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花言葉
2010/05/08 (Sat)
続きです。だからこそ、逆に言えばチャットであっても何かの形でメスに”束縛”を意識させる事でマゾ性を刺激する事になるのだと僕は思っている。そしてマゾ性を刺激するってことはオスの所有欲満足させていく事につながるのだから、結局はSMってのはどこか共依存の関係だと言えるのかもしれない。
もっと言ってしまえば、セックスのプレイの中にその共依存の象徴として何らかのSMプレイが存在するのだから、普通の恋愛・愛情であっても共依存は成り立つのだけれども、その深度は深まるのは当たり前のことなのだろう。つまりはどこかセックスってのはSMの要素を持ち得ると言ってしまっても良いのではないだろうか?
ほとんどのノーマルプレイだと思っている恋人間のセックスの中にも、例えばフェラチオなんかの強制があったりして、オスはそのメスを犯す過程で”自分だけのもの”の所有欲を満たそうとするし、メスも”そのオスを受け入れて愛されたい”と言う束縛を求めていく。SMはその部分が拡大解釈されたものだと僕は思う。
なぜなら、SMと言わず”調教”と言えば判り易いだろう。調教ってのはオスがメスに対して、オスの性欲のままにその変態性欲を受け入れさせることを指すのだから、もっと言ってしまえば、そのオスにだけ感じる身体にメスを作り変えていく事になる。メスもそんなオスの性欲を受け入れて、オス専属の肉奴隷になる事で愛情を受け入れていく行為になるはずだ。
そうなれば、そこには互いに対する束縛が生まれる。それによってSMとして互いに満たされるのだから完成された愛情になり得るのだと言えるはずだ。つまりはそれを意味するキーワードは”束縛”なのである。チャットにおいては確かにイメージによる興奮ってのがメインの目的になるのは否定できない。しかし、そのプレイ中の相互の束縛感による充実ってのはチャットのバーチャル感の中でも存在し得るのである。
そしてその手法として最初の話になるのだけれども、女の子の個人情報を聞き出す事になるのだ。はっきり言ってしまえば、それ以外の方法で束縛する事は難しいのである。なぜなら、もう誰だって気付いているのだろうけれども、チャットセックスってのはやっぱりオナニーであって、相手に触れる事は出来ないのである。どんなに変態なプレイを行ったとしても基本的にはそれは妄想であって、現実に直結しない。
言い換えれば、文字情報だけがそのプレイの全てなのである。そうなれば、具体的に女の子を束縛するのはどうすればよいのか?ってことになるのだけれども、リアルなら具体的に縄や鎖で拘束し調教プレイで・・・って感じが出来るのだけれども、チャットにおいては基本的にありえないのは、簡単に誰だって判る事だろう。
なら、どうやって束縛するか?のテーマにおいては個人情報を知る事が束縛になり得るのである。女の子にとって快楽のために個人情報をさらけ出していくってことは、リアルに直結する可能性があるためにその分だけ、束縛感が高まるのだと僕自身は信じている。言い換えればその分だけ、メスのマゾ性を刺激すると言って良いのではないだろうか?
つまりは女の子の個人情報を聞き出すのはプレイの1つとして成立する手法なのである。ただ繰り返しになるのだけれども、しつこいのは敢えて判って言うのだけれども、あくまでもそれはプレイの1つの手法であって本当に女の子を”知る”ことによって脅迫してはならないのだ。”快楽のためにこんなにも告白しちゃって、本当にマゾ豚だね・・・”ってのは良いのだけれども・・・・それもあくまでもチャットでのプレイの1シーンとしてだけれども・・・・”リアルで交尾できなければ、周りにばらすぞ!!いいのか?”は絶対にいけないのである。
ネットでのセックスってのは女の子にとっても性欲を満たす行為であるのは間違いない。だからと言って何をしても良いのだ!!には絶対つながらないのである。そのことを判ってこそ、女の子は僕の事を信頼してくれるのだと思っている。そしてその上でのリアルでのセックスがあるのだと僕は思うのである。
それにオチになるのだけれども、ネットで、ネットだからこそ・・・例えば名前も知って、素顔も見せてもらって、調教の相性もベストで、本気でその女の子をリアルで犯したい!!と意識しても、結局はすっごく住んでる所が遠かったりして、逢える可能性ってのはものすごく少ないってのを気付いて、ゲンナリしたことも実際ある。
女の子の個人情報を入手するってことは女の子がどんどんと肉体を持ったリアルなものになっていくことを意識させる。逆に言えば妄想で都合の良い解釈をしてきたものが崩されていく可能性もあるのは否定できないのだ。実際逢えないのなら妄想で都合の良い勘違いをしていたほうがラッキーなのかも知れない場合だってあるのだ。脅迫なんかの性犯罪を起こす事はもちろんいけないことなのだけれども、また別の可能性があることも、同じオスに対して伝えておきたく思うのである、苦笑。
追伸
もちろん、メスだってオスのことを良いように解釈して実際、あった瞬間に”ごめんなさい”って思う場合もあるのだ。もっと言ってしまえば、メスのほうがオスと違ってそのこだわりの部分が大きくて、そう言ったことを体験する可能性は高いのかもしれない。選ぶのはオスだけでもないし、メスのほうが選ぶ権利がある場合が多いのは事実だろう。オスのほうがメスを選んでいるように書いてしまったのだけれども、リアルとネットのギャップにおいてメスの落胆の方が大きい可能性があることはオス自身、僕も含めて覚悟しなければならないのである。
花言葉
2010/05/08 (Sat)
本日の花”藤”花言葉”恋に酔う”
確かにネットでの出会いってのは、モニタ越しの出会いで何が本当のことか?ってのは実際何も判らない部分がある。どんなに二人の関係がチャエッチなんかで盛り上がったとしても、結局はハンドルネームなんかで呼び合っていたりして、相手のことは何も判らないなんてことは普通にあるのだ。
それでも、僕なんかはチャットセックスの中で、本当の名前や年齢、勤め先なんか聞き出そうとすることが多い。何度も繰り返しているけど、チャットセックス自体、興奮して(オナニーだから)気持ち良い部分があるのだけれども、結局はやっぱりリアルでのセックスが最終的な目標だから、その目標に向かって行動していく。
1番良いのは何度かチャットセックスなんかしているうちに、相手の女の子の方からリアルでのセックスに誘われる事なんだけれども、実際的にそんなふうにリアルでのセックスを考えているメスってのはほとんど居ない・・・中にはいきなりのリアルのセックスを求めてくるメスだって存在したのは事実なのだけれども、本当に極端な話、数千人に1人、数万人に1人でそんな可能性を求めるのは意味が無いと感じるほどの割合でしかないはずだ。
そうなればどうすれば良いか?ってことになるのだけれども、僕の場合は基本的に名前を聞き出したり、勤め先を聞き出したりしている。特に最近は、画像交換機能があるチャットが増え始めてるので、素顔の写真なんかを見せてもらえるように命令してみたりして、その女の子の個人情報を手に入れることに頑張ってみる。
このようになぜ女の子の個人情報にこだわるか?ってことになるのだけれども、考えてみれば判るとおり、女の子がセックス前提でそのすべてをさらけ出していくってことは、どこか少しずつ”僕自身”を存在あるものとして受け入れていく過程になるためだからだ。自分自身の個人情報をさらけ出す事によって、だんだんと精神的に追い詰められて逃げられなくなる・・・・そんなことを自覚させながら女の子を快楽に溺れさせていくのである。
むろん、変な話だけれども、ある種のプレイだから、具体的に聞いちゃったからといって、どうする訳でもないってのもある。そこで女の子を脅かして、リアルでのセックスを求めたりするのはルール違反だと思っているし、犯罪じみている。1番の理想はやっぱり女の子が”また、もう1度ヤリたい!!”って思ってくれることだから、それはリアルでもチャットでも同じだから、そのスタンスとして女の子の個人情報に対する扱いを考えなければならないのだ。
つまりは繰り返しになるのだけれども、女の子の個人情報を聞き出すのは”束縛”プレイの一種だと思う。”このオスの肉奴隷になって逃げられないのだ・・・”と女の子に意識させる事によって、女の子の中のマゾ性を刺激し、また、”オスのもの”になっていくことによって奴隷としての自覚を与えていく事になる。
ここで考えなければならない事は、メスのマゾ性には、オスに束縛されていく事を求めているように思えることなのだ。これはあくまでも僕自身の考えで極端な考えなのかもしれないと自覚はあるのだけれども、女の子ってのはどこか愛する以上に愛されたいって気持ちがあって、それを満たしたくてマゾになっているような気がするのである。
もっと極端な言い方をすれば、緊縛やムチ、ロウソクなんかの物理的な刺激や露出なんかの精神的な刺激はあくまでも2次的なものであって、本音の部分は”そのオスのために堕ちていくことに対する満足感”なのだと思うのである。確かにそう言った物理的・精神的な刺激が興奮を呼び起こす側面は僕自身否定できない。実際縄の食い込んだ女の子の白いおっぱいなんかを想像するだけで、無条件で勃起してしまう。
しかし、メスにとってはそうやって”オスに求められていく事”に対する充実感の方が大きいような気がする。母性本能という言い方はマズいのだけれども、オスから求められる変態性欲を受け入れる事によって、オスからの愛情を受け入れていく証拠にしている部分がマゾ性のあるメスには存在してるのではないだろうか?
そういう意味では”マゾ”に自覚の無いメスが多いのかもしれない。例えばフェラチオなんだけれども、結構嫌いな女の子は多いようなのだ。それでもオスに求められる事によって、”仕方なく”って形でしちゃってる部分があって、その受け入れ方にはどこかメスとしてのマゾ性を刺激して、やってしまっているってことはあるように思える。
つまりは、極端な話、オスとメスの愛情の基本にはどこか”束縛”があるのだろう。束縛という言い方がイメージできなければ”浮気と嫉妬の関係”と言えば判りやすいのではないだろうか?”ここまでオスの性欲を受け入れてるのだから、オスは私だけを愛してくれるのだ・・・”という論法だ。尽くせば尽くすほど、愛情の見返りがあるって考えるいつものステレオタイプな議論がそこには生まれてしまうのだけれども、メスの中のそう言った部分は否定できないような気がする。
次回に続きます。
犯し尽し・・・30人目
業務報告おはようございます
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