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kage

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調教における雰囲気と波長の重要性

kage

2009/10/20 (Tue)

オスが女の子を選ぶ場合、やっぱりその見た目、ストレートに容姿による部分があるのは事実だ。ハッキリ言ってしまえばやっぱりブサイクな娘よりも可愛かったり美人であったりする娘の方がうれしく思う。この容姿の好みってのはオスがメスを選ぶ場合もそうなんであるけれども、逆にメスがオスを選ぶ場合だってその判定はされるだろう。それに後はスタイルの良さなんかが見た目の判断基準になる。デブよりもやっぱりスタイルの良いタイプの方が基本的にはモテる要素となる。これがある意味ものすごくオーソドックスなステレオタイプなモテ方に対する考え方ではないだろうか?

そしてそこに性格的なものがあって、相性問題が挟まって、そして色々なバックボーン・・・どんな仕事をしてるであるとか、収入であるとか、そう言った打算的なモノがあって恋愛感情が生まれるのであろう。特にある程度の年齢になって恋愛と結婚が直結するような場合なんかは、その後の人生って側面も考えて相手のことを選ぶのが普通になってくるだろう。特にメスの場合はオスのそう言ったバックボーンがそれなりに重要だと考えてしまうのが本音の部分ではないだろうか?結婚ってシステムの中でやっぱり相手の経済的余裕であったりのそう言ったものを考えないとは、どんなに”働く自立した女”であってもまったく考えないわけではないだろう。

ただ、ネットでの出会いでは当たり前ながら、その場限りの性欲の解消ってのがオス・メスの性別の関係なく求めるものであるから、その出会いが結婚なんかに直結せず、もっとストレートにどのような快楽が得られるか?ってのがその出会いのメインテーマになってくる。つまりはそこにはセックス=恋愛関係、結果的に結婚って構図は生まれないのである。普通の日常の出会いであっても、よっぽど結婚に”がっつかない”限りには恋愛してることの幸せを楽しむのであって、結婚となればまた別次元の考え方になるはずだ。

確かにそんなネットでの出会いであったとしても中にはそのまま結婚と言う形でゴールになったパターンも否定しないし、それによってそのカップルが納得済みで幸せな時間がそれからも続くと想像出来得るのだから、それはそれで結果的におめでたい話であり、人それぞれだ。それに日常の恋愛であっても結婚になんらかの形で結び付く事はある意味良い事であり、まったく否定する意味合いで言ってるわけではない。

ただここで言いたいことはネットでのセックス前提の出会いは、あくまでもメインは性欲の解消であって、恋愛や結婚とはまた違った意味合いでの出会いであると言うことだ。だからもっとハッキリ言ってしまえば、容姿や体型なんかは実際逢っちゃうまではまったく判らないってことになる。ネットでの出会いってのは当たり前だけれどもチャットやメールになって基本的には文字情報でのイメージでのことを意味するからである。確かに2ショットチャットなんかにおいても画像の交換はできる場合も結構あるし、メアドが交換できれば結構その素顔の写真なんかも送ってきてくれたりする。

しかし、実際は写真を観たとしても逢ったら雰囲気が違ったりして・・・って事は多々あるし、もっと言ってしまえば”逢える”事自体がオスの場合、特に目的となるのだから、メスとセックスするために出会えるって前提条件が狂わない限りにはセックス出来るだけで満足できる部分があって、実際こだわりが少ないってのが本音にある。少ないってよりもほとんど無いって言った方が正しいかもしれない。特に外見的な部分でそうなのだから、内面的な性格なんかは完全にその出会いにおいては無視する事になる。ハッキリ言ってしまえば”ヤレるか?どうか?”だけなのだ。

メスだってある意味、そうであろう・・・確かに好みってのがあってそれなりの美男子との交尾を求めていくのが日常ではあるのかもしれない。しかし、ネットでの出会いってのはストレートに調教を求めてくる場合が多いので・・・僕自身がそんな出会いを求めてる結果もあって・・・逆に”キモデブの肉奴隷になって惨めに調教されて汚されたい・・・”って希望の娘が結構いることだ。

確かに日常じゃプライドなんかの問題もあって、そう言った欲望が言えないってのもあるんだと思うのだけれども、もっと言ってしまえば、そんなシチュエーションに興奮してしまう自己陶酔って言い方はものすごく変だけれど、惨めで卑猥な肉奴隷になるシチュエーション自体がそのメスを興奮させていく部分があるのではないだろうか?と思うのである。逆に言えばそう言う部分がそのメスの心のどこかにあるからこそ、メス自身の中での”マゾ”性に気付いて、それを満たしたいために”汚れる”って表現でそう言ったセックスの相手であるオスに対しても、メス自身が惨めになれることを求めているのではないだろうか?と感じている部分がある。

つまりはメスの興奮はこのブログで何度も言ってるのだけれども、メス自身の中でのイメージがあって、そこにどれだけ近付いていくか?ってのが重要となるのではないだろうか?そうなればその相手であるオスに求めるものに対しても、”汚れていく”ためには2枚目俳優が調教しては意味が無くなるのであろう。そしてその汚されていくシチュエーションをどれだけ感じられるか?が調教と言う手段ではないだろうか?そこにはノーマルなセックスでは感じられない変態性があって、そのプレイ自体の直接的な快楽ってよりも、それを受けていることに対する感情での快楽の方がマゾにはあるのではないだろうか?

それを前提に考えるのであるならば、確かに道具を使ってであるとかの具体的な調教方法を考えて実行する必要がサディストであるオスには必要なのかもしれないのだけれども、それ以上にそのシチュエーションに溺れさせて精神的にメスを調教していくスタンスが実際的にはよりそのメスのマゾ性を引き出す事になるのではないだろうか?と僕は思うのである。つまりは緊縛であるとか露出であるとかの具体的な調教方法のテクニックってのも重要なのかもしれないのだけれども、実際的にはそれによってメスがどのように思うか?そのシチュエーションに溺れていくか?の雰囲気作りが重要なのだと僕は思うのである。

そして、リアルで逢えるかどうか?って部分においてもメスはその判断基準に”その雰囲気に溺れていってるか?どうか?”があるのだと思う。単純に変態セックスがしたいから、リアルで逢ってみたい!!って感じの娘はほとんど全くと言って良いほどいないだろう・・・中にはほんの少数だけれども、ネットでのプレイやメールの交換なんかを飛ばしていきなりリアルで逢いたい・ヤリたいって娘が居た事は事実であるのだけれども、本当にそれは繰り返すのだけれども極少数である。だ

だから逆に言えば僕の場合、そう言った”堕ちていく”雰囲気作りってのはネットでのプレイの中でも頑張ってやっているつもりだ。相手がどんな娘か?ってのはあまり実際的には関係が無い。確かに、人妻なのに・・・であるとか、恋人が居るのに・・・であるとかの言葉使いによって背徳なイメージ作りをしたりはするのだけれども、それよりも相手の本当の名前や勤め先なんかを聞き出したりして、”もう逃げられないんだよ・・・”って感じに持っていくことが好きである。

なお、当たり前ながら女の子が告白したすべてが全部、本当のことなんてありえないって思ってる。結局はネットでの出会いだから、”ウソ"を言っても本当か?どうか?なんて判らない。女の子だってその事には気付いてる。それでもその聞き出す行為と告白してしまう行為の中で、ある種のプレイが成り立つのである。

特に写真を見せて欲しい、見せてしまったってのは画像交換チャットなんかでよくあるシチュエーションなのだけれども、その見せてもらった画像ってのは大体は”ああ、掲示板で観た事あるなあ・・・・”って感じで判っちゃうのだけれども、それを女の子自身の秘密の画像として扱ってプレイとして”堕ちていくのが判ってるのに、見せちゃったね・・・・”ってやっちゃうのがオスのネットでのプレイの礼儀であると思ってる・・・確かに全てがまったくウソでなく画像も本当にその女の子のものであろうって確信するときもあるのだけれども、その時は本当にその女の子のプライバシーを明かさせたんだから、それなりに扱いに気をつけて、絶対誰にも秘密で女の子の生活に迷惑をかけないようにするのは絶対のお約束である。

そしてそう言った雰囲気作りってのは犯罪染みてるから、女の子に恐怖を与える事になる。怖がらせて脅迫してリアルでの出会いをさせる形に表面的にはなってしまう部分が多分にある。それでは女の子にとってその出会いは苦痛でしかない。それでは僕にとっての調教は意味が無いのである。なぜなら、究極的には”ご主人様のためだけに、奉仕してメス豚になっていくのが悦びです”ってことを感じさせるのが僕の調教テーマである。つまりはセックス前提の調教を目的とした出会いであっても”ご主人様の性欲処理のために悦んで奉仕します”って雰囲気で来て欲しいからだ。

つまりは無理をさせない事が大前提である。そうなるとその束縛感、堕ちてしまったってのは来てくれる限りにはその娘には持って欲しいのだけれども、だからと言って緊張と恐怖だけの気持ちにはなって欲しくないから、そう言う意味でのサジ加減ってのが難しいのである。僕の場合、”まあ、そうやって聞いちゃったけど、プレイだから・・・”って感じでその目的を実際出会う前にタネアカシじゃないけど言っちゃうことのほうが多い・・・そうやって安心してもらう。女の子にはその出会いで後悔して欲しくないからだ。

調教ってのはある種、精神的な束縛をメスに感じさせる事である。そのためにはそれなりの雰囲気作りをオスはサディストとして、しなければならない。ただ女の子を強制させる事ではない。あくまでも自発的に奴隷になる事の悦びを自発的に感じさせなければならない。単純にセックスの相手を探す事ではないのだ。そして実際にそこまでの状況を作り上げてリアルで逢うのだから、女の子のルックスなんかとは別のところで・・・・精神的な部分で・・・その好みに近付けさせていくのだから、その相性において、最も大事なのはその精神的な波長かもしれない。本当にリアルで逢えるって事は、オス自身の精神的波長が作り出した雰囲気作りにメスがのめり込んだときである。そう言う意味では普通の恋愛以上に調教での出会いってのはその精神的な相性ってのが重視されるのだと僕は思うのだ。
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オスのエゴとメスにとって都合の良いセックス

kage

2009/10/19 (Mon)

僕の場合、異常性欲だから交尾し始めると1日最低5,6発・・時間があったり気分的のノれば10発ぐらいは簡単に出してしまう。だから時間的にも本当に長い。良くやる事は朝9時過ぎ頃から逢って、終わっちゃうのは夕方6時ごろって感じが多いかもしれない。時間的にはOLなんかじゃ仕事が終わった夜7時頃とかで10時過ぎってパターンも結構あるのだけれども、やっぱり人妻になるとその自由時間ってのはどうしても旦那がいない間のお昼の時間になるから、そう言った朝から夕方までってのが結構ある。これは土日の休みでのOLさんでもそんな感じになっちゃうんだけど・・・独身1人暮らしのOLさんとかならお泊りOKって感じになっちゃって昼頃からもう24時間ずーっととかあるのだ。

結局言いたいことは、女の子のタイプってよりはその生活によって当たり前ながら、使える時間ってのは決まってきちゃうから、いかにそれに合わすか?ってことになるのだけれども、どうやらって言い方も変だけれども、結局は普通のセックスってのは2時間前後で終わっちゃうみたいなのである。だから、女の子の方も性欲解消に時間を取るって感じで、約束する場合があるから、どうしてもそう言った”空いた”時間での出会いになる。

当たり前だろう・・・・女の子だって性欲解消に来ちゃうんだけれど、性欲解消ってのは例えば仕事であるとか他の様々な用事をキャンセルしてまで来ちゃうって女の子は少ないのだ。特に恋愛の延長としての出会いであるなら、その関係の維持って意味においてそれなりの優先度でその出会いを楽しむんだと思うけど、セックス前提の出会いって言うのはどうしても、ある意味割り切りのイメージがあるからどうしてもその生活の余った部分でって感じになる。

特にそんなセックス前提の最初の1度目ってのは、女の子の方もどこか性欲処理で逢ってるって気持ちでどこか醒めた部分があるから、時間的に短くってノリになっちゃう。その時間帯は別にして2時間ぐらいのセックスタイムって言ってしまえばアカラサマ過ぎるのだけれども、まあそんな感じで来ちゃう女の子のほうが多いんじゃないだろうか?つまりはセックスする時間を考えてそこから逆算して、その結果逢う時間を決めるって感じじゃないだろうか?

確かにいきなりホテルに行っちゃう場合も結構あるのだけれども、その前に食事なんかをしたりして互いの緊張やいきなり初めてのリアルでの出会いに対する用心深さを満たすために、セックス以外の時間を取る事もそれなりにあるのだけれども、それでもその時間ってのは30分とかの短い時間でメインのセックスの時間をどのように考えるのか?ってのが本音にあるのではないだろうか?つまりはその時間の取り方なんかもある種、性欲処理を前提にしたドライって感じる部分がメスの中にあるって思ってしまうのである。

オスの僕からすれば、最初の1回目に関しては特にストレートに、そのメスとセックスが出来るか?どうか?ってのが1番重要なテーマになってくる。だから出来得る限りメスが選んだ時間に併せて逢えるように時間を作るのである。こちら側から逢いたいって言う事は重要なのだと思うのだけれども、いつ逢えるか?ってのはメスにも当たり前ながらセックス以外の生活があって、それをどこまで”守って”やれるか?ってのはオスの責任だと思うのだ。だから時間の指定ってのは最初の1回目は特にメスに任せるってのが僕の考え方だ。

確かにそうなるとメスの思うままになって、ズルズルと逢う事自体避けられるって部分が出来てしまうから、こちらから、”明日なら時間ある?”とかの話は振っちゃう。そうなれば”いつ、逢えるか?”をメス自身に考えてもらえるようになるので、リアルで逢える確立ってのは高まってくるのが実感として感じられるのである。だからそう言う意味で”いつどの程度逢えるか?”ってのはすっごく大切な事を考えてもらってるのだと僕は思うのだ。

ただここでいつも考えてしまうのは”次はどうするか?”なのだ。最初の1度目ってのはそんな感じで逢っちゃうのだけれども、僕自身サディストだから”セックスさせてあげる”って感じで逢っちゃうんじゃなくて”セックスしてください”って感じで来てくれることをどうしてもメスに求める。極端な言い方をすれば”身体も心もご主人様に貢ぎますので、交尾してください”ってメスに言わせることを目的としてセックスしているのであるから、2度目にはこちらの思うままの時間を決めて逢いたいってのがある。それによってメスには”飼い主の性欲処理のために使われていく存在である”ってことを教えていきたいし、”その生活でさえもセックスで支配されている”って意識してもらいたいのだ。

オスのワガママでそのメスの生活すべてを壊すようなことは出来ない。繰り返すようだけれども、セックス前提の出会いってのはやはり日常が満たされない性欲を互いに処理する出会いであるって側面は捨てきれないのである。そうなれば”演じる”って言い方は変だけれども、その時間だけはそのように振舞って快楽に溺れて欲しいってのがある。これもまたヘンな言い方なのだけれども、いかにメスの中に”日常”と”マゾ豚”の二つの顔を使い分けさせていくか?ってのが実際的な調教のテーマになっていくのが事実だと思う。

調教ってのは”セフレ関係”って感じの割り切った関係ではないはずなのだ。確かにプレイによる快楽前提って側面は否定出来ないから、肉体だけのつながりって意味では恋愛感情の無いセックスって意味で”セフレ”的な要素はあるのかもしれない。しかし、調教するってのは相手の対する支配だからそう言う意味では、セックスして快楽を感じられれば満足出来るってことではないはずだ。だからこそ、肉体だけの支配だけでなくてその精神性や場合によってはその生活にまで相手に対する支配を求めるのが調教だと僕は思っている。

しかし、その”踏み込み方”なのだけども、結局はその全てを支配できるか?と言えば出来ないのだから、ある程度のメスに対する”配慮”ってのがいる。それが出来ないと結局はメスを壊す事になるだけでそこには愛情が無くなる。調教ってのはメスを肉奴隷にするって事なのだけれども、”奴隷"ってことは相手を所有することを意味する。所有するってことは自分のモノにする事だから、自分のモノになったものは大切にするべきだろう。確かに奴隷だからどうにでも出来るって側面はあるのだけれども、それと同時に相手を思いやる側面の方が重要なのだと僕は思うのだ。

だから2度目の出会いってのはその辺りも考えながらも、こちらの都合でたっぷりとそのメスの身体を味わっていくのだ。こう言ってしまうと必ず2度目があるようなのだけれども、実際は1度きりで相性が悪かったりしてサヨナラしちゃう場合も結構あるのは事実だ・・・それでもそうやって2度目以降がある娘に対しては時間に関してもオスとして主導権を取り、メスに服従を求め、精神的にも支配し調教して行くことになるのである。

その場合はやはりこちらの性欲のままに何発でも射精したいから、出来る限りゆったりとした時間の使い方でネットリと調教していくのである。結局は調教ってのはベットの上だけの行為だけではない事をメスにも知って欲しいのである。その生活でさえもどこか支配されて存在してしまう事が本当の肉奴隷の悦びであるべきなのだ。ただ繰り返すのだけれども、そこにある問題はオスの意識にあるのである。”自分だけのモノ”だからってメスに何をしても良い・・・って考え方はメスに対してのオスの都合の良い甘え方なのだ。

よく恋人間でのドメスティックバイオレンスって言葉があるのだけれども、それって言うのは”調教”を意味するのでは無いはずである。いかにメスが”支配されて良かった・・・・”と心の底から思ってもらえるか?ってのがオスの愛情だし、それ以上に調教のはずである。愛情を幻想とした快楽とドメスティックバイオレンスをハカリにかけるような事をさせた時点で調教ではなくなるのである。直接的な暴力だけがドメスティックバイオレンスではないのである。いかにその関係がメスにとって”心地良いもの”であるか?に対してオスはどんなに立場がサディストであっても考えなければならないのである。

確かにそうやってメスの都合を考える事自体がメスを完全支配する調教の本分から外れているって事が言えるかもしれない。しかしオスの勝手都合をメスに押し付けて”調教”とは言えないだろう。そのサジ加減が上手く出来るかどうか?ってのがメスを調教したいオスには必要な資質だと僕は思うし、そんなことを考えられるオスのほうがメスにとって安心できるのではないだろうか?僕自身完全なサジ加減が出来ているとは思えないのだけれども、出会った後にメスには後悔して欲しくないって気持ちがある。そう言う意味では調教だから、オスとしてこちらのエゴをいかにメスに受け入れさせていくか?って部分とメスにとって様々な不安の無いある種都合の良い快楽のバランスをいかに考えて実行していくか?が重要なのだと僕は思うのである。
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調教の本質

kage

2009/10/17 (Sat)

やっぱり、セックス前提の出会いであっても何度かそうやって交尾して食事してそれなりに無駄話なんかしたりすると、それにあわせて恋愛感情ってのが生まれてくるのは事実だ。確かにセックス前提での割り切った関係って部分は、心のどこかで意識しているのはあるのだけれども、それでもやっぱりちょっとだけでもそう言った恋愛気分になってしまう場合が結構ある。そう言った感情自体持つ事は悪い事ではないし、ある意味その関係の”健全化”が行なわれている過程での気分なのだから、関係を持続させる意味においては好ましい事ではないか?と思う事の方が大きい。

確かにドラスティックな意味でのSM,調教にはその関係ってのは性欲処理にあるのだから、そう言った”馴れ合い”の感情ってのは不要なのかもしれない。例えば、人妻なんかは、やっぱり性欲とは別に生活があって旦那が居てて、子供までいてる状態であれば、僕とのリアルでのセックスってのはその瞬間の快楽、性欲処理を求めて来ちゃう部分があるから・・・・そう言う意味ではネットでのチャエッチの延長である部分が否定出来なくて・・・そこにはその瞬間のプレイとしての主従関係を楽しむ部分があったとしても、当たり前ながら恋愛感情ってのが日常に影響するって感じで生まれる訳は無いのだ。

つまりは純粋に互いの性欲を満たし合うだけの関係だけとしても、ある種セックス前提の出会いは成り立つのである。これは人妻だけに限った事じゃなくて、彼氏がいたりして、恋愛よりも重要な仕事がそのメスにあったりしてって感じで恋愛以外の部分で、他の何かに精一杯になってる場合が当てはまると言って良いのかもしれない。ただそれでも性欲ってのはメスにでもあって、動物としての本能的な部分だから、解消したいって欲望がどうしても生まれて、恋愛とは切り離されて求めてしまうってのがそう言ったタイプではないだろうか?と感じるのである。

ただ実際的にはメスでそう言っていわゆる”セフレ”関係だけでとりあえずの性欲の満足があったとしても、その心のどこかで、形はどうであれ、恋愛関係を求める部分があるのだと僕は思う。確かに、セックスってのは恋愛以上に相性があって、セックスしたものの、どこか感じ切れなかったりして不満に思うってのがある場合があるだろう。それが普通の恋愛関係から出発してその結果としてのセックスであるならば、セックスでの不満が心のどこかにあったとしても、それ以外で”愛されてる・愛してる”実感がメスにはあるだろうから、その部分はとりあえずスルーされるだろう。

まあ、それなりにその関係が続いて年月が立って恋愛関係であるのが当たり前になってるマンネリ化してしまった状態でセックスに不満があった場合、メスでも純粋に快楽を求めて”浮気”してしまうって可能性は否定出来ないのであるのだけれども・・・それって言うのは恋愛での”好き”を前提としてセックスをしているのだから、その相性が悪くても、それを求めてしまうことはメスの本性としての”淫乱”性を相手にさらけ出す羞恥やセックステクニックが悪いとアカラサマに言えない相手に対する思いやりなんかで、セックスの相性の悪さを相手に”黙っている”って事の方が、メスの場合多いのではないだろうか?

逆に言えばオスの場合ってのはセックスってのは基本的にオス自身の性欲のままにメスを陵辱し、その蜜壷の中で精液を射精できれば、それなりに満足するって部分あるから、その身体に”飽きる”ってことはあっても、セックスの相性が悪いって感じ方は少ないだろう。確かにおっぱいの大きさや蜜壷の匂い、その具合なんかでなんらかの”もの足りなさ”を感じる事があっても、極端な話だけれども、その蜜壷の中に生で精液を直接射精できるチャンスがあれば、それだけでとりあえずの満足になるのだから、そのメスとのセックスってのは納得出来るものになってメスのように不満をアカラサマに蓄積する事は無いのである。少なくとも僕の場合はそうなのだ。

そしてそう言う意味においてはセックス前提の、快楽を重視した出会いってのはまずはメスの場合、当たり前ながらそのセックスに満足できるか?どうか?が最重要のテーマになるのは当たり前だろう。ネットで遊んでリアルで出会ってしちゃってるって言ってしまってるけれども、カミングアウトしてしまうが全てのメスを満足させているとは僕の場合は言えない。セックステクニックの問題で中には本当に1回こっきりで2度と逢わなくなってしまったメスだっている。ストレートに相性問題だと思いたいのだけれども、結局はそのメスを満足させることの出来るテクニックを持ち合わせていなかったと言えるのである。

ただそれでも、僕とのセックスに満足してくれて何度もリアルで逢っちゃうメスもいることも事実だ。確かにそのメスの中でも”とりあえずのセフレ”としての感覚で僕とのセックスを楽しむスタンスで関係を続けたメスだっているだろう。しかしそう言ったメスの大部分は”もっと調教されて忠誠を誓いたい、肉奴隷としての幸せを感じたい・・・”と思って、その蜜壷をさらけ出してくれてたんだと僕自身は信じたい。逆に言えば、そのように思わせるのが僕の調教方針である。僕との調教・交尾がメス自身の幸せで、僕だけのモノになるしか求めていた快楽を満たす事が出来ない・・・そう言って欲情してもらえるのが僕にとっては1番嬉しい関係となるのである。

そうなれば当たり前ながら関係が続いていくのだから、こちらから呼び出したり、メスのほうからおねだりがあったりして何度も何度も交尾していく事になる。そうなれば繰り返すようだけれども、単純にホテルに入って交尾するだけじゃなくて、デートっぽく遊びに行ったり食事をする時間なんかが増えてくる。中にはその娘自体の家にも行くようになって食事なんか作ってくれたりしてくれた事もあった。つまりは快楽の共有だけの関係ではなく、ある種の恋愛関係の中での充足が生まれるのは事実なのだ。

確かにそれでもその関係ってのはどこかやっぱり肉体関係であって、セックスしないってことは無いのだけれども、それでもそう言ったセックス以外の部分での関係を作り出していく行為ってのは重要なの事なのであると僕は思いたい。その事によってメスってのは性欲以外の部分でも満たされていくのだと思う。普通のって言い方も変だけれどもセックスしてしまって飽きれば終わりってオスもいるらしいのだけれども、それって言うのは射精の自己満足だけになっているのではないだろうか?と僕は思うのである。

調教ってのは確かにセックスの中でオスの性欲を満たすためにメスにそのことを教え込ませるのが重要なテーマになるのだけれども、それ以上に”飼い主のために・・・・”とメスに思わせ、飼い主としてオスはそのメスの趣味やそう言ったもののどこかまでも踏み込んで調教し、独占する事が重要なのだと思う。つまりはどんな時でも”飼い主のため・・・”と思わせることが調教の本質なのだ。これには当たり前なのだけれども、メスにもセックス以外の生活があってそこに踏み込む部分が出来てしまう事になるのだけれども、そこでメスに”踏み込みすぎ!!”と思われるのはマズいってのはあるだろう。

オスの束縛が”ウザく”思われるのであるならば、結局はそのメスの心はオスの支配から逃げ出す事になる。それでは調教は失敗であると言えるのである。”オスに束縛されて幸せ・・・”そんな風に思ってもらえるように調教していくことが重要であり、そのテクニックの追求ってのがある種サディストでありたいオスの永遠のテーマになり得るのである。

ただそれは本能的な部分でそうするのが理想であり、僕のようにアカラサマにテクニックとしてそれを考えてしまうのは、その部分でメスに”見透かされてる”部分を産んでしまうので、それは反省しなければならない。でも純粋に心の赴くままにそうやって調教できるってのが理想と判りながらも、どうしてもネットでの出会いって事でテクニックを考えてしまう自分自身が存在してしまう。

そう言う部分がある程度の付き合いになるとメスに嫌がられるのだと判っているのだけれども、考えれば考えるほどどこか不自然になってしまって、メスの気持ちに合わす事が出来なくなってしまうのだ結果言いたいことはセックス以上の調教をメスに求めることは、難しいのだけれどもそれが出来ない限りには、本当の調教になり得ないのである。そう言う意味では調教ってのは”テクニック”だけではないのだと言えるのである。
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メスとオスとのオカズの違い

kage

2009/10/16 (Fri)

僕の場合、そのほとんどがネットなんかで出会った女の子とのリアルでの交尾になるから、やっぱりそのほとんどの女の子は普通にセックスしてみたい!!ってよりも、変態セックスで調教されたい!!汚されたい!!って感じで、彼氏なんかとじゃ出来ないようなプレイを望んで来ちゃうことが多いのは事実だ。僕自身、実際、緊縛や奉仕、露出なんかが好きだから、そうなるとリアルで出会う時点でそんな変態セックスが許されるシチュエーションで出会うことになるから、出来るだけ女の子にそのセックスで気持ち良くなってもらいたい、満足して欲しいって気持ちがやっぱり素直に生まれるのは事実だ。

そうすると様々な変態プレイの内容が女の子からの要望って言うかその流れで実際逢うまでに決まっていく事になる。そしてその中には、ホテルでの1室でのセックスを望まない露出志願の娘がいることは確かなのだ。つまりは、もしかしたら誰かに観られるかもしれないような場所でのセックスを求めちゃう娘がいるって事なのだ。その場所ってのは、もうネットでの段階では妄想のほうがどうしても先走るから、極端な話、電車の中での痴漢プレイでの交尾や本当に街中での交尾なんかなど、普通じゃ絶対ありえない出来ないシチュエーションの露出セックスを求める女性だって出てきちゃうのが、事実なのだ。

確かに、最近のAVなんかの企画モノやそう言った成年マンガ、レディコミなんかだと、絶対ありえない場所・状況でのセックスが描かれている事がそれなりにあるのはエッチ系が好きな男女、どちらでも知っているはずだ。それにいわゆるエロゲなんかに到っては妄想のままにありえないシチュエーションでのセックスが"ネタ”として描かれているのだってもう、普通すぎてアブノーマルのインフレーションを起こしている部分があるのは気付いてるだろう。

逆に言えばそう言ったものは妄想の中での産物だから、どうしても過激になるし、またそうならなければ興奮の度合いが薄れたり、面白さがなくなったりするのは当たり前なのだ。もっと言ってしまえば日常から切り離された妄想世界だからこそ、許された部分があって、日常では絶対出来ないことに対する欲望をぶつける事によって、その心のどこかにある性欲であったりフラストレーションであったりするものが解消されるのだから、リアルでそれを同意無しで誰かに実行に移さないってこと、前提にそれは遊びとして許されるのであるのだと思う。

ただ、そう言った類いのネタってのは基本的にどうしても男性向きに作られている場合が当たり前ながら多い。だからこそオスの変態性欲を剥き出しにした作りになっている場合がほとんどであると言って良いだろう。では女性に対してはどうなのであろうか?って疑問が出来るのだけれども、オスとして想像する限りにはレディコミであったり、女性誌のエッチな体験談であったり、中にはそれなりの同人誌であったりするのだろう。オスのようにストレートにそう言った”オカズ”で解消しようとする部分ってのはどうしてもメスの場合はやはり羞恥もあって、オスの成人誌のようにコンビニなんかで売られているわけではないのだけれども、それなりに手に入れているのがメスなのだと僕は思う部分が結構ある。

変な言い方だけれどもオスの場合ってのは、そう言った変態性欲を取り扱ったものは、上手く言えないのだけれども、その性欲を剥き出しに誇張した表現・・・完全ハーレム調教ものであったり、ものすごく都合よく交尾できるシチュエーションのものであったりして・・・だからこそ、リアリティってのがほとんどと言って良いほど無い場合が多い。まあハッキリ言ってしまえばエロファンタジーであるのだ。どんなにそれをマネして性犯罪を起こそうとしても、実際的にそのままのパターンで成立し得ないことがアカラサマに判るほどのありえない表現がそういったものに表現されている場合が多いような気がする。

確かに性犯罪の中には、○○のエロゲをマネしたであるとか、○○を読んでガマンしきれなくなって同じような事をしてみたいと、実行に移してしまった性犯罪者が存在しているのは、事実である。しかしそう言った題材のままに実行してしまったのはマレだし、もし実行したとしても都合のいい矮小化した部分で実行しているのだと思う。それほど、変態性欲を扱ったゲームであるとかマンガってのは、実効性に欠けるものが多いのだと僕は思う。

もちろん、このように書いてはみたものの、当たり前ながら性犯罪を推奨するものではないし、性犯罪ってのはその娘の人生自体を壊す部分があるのだから、どんなに償っても、それに対して責任が取れないってのがあるから、絶対にしてはならない犯罪であることを書いておく。言いたいことは、オスのそういった類いのものはそのほとんどがエロファンタジーであって、実効性ってよりも具体性に乏しいと言った方が良いのではないだろうか?と言うことだ。逆に言えばオスの場合、ビジュアル重視でその内容とかメッセージ性なんかを考えずにオカズに出来るってことなのかもしれない。

メスの場合は、そう言ったオスが求めるオカズのビジュアル性とはまた違った部分で興奮を覚えるのではないだろうか?変な言い方かもしれないのだが、あまりメスはオナニーでオカズを必要としないのではないだろうか?と思う部分がある。その自身の中での妄想って言い方は失礼に当たるのは判っているのだけれども、そう言った想像性の中でメスは興奮を覚えるのだろうと思うのだ。つまりはメスのオカズってのはものすごくリアリティのあるものに限られるのではないだろうか?

そう言った意味で、例えば女性の体験談とかであるとか、レディコミであるとかは、もしかしてあるかもしれないって部分があって、初めてメスを興奮させるオカズとして成立するのではないだろうか?あまりにも突飛なエロファンタジーではリアリティが無い分だけ、かえって、醒めて見てしまうのがメスの性質なのだろうと僕は考えてしまうのだ。だからオスと違ってAVなんかの具体的なオカズってのが不要でその想像性で興奮してしまうのがメスなのだろうと思う。

だからチャットなんかでのセックスってのはメスのほうが興奮してしまうのだろうと僕は思うのだ。チャットでのバーチャルなセックスってのは映し出される文字に対する想像性だから、ある意味エロ小説を書くように僕の場合、遊んでる事が多い。それに対するメスもそのイメージによって興奮してしまうのではないだろうか?だからネットセックスにハまるメスが多いように僕は思うのである。

そしてだからこそ、それで満足してしまうメスが多いからこそリアルへの移行が難しい側面もあるのは事実である。僕もオスだから、本音で言えばチャットでの遊びよりもリアルでそのメスと交尾したいのが本音にある。メスの場合、そのチャットの中でそれなりの興奮と満足を覚えてしまうのだから、そこで納得してしまって、リアルでの性欲に結び付き難いってのがあるように思えるのである。

実際、2ショットチャットなんかで最近って言うか以前は画像交換チャットってのが定番になったときがある。簡単に言えば2ショットチャット中、画像を二人きりで交換し得るシステムなのだけれども、オスの僕から画像を見せるってことは全く無かったのである。逆にメスのほうはさらけ出してしまう興奮に感じていたように僕は思うのであった。そこから思うことなのだけれども、僕自体オスだからやっぱりチャットでの文字による興奮よりもどこかビジュアルとして相手の写真を観るって行為に興奮を感じてしまってそうやって求めていったのが事実であるのだけれども、メスの場合はその文字によるプレイで興奮に溺れてその写真でさえも抵抗出来なくなってさらけ出していったのだと思う。

それだけメスってのはそのイメージの中での興奮ってのに感じやすいのではないだろうか?と僕は思うのである。逆に言えば、よくリアルでセックスの上手いオスが良い!!ってことをメスは求めるのだけれども、それって言うのはその雰囲気作りが上手であるか?どうか?を意味して、具体的なテクニックでの興奮ってのは無いのかもしれないって僕は感じる場合が結構あるのだ。だからそう言った意味ではメスを興奮させるには単純に陵辱して犯すだけではなく、やっぱりメスにそのイメージをいかに植えつけていくか?ってのが大切なのだと僕は思うのである。
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メスのタブーとしてのオナニー

kage

2009/10/11 (Sun)

オスの場合、同じオス同士が集まったりの猥談や、AV、それにそれなりの成年雑誌なんかでセックスに対するテクニックって言うかなんとなくの雰囲気ってのが判る部分がある。メスだって最近は、ファッション誌なんかでも何かの拍子にセックス特集が組まれたりして、それなりにセックステクニックがオープンになり始めてきているって言っても良いだろう。つまりはそれだけ快楽を求めるためのセックスをしてみたいって意識が誰にだって生まれてきている証拠であるとも言えるのかもしれない。

ただそれなりの道徳観を持つ方々からは結婚と妊娠を伴わないセックスってのは存在悪であるように言われる場合が結構ある。確かにそんなセックスってのはもし子供が出来たときに、その責任をどうするか?って部分を考えるとその一側面からは正しいような気がするし、もっと言ってしまえば、セックスによる感染症・・・エイズなんかの性病・・・その全てがセックスを原因としない、例えば薬害エイズなんかの部分があるから、ばっさりすべてをセックスを原因とした性病とは言えないのだけれども・・・・の発症なんかでも、そんなフリーセックスに原因を求めるのもある側面は正しいので簡単にそんな安易なフリーセックスの否定を求める一部の常識人のコメントをすべて否定することは出来ない。

それでもやっぱり性欲ってのは当たり前にあって、それってのは結婚や子育てなんかとは別の次元であると言うのは誰にだって判っているはずだ。これもまた確かにそれを理性で抑えるのが知恵ある人間の正しい姿であると言うことも出来るだろう。それを禁欲主義として安易に捉える必要はないが、中高生の性欲・セックスを抑えるって部分においては、定番のお題目のように僕には思える。

つまりは簡単に性欲ってのは抑えることは出来ないはずである。当たり前ながら、性欲ってのは子孫を残す子作りの側面があるから、生物として本能的なものであり、食事や睡眠と同じようにそれが無いと動物としての存在を維持出来ない種族保存の本能である。だからこそ性欲ってのは止まらないのだ。しかしそれ以上にセックスの快楽が他の何にも替えられない”気持ち良さ”があることのほうが実際だろう。

ハッキリ言ってしまえば、特に僕がオスだからこそ肉棒への刺激による精液の射精した快楽ってのはどんな気持ち良さよりも替え難い物がある。メスでもセックスをしてるとよく”いっちゃう!!”と表現があってどのような快楽なのか?は実際的にオスの僕には想像しか出来ないのだけれども、オスの射精のようにメスも性的快楽ってのがあるのは事実であるはずだ。そうなればこの気持ち良さってのは他の気持ち良さと替え難いものであることは誰だって気付いてるはずだ。

確かに動物として生きてて、気持ち良い事ってのはそれなりにある。性的な意味合いを抜きにして、疲れたときなんかにマッサージなんかを受けると永遠にそのマッサージを受けたくなる。純粋に眠くて寝ちゃって、朝起きずにそのままずーっと寝てるのも気持ち良い。フロなんかで完全にリラックスしてチカラを抜いてしまうのもそれなりに気持ち良いことだと思う。中には何らかのスポーツなんかでの達成感や何かが思うままに上手に出来た瞬間も”気持ち良い”と表現する場合だってあるのも不思議ではない。

だから何かの拍子に”溜まった性欲をスポーツなんかの汗で満たしていこう!!”なんて言うある種の勘違いも生まれるのである。これもまた誰しも本音の部分で気付いてるはずなのだが、セックスでの快楽での気持ち良さと、他の事での得られる気持ち良さってのはまったく根源的には違うって事だ。定番のスポーツで・・・なんかは、逆に言えばそのスポーツ選手は性欲が全く無くなっているか?と言えばウソになるのは誰だって想像できるだろう。そんなことを言うのはセックスに対する幼い道徳観が生み出した程度の低い議論のすり替えである事は誰にだって知ってる事だろう。

どんなに他の気持ち良さが存在しても、セックスなんかでの性的快楽ってのは、まったく違う事に気付いてるはずだ。そうなればその快楽を何かの拍子に覚えてしまえば・・・思春期になればAVだってあれば成年雑誌だってあってネットでもそんな情報は氾濫してる・・・・その快楽を求めてしまうのは仕方がないはずである。それが直接セックスと言う行為に到達しなくとも、オナニーなんかで擬似的にもその快楽を得る行為によって性的快楽の満足を得てある部分、納得出来る部分が大きいってのが本音にあるのではないだろうか?

だから。お手軽にオナニー・・・って言い方はアカラサマ過ぎるのだと思うのだけれども、実際セックスが出来る状況であってもオナニーで性欲を満たしているってことは多いような気がする。オスの場合は特にレンタルビデオやネットで、ビジュアル的にオカズに出来るメスのセックス姿やヌードが簡単に手に入ってオナニーで性欲を満たそうとする部分があるのは、確かに直接的にはタブーな部分があるのかもしれないのだが、そんな状況を考えれば暗黙的に理解できるはずだ。

特にメスだってある種こんなにもネットが当たり前になって、セックスに関する情報が手に入りやすくなれば、それだけ性欲に対する刺激があるのだから、それだけ快楽を求めるシチュエーションってのは増えてきてるのではないだろうか?安易なセックスに対しては抵抗があったとしても、それでもいつまで経っても処女のままであるってのはどこか満たされないものがあったりして、完全なフリーセックスを求めるまでは到達しないまでも、それなりの恋愛の中にセックスがあっても問題ではないと考えるのが今のメスのセックス観ではないだろうか?

そうなればメスのオナニーだってそれなりに、誰だってしちゃってるのではないだろうか?って想像するのだ。確かにオスのようにストレートにオカズのある状況ではないだろう。それにオスと違って単純にビジュアル的な部分で興奮するって事も少なくて、そう言う意味で興奮するための”オカズ”の問題があったとしても、逆に言えばそれなりの想像性の中で興奮できるのがメスだから・・・こういう言い方は安易過ぎてそれなりに御幣を生むのは判っているのだが、リアルなセックスにおいてもシチュエーションによってメスは興奮する部分があると実感してるので、ばっさり書いてしまうのだけれども・・・そう言う意味ではオナニー中毒って言い方は厳しいのかもしれないけれど、それなりに直接的なあセックス以外での性的な快楽を求めてのオナニーに溺れる娘は結構居るような気がするのである。

そう考えればオナニーって言うのは、”安易なセックスは出来ない”って部分においてその大体行為としての存在なのだろうと当たり前ながら言い切れるのである。特にオスの場合は実際性病の問題さえある程度クリアすれば、もし明日逢うことの無いメスとのセックスが出来るのであれば、幸運な出来事だと思うのであろう。道徳的にはかなりの問題があって、卑怯な考え方であるが、そんなシチュエーションでメスを犯しまくっても、それで妊娠させる事になっても、メスが結果どうなろうとも責任が無いとなれば、本能のままに精液を射精してしまうのがオスだろう。恋愛の中で”もしこのメスがセックスで妊娠してしまったら・・・・”と考えながらどこかそのことを意識してセックスするならともかく、無責任なセックスが出来るとなれば、純粋に性欲を満たしてしまうセックスをしてしまうのがオスなのだ。

逆にメスの場合は、どうやっても結果的には妊娠の可能性をその身体にあるのだから、そう言う意味では性病のリスクも含めて安易なセックスが出来ないってのは、実際的な社会生活を行なう上でのリスクとして存在するために・・・どんな娘でも感じてる事だろう。だから、恋愛の中でも安易なセックスってのはメスは抵抗する部分があって、当たり前なのである。恋愛の中でのセックスでさえもそうなのだから、単純に快楽を求めてのセックスに対して怯えてしまうのは当然の帰結であると言い切れるのである。

だから、ヘンな言い方かもしれないのだが、オナニーってのはメスのほうがある種積極的なのかもしれない。快楽を求める本能ってのはオス・メスどちらもほとんど同じだけの性欲があって、それを満たすって側面においては、どうしても妊娠なんかのリスクがあって、結局は擬似的にもその快楽を満たす事が出来るオナニーってのがメスの本音にあるのではないだろうか?そして今回、気付いて欲しい事は、そう考えればメスのオナニー自体は決して悪ではないと言う事だ。

よくネットで遊んでると・・・どうしてもオナニーが止められなくて、ネットに遊びに来ちゃうって娘が結構いるのは確かだ。その時、いつも思う事は、基本的には”オナニー=悪い事”って考える女の子が結構多いって感じる事だ。確かにオスでもメスでもオナニーしてる姿ってのはあくまでもセックスに対する代替行為だから、恥ずかしい姿であるのは間違いない。セックス自体もその相手以外にさらけ出す事は、当たり前ながら羞恥を伴うことが普通の感覚であろう。だからより羞恥を伴うオナニー姿は、恥ずかしいからこそ悪であると言う論法が生まれても仕方がない部分がある。また道徳的に性的快楽に執着する事は恥ずかしい事であると一側面、考えられてる部分があるから、その部分からにおいてもオナニーは恥ずかしいと感じるのだろう。

しかし実際的にはそんな動物的な快楽を求めての部分がオナニーにはあるのだから、完全に否定は出来ないはずだ。中には結婚してて自由にセックスが出来る状態であったとしても、実際的にはオス・メスの区別なく、性欲を解消するためにオナニーしてる人間だって結構いる。確かにセックスに関する話題ってのはある種恥ずかしいものだから、オナニーに関しても公言する必要なんかはどこにもないのだけれども、それを悪い事だと思う必要は無いのではないだろうか?特に繰り返すのだけれども、メスにも社会的な生き方があって、安易に妊娠出来ないのが、実際である。

それでも性欲があって快楽を求めたい気持ちがあるのは動物として間違った事ではないはずだ。その”折り合い”としてのオナニーであるなら、それは当然であって何も問題はないはずである。メスのオナニーってのはある種、オス以上にどこかタブーな話題かもしれない。でもセックスがこれもまたある種オープンな話題になっていくからこそ、逆に言えばタブーを排して、きちんと話すべきではないだろうか?これは何もオナニーだけではない。中途半端な道徳観でセックスを語るべき状況はある種終わってしまったのだ。確かに恥ずかしい事なのかもしれないのだけれど、それでもネットだからこそ、どこか性欲に対してきちんと新しい道徳観を考えなければならないのかもしれない。少なくとも僕はそう思ってこのブログをしてるのは事実なのである・・・・
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業務報告?ごめんなさい・・・・