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花言葉
2010/04/24 (Sat)
本日の花”ゼラニウム”花言葉”男女の友情”
よく雑誌なんかで”男女の友情”ってのは成立するか?って質問が載ってて、いろんな解答が書かれている場合なんかがある。どうしても男女の関係ってのは恋愛関係が含まれるから、その揺らぎがあって、結構話題にしやすい話だと思う。
僕なんかは”まずは友情って何?”から始めないとその質問って答えられないと思う。当たり前なんだけれども、学校でも会社でもどこでもそれなりに男女は存在してて・・・男子校はどうなんだ?ってなんかのツッコミはあるかもしれないけれど・・・そうなれば機嫌よく、そこで時間を使わなければならないから、そうなれば、どんな相手とも基本的には”友好関係=友達関係”になるのが手っ取り早い。そうやってなんとなくの友達が出来ちゃうのが、本音じゃないだろうか?
その流れで考えれば、自分のやりやすさを優先するんだから、その相手が男でも女でも、それなりに楽しい雰囲気作りをして、友達になっていくんだから、結局は友達作りに性別は関係ないのだと僕は思う。しかし、その友達関係をどのレベルまで作り出していくか?ってのが本当に重要になるのだろう。
走れメロスじゃないけれども、友達のために命をかけられる・・・そんなシチュエーションなんか実際はまずは無いんだけれども・・・そのレベルで男女の友情はありえるのか?って考えるといきなりドンと難しくなる。もっと言ってしまえば、そこまで出来る友人ってのは同じ性別でも現実的には少ないんじゃないだろうか?
つまりは、それなりの付き合いなら、男女の友情の安易に成立出来るのである。ただ、実際的にその相手に対して何かのきっかけでメスを感じてしまえば、セックスしたくなるのがオスなのである。普通はそこで理性で我慢できるか?ってなるんだけれども、友達だからこそ付き合いがあって、それがチャンスになってしまう部分があるのだから、そうなれば、簡単に恋愛関係にハマってしまう。
恋愛関係って綺麗な言葉なんだけれども、実際ストレートにセックスしたくてメスとの関係を都合よくまとめちゃう時に安易に使ってしまう言葉なのかもしれない。いつでも”セックスしたい!!”って思ってる異常性欲が言っちゃう事じゃないんだけど、本当の恋愛ってセックスが無くてもどこか魅かれ合う状態のことなんだと思う。
でもそれ以上に実際的に、オスの場合はそうなんだけれども、セックスの欲望があって、メスのことを見ちゃうから、友情なんかよりも性欲が優先されて観ちゃう場合が多いのかもしれない。もっと言ってしまえば、本当の友情が良く判らないレベルで恋愛も存在しちゃってるんじゃないかな?って思う。本当に”魂が魅かれ合う”出会いって難しいから、性欲が勝って安易にセックスしちゃうのが本音にあるような気がする。
そうなれば”セフレ”って言葉が生まれちゃうんだけれども、その意味ってのは、結局は友達以上恋人未満を意味して、メスだって性欲があって、満たされたいんだから、そうなれば本当はストレートにセックスの相手を探せば良いんだけれど、それじゃモラルの問題があって、簡単に理性でそれを許さないってのが本音だと思う。
これはメスがセックスにいつでも妊娠のリスクがあるからで、そうなった時に責任の取れる相手じゃないと、そのリスクを一人で抱え込む事になるって意味になるからだと思う。だから安易にオスと違ってセックス出来ないのだろう。そう考えれば友情の延長で恋愛してしまえば、本当の恋愛でなくても一応のリスクってのは無くなっちゃう部分がある。
少なくともその場限りのセックスで相手が誰なのか?も曖昧な状態でのセックスよりも安心するのがメスの本音だろう。そうなれば友情の中にセックスするための恋愛があっても不思議では無くなる。それが”男女の友情と恋愛”の関係だと思う。
それでも結局は一応の幸せが生まれるなら、それで良いんだと思うのだ。はっきり言えば、”魂の魅かれ合う”恋愛なんて、誰もが経験する事じゃなくて、それでも性欲は心のどこかで生まれて、満たしあいたくて、その中でなんとなくの恋愛があれば、それで性欲は満たされて、”つがい”になれるのだから・・・
僕は勇気が無くて後悔してるけれども、もし、本当に性欲とは別の部分で相手を独占したいと思えるならば、ストレートに求め合うのが正しいんだと思う。それまでの関係やプライドや意地の張り合いなんかで、本当の恋愛が出来なければ、それってのは心のどこかでトゲになっちゃって忘れられなくなるから。
そうなればどうしてもどんなに別の娘を愛して犯しても、結局はその娘と比べちゃう事になる。実際はキスひとつしたことの無い娘だったのに・・・忘れられなくなるのが本音なのだ。未練って言葉あるのかもしれないけれど、友情でごまかして、恋愛から逃げちゃうと辛くなるのが、僕が今、言える本当のこと。
犯し尽し・・・17人目
僕について・・・その21
2010/04/24 (Sat)
しかし、オスの肉体的な快楽論ってのは、ある側面、メスにも絶対当てはまるはずである。“レイプで感じるメスは淫乱か?”って問題に関しては、本音の部分で“感じて当たり前”ってのが、答えだろう。確かにメスにとっては、いきなりのレイプであれば、セックスのテンションが高まらずに、そのまま陵辱されていることになるのだから、その嫌悪感だけが高まって実際的に快楽にならないってのもあるだろう。画像はブラック・サイク:GUN-KATANA(銃刀)-Non Human Killer-より
この画像は、ソフトハウス『ブラック・サイク』の作品の素材を使用しています。
これらの素材を他へ転載することを禁止します。
しかし肉体的な刺激による快楽ってのは、僕は感情面とはメスだって別のところにあるのだと思うのだから、それなりにメスがそんなレイプで“感じてしまった”としても、何も不思議では無いのだ。ただ、ここでオスとして勘違いしてはならないのは、レイプで結果的にメスが快楽をかんじることになったとしても、それを免罪符にしてそのレイプ自体全く許される訳では無いのである。あくまでも、セックスの快楽は動物としての本能的な性欲を前提とした肉体的な刺激の結果なのだ。
メスだってオスの勃起した肉棒を見てしまえば性的な興奮があっても不思議でないし、オスの方がそう言ったビジュアル的な部分で興奮しやすいってのがある。しかしその興奮と恋愛感情ってのは別なのは誰だって分かっているはずだ。オスなんか分かり易いと思うけれど、好みのアダルトビデオでシコシコして精液を射精してしまう。そこにはマスターベーションの刺激や、そこに映るAVアイドルのおっぱいなんかに対する視覚的な興奮、など様々な要素の中で擬似的な脳内セックスで射精することになる。
そこにはやっぱり妄想としての漠然とした恋愛感情、“そのAVアイドルを彼女にして思うままに犯したい”って気持ちはあったとしても、結局その前提として“犯して射精したい”であって、性欲のままにセックスしたいだけがその本当の気持ちで、恋愛感情無しでも、肉棒に対する刺激のみで精液は射精されるのである。それと同じで、メスであったとしても、肉体的な刺激がそれなりにあれば、快楽としてレイプなどを感じてしまっても、普通なのである。
ただ道徳的な貞操論としてセックスと恋愛が同一視された場合、“レイプでのセックスに対する罪悪感”ってのがメスに生まれるように思われるのだ。逆に言えばある種の貞操概念が強ければ強いほど、その快楽に対する罪悪感ってのがメスにとって強まっていくのだろう。その罪悪感は、メスにとってみれば、精神的な重荷になって、その心を縛っていくのだから、それに伴ってレイプされた快楽ってのはある種の特別な快楽になり得てしまうようなのだ。
だからネットでレイプなんかを求める女性ってのは、“その体験してしまった快楽が忘れられなくて、日常じゃ絶対言えないんだけれども、それでもやっぱりその快楽が忘れられなくてもう一度体験してみたい”ってのがあるらしいのだ。レイプ自体がその娘にとって罪悪感の対象なのだから、それに我慢出来ない罪悪感ってのがより精神的な興奮を高めていくのだろう。しかし実際的に思うのだけれども、結局はセックスってのは肉体的な刺激でしかないから、レイプであっても恋人とのセックスであっても究極的には肉体に対する刺激なのだから、オスのテクニックや相性なんかのレベルが同じであれば、その快楽の度合いってのは、その側面から見れば同じものになっていくはずはなのだ。
それでも、チャットなんかでレイププレイを求めるのはどこか、その精神的な何かを求めてのことなんだと僕は思うのである。ただ、繰り返しになるのだけれども、そんなメスの気持ちを免罪符にして、都合よく拡大解釈をして、ネットでメスを脅迫するのは、犯罪である。メスもネットで遊んでしまっているのは、日常のリアルと切り離してだからこそであって、セックスと言うよりも、むしろ“オナニーのオカズ”としての場合が、ほとんどだと思う。つまりは、ほとんどのメスはモニタ越しのその場限りの妄想としての快楽を求めているのが実際のはずなのだ。
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