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kage

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貢ぐことと貢がれること

kage

2010/08/03 (Tue)

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いつも通りのフレーズで、いささか飽きてきているのだけれども・・・ブログ自体は、最近やってなくて、やっとまた今日から再開するんだけれども、苦笑・・・本当にネットでの出会いってのは様々な年齢や職業、それに環境、どの女の子と出会っても、当たり前ながら、どの娘も他の娘とは違うし、同じようなタイプの女の子と出逢ったとしても、その趣味なんかはやっぱり違うのである。これは日常のリアルで誰一人同じ人間じゃないと同じで、ネットでのモニタ越しでの関係であっても、その違いってのは、これもまた当たり前に感じるのである。

そんな中で最近、出会ったのがいわゆるキャバ嬢の女の子なのだ。チャットで遊んでいる中で判明したのだけれども、こっちは大阪、向こうは東京で、いきなり逢える距離でもなく、逆に言えば、ある種精神的に簡単に逢えないからこそ、ネットでの関係として割り切ってチャットセックスを楽しむ事になってしまったのである。こちらとしても確かにその本当の目的はリアルでのセックスであるのは間違いないのだけれども、当たり前ながら100%必ずそうやって出逢った娘全てとリアルでセックス出来る訳も無く、”とりあえずのオナニーのオカズ”としてのチャットセックスをしたってのがホンネにある。






画像はU・Me SOFTフェチ2 ~初鹿野 ゆかり編~より
この画像は、ソフトハウス『U・Me SOFT』の作品の素材を使用しています。
これらの素材を他へ転載することを禁止します。




繰り返すのだけれども、基本的にはやっぱりリアルでのセックスがしたい!!って欲望があって、ネットで何度かリアルでのセックスを経験してしまった成功体験があって、そうなれば”また出来るんじゃないか?”って下心が生まれて遊んでしまうのがボクなんだけれども、その時の娘ってのはセックス依存症ってよりも恋愛依存症って感じで”オスに貢ぎたい!!”ってストレートに求めてきたのがすっごく印象に残ってしまった相手だったのである。

チャットで遊んでるといつも感じるのは、どんな女の子も性欲快楽を満たしたくてオナニーの”オカズ”としてチャットセックスを求めて来ちゃってるんだろうなあ・・・って事なのだ。もっとハッキリ言ってしまえば、オスと違ってリアルへその快楽を移行させようと考えずに、とりあえずのスリルと興奮を求めて遊んでいるのだと感じる事なのだ。つまりはネットだけの完全割り切りでそこからリアルでのセックスを意識しないって事である意味、オスがAVなんかを観てオナニーするのと同じ感覚なのだと思えるのである。



だから、どんなに名前や素顔をチャットセックスでさらけ出しても、結局はそれはネットだけのギリギリのスリルであって、オスのように”ここまでさらけ出しちゃったんだから、リアルでも・・・”って事にその”露出”は全く直結しないのである。だから、逆に言えばオスがチャットでリアルに持ち込もうとしても、メスにスルリと逃げられるだけで、何度も何度もリピートしてもらってその結果でのリアルって形に持っていかなければならないのである。少なくとも僕の場合は本当にチャットで3度4度と遊んでメアドの交換やTELセックスなんかの”段階”を踏んでその結果のリアルなのである。

また中にはチャットセックスなんかの段階も無く、いきなりリアルでのセックスを求めて来ちゃう娘も、極”マレ”であるのだけれども存在するのは間違いない。ただその場合は、いきなりリアルでの約束しても”スッポカサレル”場合がほとんどのイタズラの場合が多いし、1度だけそんな美味しい経験をしたこともあったのだけれども、結局はその場限りのセックスで、そのメスはどんな肉棒でも良いからセックスを求める真性のセックス依存症の娘って感じでこちらが求める精神的調教であるとか束縛であるとかの流れとはまったく違う立ち位置の性欲であったといえるのだ。

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まあ、話は元に戻るのだけれども、結局はその出逢った自称キャバ嬢は”オスに貢いで依存したい!!”って気持ちがあって遊んでいるのだと告白したのである。確かにチャットであるから、それが本当のホンネか?どうか?なんかは判らないし、”キャバで月収で何百万円稼いでるから、それを貢げば抱きしめてくれるのか?”って言い方をするのだけれども、それさえもそれだけの”稼ぎ”があるか?どうか?なんかは当たり前ながら疑わしくて、シチュエーションのプレイの一部だと考えても良いのだと僕なんかは思ってしまう。

ただ、ここで感じる事なのだけれども”貢いででもある1人のオスにだけ愛されたい!!”って気持ちだけはその娘にとってのホンネなのだという事なのだ。愛情のないセックスで快楽だけを求めるってのが性欲を満足させる為だけのセックスってのは、オスなんかはものすごく割り切ってセックスを楽しめるシチュエーションなのだと思う。簡単に言えばオスのセックスってのは恋愛感情に依存していないのである。ほんの少しだけ美人でスタイルが良く若い娘に誘われれば”据え膳”として簡単にセックスして満足してしまう部分があるのだ。ただメスの場合は、どんなにそれが1度きりのセックスであったとしてもオスのように単純ではないのだと思う。

メスのセックスってのはやっぱりどこか妊娠の可能性ってのがあって、単純にその場限りの快楽だけでセックス出来ないのだと感じる場合が多い。つまり単純にオスのように快楽だけのセックスに対して拒否的な部分があるのだろう。セックスに対してオスのように肉体的な快楽を求めるよりも精神的な部分での”つながり”を求めるような気がするのである。オスに依存することによる安定性であるとかの精神的な悦びってのをメスはセックスに求めているって気がするのだ。



だから単純に”メスは基本的にマゾである”と言うテーゼが何かの拍子に出てくる場合がある。チャットセックスであったとしても、いや、だからこそ、ある意味、ほとんどのメスは”マゾである”ことを求めて来ちゃう場合が多いようにボクは遊んでいて感じるのだ。つまりメスの根源的な部分で1人のオスに束縛されて忠誠を誓う事にメスの精神的な悦びがあるような気がするのである。問題はそれをどのようにメスがオスに表現するのか?って部分なのだと思う。

普通であれば何らかのきっかけでオスの性欲をメスとしてセックスと言う形で受け入れたのであれば、そのオスに
”孕ませられる可能性”ってのがメスには感じられて、つまりはその責任をオスに取ってもらわなければならないと言う意識が無自覚に生まれるのだろう。そうなればそのオスを独占しなければならないのだから・・・そのオスがまた別のメスとセックスしてしまえば、そのオスのトータルな部分での”生産性”をそのメスは独占できないのだから、それはメスにとって根源的な部分でリスクとして感じて、セックスを受け入れたオスの愛情を独占するために、その結果として奉仕であるとか貢ぐであるとかの行為を行うことになるのだろう。


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”セックスしてしまったらそのオスのものになってしまう”と言う古臭い論法が何かの拍子に出てくるのだけれどもそれは結果的に妊娠のリスクがあって、そのオスを独占する事によって、そのリスクを共有させようとするメスのリスクヘッジがあるのだとボクなんかは感じるのである。確かに最近は女性一人でも子供を育てる環境がそれなりにあって、オスなんかよりも”稼ぎの良い”メスの存在は否定できないから、その部分で”古臭い”論法なのかもしれないけれども、逆に言えばメスとしての根源的な感情面での部分でその論法は生きているのだと言えるのかもしれない。

だからそのオスの稼ぎであるとかの部分以上に精神的なところでオスに依存したいメスの気持ちってのがあるのだろう。単純に”オスに貢ぐメス”って言い方は、どうしようもないダメなメスの存在を言い表している事になるのかもしれない。しかし、そのオスに依存したいメスの気持ち自体はオスとして否定してはいけないし、馬鹿にする事は出来ないのだと思うのである。



ただ基本的にはオスのほうがメスを”養う”ってのが社会的にまだまだ判りやすい構図で、オス自体のプライドとしてメスに貢がれるって形はオス自身情けない姿であるとの自覚があって、それにメス自身もオスに依存する限りにはそのオスに”養われる”ことが当たり前で・・・ってパターンがなんとなくの無自覚な男女の結婚観であって、その方がある意味、ものすごく”健全”なのである。

つまりは”オスに貢ぐメス”の存在は単純な男女の結婚観に交じり合わないのだ。確かにオスの稼ぎだけではどこか生活に不安があってメスがパートに出る構図なんかはあるのだけれども、そのこと自体、生活の安定を考えての方策であって、オスに貢いでるって意識は結婚したメスには無いはずである。だからもっと言ってしまえば結婚前のいわゆる”あやふや”な段階でメスがオスに”貢ぐ”行為は結婚の準備として無意識に考える部分があるのかもしれない。そういう意味で何かの拍子に”結婚詐欺”が存在していて、その前段階に”貢ぐ女”が存在するようになる。



このように考えれば結婚願望ってのはある意味、メスがオスに依存するための社会的なシステムで、そのシステムを完成させようとしてメスがオスに貢ぐ形があるのかもしれない。”貢ぐ”まで行かなくてもオス自身は犯したメスが自分自身のためだけに何らかの事をしてもらえるのであれば・・・・例えば家事であるとか・・・それだけ生活がラクになって、また性欲の充足もそのメスが存在する事で簡単に満たすことが出来るのだから、そういう意味では社会的責任がある程度取れる自覚があれば、結婚と言うシステムはラクなのである。

ただ結婚と言うシステムにおいては社会的な責任が増大する事になるのだから、セックスでの関係も含めての恋人関係が1番ある意味、子供さえ出来なければ、もっとラクなのは間違いないのはホンネだろう。子供が出来てしまえば、子供に対する社会的責任ってのが増大するのだから、そういう意味で結婚って形はそれをとりやすい社会システムだと言えるのであって、妊娠を考えなければ恋愛関係が1番ラクなのだとオスとして気付いているからこそ、単純に結婚以外のセックスを求めるのがオスの身勝手な部分だと言えるのだろう。



強引なまとめになるのだけれども、結局はメスの”貢ぐ”行為はどこか結婚の社会的システムを積極的に利用したい気持ちがそうさせているような部分があって・・・と言うのは簡単な結論なのだけれども、それ以上にオスに依存したい根源的な気持ちがそうさせているのだろう。根源的であるからこそ、言葉にして説明するのはなんとなく難しく、曖昧になってしまうのだけれども、逆に言えばそんなメスに出逢ったオスはメスが望んだ以上の愛情をそのメスに与えるべきである。確かに結婚であるとかの社会システムに則っての責任の取り方が判りやすいのかもしれないが、その窮屈さも判るからこそ、どこまでメスに忠誠を求め、メスをオス自身に依存させていくか?ってのはオスの方がメスにとってはズルいかもしれないのだけれどもコントロールしなければならないのである。

ギブアンドテイクの関係がある意味、恋愛においての根本的な考えだとボクは思っている。結婚をゴールとしない恋愛であってもありだと僕自身は身勝手に思っている部分がある。しかし問題は女の子がその関係が終わった後にボロボロになっている事だけはオスとしてしてはいけない行為だと思う。セックスした後でその女の子の全てをしゃぶりつくすのは簡単だし、どうしてもそのようにしてしまいたいってのがオスの征服欲として存在するのはボク自身否定できない。でもその関係が終わった後のことも考えて、メスを愛していく事もオスとしてズルい部分かもしれないが重要なのだと僕は思うのである。




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