

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本当に悪かったと思ってる

でも、やっぱっり我慢出来なかったんだよ

その真っ白で柔らかな淫らな素肌を意識しちゃうと

やっぱり僕だけのモノにしたくて、キミのこと

性欲のままに犯していっちゃったんだよね・・・

イヤがるキミを、どうしても思うままに支配したくて

あの時はそれだけしか、考えることが出来なかったんだよ

そんな僕の性欲にキミは抗いながらも
だんだんと快楽に溺れるようにして、受け入れてくれたから

最後は諦めるようにして僕の人形になるようにして

その身体を差し出してくれたよね

そんなキミがすごく愛しくて、たまらなかったんだよ・・・

やったことは悪いと思ってる、でも本当にキミが好きだから

もう絶対に離さない、永遠に僕だけのキミだからね・・・



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