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kage

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調教に関するデッドライン

kage

2009/09/18 (Fri)

女の子の中にはその痴態を誰かに観られたい!!って感じで露出プレイをおねだりする娘が結構居るのは事実だ。例えば出会い系の2ショットなんかで、素顔をさらけ出すのはちょっと抵抗があるんだけれども、それ以外、例えば顔を隠しての下着姿やおっぱいなんかの部分写真なんかをさらけ出してくれる娘が確かに居るのだ。女の子からすれば、素顔なんかをさらけ出さないから、日常に影響しない範囲でって感じでどこかメスの魅力を見せ付けたい!!って欲望のままにやっちゃうんだと思う。そう言う意味ではリアルじゃ出来ない分、ネットでやっちゃう潜在的な露出娘なんだろう。

調教におけるデッドライン
画像はアイルアブナイこと~好きですか?~より
この画像は、ソフトハウス『アイル』の作品の素材を使用しています。
これらの素材を他へ転載することを禁止します。




そうなっちゃうとやっぱり僕も変態さんだから、リアルで露出しない?って誘っちゃうことが結構、多い。ただそこでいつも感じちゃうのは、露出の”レベル”に関しての個人差であるのだ。確かにほとんどの女の子ってのは基本的にリアルで実際露出したことが無い娘がほとんどのような気がする。当たり前だろう、日常で露出プレイで興奮してるなんか知られてしまうと”変態”だと思われるし、”ふしだら”とも思われてしまうだろう。中には勘違いするオスも居て、そんなメスに命令すれば、すぐにヤれるって思うオスも出てくるだろう。


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そうなれば日常の生活にやっぱり支障が出てくるから、あからさまに露出してしまう娘ってのはほとんどいないのではないだろうか?確かにオス飼い主が居て、その忠誠の結果としての露出ってのがあって、もしくは、そうやって露出してしまった興奮が忘れられない・・・・って感じの露出はあるのかもしれないのだけれども、実際的には完全に例えば、メス単独でハダカで街を歩いたりするって感じの露出をしちゃう娘ってのはほとんど居ないのだと僕は思っている。

ただ実際的にはそんなアカラサマな露出は経験しなくても、例えば短いスカートでパンチラをわざとどこかでしたり、周りには判らないかもしれないレベルでノーパン・ノーブラで街を歩いたりしての、レベルの露出で興奮しちゃったりする娘は結構居るのかもしれない。つまりは単独で”プチ露出”を楽しんでいるって感じでの露出で興奮する娘だ。

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このプチ露出の判断基準は、周りからほとんど判らないけれども、でもどこかそうすることによって露出している気分になってしまうって感じではないだろうか?例えば少しだけ胸もとの開いた服なんかを選んだりしてその谷間をわざと見せ付けたりしてって感じで、ある種”言い訳の出来る”レベルでの露出を楽しんでいる娘ってのはもしかしたら、多いのかもしれない。それが露出であるか?どうか?ってのは無意識・無自覚なんだけれども、オスのそんなエッチな視線で興奮を覚えてしまってって感じの露出は結構体験してる娘は、チャットなんかで遊んでると多いのかもしれないような気がするのだ。

だから、僕が露出の話をしちゃうと、女の子は例えば”誰かに観られている所で交尾してしまう”であるとか、”完全ハダカで緊縛姿で街を歩かされる”とかのいささか偏ったステレオタイプの露出をイメージしちゃうことが多いようだ。確かに潜在的な露出経験なんかがあって、そんな興奮を覚えた娘からすれば、そのレベルで無いと満たされないのかもしれない。メス自身単独では絶対出来ない露出プレイ・・・そんなものを求めてしまうのは仕方が無い部分があるのだろうと思える。

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ただ実際、僕の場合そんな露出はしてないのが実情だ。基本はノーブラ・ノーパンなんかで歩かせたりはするのだけれども、周りからは気付かれないレベルが多いだろう。例えばキャミソールでかすかに乳首が浮かんでる状態であるとか、ノーパン・ミニスカでも、どこかでめくりあげるようなことはした事が無い。しかし、駅のトイレなんかで・・・当たり前ながら個室だけれども・・・そこで弄ったり、しゃぶらせたりってのはあるし、街を歩いてても、言葉責めっぽく、”さっきすれ違ったオス、もしかして気付いてるかも・・・”って感じで耳元で囁いたりするってレベルだ。

結局はどんなに露出させてもラブホなんかで交尾してしまうのだから、それまでの撫の過程としての露出なのである。それに、僕の場合、調教したいって気持ちはその娘を独占したい気持ちであるから、チラリと他のオスに見せたとしても、それ以上のことはさせたくないのである。ハッキリ言ってしまえばその娘の全ては僕だけのモノで、僕の命令に従わせる結果としての露出であって、メス自身が僕のためだけに羞恥をガマンして忠誠の結果として露出があるのである。そう言う意味では他のオスが求める露出とは少し意味が違っているのかもしれない。

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だから、露出のレベルも僕だけが判る程度のレベルを求めてしまう。絶対他のオスのためにその娘を露出させるなんてありえないのである。いかにしてそのメスに具体的に忠誠を誓わせていくか?ってのが調教の目的であって、他の誰にもその娘に触らせたくないのだ。そうなれば、やはり露出のレベルってのはどうしても決まってしまうのが事実なのだ。だから露出娘が求めるレベルの露出とはその意味合いってのは本質的に異なるのであろう。

つまりは露出ってのは、そのオスによってプレイの内容って言うか質がまったく異なるのだと思う。確かにステレオタイプな露出ってのはかなりの意味で、様々な部分で問題があるのは事実なのだ。簡単に言ってしまえば、周りに完全に判るレベル・・・街をハダカで歩かせるとかどこでも交尾してしまうってのは、ワイセツ物陳列罪になるのは当たり前だろう。それでは、もしもの時ってのはオスはその娘を守れなくなるのである。だから、調教してしまうのに限度をわきまえて・・・って言うのはおかしいことなのだけれども、調教なんかでいかにその娘を守っていくか?ってのが大切になると僕は思っている。


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簡単に言えば、際限なくその娘をおもちゃにして壊してしまうのは簡単である。思うままに犯して妊娠と堕胎を繰り返させて、露出もどこでも交尾して悦ぶような状態になるまで、輪姦で様々な肉棒の味を覚え込ませれば良いだろう。その後、”飽きた”の一言でその関係を終わらせてしまうのだ。実際、そうやって肉棒中毒になった娘とも逢ったこともある。その時のある種の悲しさを今でもどこか忘れられない。

理想の調教って言い方自体、おこがましいが・・・調教ってのはそのメスを独占し支配していくことになる。支配って言葉自体、間違っているのかもしれないのだけれども、”ご主人様のために・・・”ってメスに想ってもらえる状況を作り出すことが調教の本質であると僕は思うのだ。確かになら、なぜ今までの調教した娘との関係はどうなったか?と言えば、こうやってもう逢ってないのだから、口先だけの理想だと言えるのかもしれない。でもそうやって調教するときは僕は出来るだけその娘を独占してしていくことを意識してするように努力するのだ。

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そんな態度がどこか調教される側の娘にとっては、うっとうしい部分が出来るのかもしれない。肉体的快楽を前提とした出会いでその手段としての調教なんだから、精神的つながりまでをそこに求めていくのはマズい事なのかもしれない。しかし、純粋に性欲だけの解消だけで出会った娘を調教すべきではないはずなのだ。そのドライな部分とのバランス論ってのが大切なのだろう。しかし、その気持ちにおいても調教してこそ、初めて、そこでメスからの完全なる忠誠が得られるのではないか?と僕は思うのだ。いかに相手に傷を付けずに、従わせていくか?がオスの調教だと僕は思うのである。

そう言う観点においても、メスにとっては僕のような露出ってのはあまりにも、もの足りない部分があるのかもしれない。メスが調教を求めてくるってことは今まで以上の興奮と快楽を求めてのことだから、そう言う意味では”誰にも気付かれない”露出ってのは、予想したものと違ってあまりにもレベルが低く感じるはずである。せっかくオスが飼い主としてリスクを共同化するのだから、もっと激しい快楽を求めての気持ちがメスに生まれるのは僕にだって理解できる。しかし、それではいつかは、社会的にも問題になるデッドラインが来ることは簡単に想像されるのだ。

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こういう言い方自体、サディストぶってるのに、口先だけの弱気でチキンであるように捉える人間の方が多いと思う。それに対して敢えて言い訳をしてしまうのだけれども、調教ってのはある種限度を越えてしまうと簡単にデッドラインを超えてしまうのである。それをいかに越えずに快楽を楽しむか?がオスが知っておくべきことではないだろうか?繰り返すがメスを壊して快楽を与えることは簡単である。それで本当にメスを独占し、した事になるのだろうか?

調教の意味ってのはオスごとに千差万別である。何が正しいって訳では無いと思う。またそうやって壊れていくことを望む娘も中にいることも、色々な思いはあるのだけれども事実なのだ。しかし、ただ知っておいて欲しいのは、調教ってのは快楽の追及の側面があることは否定出来ないのだけれども、そこには必ず、”インフレーション化”があって、デッドラインがあるのである。調教を受け入れた限りには相手をして信頼して、全ての調教を受け入れるってのがある種のマゾであるメスのスタンスだろう。

それで良いのだ。そんなスタンスを基本的には調教が好きなオスは求めているからだ。しかし、僕が言うのもヘンだけれども、そのオスがメスをどうしたいのか?を見極めて、それがメス自身の理想なのか?を完全に比較して納得してから、そのオスに忠誠を誓って欲しいのである。調教ってのはメスの場合、特にそうであるが、受け入れてから抜け出すのは難しいのである。いかにその出会いで調教によって幸せになれるか?はメスの見極めである。そのことを絶えず考えて調教を求めて欲しいと僕は思うのである。


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ネットでの性欲解消の出会い

kage

2009/09/17 (Thu)

ネットでの出会い性欲を満たしてしまう1つの原因は、それ以外の方法で出会いが無いってのも本音にある。合コンやナンパ、普通に生活してるだけでのほんのちょっとした出会い、普通ならそんな出会いを利用して彼氏彼女の関係になって性欲を満たしあうのがある種、ステレオタイプながらもそれなりの普通の出会いだろう。だけど、本音を言えばそれ全てがセックスにつながってる訳ではないのは当たり前で、性欲と恋愛ってのは延長線上でつながっているのは認めるのだけれども、100%セックスに行き着く出会いなんかは無いのが当たり前なのだ。

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画像はErogosらぶフェチ 手コキ編より
この画像は、ソフトハウス『Erogos』の作品の素材を使用しています。
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しかし、少なくともネットでの出会いってのはやっぱり性欲があって男女共に集まってくる側面があるのは事実で、そうなればやっぱり程度に差はあっても男女の性差関係無しにセックスに対してどこか当たり前ながら求め合って来ちゃう場合がそのほとんどなのだ。特に調教なんかの変態セックスってのはリアルだと交尾以外の側面がどうしてもあって、そのイメージなんかを守らなければならないために、どうしてもそんな性癖があったとしても、たとえそれが彼氏なんかであっても、羞恥を伴って、その性癖を隠してしまう女の子なんかは多いのは事実だ。


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相手が好きだからこそ、変態に思われたくない・・・そんな気持ちでその性欲を隠してしまうのだろう。それはある種、オスでも同じである。結婚なんか関係なくてもそれなりに関係が続いてセックスに対しても趣味をさらけ出し合えるのがある種の理想なのかもしれないけれども、実際はその関係が100%続くとは本音の部分で誰も思っていないのが実情だろう。

確かに結婚なんかをその相手と約束してその時は永遠にその関係が続くと思える幸せな時間が在ったとしても、心のどこかで”もしかして・・・”って気分は必ずあるのだ。そうなれば、その性癖を何かの拍子に日常の誰かに知られてしまうって気持ちがあって、どうしても性癖をカミングアウト出来ないってのが普通の感覚だろう。

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ましてやセックス以外の日常でも、時間を共有する関係であれば、変態性癖をさらけ出すってことは、趣味が合えば問題は無いけれども、もしかして違えば、そんな幸せな時間でさえも壊れてしまうのではないだろうか?と思うパターンがあっても不思議ではないのである。だから日常の出会いにおいては、その性癖を相手に隠してセックスしてしまうのが本音の部分にあるのだと思う。

特に女性の場合はその趣味を持っているだけで、どこか相手に”ふしだら”だと思われて、扱われることにプライドが許せない部分もあるらしい。こうやって考えれば、性癖を隠すための様々な要因はあるのだけれども、日常での出会いにおける相手とのセックスでは、相手のセックスに合わせて、自身の性癖を隠してしまう部分ってのは結構あるのは事実なのだと言えるはずだ。


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そうなれば、どこかその性癖を満たしたいって欲望があるのは事実だからだ。特にそんな変態セックスを1度経験してしまうとその快楽ってのは日常のセックスとは違うためにどこか比べることによって、より激しい記憶となって身体に残ってしまうのは本音にあるだろう。そうなればまたその快楽をどこかで求めてしまうのは事実になっていくのだ。

ただ繰り返して言うのだけれども日常ではセックス以外の時間の共有があって、そのために羞恥を意識するために恋人なんかに求められないってのも事実だから、特に”お手軽”にその性癖をさらけ出せる出会い系が利用出来るのであるなら、それを満たすために利用してしまうメスがいるのも確かなのだ。つまりはメスだって性欲のみを満たすことを求める部分がそこには出来てしまうのである。そして僕自身、そんな性癖があってメスの身体で精液を射精したい性欲があって、だからこそ性欲を満たしあいたい目的のために出会ってしまうのである。

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そう言う意味では出会い系サイトってのはきわめて合理的なんだと思う。社会的にセックスに為だけの出会いなんかは不純で反道徳的であると理性の側面から考えられているのだけれども、実際的な動物としての性欲の解消ってのはどんな形であっても男女の性差なんか関係なく誰だって求めていることだから、セックスって言う目的のためだけに集まってくるのは、ある種、日常とは切り離された出会いを求めてなんだから、日常に影響しないセックスが出来ると言う意味でものすごく合理的なのだ。それに切り離されているからこそ、純粋に目的を満たすための出会いになるために、その性癖をさらけ出して相手を探し出せるってのも良いことだと僕は思うのである。

ただ、実際的にはそんな側面以外にも、性犯罪や援助交際、それに年齢的なトラブルなんかもあって、どうしてもそのマイナスのイメージ部分が出会い系にある。これは様々な犯罪がそこで起きていることをニュースなんかで取り上げられて、誰だって知っていることなのだ。性欲の解消の出会いって側面自体、日常ではインモラルな捉え方があるのだから、そこにそんな性犯罪なんかの側面も含めてしまうと、それを楽しんだことの無い人間からはどうしても存在悪になるのは仕方が無いことだと僕は思っている。

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もっと言ってしまえば、そこで遊んでること自体がどこか陰湿なイメージがあるために、そんなものを利用している人間の割合ってのは当たり前なが全体の中での少数だから、どうしても全体から見れば、そのイメージが先行してしまうのは仕方が無いことなんだと思う。だから最近はネット規制が厳しくなって、実質的な利用が出来なくなり始めてるのが出会い系サイトの現状なのだろう。

しかし動物として性欲が人間にあるのは事実である。そのことは男性・女性の区別無く当たり前のことである。結婚や恋愛ってのが様々な要因で難しくなれば、その性欲ってのはなんらかの別の方法で解消するしかないのだ。そうなれば、出会い系ってのはネットの向こうには何らかの性欲の相手が居るのは事実で、同じ性欲の解消を求めて集まってくるのだから、そこでのセックスってのは合意に基づいての快楽に成り得るのだから、性病なんかの問題はあるのだけれども、その出会い自体はある種合理的で判り易いのだと僕は思うのである。


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セックス中毒

kage

2009/09/16 (Wed)

たまたま、ある女性教師と出逢った。その女性は30代半ばの独身の女教師で・・・・実は調教済みのメス豚だった。そしてある意味、悲しいことに飼い主に捨てられたいわゆる”ノラ豚”だったのだ。こういう書き方をしちゃうと”ノラ豚”全てが悪であるようなイメージになるが、精神的にはともかく肉体的にきちんと飼い主から卒業した状態での”ノラ豚”であるならともかく、そうでないと可哀想な状態になってる場合が”悪”なのだ。

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画像は極フェロ特命捜査官 真衣~身も心も堕とされてより
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それはどんな状態か?と言えば精液で汚れていく行為から逃れられずに快楽に依存して、セックス中毒になっている女性の存在だ。セックスを覚えてしまうとある意味、オナニーなんかでその性欲が抑えられないのはオスメスも一緒なのだと思う。それでもどこかオナニーなんかで誤魔化してチャンスを待つことになる。ただ中には異性の身体快楽を得ることでの快楽中毒化しちゃって、いわゆるセックス中毒になってしまうパターンが全体の割合から観ればほとんど無いのだけれども、やっぱり存在するのは間違いなかったりする。


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オスの場合ってのは、ある意味セックス中毒になりにくいのが本当のことだろう。当たり前ながらどんなに肉棒を勃起させて”ヤラせて欲しい!!”ってメスにおねだりしても、ほとんどは無視されるだけで相手にされないからだ。つまりはどんなにセックス前提での出会い系サイトで遊んでいても、どこかそこには”擬似的”であっても恋愛的な手続きは必要になるために・・・チャットで遊んでメアドなんかを交換して何度かそうやってやり取りしてそれで逢えるように雰囲気作りを作ってって感じで・・・知り合った瞬間からリアルでセックス出来る状況にならないのは当たり前であることは誰だって感覚的に判るはずだ。

それはある意味当たり前のことなんだと思う。セックスに対しての性別による考え方がある意味異なりすぎるからである。例えばいわゆる”1000人切り”の人間が居たとしよう。オスの場合であるなら、確かに下半身が無節操すぎるって感じである程度の非難があるかもしれないのだけれども、どこか許容出来る部分がそこにはあるだろう。しかしメスの場合、そうやってしちゃってる場合は、ある種の”汚れ”として捉えられることが多いのではないだろうか?理性的には男女差別的な見方であるのは僕自身判って敢えて書いちゃうのだけれども、性体験豊富な女性ってのはオスにとって実際的に”恋人関係”にすることに抵抗が出来てしまうような気がするのである。

この感覚自体、オスの身勝手な表現だと理解しているのだけれども、快楽前提のセックスを無節操に楽しむ女性に対して、ある種の”けがれ”を感じてしまうのは、どうしてもその女性の身体に別のオスの存在が”匂い”として染み付くイメージがあるからだと僕には思える。オスのセックスの場合は精液を射精するのだから、体液を外に出すのだけれども、メスの場合は出された精液をその蜜壷で受け止めるって側面があって、そうなれば精液をその身体に溜めていくってイメージになってしまう。つまりは交尾するときは前のオスの精液の存在もその蜜壷にイメージしてしまう事になるのだ。

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基本的には他のオスの精液の存在ってのは、オスにとって”汚いもの”と考える。汚いってよりは”異物”だろう。そんなものを感じさせるメス身体は、どうしてもどこか”気後れ”するものになってしまう。なぜならセックスの側面ってのは確かにオスにとって射精によって快楽を得る行為の側面があるのだけれども、それ以上にそのメスを独占していく行為に当たるのである。交尾してメスの蜜壷、子宮にオス自身の精液を”残す”ことによりオス自身の”モノ”であることをそのメスにアピールしていくことになるのだ。それはそのメスだけでなく、他のオスにもその跡を残すことで所有のアピールとなる。そう言う意味ではセックスってのは犬が電信柱なんかにオシッコするマーキングに似ている部分もあるのだ。

そうやって考えれば、オスがメスの身体を求めてセックスするのは快楽を伴って、なのだけれども・・・犯すことによって、自身の精液で染め上げ、汚し、別のオスに触らせない状態にすることであるとも言えるのである。逆に言えば”犯しまくる”ことでそれまでのオスの精液の匂いをそれ以上に汚すことによって”上書き”することが出来ると無意識ながら考える部分が本音なのである。だからオスはメスの性欲以上に交尾に執着する部分があるのだと言えるのである。

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ただ、そう考えればオス自身が染め上げる以上にメスのセックス歴がある場合は、そのメスに対する独占欲ってのは無くなってしまう。当たり前だろう・・・・どんなに交尾をしても、それ以上にメスの身体が”汚れて”いるとオスとして自覚すれば、そのメスに対して愛し様がなくなるのだ。ただそれでもメスの身体に関しては、その存在はオスの性欲を刺激するものであるのは変わりは無いから、目の前にその身体があれば、セックス出来る状態であれば・・・射精することだけを求めて交尾してしまうのは本音だろう。

そうなれば、ある意味オスは割り切って、そのメスを”なぶる”ことしか出来なくなる。そして”汚れ”の自覚はメス自身も意識することになるだろう。そうなればメスも愛情よりも快楽を重視したセックスを求めることになるしかないのだ。ただ、そこにはやはりオスのメスに対する独占が無いのをメス自身が自覚しているから、快楽を与えてくれる相手なら誰でも良い事になる。そうなれば、メスは際限なく様々な肉棒を咥えて”汚れていく”ことしか出来なくなるから、セックス中毒として抜け出せないマイナスの無限ループになるのである。

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これにはメスのセックスに対する閉鎖性に起因するものであろう。閉鎖性って言い方自体、おかしい
のは僕自身判っているのだけれども、上手く言えないのでこういう言い方になる。それはどういう意味か?って言うと、簡単に言えばメスはセックスに対する欲望は満たしやすいって言うことなのだ。こういう言い方自体、間違っているのだけれども、セックスに対してあるラインを超えてしまったメスってのは、セックスに対して抵抗がなくなるってことだ。

つまりはオスと違ってメスの場合、”セックスしたい!!”と言えば、オスが集まってくることを意味する。需要と供給の問題と言えばヘンだけれども、オスはセックスしたくても簡単にさせてくれるメスがいなくてモンモンとするのが普通だから、そうやってメスがセックスを求めてくれれば当たり前ながら、まずは”させて欲しい!!”って欲望が優先されるからだ。動物的な本能でオスはメスの身体に精液を射精しようとするのがどんな欲望よりも優先されやすいのは誰だって理解できているだろう。そう言う意味ではオスよりもセックスに対してヤリやすいのがメスである。


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ただメスの場合は繰り返しになるのだけれども、妊娠のリスクがあって、セックスに対する”汚れ”の感覚がどうしてもあるから、簡単にセックス出来ないのが本音だろう。つまりは1匹のオスと何度でもたっぷりとセックスを楽しみたいってのが本音だろう。だから相手が誰でも良いって感じのフリーセックスに対しては抵抗があるのは普通のことだろう。オスの場合は逆に、様々なメスの身体を味わいたいって本能があるから、そう言う意味では男女のセックスの需給バランスってのはどこかイビツなのである。

そんな状態だからこそ、セックスのループにハマってしまったメスの場合は、求めるままに交尾出来るのだから、セックスしまくる状態にオスよりはなりやすいと言えるのだ。そうなればセックス中は”オスが自身の身体を求めてくれる”って安心感が出来るから・・・それ以外は”汚れ”を意識してオスのセックスの対象になり得ない不安を消そうとしてだと思うのだけれども・・・そうやってセックスを求めてしまうのだろう。特にどんなことでも、1度経験してしまえば後は2度でも3度でもって意識になりやすいから、そうなればセックス中毒から引き返せなくなるのだろう。

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つまりは”汚れてしまえば後は一緒だ”と言う意識がメスをそうさせる部分があるのである。より激しい汚れを求めて、何本もの肉棒を繰り返し求めていくことになる。これがメスのセックス中毒の本音ではないだろうか?特にその”投げやりさ”と引き換えにして”快楽”が手に入るのであるから、セックスの中毒化はより進みやすいのだと思うのである。

そしてここで考えなければならないことは、そんなメスに出会った場合、オスはどのように振舞えばよいか?だろう。セックス中毒のメスなんてはっきり言えば、実際的にはイレギュラーな存在で簡単にぶつからないのは事実だ。ほとんどのメスはそう言う意味では健全でセックスに対する”汚れ”の感覚も程度に差はあってもそれなりに理解してるのではないだろうか?ただ、実際的にそんなメスが少ないながらも存在することは事実なのである。

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確かにセックスさえ出来ればオスとして一応の満足はあるのだし、そう言う意味では”据え膳”って考え方もあるだろう。思うままにそのメスの身体で射精しても”相手がセックス中毒”を理由に後のことは考えなくても良いって側面は否定出来ないのは事実だ。だから妊娠なんかのことを考えずにオスとして性欲だけを追求して犯しまくるのも実際の部分かもしれない。ハッキリ言ってしまえば、後腐れが無いのだから、性病さえ問題にしなければ、”ラッキー!!”でしちゃうのがオスの性欲なのかもしれない。

でも、それで良いのだろうか?と思いが、そんなメスとの出会いにあったのは確かである。繰り返しになるのだけれども、やっぱりメスの身体を目の前に差し出さられれば、どうしてもオスの性欲ってのが優先されてしてしまうのが本音にあったのだけれども、そうと判るとどうしても素直に味わって快楽を共有したい気持ちにならなくなったのは事実である。表面上の行為としてはネットで出会う他の娘と何も変わりないし、他の娘でも性欲が我慢出来なくなって交尾相手を探してって意味合いではまったく変わりは無いのである。ただ違いはセックスに対する愛情の感覚なのだ。

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他のメスってのはある意味、調教なんかしちゃうと擬似的であってもどこか恋愛の気分が生まれてくるのは事実である。セックス前提の恋愛って言い方はまずいのかもしれないけれども、やっぱり犯す限りにはその娘を独占していきたいって欲望がどうしても生まれてくる。だから、相性さえ良ければ何度でも逢っちゃうのが今までの感覚だ。

しかし、セックス中毒にハマった娘に関しては、どうしてもその場限りでの快楽のみを求められるために、それだけで終わってしまったのだ。その場限りの出会いで、それ以上の関係を拒絶されてしまっているのだから、何もオスとして出来なかったのが本音にある。そう言う意味では苦い経験をしてしまったのだと僕は感じているのだ。もし、次にそんな娘と出会うことがあれば、一言だけ”どんなに汚れてでも愛されたいって思っても良いんだ・・・”ってそその相手に伝えたいと思うのである・・・・・


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女の子の体型

kage

2009/09/14 (Mon)

今回のブログに関しては、ものすごく僕1人の女の子の体型に対するこだわりがあります。体型ってのは遺伝的な部分も含め、個人で変化し難いモノですから、ある意味、すごく差別的な内容になってるのかもしれません。実際問題、日常で女の子の体型を話題にすることは”セクハラ”に当たります。だからある意味体型の話題はマズい話題であると認識があります。しかし、ダイエットなんかの話題をオスとして観ちゃうとちょっと思うことがありまして、敢えて書きました。言葉足らずで、不快に思う女性も居るかもしれませんが、1人のオスの考え方だと思って、読んでいただければと思います。


女の子の体型で、1番判りやすいのはストレートに体重なんかが話題になったり価値基準になったりしちゃってるのは実際的な事実だ。どんなに女の子の価値基準は性格なんかの内面の問題と言いながらも、それなりにやっぱり”見た目”ってのも気になるのはオスにとっての素直な感想だろう。そしてそれをある意味、すっごくシビアに理解してるのも女性自身なんだと思う。だから、雑誌なんかでのダイエット特集なんかはどこにでも載ってるのは誰でも知ってることだし、情報バラエティー系のTVでも”女の子を美しくするダイエット”なんか何かの拍子に当たり前ながら放送される。それだけダイエットってのは女の子にとっては興味のある話題なんだろう。

でも、ここで考えなければならないことはそんなに女の子にとってダイエットは必要なことだろうか?と言うことだ。言い換えればそんなにオスはメスに対してダイエットを要求しているか?である。僕自身、女の子の出会いってのは、セックス前提での出会いがそのほとんどだから、あんまり女の子の体型は気にしない部分があるのは本音の部分だ。こう言ってはなんだけれど、逢える娘が”ヤレるか?どうか?”が重要でそれ以外の条件はあまり考えない。ネットでの出会いなんだから、来てくれるだけでうれしいから、そう言う意味では選り好みしないってのが僕の出会いのスタンスだからだ。

だから、ある意味それなりにいろんな体型の娘と経験しちゃうのが実際だ。本音、体型じゃなく年齢も本当に千差万別ってのがあって、あからさまに無節操な部分があることを自分自身でも自覚している。そしてだからこそ思うことなんだけれども、女の子自身が思うほど、オスにとって区別が出来てないのではないだろうか?と言うことだ。

よく女の子の体型の表現で、ムッチリ・ポッチャリ・デブ・ガリ・ヤセなんかがあるのだけれども、女の子の7割がたはムッチリの表現で良いんだと僕は思う。確かに出会う女の子が20代後半から30代が多いから、どうしてもメスとしての熟れ盛りの身体を味わってしまうために、肉付きの良い身体を味わい易いってのはあるのかもしれない・・・・チャットで遊んで出会うために、相手が人妻の割合も結構、普通にあるためだ・・・・だから、どうしてもメスの身体の表現は”ムッチリ”になってしまうのかもしれない。

そうなると、やっぱり何かの拍子に交尾したメスと”痩せたほうが良いか?”との話題が出る。僕自身、言っちゃうのだけれどもかなりのメタボ体型だから、その女性と食事なんかしてると話題になり易いのもあって、話しちゃうんだけど・・・その時に基本的に言っちゃうことは”ほんのちょっとだけムッチリしてるほうが、オスって興奮しやすい”ってことである。確かに限度ってのはある。太ってる僕が言うことではないけれど、無節操にデブッとした女性に対してはそれなりに抵抗があるのは事実だ・・・それでもしちゃうのだけれども・・・・・でも1番困るのは本音”ガリガリ”の娘だ。

そこで何を持って”ガリガリ”になるのだけれども、僕の場合、萎えるのはおっぱいの付け根からお腹にかけてのアバラが浮かんで見える女性の身体がダメなのだ。かすかに見えるだけでもかなり抵抗がある。産まれた時の体質でどれほど、食べてもそうやって痩せてしまうってのは仕方が無いことなのだけれども、ダイエットなんかで無理して痩せてしまう娘なんかに出会うと、抱きしめると皮の向こうに骨があるのを実感してしまってどうも強引に抱きしめるのが怖くなる。

女の子の身体ってのは基本的には華奢で細く、壊れやすく感じるのは、いつも抱きしめた時に思うことである。チカラを入れちゃうと壊してしまうんじゃないだろうか?ってのは本当に実感としてあるのだ。そんな状況であの浮かんだアバラを観ちゃうとどうしても、その”モロさ”だけがそこにクローズアップされて、そう言う意味での怖さを感じる場合が僕には多いのである。だから、ストレートに言ってしまえば、その怖さを隠す部分において女の子の”肉の柔らかさ”ってのは抱きしめるときの心地よさに直結するのである。

そう言う意味ではそれなりにムッチリとしてくれたほうが良いのではないだろうか?と僕には思われるのだ。それにハッキリ言ってしまうと僕の場合、セックス=調教ってのがあるので、何かの拍子に女の子を縄で縛ってしまう場合がある。おっぱいなんかは特にその食い込み感ってのが浮かびやすくてビジュアル的に興奮が高まるのだけれども、あまりにも痩せすぎる女の子との緊縛プレイってのは、アバラに縄が掛かって、変に”痛々しさ”を感じる場合があるのは事実なのだ。そう言う意味ではガリガリよりも縛ると縄が食い込みやすいオデブさんのほうが興奮しやすいのが事実である。

ただ、だからと言って、際限なくオデブさんが良いのか?って訳ではないのも事実なのだ。僕にとって理想なのはおっぱいのあたりのアバラの部分の肉付きが、ムッチリとしてるのが理想なのである。指で撫でるとそこにはそれなりの肉があるのが判るのだけれども、触れた感触にはアバラを感じてしまう程度が理想的なのだ。あまりにも肉付きが良すぎてアバラを感じられないのも、ちょっと抵抗があるのだけれども、まったくその肉付きが感じられなくて皮の向こうにすぐにアバラを感じるのもダメなのである。

なんだか難しそうに書いてしまったのだけれども、実際的に女の子なら、アバラの辺りを触れてみていただければ嬉しい。ほとんどの女の子はそんな感じなのだと思う。つまりはオスにとっての理想体型の範囲はそれだけあることを知って欲しいのである。だらしなくポッチャリと体重がある娘であるなら、やはりオスとしてはそれなりに抵抗があるのだけれども、女の子に求める体型の幅にはそれなりにあって、そこから越えてなければある意味、OKなのである。

つまりはハッキリ言ってしまえば、女の子が考えるほど、オスにとってはその体型に対してシビアに考えていないのである。だから、女の子ってのはあまりダイエットなんかを考える必要なんかは無いのだと思うのだ。それよりも明るく元気に微笑むことが出来る娘のほうがオスにとっては魅力的なのである。セックスを求めて出会いを選ぶのであるならば、特にそのことは言えるのである。

なぜなら、性欲ってのは日常では羞恥を伴って隠すべき欲望の側面があるのに、それをあえて、さらけ出すってことは感情をさらけ出すことにつながるのである。そうなれば思うまま感じるままにセックスの時はメスに振舞って欲しいってのがオスの本音なのだ。演技で気持ち良いと気遣って言ってくれるよりも、終わった後で”気持ちよかった!!”と微笑んでくれる笑顔がオスにとって、ある種セックスに対する”ヤって良かった!!”と思える結果なのだ。

ダメならダメって言ってくれれば、次はもっと頑張りたいと思うし、それでも厳しければ相性の問題だって考えるだろう。女の子は気持ち良くなりたいためにセックスをするのだ。逆に言えばそれが満たされないと女の子にとってのセックスは意味がなくなるのだろう。そう言う意味では女の子はセックスに対してシビアなジャッジをオスにして良いのだと僕は思う。

そしてここで言いたいことは無理してダイエットに挑戦する必要は無いことも言えるのである。オスのためにとか、周りからの視線が・・・・なんかよりもまずは明るく微笑んでくれるほうが良いのだと僕には思う。よくダイエットなんかの広告で”痩せて綺麗になって、自信をもって明るく微笑むことが出来ました!!それで男性にモテモテです!!”って感じでCMがあると思うのだけれども、女の子が痩せて綺麗になること自体は悪くないことなんだと思うのだけれども、結果綺麗になったからオスにモテて自信になるのでは無くて、”明るく微笑む”ことが出来る結果がモテた原因だと思う。明るく微笑む手段がダイエットで良いのかもしれない。それはあくまでも手段であることを知っておいて欲しいのである。その手段でなくても明るく微笑むことが出来るのであれば、それだけで女の子は良いのだと僕は思うのである。手段を目的にせず、目的の”明るく笑える”方がオスにとっては重要なことだと僕は思うからである。


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動物的本能としてのセックス

kage

2009/09/13 (Sun)

やっぱりストレートに性欲があってセックスしたいから、エロチャットなんかで遊んで、結果リアルでもセックス出来るように頑張っちゃうのが僕のいつものパターンだ。普通なら、職場や学校、そんな感じでの日常でのごく普通の場所で出会って恋愛をし、その結果、セックスの関係になっていくのがステレオタイプながら普通のセックスに至るプロセスだろう。そうでなくとも、ヤリコンまではいかなくても合コンなんかでお持ち帰りのパターンやナンパでのセックスなんかがネットでの出会いを信じられないタイプのセックスの機会ではないだろうか?

つまりはネットで遊んでて、結果、リアルまでしちゃうってのはネットでの出会い系にハマりこまないタイプの人間には”信じられない”行為であると思うのが普通だろう。特にネットでの出会いってのはやっぱり性犯罪や中高生の援助交際など、様々な意味でのトラブルの温床ってのがやっぱりそのイメージにあるのは事実だし、実際何かの拍子にニュースになってそれが社会的に表面化するのも事実だ。その為ネット規制って呼び方で成人認証や警察への届出制なんかが行なわれたりして、それなりにトラブルを防ごうとする動きがあるのは仕方が無い部分もあると思う。

確かにネットでの匿名性って側面においてはトラブルに成り得る状態であるのは認めなければならない。ネットでのモニタに写る情報ってのは、その情報だけで原則他の部分は全く出てこない。それでいながら、不特定多数の人間と様々な情報を交換し得る状態になっているのは間違いないのである。

ネットワークの個人の利用はプロバイダを通じての利用になるため、その個人がどのようなHPを閲覧したか?メールの内容はどのようなものか?はプロバイダによって記録されている部分があり、またHPにおいてもそのアクセス記録はHP管理者が保存しているのが原則である。だから、何らかの犯罪を伴った場合、警察なんかがその記録を調べることが可能だから、そう言う意味では匿名性は無いと言えるのかもしれないのだけれども、原則的にはその利用者からは匿名性があると言えるのである。

これは何も出会い系サイトの類いだけでは無い。通常の掲示板でもトラブルになり得るものであるし、オークションサイトなんかでも起こり得る話だ。つまりは安易な匿名性を利用した犯罪は程度の差はともかくとして誰にだってなんらかの事件に巻き込まれる可能性があるのは事実だろう。だから通常、出会い系サイトなんかを利用してない人間なんかはそのリスクをクローズアップして、その危険性を語るのである。

ただ、しかし本当にそうであろうか?って部分もネットで遊んでいる人間は考えなければならないだろう。繰り返すようであるが、ネットでの悪意が全く無いとは絶対言えないし、トラブルだってゼロではない。それだけは事実なのだ。しかしその部分においては、夜の繁華街で起こり得るトラブルと安易に比較してはならないと思うのだけれども、リアルでの日常においても様々な犯罪リスクがあるのだから、単純に悪意だけをクローズアップしてはならないと僕は思うのである。

実際、こうやってブログを観てくれるほとんどの人間はネットでの便利性もある程度は理解してくれているのだと思っている。ネットでの買い物や情報収集、メールのやり取りまで、これもまた個々人で程度の差はあるのかもしれないけれども、どのレベルであってもネットでの利用を止める事は出来ないだろう。つまりはそう言う意味でもネットのあり方は日常と変わらなくなってきてると言えるのである。だからこそ、リスクと便利性を比較してその使い方を考えてネットを利用している人間が多いのではないだろうか?

そして出会い系サイトについては、たしかにその”イビツ”性の側面があることも判っている。ハッキリ言えば、日常においてはセックス前提での出会いなど、実際的にはあり得ないのに、そこには歴然として快楽を得ることを目的として男女の区別無く集まってくるのが、その”イビツ”性であろうと言える。日常においてストレートに”セックスしたい!!”ってだけで出会いを求めるのはインモラルであると社会的に共通認識があるためだろう。男女間でどんなに合意があったとしてもセフレ関係なんかのセックスのための関係ってのはやっぱり社会の表面的な感覚から言えば”イビツ”であるのだ。

しかし性欲ってのは動物の根源的な部分であることも事実なのだ。どんなに道徳的なことを説いても実際的には性欲ってのが人間のどこかにあって、それを満たしたくてウズウズしているのだ。確かに理性があるからこそ、ほとんどのオスは何らかの理由をつけてしかセックスはしない。それがナンパであったり合コンであったりと手っ取り早く”ヤレ”る方法を考えての理由であったとしても、恋愛ではなく性欲を満たす方法として何らかの形で満たしていくのである。

理想は好きな女性との恋愛の結果でのセックスであったとしても、性欲ってのは恋愛感情とは別の部分であるから、どうしてもそうなるのである。つまりは犯罪でない、レイプでないチャンスがあれば、性欲に従ってしまうのがオスの性欲であると言えるのだ。極端な話、だからこそ、生産業としての風俗が存在するのも事実なのである。

この感覚はある意味、女性だって言えるのかもしれない。性欲の量って言うか高まりは男女で異なるか?と言えば、絶対そんなに差は無いと感じている。ただ妊娠なんかのセックスによる結果のリスクってのがはっきりと現れてしまうのがメスであるために、そう言う意味ではメスにセックスの躊躇があって当然なのである。ありえないことだけれども、もし、その類いのリスクが男女共に実際的に同じであれば、セックスに対する行動は男女共に同じものを示したであろうと僕は思っている。つまりは性差の区別無く性欲は人間として持つものであると言えるのである。

それなのに、セックス前提の出会いを反道徳的として社会的に”隠して”しまう風潮は根強い。確かにセックスって行為自体、多かれ少なかれどんな人間でも、ある一定の年齢を越えればそれなりに経験する行為のはずだ。それなのにストレートに話題とするのは、セクハラの関係もあって・・・それ以上の何らかの恥ずかしさを伴ってタブーとなる場合が多いのは事実だ。誰だってそれなりに興味があるのに、ゴールデンタイムのTVの番組でセックスに対する話題なんかを取り上げないのは、当たり前であると考えるのが社会の常識である。

そこにはある種、単純な意味で羞恥の精神があるのだろう。誰だってセックスのテクニックと言うかその方法をさらけ出すのはどこか羞恥を伴って抵抗がある。セックスを話題にした場合、どうしても”自分の場合は・・・”ってのが出てくるから、それを語るには抵抗があって、そうなれば暗黙の紳士協定として、その話題をタブー視してしまう部分もあるのだ。そして性欲をさらけ出すこと自体、やはり、理性ある動物のすることではないと言う部分だってあるだろう。セックス自体は自然の行為であるのに、それをさらけ出すのはインモラルであると”刷り込まれた”部分で告白出来ないってのがあるのも事実だろう。

これにはある種、家族を作る意味も考えなければならないのも事実だ。セックスすると言うことはある種、子作りを意味する。つまりは子供が出来て当然の行為なのだ。そうなれば安易なセックスは、”出来ちゃった婚”を許せない限りには、その家族の成立とは矛盾した行為となる。だから、安易なセックスを防ぐために、ある種のタブーとなる側面も否定は出来ないだろう。

しかし、実際的には人間は快楽を得るためだけのセックスが出来る事を知ってしまっているのも事実である。はっきり言えばコンドームなんかの避妊の方法を知って交尾を楽しむことを覚えてしまえば、セックスの結果での子作りの意味をなさなくなるのだから、そうなれば、快楽を楽しむセックスがあっても良いのではないだろうか?と言う部分が生まれるのが実際である。そしてそこまでハッキリと言わないまでも、だからこそ結婚を前提としない恋愛であっても、愛情の証としてのセックスは成り立つのであるし、実際的な部分で、互いが独身であれば特に、性欲の発散としての快楽をなんらかの形で楽しんでいるのが、男女の性差、関係なくそれが本音の部分ではないだろうか?

ただ、問題としてそんなに簡単に交尾する機会ってのは実際的には少ないのも事実だ。確かに先ほど、合コンなんかの例を話したのだけれども、”ヤリコン化”している人間は少ないだろう。何度かその流れでのセックスを経験してしまっても、そのままそれが当たり前であると考える人間は実際的に思ったよりも少ないのが実情であろう。

そうなれば、やはり実際的に性欲の解消としてやってしまうのはオナニーであると言える部分があるはずだ。社会的にもはばかることなくセックス出来る関係があったとしてもオナニーしてしまう場合が結構あるはずだ。恋人が居ても、オナニーを全くしなくなる場合のほうが少ないはずだ。もちろん、性欲が枯れて・・・枯れなくても生活環境がそれなりに厳しくなってそれどころではなくなる場合は否定しないのだけれども・・・そんなパターン以外はそれなりにオナニーライフを楽しんでるのではないだろうか?

そうなれば、やはり性欲を興奮させる手段としての”オカズ”が必要になってくるのは事実である。オスの場合、雑誌のグラビアやAVなんか様々なグッズが揃っているのは事実であるし、実際的にはその延長としての風俗が存在するのは事実なのだ。そう言う意味ではオスは具体的なメスの身体をビジュアル的に意識してそれを興奮とさせていくってのが判るのである。

しかしメスの場合は、あまりどうやら視覚的な”オカズ”を求めないような気がするのが僕の感覚である。当たり前ながら僕自身がオスであるために、メスの本音を知らないってのがあるためにこれ自体、あくまでも推測にしか過ぎないのであるのだけれども、確かにAVなんかでもそれなりに女性でも興奮があるのだと思うのだけれども、そのAVに出てる女優なんかをもし自分自身だと見立てて・・・って感じでイメージによる興奮ってのがオス以上に大きいような気がするのである。そうなれば、チャエッチなんかのイメージでのセックスは女性にとってオカズに成り得るのだと言えるのだろう。

ただ、その”オカズ”としてのネットでのバーチャルなセックスのあり方は否定しないのだけれども、しかし、本当はそれ以上の”何か”があるのではないだろうか?と僕は思うのである。リアルでの社会ってのはある意味、セックスに対してどこか否定的な部分があるのは、先ほど書いたとおりである。しかし性欲の存在自体、動物的な部分であるから、それを否定することも出来ないのも先ほど書いたとおりである。そうなればネットでのセックスの要求ってのはある意味、ものすごく合理的な使い方であるとも言える部分が出てくるのである。なぜなら、ネットってのはあくまでもバーチャルな部分でのリアルであるからだ。

つまりはその匿名性を理由に、個人の存在はあくまでもモニタを通した”アイマイ”な存在になる。極端な話、親兄弟間であったとしても、モニタを通じての情報は具体的な個人情報を足さない限りには、その相手を特定しきれない部分が大きいのだ。たしかにITスキルの高いものであれば、その相手が具体的に誰なのか?を特定できるのかもしれないが、大多数はその匿名性によって”アイマイ”化されていると言えるのである。しかしその存在はアイマイであったとしても、必ずモニタの向こうには、リアルな人間が存在しているのである。そう言う意味では、ネットでのバーチャルなセックスであったとしても人間の共同作業としてのセックスが成立する。そう言う部分を求めて、ネットでの快楽を求めて、チャット系サイトに集まってくるのではないだろうか?

それに、そうやってモニタの向こうの誰かはリアルであるからこそ、その延長としてリアルでの本当のセックスを求めてしまう部分がありえるのも事実である。確かにチャエッチと呼ぶバーチャルなセックスの本質は文字情報でしかないためにオナニーの”オカズ”で終わってしまう場合がほとんどだろう。しかしオナニーってのは本当のセックスの代替行為であるのは事実である。

そうなれば、”もしかして、リアルでも・・・”と言う意識はそれを利用する男女共に心のどこかであるのは当たり前なのである。そう言う意味で、僕はネットで遊んでる場合でも絶えず、リアルを考えているし相手にもアピールする。だからこそリアルで逢えて”ヤレる”のである。誰も本質的に性欲の発散にオナニーだけを望んでいる訳ではない。

日常での出会いにセックスを安易に持ち込めないからこそ、それを解消するためにネットでの出会いがあるのだと僕は思っている。問題は繰り返しになるのだけれども、相手は必ず”リアル”なのである。つまりは自分自身のエゴだけを押し通せないのだ。それに気付かずに出会った場合は、不幸になる。ネットはパソコンが計算したゲームではなく、必ず相手がそこに居るのだ。

どのレベルであっても相手から”良かった・・・またしたい・・・”って言ってもらえるように、そのシチュエーション作りってのが、ネット・リアル関係なく、セックスする場合の相手への礼儀だと思う。それを考えることが出来るのであるならセックス前提のネットでの出会いであっても、何も問題は無いのだと僕は思っているのである。

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メスのオナニー

kage

2009/09/12 (Sat)

やっぱりチャットなんかで遊んでると、何かの拍子に話題が”オナニー”なることが結構、多い。実際2ショットチャットなんかで遊んでると、そこでやっちゃうのはチャエッチになっちゃって、それってのは結局はオナ命令プレイになってしまうから、その話題はある意味外せない部分がどうしても出来てしまう。そこで良く思うことなのだけれども、結構バイブなんかを持ってる女性が多いってことだ。

確かに、オスのオナニーってのは、はっきり言ってしまえば自身の肉棒を握って”シゴ”くことによって、その性器に刺激を与えて、射精することを求めていくことである。つまりはそれ以外の刺激ってのはあまり、意味は無い。もっと言ってしまえばセックスの時でさえも肉棒に対する刺激以外はあまり直接の快楽になり得ないのだ。プレイの方法の内容として、メスに身体を舐めさせるなんかはあるのだけれども、それって言うのは、”舐めさせる”ってメスの奉仕を求めていくことをその意味するだけで、当たり前ながら直接的な快楽にあまり直結しないのである。

ただ、それはあくまでも僕個人の感覚だけでしかない。実際オスであっても乳首なんかを舐められて、興奮するオスもいることは事実らしい。またもっと言ってしまえばお尻の穴、アナルで快楽を得るオスだっているのだって、事実らしいのだ。これはある種、体験してるか?いないか?だけのものかもしれないし、乳首舐めなんかでもなんらかの体験によって感じるようにこれからなるかもしれない。しかし逆に言えば、単純にそこを性感帯とすることはオスの場合は個人差があって、それになおかつ、それまでの経験の内容にも変わっていくと言えるだろう。そしてそこまで考えなくとも刺激によって射精できるのが肉棒であるとオスの場合、言えるのである。

逆にメスの場合は、性感帯って言うか、何らかの刺激によって快楽とする身体の部分はオスよりも多いと言い切れる。これは言うまでも無いだろう。オスと同じ性器の刺激といっても、蜜壷の中に対する刺激もあれば、蜜核への刺激もある。おっぱいの舐め方も乳房全体に舐めまくるのも良ければ、乳首だけでのおしゃぶりだけでも快楽とする場合だってあるだろう。お尻の膨らみを撫で上げるだけで感じるのも事実だろう。そうやってメス独自の身体の部分だけでなくても、そのうなじや背中だって性感帯に成り得るのだ。

つまりはメスの身体全体が性感帯になり得るのが事実であると言えるだろう。僕の場合、これもまたカミングアウト済みだと思うのであるが、女の子の髪に対するフェチがあるのだ。だから交尾中にも、我慢出来ずにその女の子の髪を求めて、つい舐めるようにキスしてしまう場合がある。顔を女の子の顔にうずめ、その柔らかさと感触、匂いなんかで落ち着いたりメスの存在を実感したりするのだ。その感覚ってのは女の子のおっぱいに顔を押し付けてその柔らかさを楽しむのと同じような気持ちがある。

女の子にとっても、最初のうちは髪の毛へのキスは、最初の間はくすぐったそうにするのであるけれど、だんだんとそれを繰り返すことによってだんだんと、その行為自体によってそのメスの快楽を引き出すことに可能となるような感じがする。確かに蜜壷やおっぱいを舐めあげることによっての快楽のレベルとは違うだろう。中には演技で感じてる振りをしている女の子だっているのかもしれない。しかし、まったくそれが性感帯になりえないとは全く言えないだろう。つまりは女の子の身体のどのような部分であっても、オスの開発の仕方によっては、性感帯になりえると言えるのだ。

経験と開発によってはその身体の部分が性感帯に成り得るのは、そう言う意味では男女の違いはないと言える。しかし、その開発のし易さって言う部分においてはメスのほうがはるかにし易いのは事実のはずだ。そうなればセックスでの愛撫の量が男女同じ場合、快楽を得やすいのは当たり前ながらメスであるとその部分からでも言えるのだ。そう言う意味で、メスはセックスのときはどうしても受身になってしまうのだし、オスはそんなメスの身体の変化を求めることになる。そしてその延長上に調教としてのセックスの1つのプレイが成立しえるのである。

そしてそれはオナニーの場合だって言えるのである。簡単に言えば、オスの場合はなんらかの”オカズ”の興奮によって肉棒をシゴき射精することで満足するのだけれども、メスの場合は、蜜壷への刺激だけは無いだろう。オナニーでもおっぱいをその胸の膨らみをもみ上げ、愛液の絡まった指を舐め、愛液を垂れ流し子宮に届くほど蜜壷を弄り倒すことによってそのオナニーは完成されると言えるのである。

そして、指の感覚だけでは満たされない部分を補填すると言う意味でバイブの利用をしちゃう娘だって結構居るのだ。バイブを利用するってのは普通のオナニーよりも淫らになっているって部分があるのは、利用している本人だってどこか自覚はあるのだろう。より快楽を求めるからこそ、道具を使ってその快楽を得ようとする。それ自体の本質は何も問題はないのだ。

問題はそんなオナニーだからこそ、ある種の満足があって、納得してしまって、リアルでのセックスを諦めるのは良くないと思うのだ。どんなに道具を使っても、それはセックスに対する代替行為でしかない。安易なセックスってのは妊娠や性病なんかのリスクがあって、女性にそれを求めるのは間違っているのはオスだって理解してるのだけれども、でもそれではオスがメスと交尾する機会がなくなるのだから、オスとして悲しいものがあるのが事実なのだ。
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